サンドロ・ボッティチェッリ

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『東方三博士の礼拝』に書き込まれたボッティチェッリ自画像

サンドロ・ボッティチェッリSandro Botticelli, 1444年|1444/1445年 - 1510年5月17日)は、ルネサンス期のイタリアのフィレンツェ生まれの画家で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ (Alessandro di Mariano Filipepi) といい、ボッティチェッリは兄が太っていたことからついた「小さな樽」という意味のあだ名である。ボッティチェルリ、ボッティチェリ、ボティチェリなどと表記されることもある。

目次

[編集] 概要

初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派の代表的画家。フィリッポ・リッピの元で学び、メディチ家の保護を受け、宗教画、神話画などの傑作を残した。

メディチ家当主ロレンツォ・デ・メディチの死後、ドメニコ会の修道士サヴォナローラがフィレンツェの腐敗を批判し、市政への影響力を強めた。そのためボッティチェッリも神秘主義的な宗教画を描くようになる。 ボッティチェリはサヴォナローラの反対派からの画の注文もよく受けており、こうした事実は彼がヴァザーリの記すよりはずっと自由な立場にいたようである。この時期以降の作品は生彩を欠くとして評価は高くない。1501年頃には制作を止める。

フィリッピーノ・リッピは彼に師事していた。ギリシャ文化に純粋に傾倒したと見られる「春」「ヴィーナスの上陸」を描いた。その結果、400年に亘り忘れ去られてしまい、やっと受け入れられるようになったのは19世紀末だった。それまでヨーロッパはボッティチェリを受け入れるだけの多様性の素地に欠けていたため、ボッティチェリの名はあまり知られることはなかった。19世紀イギリスのラファエル前派に注目されたことから名声が広まっているという経緯がある。

[編集] 代表作

プリマヴェーラ』と『ヴィーナス(ウェヌス)の誕生』の作者として著名である。異教的、官能的なテーマの絵画であり、フィレンツェ・ルネサンスの最盛期を告げるものである。

『プリマヴェーラ』は、近年の修復の結果、オリジナルの華麗な色彩がよみがえり、従来、煤(すす)に覆われてはっきり見えなかった多くの草花が、ヴィーナス(ウェヌス)の立つ地面に描き込まれているのが見えるようになった。研究者によると、これらの草花のほとんどは、今でもトスカーナ地方に自生しているという。

プリマヴェーラ(1477年 - 1478年頃、ウフィツィ美術館) ヴィーナスの誕生(1485年頃、ウフィツィ美術館)
プリマヴェーラ(1477年 - 1478年頃、ウフィツィ美術館)
ヴィーナスの誕生1485年頃、ウフィツィ美術館)

他に

など多数。

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