プリマヴェーラ

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『プリマヴェーラ』
イタリア語: Primavera
作者 サンドロ・ボッティチェッリ
制作年 1482年頃
素材 テンペラ
寸法 203 cm × 314 cm (80 in × 124 in)
所蔵 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

プリマヴェーラ』(: Primavera)は、ルネサンス期のイタリア人画家サンドロ・ボッティチェッリが1482年頃に描いた、フィレンツェウフィツィ美術館所蔵の絵画。日本ではイタリア語からの訳語である『春』や、『春(プリマヴェーラ)』、『プリマヴェーラ(春)』などとも呼ばれる。

来歴[編集]

長い間、この作品はロレンツォ・デ・メディチの又従兄弟であるロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・ディ・メディチ(en:Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici)のために描かれたとされていた。画家、建築家のジョルジョ・ヴァザーリが1551年に、「春の訪れ」(「春」はイタリア語で Primavera)と呼ばれる絵画がメディチ家のペトライア邸(villa de Petraia)の近くの、同じくメディチ家のカステッロ別邸に存在すると書いている。この別邸は1477年にロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコが購入した土地に建てられたもので、そのためこの絵画は、当時別邸を購入した14歳のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコのために描かれたと考えられていたのである。

しかしながら、1975年に再発見された1499年当時の財産目録には、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコと彼の弟のジョヴァンニ・デ・メディチ・イル・ポポラーノの資産が記録されており、以前には『プリマヴェーラ』がフィレンツェの大邸宅に飾られていたことが明記されている。その後でこの作品はロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコの私室への待合室に飾られたのであり、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコが最初の所有者ではないことが判明した。

概要[編集]

三美神

『プリマヴェーラ』は個人の家に飾るには大きな絵画であるが、富裕な一族の邸宅ではそれほど珍しいというわけではない。しかしながらこの作品は、ルネサンス期の肖像研究、表現形式の古典的様式の研究対象として非常に重要な絵画といえる。等身大でほぼ半裸の古代の神々が描かれ、それはルネサンス期の文学とシンクレティズムに対する深い知識が求められる、複雑な哲学的象徴主義で描かれた作品である。描かれている神々は古代ギリシア・ローマ彫刻の影響を受けているが、直接模倣されたものではなくボッティチェッリ特有の表現に昇華されている。細身で高度に理想化されて描かれており、当時の肖像絵画としては繊弱な印象を与え、16世紀マニエリスムの到来を予感させる作品となっている。

マーキュリー

中央のヴィーナスは他の神々のやや後ろに位置して描かれている。画面左で優雅にロンドを踊っている三美神に向けて、ヴィーナスの頭上で「愛の矢」をつがえているのは彼女の息子のキューピッドである。三美神のうち、一番右側の女神はカテリーナ・スフォルツァがモデルとされる。

愛の女神であるヴィーナスのこの庭園は、画面左端に描かれたマーキュリーによって守護されている。マーキュリーは燃えるような色彩の真紅の布を身にまとって甲と剣で武装しており、絵画中で明確にこの庭園の守護者としての役割を与えられている。神々の伝令役でもあるマーキュリーは、その象徴である羽のついた靴と杖(ケーリュケイオン)を身につけている。

ゼピュロスとクローリス
フローラ

画面右には春を呼ぶ西風の神のゼピュロスニンフのクローリスを追いかけて、強引に抱きかかえるように描かれている。その左隣に花を撒く女神として描かれているのは春の女神のフローラである。

現代に至るまで『プリマヴェーラ』について、さまざまな解釈がなされてきた。たとえばこの絵画には政治的な意味がこめられ、描かれている神々はイタリアの都市を擬人化しているという解釈が存在する。その解釈によれば、ヴィーナスは愛の女神であり「愛」(: amor)はアナグラムローマ: Roma)を、三美神はピサナポリジェノヴァを、マーキュリーはミラノを、フローラはフィレンツェを、描かれている春の季節である5月はマントヴァを、クローリスとゼピュロスはヴェネツィアボルツァーノあるいはアレッツォフォルリをそれぞれ意味しているとされている。

しかしこのような画題の解釈論とは関係なく、この絵画はルネサンス期の人文主義的傾向を多分に持った作品で、当時の文化、書物の影響や表現が色濃く反映されている作品でもある。一例として古代ローマの詩人オウィディウスの、古代ローマの祝祭や伝承などについて書かれた詩歌形式の暦である『祭暦』があげられる。この書物の五月に関する記述では、花の女神フローラがかつてはニンフのクローリスであり、その後なぜ花の女神になったのかが語られている。それによると、クローリスの美しさに魅せられた西風の神ゼピュロスは彼女を追いかけ、無理やり自分の妻にしてしまう。自分の暴力行為を後悔したゼピュロスは、クローリスをニンフから花の女神フローラとし、彼女は常春の美しい庭園を手にしたとされている。

ボッティチェッリはこのオウィディウスの作品から、ゼピュロスによるクローリスの誘拐とクローリスからフローラへの変身という二つの題材をこの絵画に描いた。これがクローリスとフローラの衣服が別々の方向になびいている理由であり、互いに相手の存在に気づいていない理由である。フローラが微笑みながら愛の女神ヴィーナスの隣で愛の女神の花であるバラを撒いているのに対し、クローリスはゼピュロスに怯えているかのように描かれている。

また、古代ローマの詩人で哲学者のルクレティウスは、自然哲学を説いた作品『事物の本性について』(De Rerum Natura)で、クローリスとフローラを同時に春の季節に登場させて2人を賞賛しており、この絵画に描かれている他の神々の表現についても『事物の本性について』の一節からの影響をみることができる。

Spring-time and Venus come,
And Venus' boy, the winged harbinger, steps on before,
And hard on Zephyr's foot-prints Mother Flora,
Sprinkling the ways before them, filleth all
With colours and with odours excellent.

(大意)春とともにヴィーナスとキューピッドが姿を現し、
ゼピュロスは春を呼ぶ強風を吹き立て、
フローラは色とりどりの花々と芳香を周囲に満ちあふれさせる

『事物の本性について』

美術史家エルンスト・ゴンブリッチは、ルクレティウスの詩文の一節がこの絵画に決定的な影響を与えているという見解に対して異論を唱えた。この哲学的な作品のベースには、ルクレティウス以外にもボッティチェッリが参考とした題材があったのかも知れないと考えたのである。その題材とはローマ時代の作家アプレイウスの小説『変容』(『黄金のロバ』)であり、この小説はルネサンス期の芸術家たちにとって身近なもので、古典的な視覚表現や文章は当時の芸術家に大きな影響を与えているとした。

ナルニア国物語』の作者C・S・ルイスの研究者として知られるキャサリン・リンドスコーグ(en:Kathryn Lindskoog)は、『プリマヴェーラ』がダンテの『神曲』のエデンの園を視覚化したものだと解釈した。リンドスコーグの見解によれば、この絵画に描かれているのは左から、アダム、神学的徳 (en:Theological virtues)、ベアトリーチェ (Beatrice Portinari)、マティルダ、イヴサタンである[1]

参考文献[編集]

Gombrich (1945) Botticelli's Mythologies: A Study in the Neoplatonic Symbolism of His Circle Journal of the Warburg and Courtauld Institutes, Vol. 8. (1945), pp. 7-60

脚注[編集]

  1. ^ Lindskoog, Kathryn, Dante's Divine Comedy — Purgatory — Journey to Joy, Part Two (retold with notes), Mercer University press, Macon, Georgia, 1997. ISBN 0-86554-573-1