地中海

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地中海
人工衛星からの映像
座標 北緯35度 東経18度 / 北緯35度 東経18度 / 35; 18座標: 北緯35度 東経18度 / 北緯35度 東経18度 / 35; 18
表面積 2500000km2
平均水深 1500m
最深部 5267m
滞留時間 80年から100年[1]
3300以上

地中海(ちちゅうかい、ラテン語: Mare Mediterraneum)は、北と東をユーラシア大陸、南をアフリカ大陸(両者で世界島)に囲まれた地中海盆地に位置するである。海洋学上の地中海の一つ。

名称[編集]

地中海を指すMediterraneanという語は、「大地の真ん中」を意味するラテン語mediterraneus メディテッラーネウス(medius 「真ん中」 + terra 「土、大地」)に由来する。またギリシア語では、これとまったく同じ造語法でもって、mesogeiosμεσογειος)と呼んでいた。

歴史的には、ほかにも各国語でさまざまに呼ばれてきたことが古文書などを通じて明らかになっている。たとえばローマ時代のラテン語では mare nostrum と呼ばれたが、これは「我々の海」という意味であった。聖書には、「偉大なる海」、あるいは「西の海」として登場している。近代のヘブライ語では、"ha-Yam ha-Tichon" (הים התיכון)、"the middle sea" と呼ばれ、その語義はドイツ語 Mittelmeer と変わるところがない。トルコ語では Akdeniz と言い、これは「黒海Karadeniz に対する「白海」という意味であり、アラビア語では Al-Baḥr Al-'Abiaḍ Al-Muttawasitالبحر الأبيض المتوسط)と呼んで、「中央の白い海」という意味合いになっている。

近年[いつ?]の英語では、"The Med"という短縮語が、地中海とそれを取り巻く周辺地域を日常の会話で語る場合の共通の語として用いられている。

地理[編集]

地中海の地図

正確には、西ジブラルタル海峡大西洋と接し、東はダーダネルス海峡ボスポラス海峡を挟んでマルマラ海黒海につながる海をいう。マルマラ海を地中海に含めることもあるが、黒海を含めることはしない。19世紀に掘削されたスエズ運河の開通以降は紅海を経由してインド洋につながる。

内海であるため、比較的波が穏やかである。また沿岸は複雑な海岸線に富んでいるため良港に恵まれ、3つの大陸を往来することができる。こうした条件から、地中海は古代から海上貿易が盛んで、古代ギリシア文明ローマ帝国などの揺籃となった。21世紀初頭の現在も世界の海上交通の要衝のひとつである。

地中海の沿岸は夏に乾燥、冬に湿潤となり、地中海性気候と呼ばれる。この気候のため、オリーブ等の樹木性作物の栽培が盛んであるほか、夏のまばゆい太陽や冬季の温和な気候を求めて太陽に恵まれない地域から多くの観光客が訪れる。

下記のように巨大なプレートの衝突によって形成された海であるため、全域に火山が分布し、ヴェスヴィオ山エトナ山サントリーニ島など現代に至るまで活発に活動を続ける火山も多く、地震も頻発する。

海況[編集]

6月の地中海表面海流

内海であり、西端のジブラルタル海峡のみ[2]でしか外海と接続のないことは、地中海の海水循環に大きな影響を与えている[3]。ジブラルタル海峡は狭く浅いため、北大西洋海流のような外洋の大きな海流の直接の流入はない。大西洋からの海水の流入と、ナイル川などの地中海に流入する河川の水量をあわせても海面からの蒸発量が大幅に上回るため、塩分が高く潮位が低くなっている。

蒸発量は気温が高く乾燥の度合いの強い地中海東部においてより激しく、そのため東部では水面が低く塩分濃度も高い[4]。こうして低くなった東部には大西洋から西部を通じて低塩分の海水が流れ込み、東の高塩分水はそれによって西へと押し出され、ジブラルタル海峡より大西洋へと戻る。このため、地中海の表層の海流は軽い低塩分水が東へと流れ、深層海流は重い高塩分水が西へと向かっている[5]。地中海から流れ出た高塩分水は大西洋で数千kmも特徴を保ち続ける[6]

しかし全般的に言って、地中海の潮流は非常に弱い。閉鎖性水域であり、海水の循環が不十分であること、および沿岸人口は3億6000万人を超えるうえ世界でも開発の進んだ地域のひとつであることによって、地中海の水質の悪化が懸念されている[7]

地中海の形成[編集]

約2億年前ないし約1億8000万年前、パンゲア大陸が南のゴンドワナ大陸と北のローラシア大陸へと分裂し始めテチス海が誕生した。テチス海は、現在の地中海の原型にあたり、古地中海とも呼ばれる。テチス海は、地殻変動が繰り返され、現在のユーラシア大陸やヨーロッパ、アフリカ大陸が形成されていく中で、カスピ海黒海を切り離す形で縮小してきた。

中新世末期のメッシーナ期(7.246±0.005百万年前~5.332±0.005百万年前)には一時的に大西洋との間で断絶が起き、596万年前から533万年前にかけてメッシニアン塩分危機が起こり、テチス海は塩湖化しながら縮小もしくは完全に干上がった時期が確認されている。

533万年前、再び大西洋とジブラルタル海峡で繋がると、200年以上かけて海水が流れ込み地中海が形成された。塩湖からの影響で地中海は現在も大西洋より塩分濃度が高くなっている。

気候[編集]

地中海沿岸の多くは、夏は南方のサハラ砂漠方面から北上してくる高気圧によって乾燥し、晴天に恵まれる。一方冬は北方から南下してくる低気圧によって雨が降り、湿潤な気候となる。この特徴的な気候はスペインからイタリア半島、ギリシャ、アナトリア半島マグリブ諸国のアトラス山脈以北などに分布し、ケッペンの気候区分においても地中海性気候(Cs)と呼ばれる独立した一区分となっている。

また、前述した高気圧と低気圧の移動に伴い、地中海は多数の局地風があることで知られる。夏に南から吹く風としては、イタリアのシロッコやリビアのギブリなどがある。ギブリは乾燥しているが、シロッコは地中海を越えてくるために蒸し暑い風となる。冬は逆に、北から強風が吹くようになる。アドリア海ボーラやフランスのミストラルなど、寒く乾燥した風が多い。

歴史[編集]

地中海沿岸は古くより多くの民族が栄えてきた。

やがて、紀元前12世紀ごろから、地中海東端、現在のレバノン付近に居住していたフェニキア人が地中海交易を開始する。ついで古代ギリシア諸都市も沿岸交易を開始し、地中海沿岸にはフェニキアとギリシアの多くの植民都市が建設されていった。イスタンブール(ビザンチウム)、ナポリ(ネアポリス)、マルセイユ(マッサリア)、パレルモメッシーナシラクサなど、この植民都市に起源を持つ都市は現在でも多く残っている。この時期から、地中海においてはガレー船が多用されるようになった。地中海では風向きが安定しないため純帆船の使用は遅れ、17世紀に技術進歩によって帆船にとってかわられるまではガレー船が地中海の船舶の主流となっていた。

紀元前8世紀フェニキアが政治的独立を失ったものの、植民都市の一つカルタゴが強大化し、地中海西部に覇を唱えるようになった。一方、地中海中央部では共和制ローマが強大化し、3度にわたるポエニ戦争によってカルタゴを滅亡させ、さらにギリシア諸都市や沿岸諸国を次々と占領していき、最終的に紀元前30年プトレマイオス朝エジプトを併合して、地中海はローマ帝国の内海となり、「我らが海」(Mare Nostrum)と呼ばれるようになった。

ローマ帝国の東西分裂と西ローマ帝国の崩壊は地中海にも混乱をもたらし、ゲルマン民族の大移動によってやってきたゲルマン人が地中海を渡り、西ゴート王国やヴァンダル王国を建国した。一時的に東ローマ帝国ユスティニアヌス1世のもとでイタリア半島や北アフリカを回復したものの、7世紀に入るとイスラム帝国が地中海地域に進攻を開始し、8世紀には地中海南岸および東岸を領域化した。これに対し地中海北岸はキリスト教のもとにとどまり、これによって地中海世界は異なる二つの文明体系に分裂することとなった。

9世紀にはいると、アマルフィピサジェノヴァヴェネツィアといったイタリア半島の諸都市が地中海交易に乗り出し、交易がふたたび盛んとなった。1095年にはじまる十字軍は、一面で地中海の移動の活発化をもたらし、これ以降交易や文化交流は一層盛んとなった。ジェノヴァヴェネツィアドゥブロヴニクラグーザ共和国)などが大貿易都市として栄え、この交易によって蓄えられた富や知識を基に、やがてイタリア半島においてルネサンスが始まることとなった。一方、西地中海においてはアラゴン王国が13世紀以降サルデーニャコルシカシチリア王国ナポリ王国を領有し、アラゴン連合王国として西地中海の制海権を握っていた。この制海権は、1479年にアラゴン王国とカスティーリャ王国が合同して成立したスペイン王国へと引き継がれることとなった。

15世紀には、オスマン帝国がアナトリア半島から勢力を広げ、16世紀には地中海東方および南方を手中に収め、それまで地中海の制海権を握っていたヴェネツィア共和国スペインと激しく対立した。1538年プレヴェザの海戦によってオスマンは全地中海の制海権を握ったものの、1571年レパントの海戦によって歯止めがかけられ、西地中海の制海権はやがてスペインが奪回した。一方、アメリカ大陸の発見により、ヨーロッパの交易中心は地中海から大西洋および北海へと移り、地中海の交易は相対的に地位が低下した。また、15世紀以降マグリブ諸国からの海賊がキリスト教国の脅威となり、バルバリア海賊と呼ばれて19世紀初頭まで猛威を振るった。1783年に独立したアメリカ合衆国も、1801年第一次バーバリ戦争1815年第二次バーバリ戦争の2度にわたってバルバリア海賊と戦火を交えている。

19世紀にはいると、オスマン帝国の衰退に乗じ、北岸のヨーロッパ諸国が対岸の北アフリカを植民地化していった。1830年にはフランスがアルジェリア侵略をおこない、これによりバルバリア海賊が完全に消滅するとともに、以後1962年にいたるまでフランスがアルジェリアを支配した。

1869年スエズ運河が開通することで、地中海は東西交易のメインルートへと復帰した。地中海沿岸、とくに北岸は産業革命の進んだ先進地域が多く、また喜望峰回りの従来のメインルートに比べ、時間・距離・コストともに圧倒的に有利だったからである。

経済[編集]

主要な島[編集]

地中海沿岸の現代の国家[編集]

他にイギリス海外領土イベリア半島ジブラルタルキプロス島アクロティリおよびデケリア)が存在する。また、キプロス島北部は北キプロス実効支配している。

海域[編集]

国際水路機関は、地中海の下位にあたる海域として以下の8つを定義している[8]

このほか、次のような海域に分けられることがある。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Pinet, Paul R. (2008). Invitation to Oceanography. Jones & Barlett Learning. p. 220. ISBN 0763759937. http://books.google.com/books?id=6TCm8Xy-sLUC&pg=PA220&lpg=PA220. 
  2. ^ 厳密にはもう一箇所、スエズ運河を介しても外海と接続しているが、海況に与える影響は極僅かと言える
  3. ^ Pinet, Paul R. (1996), Invitation to Oceanography (3rd ed.), St Paul, Minnesota: West Publishing Co., p. 202, ISBN 0-314-06339-0 
  4. ^ Pinet 1996, p. 206.
  5. ^ Pinet 1996, pp. 206–207.
  6. ^ Pinet 1996, p. 207.
  7. ^ 「ビジュアルシリーズ 世界再発見1 フランス・南ヨーロッパ」p84 ベルテルスマン社、ミッチェル・ビーズリー社編 同朋舎出版 1992年5月20日第1版第1刷
  8. ^ Limits of Oceans and Seas, 3rd edition”. International Hydrographic Organization. p. 15-18 (1953年). 2012年4月20日閲覧。