ケルンテン州

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ケルンテン州
Kärnten
ケルンテン州の旗 ケルンテン州の紋章
(州旗) (州の紋章)
オーストリア国内におけるケルンテン州の位置
州都 クラーゲンフルト
最大の都市 クラーゲンフルト
州首相 イェルク・ハイダー (BZÖ)
面積
 - うち陸面積
 - 水面積
9,535.97 km² (第5位)
9,364 km² (98.2 %)
172 km² (1,8 %)
人口
 - 総計
 - 人口密度
(2006年10月1日)
560,753 人 (第6位)
58.8 人/km²
与党 BZÖ、SPÖおよびÖVP
前回選挙 2004年3月7日
次回選挙 2009年
連邦参議院投票権数 4
市町村総数
 - うち市の数
 - うち町の数
132
17
40
測地系 北緯46度22分-47度8分
東経12度39分-15度4分
最高点 グロスグロックナー山 (3,797 m
最低点 Lavamünd (348 m)
ISO 3166-2 AT-2
ウェブサイト [1]

ケルンテン州: Kärnten)は、オーストリア共和国を構成する9つの連邦州のひとつ。オーストリアの州の中で最も南に位置している。英語ではカリンシア(Carinthia)と表記する。州都はクラーゲンフルト

目次

[編集] 地勢

ケルンテン州最大の湖、ヴェルター湖からマリーア・ヴェルトの町並みを望む
ケルンテン州最大の湖、ヴェルター湖からマリーア・ヴェルトの町並みを望む

南でイタリアスロベニアと国境を接する。西でチロル州、北でザルツブルク州、北東でシュタイアーマルク州と接している。チロル州との州境にそびえるグロスグロックナー山はオーストリア最高峰の山で、標高は3797メートル(富士山より少し高い程度)である。州面積の半分以上が1000メートル以上に位置しており、これらの地域にはほとんど人は住んでいない。州内をドラオ川が流れるほか、多くの湖があり、その風光明媚な景観は多くの観光客を集めている。代表的な都市としては、州都であるクラーゲンフルトフィラッハなどが挙げられる。面積は9,536平方キロ(青森県とほぼ同程度)、人口密度は59人/平方キロ。

[編集] 歴史

考古学的調査によれば、この地に人類が住み始めたのは旧石器時代にまでさかのぼる。古代にはノリクムと呼ばれる地域の一部で、ケルト人によるノリクム王国が建てられていた。「ケルンテン」という地名はケルトという語に由来すると考えられている。ノリクム王国は紀元前16年ローマ帝国によって併合された。以後はノリクム属州となりラテン化が進んだ。

西ローマ帝国が衰退するとこの地はゲルマン人スラヴ人などが進出し、7世紀にスラヴ人によるカランタニア公国が成立した。カランタニア公国は745年に独立を失い、フランク王国の支配に――直接的にはバイエルン大公の支配に――服するようになった。10世紀ケルンテン公国バイエルン公国から分離され、神聖ローマ帝国の一つの領邦となった。

ケルンテン公の玉座。クラーゲンフルト近くのツォルフェルトに残る
ケルンテン公の玉座。クラーゲンフルト近くのツォルフェルトに残る

1335年にケルンテン公ハインリヒ6世が嗣子なくして死去すると、皇帝ルートヴィヒ4世は後継者にオーストリア公アルブレヒト2世を指名し、以後ケルンテン公国はハプスブルク家領となった。1806年に神聖ローマ帝国が消滅したのちはオーストリア帝国の、次いでオーストリア・ハンガリー帝国の統治下に置かれた。

第一次世界大戦で敗戦国となったオーストリア・ハンガリー帝国は民族自決に基づいて解体されることになり、ケルンテンでも1920年10月10日に帰属を問う住民投票が行なわれた。この結果ケルンテンは北部は第一共和政のオーストリアのケルンテン州に、南部はセルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国(のちのユーゴスラビア王国)のコロシュカ地方(現在はスロベニア領)となった。

1938年ナチス・ドイツはオーストリアと合邦した(アンシュルス)。ナチス支配の下では標識からスロベニア語が消え、さらにスロベニア系住民の強制移住も計画された。

ドイツが第二次世界大戦に敗れるとケルンテン帝国大管区イギリスの占領下に置かれたが、1955年にオーストリアは連合国との間にオーストリア国家条約を調印して独立を回復した。

[編集] 産業

農業林業が中心。豊富な水量を背景に水力発電が行われており、クラーゲンフルトなどの都市部では製紙産業のほか、金属、化学工業などもみられる。

[編集] 住民

2001年現在のケルンテン州内のスロベニア語話者の自治体ごとの分布。南部にある5つの自治体では30%以上がスロベニア語話者である
2001年現在のケルンテン州内のスロベニア語話者の自治体ごとの分布。南部にある5つの自治体では30%以上がスロベニア語話者である

ケルンテン州の2006年10月1日現在の人口は推計560,753人である。このうちフィラッハクラーゲンフルトがある州中央部のクラーゲンフルト盆地に住む人の割合が最も高い。

周囲を山岳地帯に囲まれ、地域としての一体性が強かったこともあり、オーストリアではどの州でもみられることであるが、ケルンテンとしての地域意識がとりわけ強い。

住民のうち9割以上がドイツ語を話すが、南部にはスロベニア語を母語とする人々もいる。彼らは少数民族とみなされているが、その権利については議論もある。

[編集] 宗教

ケルンテンとオーストリアの宗教分布
宗教 ケルンテン オーストリア
カトリック 77.2 % 73.7 %
プロテスタント 10.3 % 4.7 %
イスラム教 2.0 % 4.2 %
正教会 0.8 % 2.2 %
無回答 7.9 % 12.0 %

ケルンテンにおける宗教ごとの信徒の割合は表の通り。カトリック教会が最も多く、人口の77.2%を占める。第2位のプロテスタントはおよそ1割であるが、これはオーストリアではブルゲンラント州に次ぐ高率である。

ケルンテン州の守護聖人は聖ヨセフと聖ヘンマの2人である。

[編集] 政治

クラーゲンフルトにあるケルンテン州議会議事堂
クラーゲンフルトにあるケルンテン州議会議事堂

ケルンテン州の州議会(Landtag)の定数は36議席であり、任期は5年である。18歳以上でケルンテン州在住のオーストリア市民が投票権を持つ。

ケルンテン州首相イェルク・ハイダー(2006年7月26日撮影)
ケルンテン州首相イェルク・ハイダー(2006年7月26日撮影)

1999年オーストリア自由党イェルク・ハイダー(Jörg Haider)が州首相指名選挙で2度目の指名を受けた。一般的に極右・煽動政治家とみなされる人物で、1989年に初めて州首相になった際には、ナチスに一定の評価を与える発言をしたことが問題化し州首相辞任に追い込まれている。自由党は、国政の場においても一時第2党にまで躍進し連立政権の一角を担ったが、ヨーロッパ各国からの激しい非難を浴び、国際政治においてオーストリアの孤立を招いた。一時は自由党党首も務めたハイダーであったが、その後は党内で孤立しがちであり、2005年には自由党から離党、「Bündnis Zukunft Österreich(オーストリア未来連合、などと訳出される)」という新党を立ち上げた。

[編集] 地方行政

ケルンテン州は8つの郡(Bezirk; 行政管区とも)に分けられる。郡は自治体ではなく、行政事務を処理する州の出先機関である。また州都のクラーゲンフルト(地図のK)と第2の都市フィラッハ(地図のVI)は郡に属さない憲章都市(Statutarstadt)に指定されており、郡の業務も独自に処理している。

ケルンテン州の郡および憲章都市の区分

郡は以下の通り。それぞれ郡名・ドイツ語綴り(略記号・郡庁所在地)である。

[編集] シンボル

[編集] 外部リンク

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