日蓮宗

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日蓮宗(にちれんしゅう)は、

  1. 仏教宗旨の一つ。法華宗とも称する。鎌倉時代中期日蓮によって興され[注釈 1]、かつては(天台法華宗に対し)日蓮法華宗とも称した[2]
  2. 仏教の宗派の一つ。
    1. 1872年明治5年)、政策「一宗一管長」制に基づいて合同した日蓮門下の全門流の宗号。1874年(明治7年)、日蓮宗一致派日蓮宗勝劣派に分かれ解散。
    2. 1876年(明治9年)、日蓮宗一致派が公称を許された宗号。1941年昭和16年)、三派合同により解散。
    3. 1941年(昭和16年)、三派合同により成立した現行の「宗教法人・日蓮宗」。身延山久遠寺総本山とする。

宗旨・日蓮宗の概要[編集]

開祖である日蓮の主要著作「立正安国論」のタイトルから類推して、国家主義的(ナショナリズム)傾向の強い教えと見る者がいる[3]。 本節では鎌倉仏教の宗旨日蓮宗(法華宗)の宗祖日蓮の教えならびに分派の大要を紹介する。

教え[編集]

法華経(妙法蓮華経)を釈迦の正しい教えとして選び、「南無妙法蓮華経」という題目をとなえること(唱題)を重視[4]。「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依する」の意であり、「題目」は経典の表題を唱えることに由来する[5]

日蓮に対する天台教学の影響[編集]

日蓮は、天台の教観二門(教相門・止観門)を教学の大綱とし、

などは天台教学を踏襲するとともに、「法華経の行者」としての自覚と末法観を基調とした独自性を示した[6]

末法観と法華経[編集]

日蓮は、鎌倉仏教の他の祖師たちと同様、鎌倉時代をすでに末法に入っている時代とみなしていた。 そして、法華経を、滅後末法の世に向けて説かれた経典とみなし、とりわけ「如来寿量品」を、在世の衆生に対してではなく、滅度後の衆生の救済を目的として説かれたものとみなした。そして法華経にとかれた

  • 久遠本仏の常住
  • 遣使還告の譬
  • 勧持品二十行の偈文

等を「末法悪世の相」を説いたものとみなした。そして当時の現実の世相(鎌倉幕府内部の権力闘争、天変地異、モンゴル帝国からの使者の到来、釈迦を第一に尊ばない阿弥陀信仰の盛行など)を、日本において法華経がないがしろにされてきた結果とみなした。 日蓮にとっては「末法における顛倒の衆生」、「末法重病の衆生」を済度しうる唯一最勝の良薬は「法華経」のみであった。「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と激しく他宗を攻撃する「四箇格言」は、法華経のみが末法において衆生を救済する唯一のおしえであり、他の教えは、かえって衆生を救済から遠ざけてしまう、という確信に基づくものであった[7]

五綱教判[編集]

法華経を唯一の正法であり、時間空間を超越した絶対の真理とした日蓮は、教・機・時・国・序のいずれにおいても法華経が至高であるとする「五綱の教判」を立てた[8]。つまり、「教」(教え)にはおいては、法華経のうち前半14章を迹門、後半14章を本門とし、本門こそ人びとを救済する法華経であるとし、「機」(素質能力)においては、末法に生きて素質や能力の低下した人間にふさわしい教えは法華経であり、「時」は末法であることから法華経が正法とされ、「国」は大乗仏教の流布した日本国にふさわしいのはやはり法華経、「序」(順序)は最後に流布するのは法華経本門の教えであるとした[8]。 「五綱の教判」のなかで、信仰における重要な契機として「時」(末法の世である現在)・「国」(日本国)を掲げるあり方から、こんにちでも、日蓮宗系の各宗派においては、他の宗派にはあまりみられない政治問題への積極的なかかわりがみられる[9]

日蓮の一念三千[編集]

日蓮は、天台教学を「迹門の法華経」であり「理の一念三千」と呼んで、その思弁性・観念性を批判し、みずからの教えを本門として「事の一念三千」を説き、実践的・宗教的であらねばならないとした[8]。日蓮はまた、法(真理)をよりどころとすべきであって、人(権力)をよりどころとしてはならないと説いた。かれは、仏法と王法が一致する王仏冥合を理想とし、正しい法にもとづかなければ、正しい政治はおこなわれないと主張したのである[8]。また、王法(政治)の主体を天皇とし、天皇であっても仏法に背けば仏罰をこうむるとし、宗教上での天皇の権威を一切みとめない仏法絶対の立場に立った[8]

分派[編集]

思想面(本仏の位置付け[注釈 2]妙法蓮華経の解釈[注釈 3])から、次のような分派(門流)が成立した[11][12]

日蓮日昭門流(浜門流)---------------日蓮宗=============釈尊本仏、一致派
  ├日朗門流(比企谷門流池上門流)-日蓮宗=============釈尊本仏、一致派[13]
  │├日像門流(四条門流)-----------日蓮宗=============釈尊本仏、一致派
  ││├日隆門流-------------------法華宗(本門流)本門法華宗===釈尊本仏、勝劣派[14][15]
  ││├日真門流-------------------法華宗(真門流)=========釈尊本仏、勝劣派[16]
  ││└日奥門流-------------------不受不施派不受不施日蓮講門宗=釈尊本仏、勝劣派[17][注釈 4]
  │└日静門流(六条門流)-----------日蓮宗=============釈尊本仏、一致派
  │ └日陣門流-------------------法華宗(陣門流)=========釈尊本仏、勝劣派[18]
  ├日興門流(富士門流)[注釈 5]
  │├日目門流
  ││ ├日郷門流
  ││ │ ├小泉久遠寺-----------日蓮宗=============釈尊本仏、勝劣派
  ││ │ └保田妙本寺-----------単立==============日蓮本仏、勝劣派[注釈 6]
  ││ └日道門流(石山派)---------日蓮正宗============日蓮本仏、勝劣派[19][20]
  │├日代門流(西山派)-------------法華宗興門流==========日蓮本仏、勝劣派[注釈 7]
  │├北山門流(談所派、大坊派)-----日蓮宗=============釈尊本仏、勝劣派
  │└日尊門流(要山派)-------------日蓮本宗、日蓮宗========釈尊本仏、勝劣派
  ├日向門流(身延門流)-------------日蓮宗=============釈尊本仏、一致派[21]
  └日常門流(中山門流)-------------日蓮宗=============釈尊本仏、一致派[22]
    └日什門流のうち妙満寺-------顕本法華宗===========釈尊本仏、勝劣派[23][24]

権力との距離という実践面[注釈 8]から、桃山時代末期より江戸時代にかけて

という区分も生じた。

檀林・法類(法縁・法眷)・本末関係[編集]

日蓮入滅後、教団は六老僧を中心にして拡大していったが、師弟の繋がりによって浜門流日昭)、池上門流日朗)、四条門流日像)、六条門流日静)、身延門流日向)、富士門流日興)、中山門流日常)などの門流にわかれ、たがいに異なった秘伝・法門を相続し、ときには門流の対立から分派もみられた [25]

江戸期に入ると僧侶の養成機関として各地に檀林が創設された。檀林の講堂は高台地に立てられ、学寮は谷間に立てられたが、飯高地方では「谷」を「サク」と呼ぶところから、「谷名(さくめい)」が学寮の異名となった [26] 弟子はその師匠の出た学寮に入るようになり、学系が固定するにつれ、ある寺の住職はどの学寮の出身者に限るとか、修行階梯による出世寺格が定まり、寮ごとに「持ち寺」「出生次第」「出世寺」が固定し、「法類」(法縁・法眷とも)制度が確立されていった。このようにして、従来からあった門流意識に、新たにできた学系意識が加わり、法類制度はきわめて強固なものになっていった [26]

檀林は、明治5年(1872年)、太政官政府による学制(日本最初の近代的学校制度)の制定・公布にともない、相次いで廃止された。また昭和16年(1941年)、旧日蓮宗顕本法華宗本門宗は、三派合同により対等合併して新「日蓮宗」として再編を行った際、本末制度を解体、法類関係も解消し、行政府としての宗務院が本山にかわって住職の任免を行い、宗費課金を徴収するなど、組織制度を大幅にあらためた。しかし長年つちかわれてきた本山・法類関係は完全には払拭されず、各法類とも法類内の結束をはかり、現在でも住職の移動は基本的に法類の内部だけでおこなわれている [27]

総本山━┓
大本山━╋━┳━中本寺━┳━小本寺━━末寺③
本 山━┛ ┗━末寺① ┗━末寺②

                        末寺①---直末(じきまつ)
                        末寺②---又末(またまつ)
                        末寺③---又末末(またまたまつ)
                        孫末-----ある寺院からみて、末寺のさらに末寺(統属関係が2段階はなれている寺院)
                        直門-----ある寺院からみて直接の統属関係をもつ末寺
                        近松-----ある寺院からみて徒歩半日以内の距離にある末寺
                        客末-----様々な事情により統属関係を有するようになった末寺
                        触頭-----江戸時代、江戸市中にあって幕府と各門流との窓口の役割を課された寺院

檀林[編集]
関東八檀林[28]
  • 飯高檀林(千葉県,1596-明治):脱師法縁、潮師法縁、通師法縁、池上法縁、堺法縁
  • 中村檀林(千葉県,1594-明治):達師法縁、親師法縁(精師法縁、貞師法縁)、境師法縁、奠師法縁、要師法縁、莚師法縁
  • 小西檀林(千葉県,1590-明治):小西法縁
  • 西谷檀林(山梨県,1604-1874):鏡師法縁
  • 三昧堂檀林(茨城県,1681-明治):水戸法縁
  • 玉造檀林(千葉県,1637-天保期)
  • 小室檀林(山梨県,1600-1700)
関西六檀林[28]
  • 松ヶ崎檀林(京都府,1573-1872):生師法縁
  • 東山檀林(京都府,1624-1873):達師法縁、親師法縁(精師法縁、貞師法縁)、奠師法縁、莚師法縁
  • 鷹ヶ峰檀林(京都府,1627-明治):親師法縁(精師法縁、貞師法縁)
  • 山科檀林(京都府,1643-明治):勇師法縁
  • 鶏冠井(かいで)檀林(京都府,1654-1875):奠師法縁、莚師法縁
  • 求法院檀林(京都府,1591-1873)
【その他】
  • 南谷檀林(東京都,1688-1873)
  • 野呂檀林:合師法縁
【旧勝劣派檀林】
  • 大亀谷檀林(京都府, 1652-明治)
  • 細草檀林(千葉県,1600-明治):江戸寛永期より明治初頭まで。興統法縁各法脈。現在、興統法縁の寺院は日蓮宗(本山3ヶ寺)・日蓮正宗(本山2ヶ寺)・日蓮本宗(本山1ヶ寺)、単立(本山2ヶ寺)などに分かれている。細草檀林跡の法雲山遠霑寺は現在日蓮正宗寺院。
  • 大沼田檀林(千葉県)
  • 三沢檀林(神奈川県,1724-明治)
  • 宮谷檀林(千葉県,1600-明治):什師法縁[注釈 9]各法脈(禹師寮法縁、迂師寮法縁、清師寮法縁、乗師寮法縁、宏師寮法縁、饒師寮法縁、厳師寮法縁等)
  • 小栗栖檀林(京都府,1658-明治)
法縁(法類、法脈)[編集]

江戸期に檀林から発生した法縁であるが、最近では法音寺(愛知県)の進師法縁や龍潜寺(福岡県)の諦師法縁など檀林によらない法縁がある。おもな法縁は下記の通り。什師法縁(日什門流)については、日蓮宗と顕本法華宗、単立と分かれているため縁頭寺、出世寺については触れない。興統法縁(日興門流)の場合、日蓮正宗(総本山上条大石寺)や日蓮本宗(総本山京都要法寺)については本末制のみのため法縁はない。宗教法人・日蓮宗の内部で合同を維持している寺院は興統法縁会を組織し、かつて本門宗宗務院が置かれた北山本門寺を縁頭寺としている。

  • 水戸法縁
    • 檀林:三昧堂檀林
    • 縁祖:壽遠院日遵
    • 縁頭寺:本山靖定山久昌寺(茨城県常陸太田市)
  • 脱師法縁
    • 檀林:飯高檀林中台谷(龍眠庵)
    • 縁祖:一圓院日脱
    • 縁頭寺:本山明星山妙純寺(神奈川県厚木市)、休息山立正寺(山梨県甲州市)
    • 出世寺:総本山身延山久遠寺など
  • 潮師法縁
    • 檀林:飯高檀林中台谷(龍眠庵)
    • 縁祖:六牙院日潮
    • 縁頭寺:本山慈雲山瑞輪寺(東京都台東区)
    • 出世寺:総本山身延山久遠寺、大本山小湊山誕生寺など
  • 通師法縁(縁祖寂遠院日通の師が法性院日勇で西国では勇師法縁と呼ぶ)
    • 檀林:飯高檀林松和田谷(松和軒)
    • 縁祖:寂遠院日通
    • 縁頭寺
      • 通師・堀之内法縁 本山日圓山妙法寺(東京都杉並区)
      • 通師・雑司ヶ谷法縁 威光山法明寺(東京都豊島区)
      • 通師・千駄ヶ谷法縁 法霊山仙寿院(東京都渋谷区)
      • 通師・一之瀬法縁 高峯山妙了寺(山梨県南アルプス市)
    • 出世寺:総本山身延山久遠寺、本山金栄山妙成寺、本山法王山妙法寺など
  • 池上法縁
    • 檀林:飯高檀林城下谷(向城庵)
    • 縁祖:妙玄庵法縁(妙玄院日等)、樹下庵法縁(成壽院日芳)、中道庵法縁(守玄院日顗)
    • 縁頭寺:妙玄庵と樹下庵が合併し現在は池上・芳師法縁となり縁頭寺は妙玄山実相寺(東京都大田区)、池上・中道庵法縁縁頭寺は長栄山中道院(東京都大田区)。中道庵法縁の中には更に以下の縁頭寺がある。
      • 池上・中道・中延法縁 八幡山法蓮寺(東京都品川区)
      • 池上・中道・感応寺法縁(西国では堺法縁という) 光照山感応寺(東京都台東区)
      • 池上・中道・土富店法縁 安立山長遠寺(東京都台東区)
      • 池上・中道・大坊法縁 本山長崇山本行寺(東京都大田区)
      • 池上・中道・柳島法縁 妙見山法性寺(東京都墨田区)
      • 池上・中道・神楽坂法縁 鎮護山善国寺(東京都新宿区)
      • 池上・中道・大久保法縁 春時山法善寺(東京都新宿区)
    • 出世寺:大本山長栄山本門寺、本山真間山弘法寺など
  • 堺法縁(東国では池上・中道・感応寺法縁という)
    • 檀林:飯高檀林城下谷(向城庵)
    • 縁祖:守玄院日顗
    • 縁頭寺:本山広普山妙國寺(大阪府堺市堺区)
    • 出世寺:大本山正中山法華経寺など
  • 達師法縁(繋珠会)
    • 檀林:中村檀林東法眷(真如庵)
    • 縁祖:了義院日達
    • 縁頭寺:本山聞法山頂妙寺(京都府京都市左京区)
    • 出世寺:大本山正中山法華経寺、大本山大光山本圀寺など
  • 親師法縁
    • 檀林:中村檀林東法眷(真如庵)
    • 縁祖:精師法縁(縁祖修光院日精)と貞師法縁(縁祖本是院日貞)が合併し久遠成院日親を縁祖とする
    • 縁頭寺:本山叡昌山本法寺(京都府京都市上京区)
    • 出世寺:大本山正中山法華経寺、大本山大光山本圀寺など
  • 境師法縁(明和会)
    • 檀林:中村檀林東法眷(真如庵)
    • 縁祖:通心院日境
    • 縁頭寺:本山経王山妙法華寺(静岡県三島市)
  • 奠師法縁(奠統会)
    • 檀林:中村檀林西法眷(観月庵)
    • 縁祖:妙心院日奠
    • 縁頭寺:本山具足山妙覚寺(京都府京都市上京区)、福聚山常圓寺(東京都新宿区)
    • 出世寺:大本山具足山妙顕寺、大本山大光山本圀寺、本山長谷山本土寺など
  • 莚師法縁(隆源会)
    • 檀林:中村檀林西法眷(観月庵)
    • 縁祖:隆源院日莚
    • 縁頭寺:本山広布山本満寺(京都府京都市上京区)、誉師山長満寺(愛知県額田郡幸田町)
    • 出世寺:大本山大光山本圀寺、大本山具足山妙顕寺など
  • 鏡師法縁(善学会)
    • 檀林:西谷檀林
    • 縁祖:善學院日鏡
    • 縁頭寺:恵光山長遠寺(山梨県南アルプス市)
    • 出世寺:総本山身延山久遠寺など
  • 勇師法縁(寂遠院日通が法性院日勇の弟子で東国では通師法縁と呼ぶ)
    • 檀林:山科檀林
    • 縁祖:法性院日勇
    • 縁頭寺:本山法鏡山妙傳寺(京都府京都市左京区)
  • 生師法縁
    • 檀林:松ヶ崎檀林
    • 縁祖:教蔵院日生
    • 縁頭寺:本山具足山立本寺(京都府京都市上京区)
  • 小西法縁
    • 檀林:小西檀林
    • 縁頭寺
      • 小西・法恩寺法縁 平河山法恩寺(東京都墨田区)
      • 小西・一乗寺法縁 大法山一乗寺(東京都台東区)
      • 小西・幸龍寺法縁 妙祐山幸龍寺(東京都世田谷区)
      • 小西・本法寺法縁 長瀧山本法寺(東京都台東区)
      • 小西・浄心寺法縁 法苑山浄心寺(東京都江東区)
    • 出世寺:総本山身延山久遠寺、本山常在山藻原寺、本山徳栄山妙法寺など
  • 什師・禹師寮法縁
    • 檀林:宮谷檀林東谷
    • 縁祖:瑞光院日禹
  • 什師・清師寮法縁
    • 檀林:宮谷檀林東谷
    • 縁祖:制心院日清
  • 什師・饒師寮法縁
    • 檀林:宮谷檀林東谷
    • 縁祖:念事院日饒
  • 什師・厳師寮法縁
    • 檀林:宮谷檀林西谷
    • 縁祖:啓運院日厳
  • 什師・迂師寮法縁
    • 檀林:宮谷檀林北谷
    • 縁祖:徳善院日迂
  • 什師・乗師寮法縁
    • 檀林:宮谷檀林北谷
    • 縁祖:養徳院日乗
  • 什師・宏師寮法縁
    • 檀林:宮谷檀林南谷
    • 縁祖:本光院日宏

大正期の門下統合運動[編集]

大正時代、顕本法華宗本多日生を牽引役として、門下各派による統合運動が展開された。

1914年(大正3年)には、日蓮門下7宗派[注釈 10]の管長が池上本門寺に集まって、「各教団統合大会議」を開催。同年12月、「日蓮門下統合後援会」が組織された。翌1915年(大正4年)6月、一致派日蓮宗が離脱したのを除く、勝劣派の6宗派[注釈 11]の統合が成立した。また、1917年(大正6年)、門下合同講習会が開催され、同年11月には統合修学林を開校するにいたった[29]

この時期には門下の9宗派[注釈 12]による、宗祖日蓮への「大師」号の授与運動が展開され、1914年(大正3年)11月にいたり、宮内省より日蓮にたいする「立正大師」の謚号宣下が行われた[30]

宗派・日蓮宗の概要[編集]

1253年 (建長5年) 4月28日、日蓮が朝日に向かい「南無妙法蓮華経」と題目を唱えたのを始まり(立教開宗)とする。中世・近世における自称は法華宗であり [31]、ことに中世において日蓮宗は蔑称と捉えられる向きもあった[32]

成立までの経緯[編集]

1872年(明治5年)成立の日蓮宗[編集]

近代では、1872年 (明治5年) 教部省布達「一宗一管長」制に基づいて成立した教団を端緒とする[33]。これには、一致派の身延門流、比企谷門流、中山門流、日昭門流、四条門流、六条門流などの他、勝劣派全門流が合同。初代管長には顕日琳 (勝劣派・陣門流)が就任した [34][35]。この時、新居日薩(1874年(明治7年)、身延山久遠寺73世、日蓮宗一致派初代管長[36])らの活動で、身延山久遠寺(山梨・身延門流)、長栄山本門寺(東京池上・比企谷門流)、正中山法華経寺(千葉・中山門流)、具足山妙顕寺(京都・四条門流)、大光山本圀寺(京都・六条門流)、妙塔山妙満寺(京都・什門流)、長久山本成寺(越後・陣門流)を七大本山とする制度を実施した。しかし、これに京都要法寺を始めとする興門派及び八品派[注釈 13]や一致派本山から異論が噴出する。教部省に訴えた結果、七本山の企ては頓挫し[注釈 14]、管長は一致派・勝劣派に拘らない年番交代となった。

その後1874年 (明治7年) 3月、宗教行政の無理さや教義の違いから日蓮宗一致派日蓮宗勝劣派に分かれたため、管長も各派別におくこととなる[37][38]。前者は一致派全門流の合同教団となり、身延山久遠寺の新居日薩が初代管長に就任した[注釈 15]

1876年(明治9年)成立の日蓮宗[編集]

1875年(明治8年) 3月、 日蓮宗一致派は、派名を廃し単称日蓮宗とする名称変更を、政府へ請願する。 同門他派を踏まえ一度は却下されるも、再三の働きかけにより、 1876年 (明治9年) 2月、政府はこれを承認した[34][注釈 16]

宗教法人・日蓮宗[編集]

宗教団体法による統合[編集]

大正期の統合運動は、「学林」(=僧侶の養成機関)問題により一致派の日蓮宗が離脱し、また勝劣派による統合も6宗派の個々の自律性を残すものであったが、1939年(昭和14年)4月、宗教団体を戦争協力させることを目的として制定された「宗教団体法」[注釈 17][注釈 18]は、"統合運動"の様相を一変させることとなる。

この法律は仏教・神道・キリスト教の各宗教に対し、教団を国家権力下に管理するため宗派合同を求めるものであり、そして1940年(昭和15年)9月、同法第5条[注釈 19][40]を根拠として、政府は神道・仏教・キリスト教の各宗教界代表を招集。1941年(昭和16年)3月末日までに各宗派の自主的合同を終えるよう通達した[41]

この通達を受け、1940年(昭和15年)12月、本門法華宗・法華宗・日蓮宗・本妙法華宗・顕本法華宗・本門宗不受不施派講門派 の日蓮門下八派が出席する門下合同準備会の第一回委員会 (委員長は日蓮宗の柴田一能) が開かれる。委員会は合同に賛成し、宗名・教義・本尊は特別委員会で決めることとなった。その後、3カ月間で、教義や管長推戴について比較的似通った主張をする宗派で合同する方向にまとまる。特別委員の苅谷日任が本迹問題から合同に反対したこともあって八派全ての合同はならず、1941年(昭和16年)3月、日蓮宗第37宗会は、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗が各教団解散の上で対等合併する三派合同を承認し、宗名を日蓮宗とすることが決められた[41][42][注釈 20]

概要[編集]

身延山久遠寺を総本山とし、宗務院を池上本門寺(東京都大田区池上)に置く日蓮系諸宗派中の最大宗派。中世期に成立していた門流の多くと、思想的潮流の相当部分を包含する。祖山1(総本山)、霊跡寺院14(大本山7、本山7)、由緒寺院42(本山42)、寺院数5,200ヶ寺、直系信徒330万人。

なお、日什門流・日興門流は、門流に所属する寺院の一部が日蓮宗に帰属している[注釈 21]。詳細は日蓮宗什師会興統法縁会を参照。

1941年(昭和16年)

日蓮宗、顕本法華宗(日什門流)、本門宗(日興門流)が、対等の立場で合併(三派合同)して発足。

1946年(昭和21年)

大本山法華経寺と一部の末寺が離脱し、「中山妙宗」を立ち上げる。
讃岐本門寺が離脱し、日蓮正宗に合流。

1947年(昭和22年)

大本山妙満寺が離脱し、賛同して離脱した日什門流約200ヶ寺で、昭和25年に顕本法華宗をあらためて組織(合同の維持を主張した旧4ヶ本山と末寺180ヶ寺については日蓮宗什師会を参照)

1949年(昭和24年)

真言宗智山派清澄寺、日蓮宗に改宗。

1950年(昭和25年)

本山要法寺と末寺50ケ寺が離脱し、「日蓮本宗」を立ち上げる(日蓮宗にとどまった要法寺の旧末寺30ヶ寺は日蓮宗内部で興統法縁会(1941年発足)にとどまり、島根尊門会を組織。
本山下条妙蓮寺が旧末寺6ヶ寺とともに離脱し、日蓮正宗に合流。

1954年(昭和29年)

最上稲荷妙教寺が離脱し、「最上稲荷教」を立ち上げる。

1956年(昭和31年)

日向妙国寺が離脱し、日蓮正宗に合流(翌年単立)[45]

1957年(昭和32年)

法華宗陣門流大久寺(小田原市)、日蓮宗に改宗。
本山西山本門寺と旧塔頭末寺の一部と共に離脱し、単立となる。
日向定善寺が離脱し、日蓮正宗に合流。
本山保田妙本寺が旧末寺4ヶ寺とともに離脱し、日蓮正宗に合流(のちに単立)。
宮崎県の日郷門流寺院が離脱し、「大日蓮宗」を立ち上げる。

1959年(昭和34年)

本派日蓮宗寂光寺(大津市)、日蓮宗に改宗。

1960年(昭和35年)

下条妙蓮寺旧末寺(忠正寺)が離脱し、日蓮正宗に合流。
妙見宗安国寺(宝塚市)、日蓮宗に改宗。

1964年(昭和39年)

法華宗本門流上行寺(富士吉田市)、日蓮宗に改宗。

1965年(昭和40年)

日蓮教団妙栄寺(大阪市)、日蓮宗に改宗。
妙法日慎宗日慎院(奈良県吉野郡吉野町)、日蓮宗に改宗。

1968年(昭和43年)

法華宗真門流本告寺(舞鶴市)、日蓮宗に改宗。

1972年(昭和47年)

中山妙宗が解散し、法華経寺他19ケ寺が日蓮宗に復帰。単立寺院になった宝晃寺(台東区)、正中山奥之院(市川市)、雄瀧弁天堂(山梨県南巨摩郡早川町)ものちに日蓮宗に復帰した。
本派日蓮宗妙蓮寺(大阪市)、日蓮宗に改宗。

1975年(昭和50年)

法華宗真門流最然寺(京都市)、日蓮宗に改宗。

1976年(昭和51年)

日向妙国寺が日蓮宗に復帰[45]

1981年(昭和56年)

法華宗真門流恵光寺(大阪市)、日蓮宗に改宗。
日蓮宗最上教妙仙寺(宮若市)、日蓮宗に改宗。

1984年(昭和59年)

妙法宗護法寺(橿原市)、日蓮宗に改宗。

1986年(昭和61年)

本山修験宗長徳寺(南丹市)、日蓮宗に改宗。

1989年(平成元年)

大日蓮宗が解散し、日蓮宗に復帰。

2009年(平成21年)

最上稲荷教が解散し、妙教寺他8ケ寺が日蓮宗に復帰。

2014年(平成26年)

法華宗真門流日照寺(泉南市)、日蓮宗に改宗。

主要寺院[編集]

現在の日蓮宗宗制では寺院は祖山、霊跡寺院、由緒寺院、一般寺院に分けられている。江戸時代本末制度に始まる寺格は昭和16年の本末解体で消滅し実態はないが、日蓮宗宗制では総本山・大本山・本山の称号を用いることができると規定されている。

祖山は日蓮の遺言に従い遺骨が埋葬された祖廟がある身延山久遠寺(日蓮棲神の霊山とされる)で、貫首法主と称する。霊跡寺院は日蓮一代の重要な事跡、由緒寺院は宗門史上顕著な沿革のある寺院で、住職(法律上の代表役員)を貫首と称する[注釈 22]

祖山、霊跡寺院、由緒寺院は「日蓮宗全国本山会」を組織している。総裁は身延山久遠寺内野日總法主、会長は飯田本興寺浅井日彰貫首、事務局長は北野立本寺上田日瑞貫首。

本山妙教寺は平成21年7月に一般寺院として日蓮宗に帰一したが、客員として長らく日蓮宗全国本山会に参加している為、その他本山としてあげておく。

祖山[編集]

霊跡寺院[編集]

由緒寺院[編集]

その他[編集]

法華寺院巡り[編集]

三派合同時の本山[編集]

昭和16年三派(旧日蓮宗、旧顕本法華宗、旧本門宗)合同時の本山は以下の通り

旧日蓮宗44本山(総本山1、大本山4、本山39)、1御由緒寺院[編集]
  • 総本山身延山久遠寺(現在:日蓮宗総本山)
  • 大本山正中山法華経寺(現在:日蓮宗大本山)
  • 大本山長栄山本門寺(現在:日蓮宗大本山)
  • 大本山具足山妙顕寺(現在:日蓮宗大本山)
  • 大本山大光山本圀寺(現在:日蓮宗大本山)
  • 本山光明山孝勝寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山靖定山久昌寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山開本山妙顕寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山小湊山誕生寺(現在:日蓮宗大本山)
  • 本山小松原山鏡忍寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山広栄山妙覚寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山常在山藻原寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山妙高山正法寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山正東山日本寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山長崇山妙興寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山真間山弘法寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山長谷山本土寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山長興山妙本寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山寂光山龍口寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山明星山妙純寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山海光山佛現寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山岩本山実相寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山経王山妙法華寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山大成山本立寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山龍水山海長寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山貞松山蓮永寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山青龍山本覚寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山徳栄山妙法寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山大野山本遠寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山法王山妙法寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山塚原山根本寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山妙法華山妙照寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山蓮華王山妙宣寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山金栄山妙成寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山法鏡山妙伝寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山聞法山頂妙寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山叡昌山本法寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山広布山本満寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山具足山妙覚寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山具足山立本寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山広普山妙國寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山白雲山報恩寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山自昌山国前寺(現在:日蓮宗本山)
  • 本山松尾山光勝寺(現在:日蓮宗本山)
  • 御由緒寺院瑞龍寺(現在:村雲御所瑞龍寺)
旧顕本法華宗(総本山1、別格山8)[編集]
  • 総本山妙塔山妙満寺(現在:顕本法華宗総本山)
  • 別格山宝塔山妙法寺(現在:顕本法華宗別格山)
  • 別格山宝光山妙國寺(現在:日蓮宗本山)
  • 別格山鳳凰山天妙國寺(現在:顕本法華宗別格山)
  • 別格山経王山本光寺(現在:単立)
  • 別格山法華山本興寺(現在:日蓮宗本山)
  • 別格山本立山玄妙寺(現在:日蓮宗本山)
  • 別格山延兼山妙立寺(現在:日蓮宗本山)
  • 別格山妙泉山寂光寺(現在:顕本法華宗別格山)
旧本門宗(大本山7)[編集]

宗務院[編集]

東京都大田区池上1-32-15、本門寺敷地内に所在する。

内局[編集]

日蓮宗の行政府。現在の内局は以下の通り。

  • 宗務総長:小林順光(宗会議員)
  • 伝道局長:齊藤憲一(宗会議員)
  • 総務局長:塩田望巳(宗会議員)
  • 伝道部長:吉田見悠(宗会議員)
  • 教務部長:田中文教
  • 総務部長:風間随修(宗会議員)
  • 財務部長:中川法政(宗会議員)
  • 宗務総長室長:小林正雄(宗会議員)
  • 日蓮宗現代宗教研究所所長:三原正資
  • 参与(什師会):山口裕光(台東区妙経寺住職)
  • 参与(興統会):吉田海心(延岡市本東寺住職)

宗会[編集]

日蓮宗の立法府。選挙区選出の43名に参与推薦の2名をくわえた45名で構成されている。会派として同心会、明和会がある。現在の宗会議員は以下の通り。選挙区、氏名、住職寺院、会派の順。

  • 第1区(東京東部)、小林順光、葛飾区妙源寺、同心会
  • 第2区(東京西部)、池田順覚、世田谷区玉川寺、同心会
  • 第3区(東京南部)、生駒雅幸、大田区安立院、同心会
  • 第4区(東京北部)、吉田見悠、台東区妙雲寺、同心会
  • 第5区(神奈川1部)、柳下俊明、横浜市妙蓮寺、同心会
  • 第6区(神奈川2部)、関本城、藤沢市法善寺、同心会
  • 第7区(神奈川3部)、小林正雄、小田原市大久寺、同心会
  • 第8区(千葉東部)、長谷川雄一、匝瑳市朗生寺、同心会
  • 第9区(千葉西部)、大塩孝信、市原市正蓮寺、同心会
  • 第10区(千葉南部)、塩崎望巳、勝浦市法蓮寺、同心会
  • 第11区(千葉北部)、渡辺照敏、市川市法蓮寺、同心会
  • 第12区(埼玉、群馬)、松永慈弘、川口市實相寺、同心会
  • 第13区(茨城、栃木)、植木英明、水戸市妙徳寺、同心会
  • 第14区(山梨1部)、佐々木延雄、身延町山之坊、明和会
  • 第15区(山梨2、3部)、望月義仁、韮崎市大蓮寺、同心会
  • 第16区(山梨4部)、川久保光隆、笛吹市定林寺、明和会
  • 第17区(静岡東部)、松井大英、下田市了仙寺、同心会
  • 第18区(静岡中、西部)、大場正昭、藤枝市大慶寺、明和会
  • 第18区(静岡中、西部)、落合良孝、浜松市法雲寺、明和会
  • 第19区(長野、岐阜)、堀智仙、岐阜市妙照寺、明和会
  • 第20区(愛知名古屋、三河)、光岡潮慶、名古屋市栄立寺、明和会
  • 第21区(愛知尾張、三重)、高津憲周、名張市妙典寺、明和会
  • 第22区(新潟東、西、北部)、齋藤憲一、柏崎市東城寺、明和会
  • 第23区(富山、石川1、2部)、栗原啓允、高岡市大法寺、明和会
  • 第24区(福井中、南、北部)、木村吉孝、敦賀市妙顕寺、同心会
  • 第25区(京都1、2部)、風間随修、京都市妙栄寺、明和会
  • 第25区(京都1、2部)、藤田尚哉、京都市勝光寺、同心会
  • 第26区(大阪市)、中川法政、四条畷市如在寺、同心会
  • 第27区(大阪和泉、三島、豊能)、石原直行、能勢町安穏寺、明和会
  • 第28区(滋賀、奈良、和歌山)、田中恵紳、和歌山市蓮心寺、明和会
  • 第29区(兵庫東、西、北部)、川口久雄、神戸市護国寺、明和会
  • 第30区(岡山)、北山孝治、岡山市妙楽寺、明和会
  • 第31区(広島、山口)、渡部康国、広島市本覚寺、同心会
  • 第32区(島根、鳥取)、山田光映、鳥取市本浄寺、明和会
  • 第33区(四国四県)、中臣泰斎、松山市法華寺、明和会
  • 第34区(福岡)、佐野前延、うきは市本佛寺、明和会
  • 第35区(熊本)、塩田義徹、熊本市正立寺、明和会
  • 第36区(佐賀、長崎、大分、宮崎、鹿児島、沖縄)、池田弁岳、島原市光伝寺、明和会
  • 第36区(佐賀、長崎、大分、宮崎、鹿児島、沖縄)、松野蓮香、日南市白蓮寺、明和会
  • 第37区(福島、宮城、山形)、畑栄明、山形市浄光寺、同心会
  • 第38区(岩手、秋田、青森)、西山是文、遠野市智恩寺、同心会
  • 第39区(北海道全区)、内山智洋、帯広市法華寺、明和会
  • 第39区(北海道全区)、佐藤光則、札幌市日登寺、同心会
  • 参与推薦(什師会)、渡邊義生、千葉市長胤寺、同心会
  • 参与推薦(興統会)、保田義彰、沼津市本能寺、同心会

大学[編集]

研究機関[編集]

布教機関・新聞社[編集]

病院[編集]

  • 身延山病院[4]
  • 立正診療院

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 自身は法華宗の僧と称していたが、宗派を立てたという意識はなかった[1]
  2. ^ 釈尊を本仏として久遠實成本師釈迦牟尼仏と称すると、日蓮を久遠元初本門文底本因妙の教主・末法の本仏とする。なお、後者は、室町期に現れたと身延門流含む日蓮宗では主張している[10]が、日蓮正宗では『開目抄』『観心本尊抄』『諸法実相抄』などの宗祖遺文に基づき、宗祖が展開したと主張している。
  3. ^ 所依の妙法蓮華経を構成する二十八品(28章)を前半の「迹門」(しゃくもん)、後半の「本門」に二分し、本門に法華経の極意があるとする勝劣派と、二十八品全体を一体のものとして扱うべきとする一致派
  4. ^ (創価学会教学部 1968, p. 146)には、一致とある。
  5. ^ 小泉久遠寺(日蓮宗)、北山本門寺(日蓮宗)、洛中三条要法寺(日蓮本宗)は、日蓮本仏はあくまで富士門流派祖滅後に権力闘争や派閥原理主義から派生した異流教学であると退け、派祖日興上人の本義は釈尊本仏と主張している。一方、上条大石寺、下條妙蓮寺、讃岐本門寺、日向定善寺(以上、日蓮正宗)は、「開目抄」「諸法実相抄」「富士一跡門徒存知事」「五人所破抄」「日興遺戒置文」などの遺文を根拠に、宗祖本仏論を主張している。
  6. ^ 富士門流には釈尊本仏勝劣派、保田妙本寺には日蓮本仏勝劣派、とそれぞれある。
  7. ^ 富士門流には、釈尊本仏、勝劣派とある。
  8. ^ 日蓮宗の檀信徒ではない時の権力者からの布施を受けることが是か非かという問題である。
  9. ^ 現在顕本法華宗および日蓮宗什師会など
  10. ^ 一致派日蓮宗勝劣派顕本法華宗本門宗法華宗本門法華宗本妙法華宗日蓮正宗
  11. ^ 顕本法華宗・本門宗・法華宗・本門法華宗・本妙法華宗・日蓮正宗
  12. ^ 日蓮宗・顕本法華宗・本門宗・法華宗・本門法華宗・本妙法華宗・日蓮正宗・不受不施派・不受不施興門派
  13. ^ 異論噴出の源が京都要法寺であったという意。興門派の中心が京都要法寺ということではない。
  14. ^ 榎木境道『富士門流の歴史 重須編』によれば、「この上申書は身延山久遠寺・池上本門寺・中山法華経寺各山の貫主連名で、教部省に宛て明治5年7月2日付で出されています。要するに、全国にある日蓮宗寺院について、一致派・勝劣派の区別無く、有無を言わさず七大本山の許に分割して末寺にすることをねらった、まさに陰謀と言うべき内容でした。この動きを察知した京都要法寺(興門派)では、明治6年になって(中略)日蓮宗管長・顕日琳の責任を追及し(中略)同年5月28日には大石寺を含めた興門派、及び八品派連署による願書を取りまとめて教部省に提出、七大本山の企てを却下するよう訴えています。(中略)同年8月には教部省より『日蓮宗には従来総本山が無かったにもかかわらず、今さら七本寺などと主張する謂れはない』との(中略)布達が出され、こうして七本山の画策による上申は却下されたのです。」とある。
  15. ^ なお、後者は勝劣派全門流五派の合同教団となるが、初代管長については京都要法寺の釈日貫 (榎木境道 2007, p. 452) と八品派の釈日実 (安中尚史 1995) の二説がある。
  16. ^ この措置に勝劣派が異議を訴え、同様に日蓮宗と称することを承認されるも、行政上の混乱を避けるため、これを忌避。勝劣派が各派別に管長を置くことを許されるようになった[34]。また、これ以後、日蓮宗を冠する勝劣派も現れ始めるようになる[39]
  17. ^ 1939年(昭和14年)4月8日法律第77号
  18. ^ この経緯について、近江幸正 (1995)は、「これより戦時新体制による新教団として戦争遂行にいっそう協力することとなった。教団合同の道筋には、 当時の国家主義的風潮への心酔と迎合があった一面、 政府・官憲によるさまざまな弾圧・脅迫があったことを忘れてはならない。 」と述べているが、日蓮門下の各派の場合、大正期にきわめて高揚した自発的な統合運動が存在していた。
  19. ^ 教派、宗派又ハ教団ハ主務大臣ノ認可ヲ受ケ合併又ハ解散ヲ為スコトヲ得
  20. ^ なお、同年同月、本門法華宗・法華宗・本妙法華宗は法華宗となり[42]、同年、不受不施派・不受不施派講門派は本化正宗と公称[43][44]した。
  21. ^ 旧顕本法華宗、旧本門宗に属する本山、末寺には日蓮宗より独立するものもあったが、旧顕本法華宗の改革派である本山妙國寺、本山本興寺、本山玄妙寺、本山妙立寺、や、旧本門宗の大本山重須本門寺、本山小泉久遠寺、本山實成寺とそれらの末寺は引き続き、日蓮宗の内部で固有の教義を維持し続けている。
  22. ^ 中山法華経寺の貫首のみ、荒行堂が設置されているのに伴い、伝主とも称する。

出典[編集]

  1. ^ 金岡秀友 1979, pp. 229-230.
  2. ^ 中村元 2002, p. 790.
  3. ^ 中村 元、「東洋人の思惟方法」ウィリアム・ウッダード、「天皇と神道 GHQの宗教政策」、1988年、サイマル出版会、238ページ、Alan Macfarlane,アラン・マクファーレン,Japan Through the Looking Glass,2007,Profile Books,page199、G.B.Sansom,Japan : A Short Cultural History,1931 first published,Stanford University Press,1978,page334
  4. ^ 有賀要延 1975, pp. 75-92.
  5. ^ 村上重良 1981, p. 99.
  6. ^ 有賀要延 1975, pp. 75-76.
  7. ^ 有賀要延 1975, pp. 76-77.
  8. ^ a b c d e 村上重良 1981, pp. 102-103.
  9. ^ 村上重良 1981, p. 104.
  10. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 301.
  11. ^ 宮崎英修 1978巻末表。但し、師弟関係についてのみ。
  12. ^ 執行海秀 1952, p. 43-但し、北山本門寺に檀所派と大坊派が存したことのみ。
  13. ^ 金岡秀友 1979, p. 199a-但し、日朗門流が一致派であることのみ。
  14. ^ 金岡秀友 1979, pp. 192,199-但し、日隆門流が勝劣派であることのみ。
  15. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 451-但し、日隆門流が勝劣派であることのみ。
  16. ^ 金岡秀友 1979, pp. 199,230-但し、日真門流が勝劣派であることのみ。
  17. ^ 金岡秀友 1979, p. 199b-但し、不受不施派、不受不施講門派が勝劣派であることのみ。
  18. ^ 金岡秀友 1979, pp. 191,199a-但し、日陣門流が勝劣派であることのみ。
  19. ^ 金岡秀友 1979, p. 205-但し、日蓮正宗が日蓮本仏論を採用していることのみ。
  20. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 441-但し、日蓮正宗が日蓮本仏論を採用していることのみ。
  21. ^ 金岡秀友 1979, p. 199c-但し、日向門流が一致派であることのみ。
  22. ^ 金岡秀友 1979, p. 199d-但し、日常門流が一致派であることのみ。
  23. ^ 金岡秀友 1979, pp. 191,199b-但し、日什門流が勝劣派であることのみ。
  24. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 442-但し、日什門流が勝劣派であることのみ。
  25. ^ 成川文雅 1983, p. 52.
  26. ^ a b 成川文雅 1983, p. 55.
  27. ^ 成川文雅 1983, pp. 62-64.
  28. ^ a b 成川文雅 1983, pp. 56-61- 配列も。
  29. ^ 日蓮宗三派合同と分離独立”. 一般財団法人 本多日生記念財団. 2014年8月29日閲覧。
  30. ^ 日蓮宗三派合同と分離独立”. 一般財団法人 本多日生記念財団. 2014年8月29日閲覧。
  31. ^ 宮崎英修 1978, p. 198.
  32. ^ 坂輪宣政 2006, p. 807.
  33. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981.
  34. ^ a b c 安中尚史 1995.
  35. ^ 榎木境道 2007, p. 451.
  36. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus”. 朝日新聞社. 2014年7月31日閲覧。
  37. ^ 榎木境道 2007, p. 452ll.12-14.
  38. ^ 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 818.
  39. ^ 金岡秀友 1979, pp. 199,202.
  40. ^ 宗教団体法(抄)”. 文部科学省 (1939年4月8日). 2014年8月20日閲覧。
  41. ^ a b 近江幸正 1995.
  42. ^ a b 木村勝行 1995.
  43. ^ 金岡秀友 1979, pp. 204.
  44. ^ 斎藤昭俊 1988, p. 456.
  45. ^ a b 日向妙国寺#由緒

参考文献[編集]

関連項目[編集]

法華経[編集]

宗祖日蓮と教団をめぐる人々[編集]

教義と門流[編集]

一致勝劣
受施
弟子門流

門流

日蓮聖人門下連合会[編集]

現在、下記11団体が加盟している。

法具[編集]

政治・社会との関わり[編集]

外部リンク[編集]