迦旃延

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迦旃延
Wat Bang Nam Phueng Nok 4.jpg
タイの伝統的な像
尊称 摩訶迦旃延、論議第一
生地 アヴァンティー国?
宗派 原始仏教
釈迦

迦旃延(かせんねん)は、釈迦十大弟子の一人。論議第一と称せられる。摩訶(まか、Mahā=偉大なるという意)をつけて摩訶迦旃延、あるいは大迦旃延などとも呼ばれる。

名前[編集]

彼の名前は、経典などにより表記が異なるため、主なものを表記する。

  • サンスクリットMahā-katyāyāna
  • パーリMahā-kaccāna,Mahā-kaccāyāna
  • カタカナ表記:マハー・カッチャーナ、カッチャヤーナ
  • 他の音写:摩訶・迦多衍那、婆帝梨迦など
  • 音訳:大迦旃延、大迦多衍那、大迦多演那など
  • 訳(意訳含む)・意味:好肩、文飾、大剪剔種男、大浄志など

なお、「迦旃延」という名前は、婆羅門種の十姓の一つに数えられ、姓を以って名としている。

出身[編集]

彼の出身などにはいくつかの説がある。

  1. 西インドのアヴァンティー国、ウッジェニー(現ウッジャイン)の婆羅門出身(クシャトリヤ説あり)で、チャンダパッジョータ王の帝師の子で、王の命により釈迦仏を招くために、7名の王臣と共に仏所に赴き出家した。
  2. 南インドの婆羅門出身で、かつて釈迦誕生時に相せし阿私陀仙(アシタ仙人、釈迦が将来、仏となると予言した)の弟子で、師の娘を娶り、また師の遺命により仏弟子となった。

経歴[編集]

彼がいつ仏教教団に入ったかはわからないが、初期の仏教伝道において重要な働きをした。

なお、彼の出身説1では、その地域はいまだ布教圏外だったので、仏や舎利弗、目連の滅後、教団の中心となってよく活躍したという。

子供の頃より聡明で、一度聞いた内容は忘れず良く理解したと言われる。それでも難解で理解できないことがあり、釈迦に教えを請うことになり、これがきっかけで弟子となったとされる。

『Udāna』V.6によると、アヴァンティ国のクララガァーラ・パパータ山に住み、ソーナ・コーリヴィーサ(億耳)を出家せしめたという。

仏の教えを広く解りやすく、義を分別して広説し、釈迦仏から讃嘆された。幾人かの王に四姓(バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、スードラ)の平等を説いて回ったといい、南方所伝の仏教でも釈迦滅後も弘教に努めたといわれる。