ヴィパッサナー瞑想
| 仏教 |
|---|
| 基本教義 |
| 縁起 四諦 八正道 三法印 四法印 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 一切皆苦 波羅蜜 |
| 人物 |
| 釈迦 十大弟子 龍樹 |
| 信仰対象 |
| 仏の一覧 |
| 分類 |
| 原始仏教 部派仏教 大乗仏教 密教 神仏習合 修験道 |
| 宗派 |
| 仏教の宗派 |
| 地域別仏教 |
| インド 中国 日本 台湾 スリランカ タイ 東南アジア チベット 朝鮮 |
| 聖典 |
| 経蔵 律蔵 論蔵 |
| 聖地 |
| 八大聖地 |
| ウィキポータル 仏教 |
ヴィパッサナー瞑想(ヴィパッサナーめいそう)は、上座部仏教の観行瞑想のこと。
ヴィパッサナー(パーリvipassanā、サンスクリットvipaśyanā、古語「毘鉢舎那」)は仏教における「観」(現代中国語「内観」)のパーリ語の発音。よって、ヴィパッサナー瞑想とわざわざ呼ぶ場合は上座部仏教の観行瞑想を指し、またそれを現代風にアレンジした瞑想方法のことも指す。
仏教において瞑想(漢訳「止観」)を、サマタ瞑想(止行)と、ヴィパッサナー瞑想(観行)とに分ける見方がある。前者が心を静めることを中心とし、仏教以前にもインドにおいて広く行なわれてきた瞑想方法であるのに対し、後者では観察することを中心とし、釈迦が新しく開拓しそれによって悟りを開いた仏教独自の瞑想方法とされる。
ただし、六事 (数、相随、止、観、環、浄)六因(数隨止観転浄)のように表現されるように修道論においては、念に始まり定を達し、そこから観をへて悟りに至るとされており、あくまで止行の延長上に観があるととらえる立場が伝統的である。
ただし特に欧米では最初から定と観の両方を目指すマハシ系とゴエンカ運動系の瞑想法が広まったために上座部仏教=ヴィパッサナー、中国系大乗仏教=禅、チベット系大乗仏教(密教)=タントラとの誤解が生まれている。
目次 |
[編集] 説明
ヴィパッサナーとは「よく観る」「物事をあるがままに見る」という意味である。一般に仏教においては、集中力を育てるサマタ瞑想と、物事をあるがままに観察するヴィパッサナー瞑想とが双修され、この点は南伝仏教でも北伝仏教でも変わらない。
伝統的に上座部仏教においては、サマタ瞑想を先に修行して、それからヴィパッサナー瞑想へと進むという階梯がとられてきた。ヴィパッサナー瞑想を行なうためには少なくとも第一禅定(最高で第四禅定)に入っている必要があるとされ、そのためにはサマタ瞑想を行なわねばならないのである。また北伝の大乗仏教においては、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の双方を同時に修養していくことが重要視されてきた。
これに対し、最初からヴィパッサナー瞑想のみを中心に修行するという道も、少数派ながら古くから存在した。これは、ヴィパッサナー瞑想を行うことによって、自然に第一禅定がもたらされるという事実に基づいている。またより重要な問題点として、サマタ瞑想にあまり重点を置きすぎると、それによってもたらされる三昧の快楽に耽ってしまいがちであり、なかなか悟りが開けないという点も指摘される。ブッダの悟りはサマタ瞑想ではなくあくまでもヴィパッサナー瞑想によって開かれたのである。
現代では、在家信者のためにより簡便な瞑想のプログラムが組まれる必要が生じてきた。時間がかかるサマタ瞑想の修行を省略し、最初からヴィパッサナー瞑想のみを修行していく方法がレディー・サヤドウ、ウ・バ・キン、マハーシ・サヤドウ、サティア・ナラヤン・ゴエンカら複数の僧侶や修行者によって組織化された。これが現代において「ヴィパッサナー瞑想」と称される瞑想方法であり、ミャンマーを中心としたスリランカやタイなどの上座部仏教圏だけでなく、欧米にも紹介されている。
日本においては上座部仏教は小乗仏教として軽視されてきた。また仏教の瞑想法としては、天台宗の止観や臨済宗や曹洞宗の坐禅などが長らく主流であった。そのため、欧米と異なり、この(上座部仏教起源の)「ヴィパッサナー瞑想」はなかなか普及しなかったが、90年代以降、日本ヴィパッサナー協会(ゴエンカ系)およびスマナサーラ長老(シャム派)を中心とした日本テーラワーダ仏教協会(マハーシ系)によって指導、紹介されている。
マハーシ・サヤドウ、サティア・ナラヤン・ゴエンカらが省略または取捨選択して用いたサマタ瞑想を重視し、「ヴィスッディマッガ(清浄道論)」に紹介されたサマタ瞑想をすべて修習することをうたう、ミャンマーのパオ・セヤドーの教えを基にしたパオ系と呼ばれる流派も注目を浴びつつある。この系統の指導者としてパオ・セヤドー以外に日本で知られている人にはクムダ・セヤドーがおり、他にも上座部仏教においては珍しい女性の指導者[要出典]ディーパンカラ・サヤレーもいる。日本人では鎌倉在住の山下良道(スダンマチャーラ比丘)及び青森県出身、カナダ在住の水源徳性禅師(グニカ比丘)がパオ系の全コースを修習したとされている。
[編集] 方法
さまざまな流儀のものが存在するが、共通するのは「今という瞬間に完全に注意を集中する」ということである。何をしていても「今・ここの自分」に気づいていく。この「気づき」(サティ、sati、梵smṛti、英語mindfulness、漢語「念」)が、この瞑想のもっとも大切な技術である(したがって、「気づきの瞑想」とも呼ばれることがある)。このようにして自分を客観的によく観ていく実践によって、心を成長させることを目指すのである。
また、特にマハーシ系では、「気づき」を言葉によって確認(「ラベリング」)し、「実況中継」していくという方法がとられる。ヴィパッサナー瞑想に入る前に、「慈悲の瞑想」がサマタ瞑想として行なわれる。
ゴエンカ系ではヴィパッサナーに入る前段階として、集中力(定)を養うことを目的に、「アーナパーナ」と呼ばれるサマタ瞑想の一つをまず練習する。「アーナパーナ」を重視する思想はパオ系においても同じである。これら二派においては、マハーシ系の言葉による「ラベリング」は行われない。
座る瞑想では特に呼吸に集中することが基本となる。この点は、北伝仏教でも広く用いられる「数息観」と大きな違いはないとも言えるが、数息観とは、あくまでアーナーパーナ(安般念)の一部であって、二つを同一視することはできない。呼吸に集中することに関しては、南伝仏教の教義の枠内においても、「サマタ瞑想」と大きく区別されるわけではないという点が指摘されている。
この「気付きの瞑想」は、必ずしも座って行なわれるだけでなく、歩く瞑想(伝統的には「経行(きんひん)」と呼ばれてきた)や、立つ瞑想、あるいは日常的な動作における瞑想などがある。これら外見的な所作や振舞いについては、天台の止観や禅宗などで行なわれてきたことと大きく異なるものではないとも言える。
[編集] 参考文献
- 現代的なヴィパッサナー瞑想についての最も著名な書物は、マハーシ・サヤドウ『ミャンマーの瞑想―ウィパッサナー観法』(国際語学社1996年)である。その他にも、ウィリアム・ハート『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法』(春秋社1999年)や、アルボムッレ・スマナサーラ『自分を変える気づきの瞑想法―やさしい!楽しい!今すぐできる!図解実践ヴィパッサナー瞑想法』(サンガ2004年)など多くの解説書があり、インターネット上にも無数の文献が公開されている。
- 日本人による著作としては、地橋秀雄『ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践』(春秋社2006年)がある。
- 特にヴィパッサナー瞑想をうたっているわけではないが、伝統的な禅に、南伝的なマインドフルネス(念、サティ)を意識的に取り入れた、ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハンの『微笑を生きる― <気づき>の瞑想と実践』などもかなり近接したテーマを扱っている。彼は「四念処経」の解説書も著している。[1]
- 所依の経典としてよく参照されるのは、南伝「中部経典」の「四念処経(第10経)」「アーナーパーナ・サティ・スッタ(安那般那念経、第118経)」や、「マハー・サティパッターナ・スッタ(大念住経、長部経典第22)」などがある。また上座部仏教における最大の実践指南書として、ブッダゴーサの「ヴィスッディマッガ(清浄道論)」もたびたび参照にされる。
[編集] 脚注
- ^ Transformation And Healing: Sutra on the Four Establishments of Mindfulness, Parallax, ISBN 978-1888375626
[編集] 関連項目
- 上座部仏教
- 初期仏教
- 坐禅
- 瞑想
- 天台宗
- 禅
- サマタ瞑想
- 慈悲の瞑想
- サティ (仏教)
- チャルーン・サティ
- 四界分別観
- カラーパ
- インドの仏教
- スリランカの仏教
- 東南アジアの仏教
- キラン・ベディ - インドの警察官。刑務所での受刑者教育にヴィパッサナー瞑想を導入したことで知られる。