コレラ

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コレラ
分類及び外部参照情報
コレラ菌
ICD-10 A00,
ICD-9 001
DiseasesDB 29089
MedlinePlus 000303
eMedicine med/351
MeSH D002771
プロジェクト:病気Portal:医学と医療
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コレラ (Cholera、虎列剌) は、コレラ菌 (Vibrio cholerae) を病原体とする経口感染症の一つ。日本では「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」 (感染症新法) の指定感染症である(2006年(平成18年)12月8日公布の「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律等の一部を改正する法律」により二類感染症から三類感染症に変更[1])。日本ではコレラ菌のうちO1、O139血清型を原因とするものを行政的にコレラとして扱う。

病原体[編集]

コレラ毒素を産生するコレラ菌によって発症する。コレラ菌のffなどでO1型の大部分とO139型のごく一部、その他コレラ毒素遺伝子を持つ物がこれに相当する。

コレラ菌は、コンマ状の形態の桿菌で、鞭毛により活発に運動する。従来、アジア型 (古典型) とエルトール型が知られていたが、1992年に新たな菌であるO139が発見された。強い感染力があり、特にアジア型は高い死亡率を示し、ペストに匹敵する危険な感染症であるが、ペストと異なり、自然界ではヒト以外に感染しない。流行時以外にコレラ菌がどこで生存しているかについては諸説あり、海水中、人体に不顕性感染の形で存在する、あるいは甲殻類への寄生が考えられる。

最も重要な感染源は、患者の糞便や吐瀉物に汚染された水や食物である。消化管内に入ったコレラ菌は、の中で多くが胃液のため死滅するが、少数は小腸に到達し、ここで爆発的に増殖してコレラ毒素を産生する。コレラ菌自体は小腸の上皮部分に定着するだけで、細胞内には全く侵入しない。しかしコレラ毒素は上皮細胞を冒し、その作用で細胞内の水と電解質が大量に流出し、いわゆる「米のとぎ汁様」の猛烈な下痢嘔吐を起こす。

症状[編集]

潜伏期間は5日以内。普通は2~3日だが、早ければ数時間である。症状が非常に軽く、1日数回の下痢で数日で回復する場合もあるが、通常、突然腹がごろごろ鳴り、水のような下痢が1日20~30回も起こる。下痢便には塩分が混じる。また、「米のとぎ汁」のような白い便を排泄することもある。腹痛・発熱はなく、むしろ低体温となり、34度台にも下がる。急速に脱水症状が進み、血行障害、血圧低下、頻脈筋肉の痙攣、虚脱を起こし、死亡する。極度の脱水によって皮膚は乾燥、しわが寄り「洗濯婦の手 (指先のしわ) 」、「コレラ顔貌」と呼ばれる特有の老人様の顔になる。

治療を行わなかった場合の死亡率はアジア型では75~80パーセントに及ぶが、エルトール型では10パーセント以下である。胃切除がある場合は胃酸による殺菌効果が無いため菌が小腸に達しやすく危険である。現在は適切な対処を行なえば死亡率は1~2パーセントである。

治療方法[編集]

水分の補給[編集]

経口輸液を受けるコレラ患者

コレラにおいて直接の死亡原因になるのは、大量の下痢と嘔吐による水と電解質の損失によっておきる脱水症状である。このため、失われた水と電解質を補給することでコレラによる死亡はきわめて効果的に抑制できる。

コレラに対し経口輸液 (Oral rehydration) と呼ばれる方法によって治療する国もある。経口輸液とは、ORS (Oral rehydration solution) と呼ばれる電解質液 (水1リットルに対して、ブドウ糖 20g、塩化ナトリウム3.5g、炭酸水素ナトリウム2.5g、塩化カリウム1.5gの割合で溶解したもの) を与え、下痢などで体外に排泄した水分を補給するために飲ませるものである。しかし、ORS治療は先進国ではまったくおこなわれない。コレラ罹患時には脱水のみならず消化管を休めることが大切なので、先進国医療では絶食・水分経口摂取禁が基本である。米国ではコレラに対しORSで治療し患者を死亡させた医師が敗訴している。患者が意識を失う重症例では、点滴による静脈内輸液で水分と電解質の補給を行う。重症コレラは無治療では死亡率が80パーセントという疫学調査もある。これらの輸液による治療はコレラ菌そのものの排除には直接つながらず、患者からは大量のコレラ菌が排出されつづけるが、時間の経過によって患者がコレラ菌に対する免疫を獲得すると症状も緩解し、コレラ菌毒素の排出も収まる。

古い時代では現在の様な経口輸液が確立されておらず、専ら食塩を溶かした塩水を飲用させる事でこれに代えた。蘭方医学に基いた西洋医学書に記されていた塩水飲用法を用いて治療を行った事で、死亡率を著しく低下させる事に成功した事例も残っている(海水を薄めて与えるなど)。明治時代の日本では、ラムネが症状の緩和に用いられていた。

治療薬[編集]

抗生物質による治療は脱水症状の改善とは無関係である。Vibrio choleraeの菌体数を減らし、毒素産生を減らす。点滴治療と組み合わせてつかう。テトラサイクリン系抗生物質クロラムフェニコールなどがこの目的で利用される。テトラサイクリン系抗生物質及びクロラムフェニコールに対するVibrio choleraeの耐性株は分子生物学的にはまだ一株も確認されていない。

予防[編集]

経口感染であるため、飲食に気をつける。最大の感染源は患者の排泄物だが、通常の接触では人から人への感染の危険性は低い。不衛生な食材や調理環境で危険性が高く、流行地域ではアイスクリームや生もの (サラダ果物、十分加熱しない魚介類など) 、生水や氷 (凍った生水) は避け、また体調維持に努める。

ワクチンは現在2種類が存在する。コレラが発生している、または発生する地域への渡航には後者のワクチン接種が賢明である。後者は国内未承認であるが、個人輸入に対応している医療機関で申し込むことにより接種可能である。また、現地の薬局で販売されている事もある。

  • 注射ワクチン: 旧来型のフェノールによる全菌体死菌ワクチン
1960年頃実用化された不活化ワクチンで、アメリカ、日本などで使用されている。5~7日間隔で2回皮下接種する。免疫獲得率50パーセント、有効期間6ヶ月と小さい上に14~40パーセントに副反応が見られ、また近年はそれほど致命的でないエルトール型が流行の大半である事などから2001年にWHOが使用中止を勧告し、現在、販売はされていない。
  • 経口ワクチン (OCVs): 不活化ワクチンと、生ワクチンがある。
    • WC/rBS: 商品名Dukoral®で1990年スウェーデンで実用化され、EUやカナダ、南アジア、中南米など各国で認可されている。接種後4ヶ月は旅行者下痢症の責任菌のひとつである、病原性大腸菌139型に対する予防効果も実証されている。
    接種は、1~6週間隔で2回服用する。コレラに対しては2~3年に一度の追加接種、病原性大腸菌139型に対しては3~4ヶ月毎に追加接種を受けることができる。副反応も少なく、有効率は85~97パーセントと報告され、有効期間も2~3年である。
    不活化コレラ菌とリコンビナント (遺伝子組み替え体による製法) によるコレラ毒素のBサブユニット (毒素を構成する2つのタンパク質のうち、毒性がない方) を組み合わせたもの。ベトナムではこれを抜いた安価 ($0.1) なワクチンが使用されている。イナバとオガワ株の熱処理抗原、エルトール (イナバ) とオガワ株のホルマリン処理抗原の4抗原を含有する。病原性大腸菌139型に効果があるのは、毒素原性大腸菌 (ETEC) の毒素 (易熱性エンテロトキシン) がコレラ菌のそれと共通点が多いことによる。
    • CVD 103-HgR:商品名Orochol®またはMutacol®で1995年頃発売された。認可国や有効率・有効期間はWC/rBSと同様。接種は1回で済むが、生ワクチンであるため管理が重要。Aサブユニット生成能力を無くしたイナバ株による、リコンビナント弱毒変異株生ワクチン。現在、製造・販売は中止されている。
    • そのほか、ベトナムなどで製造されているものもあるが、WHO pre-qualificationはまだ取得できていない。

日本では、東京大学医科学研究所の研究チームがイネ種子である米に遺伝子組換え技術を用いてコレラ毒素B鎖を発現させたコレラワクチン米を開発し、常温保存可能な経口ワクチンとして臨床応用が期待されている。また、国内ではガンマ線照射による照射ワクチンの研究も行われている。熱や薬品による不活化と違い運動性を確保できる点が特徴で、腸管粘膜での抗体産生を促す力が強いという。

  • 制酸剤(胃酸をおさえるクスリ)服用者、胃の摘出術を受けた者は腸管感染症のリスクが高まるので、腸チフスワクチンやコレラ・渡航者下痢ワクチン(Dukoral®)の接種がのぞましい。

コレラの歴史[編集]

コレラを残忍な死神として描いている。
コレラ病棟(1892年 ハンブルク

コレラの感染力は非常に強く、これまでに7回の世界的流行 (コレラ・パンデミック) が発生し、2006年現在も第7期流行が継続している。2009年1月29日現在、ジンバブエで流行中のコレラの死者が3000人に達し、なお増え続けている。

アジア型は古い時代から存在していたにもかかわらず、不思議なことに、世界的な流行 (パンデミック) を示したのは19世紀に入ってからである。コレラの原発地はインドガンジス川下流のベンガルからバングラデシュにかけての地方と考えられる。最も古いコレラの記録は紀元前300年頃のものである。その後は、7世紀中国17世紀ジャワにコレラと思われる悪疫の記録があるが、世界的大流行は1817年に始まる。この年カルカッタに起こった流行はアジア全域からアフリカに達し、1823年まで続いた。その一部は日本にも及んでいる。1826年から1837年までの大流行は、アジア・アフリカのみならずヨーロッパと南北アメリカにも広がり、全世界的規模となった。以降、1840年から1860年1863年から1879年1881年から1896年1899年から1923年と、計6回にわたるアジア型の大流行があった。しかし1884年にはドイツ細菌学ロベルト・コッホによってコレラ菌が発見され、医学の発展、防疫体制の強化などと共に、アジア型コレラの世界的流行は起こらなくなった。

だがアジア南部ではコレラが常在し、なお流行が繰り返され、中国では1909年1919年1932年と大流行があり、またインドでは1950年代まで持ち越し、いずれも万人単位の死者を出すほどであった。

一方、エルトール型コレラは1906年シナイ半島のエルトールで発見された。この流行は1961年から始まり、インドネシアを発端に、発展途上国を中心に世界的な広がりを見せており、1991年にはペルーで大流行[2]が発生したほか、先進諸国でも散発的な発生が見られる。1992年に発見されたO139菌はインドとバングラデシュで流行しているが、世界規模の拡大は阻止されている。

日本におけるコレラ[編集]

日本で初めてコレラが発生したのは、最初の世界的大流行が日本に及んだ1822年 (文政5年) のことである。感染ルートは朝鮮半島あるいは琉球からと考えられているが、その経路は明らかでない。九州から始まって東海道に及んだものの、箱根を越えて江戸に達することはなかった。2回目の世界的流行時には波及を免れたが、3回目は再び日本に達し、1858年 (安政5年) から3年にわたり大流行となった。

1858年 (安政5年) における流行では九州から始まって東海道に及んだものの、箱根を越えて江戸に達することはなかったという文献が多い一方、江戸だけで10万人が死亡したという文献も存在するが、後者の死者数については過大で信憑性を欠くという説もある。1862年 (文久2年) には、残留していたコレラ菌により3回目の大流行が発生、56万人の患者が出た。この時も江戸には入らなかったという文献と、江戸だけでも7万3000人〜数十万人が死亡したという文献があるが、これも倒幕派が世情不安を煽って意図的に流した流言蜚語だったと見る史家が多い。

1858年 (安政5年) の流行は相次ぐ異国船来航と関係し、コレラは異国人がもたらした悪病であると信じられ、中部・関東では秩父の三峯神社武蔵御嶽神社などニホンオオカミを眷属とし憑き物落としの霊験を持つ眷属信仰が興隆した。眷属信仰の高まりは憑き物落としの呪具として用いられる狼遺骸の需要を高め、捕殺の増加はニホンオオカミ絶滅の一因になったとも考えられている。

コレラが空気感染しないこと、そして幕府は箱根その他の関所で旅人の動きを抑制することができたのが、江戸時代を通じてその防疫を容易にした最大の要因と考えられている。事実1868年 (明治元年) に幕府が倒れ、明治政府が箱根の関所を廃止すると、その後は2~3年間隔で数万人単位の患者を出す流行が続く。1879年 (明治12年) と1886年 (明治19年) には死者が10万人の大台を超え、日本各地に避病院の設置が進んだ。1890年 (明治23年) には日本に寄港していたオスマン帝国の軍艦・エルトゥールル号の海軍乗員の多くがコレラに見舞われた。また1895年 (明治28年) には軍隊内で流行し、死者4万人を記録している。

このような状況が改善され、患者数も1万人を切ってコレラの脅威が収まるのは1920年代になってからである。その後は、第二次世界大戦直後にアジア各地から復員兵や引揚者の帰国がはじまると、彼らによって持ち込まれたコレラで多数の死者を出した。

コレラ患者が出ると検疫のために40日間沖に留め置かれる。この船を俗に「コレラ船」と呼び、これは当時の俳句川柳で夏の季語にもなるほどだった[3]。1960年代頃まで使われていた[4]

1977年 (昭和52年) には和歌山県下で感染経路不明のエルトール型の集団発生があった[5]ほか、海外からの帰国者が発病する孤発例が時折見られる。1978年 (昭和53年) 以降、神奈川県鶴見川をはじめ、埼玉県千葉県の河川水からコレラ菌が検出される事例はあったが、発病者は生じていないという説もある。しかし、実際には、海外渡航歴のない人の国内感染事例が年間: 数事例から十事例報告されている。これらの中には、コレラ毒素 (CT) 産生Vibrio cholerae O1汚染食品からの感染とされた事例がある[6][7]

また、2001年 (平成13年) 6月~7月に、隅田川周辺に居住し、日常の煮炊きをはじめ生活用水として公園の身体障害者用トイレの水を利用し、隅田川で採れたを数人で調理して食用としていた路上生活者2名がコレラを発病し、2006年6月にも、路上生活者1名がコレラを発病した。いずれも、感染経路は明確でないが、国内で感染したと推測されている[8]

2007年 (平成19年) 6月1日から施行された改正感染症法においてコレラは三類感染症に分類された (事実上の格下げ) 。この変更に伴って、検疫法の対象病原体から除外され、空港・港湾検疫所では病原コレラの検出そのものが行われなくなった。コレラ菌の感染症の統計は医師 (医療機関) のみに公開されている。

名称[編集]

コレラという名前は、ヒポクラテスが唱えた四体液説の中の一要素である、黄色胆汁を意味するkholに由来する。四体液説では人間の体液を四元素説に対応した四種類 (血液粘液黄色胆汁黒色胆汁) に分類したもので、黄色胆汁は四元素のうち「火」に対応した、熱く乾いた性状を持つものと考えられていた。コレラは当初、この性状に合致する熱帯地方の風土病だと考えられており、また米のとぎ汁様の下痢が胆汁の異常だと考えられたことから、この名がついた。

日本では、最初に発生した文政コレラのときには明確な名前がつけられておらず、他の疫病との区別は不明瞭であった。しかしこの流行の晩期にはオランダ商人から「コレラ」という病名であることが伝えられ、「虎列刺」などと字を当てたが、それまでの疫病とは違う高い死亡率、激しい症状から、「鉄砲」「見急」「三日コレラ」などとも呼ばれた。

また「コロリと死んでしまう」の連想から「虎狼痢」「虎狼狸」などの呼び名も広く用いられたが、これはコレラからの純粋な転訛ではない。

浅田宗伯は『古呂利考』にて「古呂利は本と皇国の俗語にて卒倒の義を云ひて、古より早く病に称し来る事なり。元正間記に云、元禄十二年の頃、江戸にて古呂利と云ふ病はやり…」と、コロリはコレラ渡来以前からの頓死の総称であることを記しており、斎藤月岑は『増訂武江年表』 (安政六年) で「東都の俗ころりといふは、頓死をさしてころりと死したりといふ俗言に出て、文政二年痢病行はれしよりしかいへり。しかるに西洋にコレラといふよしを思へば、おのづから通音なるもをかし」と、コロリとコレラが混用されてしまっていることを指摘している。

参考文献[編集]

その他多数

脚注[編集]

  1. ^ 感染症のページ(青森県)
  2. ^ ペルーの大流行は、水道水の塩素消毒中止が関係していると考えられている(「環境リスクをどう読むか」甲斐倫明 大分県立看護科学大学 人間科学講座 「大分看護化学研究」1(2), 47-48 (2000) http://www.oita-nhs.ac.jp/journal/PDF/1_2/1_2_9.pdf)
  3. ^ 月明や沖にかゝれるコレラ船 日野草城「花氷」所収
  4. ^ 「天声人語」朝日新聞2014年8月7日朝刊
  5. ^ 『有田市を中心として発生したコレラ』 (大阪府立公衆衛生研究所のサイト)” (日本語). 2009年8月9日閲覧。
  6. ^ 『国内感染と考えられたコレラ菌O139初発事例-広島市』 (Vol.28 p 86-88: 2007年3月号) (IASRのサイトです)” (日本語). 2008年7月28日閲覧。
  7. ^ 『2004年12月~2005年9月の間に三重県で発生した死亡事例を含む4例のコレラ』 (Vol.27 p 6-7: 2006年1月号) (IASRのサイト)” (日本語). 2008年7月28日閲覧。
  8. ^ 大西健児・高橋華子・相楽裕子. “『国内で感染したと推測されるコレラの3事例』 (Vol.27 p 273-274: 2006年10月号) (IASRのサイト)” (日本語). 2008年7月28日閲覧。

関連項目[編集]