コレラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関に相談してください。免責事項もお読みください。 |
| コレラ | |
| 分類及び外部参照情報 | |
| コレラ菌 | |
| ICD-10 | A00., |
| ICD-9 | 001 |
| DiseasesDB | 29089 |
| MedlinePlus | 000303 |
| eMedicine | med/351 |
| MeSH | D002771 |
コレラ(Cholera、虎列剌)は、コレラ菌(Vibrio cholerae)を病原体とする経口感染症の一つ。日本では「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症新法)で三類感染症に指定されている。日本ではコレラ菌のうちO1、O139血清型を原因とするものを行政的にコレラとして扱う。
目次 |
[編集] 病原体
コレラ毒素を産生するコレラ菌によって発症する。コレラ菌のff中でO1型の大部分とO139型のごく一部がこれに該当する。
コレラ菌は、コンマ状の形態の桿菌で、鞭毛により活発に運動する。従来、アジア型(古典型)とエルトール型が知られていたが、1992年に新たな菌であるO139が発見された。強い感染力があり、特にアジア型は高い死亡率を示し、ペストに匹敵する危険な感染症であるが、ペストと異なり、自然界ではヒト以外に感染しない。流行時以外にコレラ菌がどこで生存しているかについては諸説あり、海水中、人体に不顕性感染の形で存在する、あるいは甲殻類への寄生が考えられる。
最も重要な感染源は、患者の糞便や吐瀉物に汚染された水や食物である。消化管内に入ったコレラ菌は、胃の中で多くが胃液のため死滅するが、少数は小腸に到達し、ここで爆発的に増殖してコレラ毒素を産生する。コレラ菌自体は小腸の上皮部分に定着するだけで、細胞内には全く侵入しない。しかしコレラ毒素は上皮細胞を冒し、その作用で細胞内の水と電解質が大量に流出し、いわゆる「米のとぎ汁様」の猛烈な下痢と嘔吐を起こす。
[編集] 症状
潜伏期間は5日以内。普通は2~3日だが、早ければ数時間である。症状が非常に軽く、1日数回の下痢で数日で回復する場合もあるが、通常、突然腹がごろごろ鳴り、水のような下痢が1日20~30回も起こる。下痢便には塩分が混じる。また、「米のとぎ汁」のような白い便を排泄することもある。腹痛・発熱はなく、むしろ低体温となり、34度台にも下がる。急速に脱水症状が進み、血行障害、血圧低下、頻脈、筋肉の痙攣、虚脱を起こし、死亡する。極度の脱水によって皮膚は乾燥「洗濯婦の手」、しわが寄り、「コレラ顔貌」と呼ばれる特有の老人様の顔になる。
治療を行わなかった場合の死亡率はアジア型では75~80パーセントに及ぶが、エルトール型では10パーセント以下である。胃切除がある場合は胃酸による殺菌効果が無いため菌が小腸に達しやすく危険である。現在は適切な対処を行なえば死亡率は1~2パーセントである。
[編集] 治療方法
- 水分の補給
コレラにおいて直接の死亡原因になるのは、大量の下痢と嘔吐による水と電解質の損失によっておきる脱水症状である。このため、失われた水と電解質を補給することでコレラによる死亡はきわめて効果的に抑制できる。
患者に意識がある軽症例の場合には、経口輸液(oral rehydration)と呼ばれる方法によって治療が可能である。経口輸液とは、ORS(Oral rehydration solution)と呼ばれる電解質液(水1リットルに対して、ブドウ糖 20g、塩化ナトリウム3.5g、炭酸水素ナトリウム2.5g、塩化カリウム1.5gの割合で溶解したもので、スポーツ飲料で代用可)を与え、排泄した下痢と等量を飲ませるものであり、これによって未治療では80%に及ぶ死亡率は1~2%にまで改善され、重篤化しやすい小児でも10%以下になる。患者が意識を失う重症例では、点滴による静脈内輸液で水分と電解質の補給を行う。これらの輸液による治療はコレラ菌そのものの排除には直接つながらず、患者からは大量のコレラ菌が排出されつづけるが、時間の経過によって患者がコレラ菌に対する免疫を獲得すると症状も緩解し、コレラ菌の排出も収まる。
古い時代では現在の様な経口輸液が確立されておらず、専ら食塩を溶かした塩水を飲用させる事でこれに変えた。幕末の『コロリ』流行の際には、蘭方医学に基いた西洋医学書に記されていた塩水飲用法を用いて治療を行った事で、死亡率を著しく低下させる事に成功した事例も残っている(海水を薄めて与えるなど)
[編集] 治療薬
抗生物質による治療は脱水症状の改善とは無関係であるため、直接の効果的治療にはつながらないが、上記の水分補給と組み合わせることで、治療期間を短縮することが可能である。テトラサイクリン系抗生物質やクロラムフェニコールなどがこの目的で利用されるが、これらに対する耐性菌も増加している。
[編集] 予防
経口感染であるため、飲食に気をつける。 最大の感染源は患者の排泄物だが、通常の接触では人から人への感染の危険性は低い。 不衛生な食材や調理環境で危険性が高く、流行地域ではアイスクリームや生もの(サラダや果物、十分加熱しない魚介類など)、生水や氷(凍った生水)は避け、また体調維持に努める。
ワクチンは現在2種類が存在する。 コレラが発生している、または発生する地域への渡航には後者のワクチン接種が賢明である。後者は国内未承認であるが、個人輸入に対応している医療機関で申し込むことにより接種可能である。また、現地の薬局で販売されている事もある。
- 注射ワクチン:旧来型のフェノールによる全菌体死菌ワクチン
- 1960年頃実用化された不活化ワクチンで、アメリカ、日本などで使用されている。5~7日間隔で2回皮下接種する。免疫獲得率50%有効期間6ヶ月と小さい上に14~40%に副反応が見られ、また近年はそれほど致命的でないエルトール型が流行の大半である事などから2001年にWHOが使用中止を勧告し、特殊な例を除いて一般に接種は推奨されていない。
- 経口ワクチン(OCVs):不活化ワクチンと、生ワクチンがある。
- WC/rBS:商品名Dukoralで1990年頃スウェーデンで実用化され、EUやカナダ、南アジア、中南米など各国で認可されている。接種後4ヶ月は旅行者下痢症の責任菌のひとつである、病原性大腸菌139型に対する予防効果も実証されている。
- 接種は、1~6週間隔で2回服用する。コレラに対しては2~3年に一度の追加接種、病原性大腸菌139型に対しては3~4ヶ月毎に追加接種を受けることができる。副反応も少なく、有効率は85~97%と報告され、有効期間も2~3年である。
- 不活化コレラ菌とリコンビナント(遺伝子組み替え体による製法)によるコレラ毒素のBサブユニット(毒素を構成する2つのタンパク質のうち、毒性がない方。図の青い部分)を組み合わせたもの。ベトナムではこれを抜いた安価($0.1)なワクチンが使用されている。イナバとオガワ株の熱処理抗原、エルトール(イナバ)とオガワ株のホルマリン処理抗原の4抗原を含有する。病原性大腸菌139型に効果があるのは、毒素原性大腸菌(ETEC)の毒素(易熱性エンテロトキシン)がコレラ菌のそれと共通点が多いことによる。
- CVD 103-HgR:商品名OrocholまたはMutacolで1995年頃発売された。認可国や有効率・有効期間はWC/rBSと同様。接種は1回で済むが、生ワクチンであるため管理が重要。Aサブユニット生成能力を無くしたイナバ株による、リコンビナント弱毒変異株生ワクチン。
日本ではガンマ線照射による照射ワクチンの研究が行われている。熱や薬品による不活化と違い運動性を確保できる点が特徴で、腸管粘膜での抗体産生を促す力が強いという。
[編集] コレラの歴史
コレラの感染力は非常に強く、これまでに7回の世界的流行(コレラ・パンデミック)が発生し、2006年現在も第7期流行が継続している。2009年1月29日現在、ジンバブエで流行中のコレラの死者が3000人に達し、なお増え続けている。
アジア型は古い時代から存在していたにもかかわらず、不思議なことに、世界的な流行(パンデミック)を示したのは19世紀に入ってからである。コレラの原発地はインドのガンジス川下流のベンガルからバングラデシュにかけての地方と考えられる。最も古いコレラの記録は紀元前300年頃のものである。その後は、7世紀の中国、17世紀のジャワにコレラと思われる悪疫の記録があるが、世界的大流行は1817年に始まる。この年カルカッタに起こった流行はアジア全域からアフリカに達し、1823年まで続いた。その一部は日本にも及んでいる。1826年から1837年までの大流行は、アジア・アフリカのみならずヨーロッパと南北アメリカにも広がり、全世界的規模となった。以降、1840年から1860年、1863年から1879年、1881年から1896年、1899年から1923年と、計6回にわたるアジア型の大流行があった。しかし1884年にはドイツの細菌学者ロベルト・コッホによってコレラ菌が発見され、医学の発展、防疫体制の強化などと共に、アジア型コレラの世界的流行は起こらなくなった。
だがアジア南部ではコレラが常在し、なお流行が繰り返され、中国では1909年、1919年、1932年と大流行があり、またインドでは1950年代まで持ち越し、いずれも万人単位の死者を出すほどであった。
一方、エルトール型コレラは1906年にシナイ半島のエルトールで発見された。この流行は1961年から始まり、インドネシアを発端に、発展途上国を中心に世界的な広がりを見せており、1991年にはペルーで大流行が発生したほか、先進諸国でも散発的な発生が見られる。1992年に発見されたO139菌はインドとバングラデシュで流行しているが、世界規模の拡大は阻止されている。
[編集] 日本におけるコレラ
日本に初めてコレラが発生したのは、最初の世界的大流行が及んだ1822年(文政5年)のことで、それ以前にはコレラは見られない。朝鮮半島を経由したか、琉球からかは明らかでないが、九州から始まって東海道に及んだものの、いかなる理由からか、箱根を越えて江戸に達することはなかった。
2回目の世界的流行時には波及を免れたが、3回目は再び日本に達し、1858年(安政5年)から3年にわたり、全国を席巻する大流行となった。いわゆる「安政コレラ」で、江戸だけで10万人が死亡したといわれる(この死者数については、過大である、信憑性を欠く、との説もある)。1862年には、残留していたコレラ菌により3回目の大流行が発生、56万人の患者が出て、江戸では7万3000人が死亡した。以後、明治に入っても2~3年間隔で万人単位の患者を出す流行が続き、1879年、1886年には死者が10万人台を数え、日本各地に避病院の設置が進んだ。 1890年には日本を訪問していたオスマン帝国(現トルコ)軍艦、エルトゥールル号の海軍乗員の多くがコレラに見舞われた。1895年には軍隊内で流行し、死者4万人を記録した。
このような状況が改善され、患者数も1万人を切ってコレラの脅威が収まるのは1920年代になってからである。その後は、第二次世界大戦敗戦の混乱期にアジア地域からの引揚者により持ち込まれて560人の死者を出した例や、1977年に和歌山県下で感染経路不明のエルトール型の集団発生があったほか、海外からの帰国者が発病する孤発例が時折見られる。1978年以降、神奈川県の鶴見川をはじめ、埼玉県や千葉県の河川水からコレラ菌が検出される事例はあったが、発病者は生じていないという説もある。しかし、実際には、海外渡航歴のない人の国内感染事例が年間:数~10事例報告されている。これらの中には、コレラ毒素(CT)産生Vibrio cholerae O1汚染食品からの感染とされた事例がある。[1] [2]
また、2001年6月~7月に、隅田川周辺に居住し、日常の煮炊きをはじめ生活用水として公園の身体障害者用トイレの水を利用し、隅田川で採れた亀を数人で調理して食用としていた路上生活者2名がコレラを発病し、2006年6月にも、路上生活者1名がコレラを発病した。いずれも、感染経路は明確でないが、国内で感染したと推測されている。[3]
2007年6月1日から施行された改正感染症法においてコレラは三類感染症に分類された(事実上の格下げ)。この変更に伴って、検疫法の対象病原体から除外され、空港・港湾検疫所では病原コレラの検出そのものが行われなくなった。したがってコレラ菌は感染症の統計からも除外される事態となり、微生物学者を中心にこの改正を危惧する声が上がっている。
[編集] 名称
コレラという名前は、ヒポクラテスが唱えた四体液説の中の一要素である、黄色胆汁を意味するcholeに由来する。四体液説では人間の体液を四元素説に対応した四種類(血液、粘液、黄色胆汁、黒色胆汁)に分類したもので、黄色胆汁は四元素のうち「火」に対応した、熱く乾いた性状を持つものと考えられていた。コレラは当初、この性状に合致する熱帯地方の風土病だと考えられており、また米のとぎ汁様の下痢が胆汁の異常だと考えられたことから、この名がついた。
日本では、最初に発生した文政コレラのときには明確な名前がつけられておらず、他の疫病との区別は不明瞭であった。しかしこの流行の晩期にはオランダ商人から「コレラ」という病名であることが伝えられ、それが転訛した「コロリ」や、「虎列刺」、「虎狼狸」などの当て字が広まっていった。それまでの疫病とは違う高い死亡率、激しい症状から、「鉄砲」「見急」「三日コロリ」などとも呼ばれた。
[編集] 文学
[編集] 参考文献
[編集] 脚注
- ^ *"『国内感染と考えられたコレラ菌O139初発事例-広島市』(Vol.28 p 86-88:2007年3月号)(IASRのサイトです)" (日本語). 2008年7月28日 閲覧。
- ^ *"『2004年12月~2005年9月の間に三重県で発生した死亡事例を含む4例のコレラ』(Vol.27 p 6-7:2006年1月号)(IASRのサイトです)" (日本語). 2008年7月28日 閲覧。
- ^ *大西健児・高橋華子・相楽裕子. "『国内で感染したと推測されるコレラの3事例』(Vol.27 p 273-274:2006年10月号)(IASRのサイトです)" (日本語). 2008年7月28日 閲覧。


