17世紀

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千年紀: 2千年紀
世紀: 16世紀 - 17世紀 - 18世紀
十年紀: 1600年代 1610年代 1620年代 1630年代 1640年代
1650年代 1660年代 1670年代 1680年代 1690年代
絶対王政 壮麗なヴェルサイユ宮殿。
スペインの没落。国王フェリペ4世の時代に国勢は傾いた。国王夫妻とマルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」。
哲学者ルネ・デカルト『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。
レンブラント・ファン・レインの「テュルプ博士の解剖学講義」。この時代はオランダの黄金時代であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。
三十年戦争の終結のために開かれたミュンスターでの会議の様子。以後ヨーロッパの国際関係はヴェストファーレン体制と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。
第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。
バロックの栄光。対抗宗教改革でカトリック教会は宗教的感情に訴える総合芸術「バロック」を作り出した。画像はローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会コルナロ礼拝堂に置かれたベルニーニの「聖テレジアの法悦」。
シェイク・ロトフォラー・モスクの内部。シャーアッバース1世サファヴィー朝の新都イスファハーンに建てた。
ムガル帝国の繁栄。皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルを偲んで建てたタージ・マハル
『幾何原本』に描かれたマテオ・リッチ徐光啓イエズス会宣教師の活躍は東西文化の交流を促進した。
紫禁城太和殿。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。
徳川家康の肖像。関ヶ原の戦いで勝利して征夷大将軍となり、以後260年余にわたる徳川幕府の基礎を固めた。
海賊の黄金時代西インド諸島での貿易の高まりはカリブ海周辺に多くの海賊を生み出した。画像はハワード・パイルが描いた「カリブ海のバッカニーア」。

17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す。

17世紀の歴史[編集]

この時代のヨーロッパでは小氷河期による世界レベルでの寒冷化が原因で17世紀の危機と呼ばれる混乱が生じ各国で飢饉、戦争、内乱が相次いだ。この結果、イギリスでは清教徒革命名誉革命が起きて議会政治が、フランスではルイ13世によって、絶対王政が確立された。この混乱を免れたオランダは自由貿易により大いに栄えた。ロシア帝国は本格的にシベリアで世界最大の版図を築いた。東欧西欧とロシアの従属的な地位に転落していった。

ヨーロッパから現在における北アメリカ大陸への永久移民が入植した。また、西インド諸島でのプランテーション経営に多くの労働力を必要としたことから、北アフリカ諸地域から黒人奴隷が盛んに連れて来られるようになった(奴隷貿易三角貿易)。さらに、イギリス・オランダなどが東インド会社を設立するなど、ヨーロッパ諸国はアジア新大陸である現南北米地域との間で交易を活発にした。

アジアでは西アジア(トルコ)のオスマン帝国、南アジア(インド)のムガル帝国と大帝国が繁栄し、後者では皇帝シャー・ジャハーンが文化を保護し、壮麗なタージ・マハルが建設された。だが、17世後半、オスマン帝国は第二次ウィーン包囲に失敗し、その後に続く大トルコ戦争でもヨーロッパ諸国に敗れ、1699年カルロヴィッツ条約でヨーロッパ側の領土の大規模割譲を強いられた。一方、ムガル帝国は皇帝アウラングゼーブのもと、それまでの融和路線を事実上打破する形で厳格な宗教政策を取り帝国を統治しようとしたが、マラーターの英雄シヴァージーに幾度となく抵抗された。シヴァージーの死後、アウラングゼーブはデカン戦争で帝国の最大領土を実現したが、 マラーター王国との泥沼の戦いに入り、諸地方の反乱が起きるなど帝国は分裂の傾向を隠せずにいた。

東アジアの中国ではからへ王朝が交代し17世紀後半には康熙帝の登場により最盛期を迎えた。日本では16世紀末の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康による江戸幕府が開かれ、第2代将軍秀忠の頃になると鎖国政策がとられるようになった。この政策は約240年に渡り続くことになる。

17世紀の科学革命[編集]

微分積分学光学万有引力などの諸法則・定理を発見したアイザック・ニュートン望遠鏡を使用しての表面に凸凹があることや木星衛星があること、天の川が無数のの集合であることなど天体に関する様々な発見により天文学に大きく貢献したガリレオ・ガリレイ惑星軌道楕円であることなど天体の運行法則に関するケプラーの法則の提唱やルドルフ表を作り地動説のほうが精密に惑星の運行を計算できることを明示したヨハネス・ケプラーなど科学的な発見が相次ぎ、科学哲学上にも大きな影響を与えたことから科学革命と呼ばれている。 誰にでも検証可能な方法によって自説の正しさを証明するという、科学的方法が用いられるようになったのもこの時期からである。

魔女狩りのピークと衰退[編集]

ヨーロッパで15世紀から広がり始めた魔女狩りが、16世紀の終わりから17世紀の中頃にかけてピークを迎えた。一方で、17世紀末には急速に衰退しており、魔女裁判で極刑を科すケースもほとんど見られなくなっている。魔女狩りにより、ヨーロッパ全体で15世紀から18世紀までの間に最大4万人が処刑されたものと考えられている。その他の地域では、北アメリカの植民地でも数は少ないが魔女狩りの例がある(セイラム魔女裁判など)。

できごと[編集]

  • 日本では江戸時代の初期・前期にあたる。
  • 中国では明清時代(17世紀前半が明朝・中盤から後半が清朝)、またモンゴル帝国皇帝位として存続していた北元が消滅した。

人物[編集]

ヨーロッパ世界[編集]

スペイン・ポルトガル[編集]

イングランド・スコットランド[編集]

イタリア[編集]

神聖ローマ帝国とドイツ領邦[編集]

フランス[編集]

フランドル・オランダ[編集]

北欧[編集]

東欧[編集]

ロシア[編集]

南北アメリカ[編集]

北アフリカ・西アジア・中央アジア世界[編集]

インド・東南アジア世界[編集]

オセアニア[編集]

東アジア[編集]

明・清[編集]

ジュンガル[編集]

チベット[編集]

日本[編集]

10年紀と各年[編集]

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