円空
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円空(えんくう、寛永9年(1632年) - 元禄8年7月15日(1695年8月24日))は、江戸時代前期の天台宗の僧であり、「円空仏」とも呼ばれる独特の作風を持った仏教彫刻で知られる。
生涯に12万体の仏像を彫ったといわれ、飛騨、美濃地方の各地に円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。うち岐阜県内にあるものだけで1,000体を数える。多作だが、雑なものはなく、作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。
岐阜羽島駅前にある円空の一刀彫のモニュメント
円空仏はゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴で、一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てている。円空から後代の木喰も同様に日本各地で造仏活動を行っており、柔和で穏やかな表情の微笑仏は円空仏と対比されている。
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[編集] 生涯
- 美濃国(現岐阜県)の生まれ。羽島市生まれ説と郡上市美並町(旧・美並村)生まれ説の2つが提唱されている。
- 寛文6年(1663年)1月には、津軽藩の弘前城下を追われる。その後、青森経由で松前に渡ったことが知られる。太田山神社をはじめ道南の各地を廻り、多くの仏像を彫る。
- 寛文9年(1669年)頃には、尾張・美濃の地方に戻っていたことが、在銘の諸像によって知られる。
- 寛文11年(1671年)には、大和国の法隆寺に住していた巡堯春塘より法相宗の血脈を受ける。
- 延宝7年(1679年)、近江国の園城寺に住していた尊永より仏性常住金剛宝戒の血脈を受ける。
- 延宝8年(1680年)頃には、関東に滞在しており、上野国の貫前神社で『大般若経』を読誦する。
- 貞享元年(1684年)には、再び美濃に戻り、荒子観音寺の住持であった円盛より天台円頓菩薩戒の血脈を受ける。
- 元禄2年(1689年)、円空が再興した美濃国関の弥勒寺が、天台宗寺門派総本山の園城寺の山内にあった霊鷲院兼日光院の末寺となる。
- 元禄8年(1695年)、門弟の円長に対して授決集最秘師資相承の血脈を授け、7月15日に自坊の弥勒寺の近辺で寂す。
また、伊吹山太平寺で修行を積んだといわれる。
[編集] 参考文献
- 五来重著『円空と木喰』(淡交社、1997年) ISBN 4-473-01550-5
- 梅原猛著『歓喜する円空』(新潮社、2006年) ISBN 4-10-303021-6

