円空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
円空
生誕 1632年
如来立像(東京国立博物館蔵)
岐阜羽島駅前にある円空の一刀彫のモニュメント

円空(えんくう、寛永9年(1632年) - 元禄8年7月15日1695年8月24日))は、江戸時代前期の木食僧(廻国僧)・仏師歌人。特に、全国に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる。

円空は生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5300体以上の像が発見されている。円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県までおよぶ。多くは寺社、個人所蔵がほとんどである。その中でも、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。その内愛知県内で3000体以上、岐阜県内で1000体以上を数える。また、北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多い。多作だが作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。円空仏以外にも、多くの和歌大般若経扉絵なども残されている。

生涯[編集]

出生から出家[編集]

群馬県富岡市一之宮貫前神社(ぬきさきじんじゃ)旧蔵の「大般若経」断簡(現在は千葉県山武郡芝山町はにわ博物館所蔵」)には「壬午年生美濃国圓空」と記され、円空は壬午年=寛永9年(1632年)の出生で美濃国(現岐阜県羽島市または郡上市美並町)[1]の生まれであるされる[2]

具体的な生地は不明であるが、寛政2年(1790年)の伴蒿蹊近世畸人伝』では円空の生地を「美濃国竹が鼻」とし、これは岐阜県羽島市竹鼻町とされる。蒿蹊の友人には画家の三熊思考がおり、思考が岐阜県高山市丹生川町の千光寺を訪れており、蒿蹊は思考を介して知った千光寺の伝承を基に円空の生地を「竹が鼻」としている[3]。また、下呂市に所在する薬師堂の木札でも円空の生地を「竹ヶ鼻」としている[4]。千光寺には寛政12年(1800年)の館柳湾『円空上人画像・跋』にも円空の生地を「竹が鼻」と記している[5]。また、下呂市金山町祖師野の薬師堂に伝わる文政9年(1826年)の木札『圓空彫刻霊告薬師』にも円空の生地を「竹ヶ鼻」としている[6]

一方、愛知県名古屋市中川区荒子観音寺に伝わる天保15年(1844年)の十八世・金精法印『淨海雑記』では『近世畸人伝』を引用しつつも、円空の生地を「西濃安八郡中村」の生まれとしている[7]。小島梯次は「安八郡中村」に円空の痕跡が残されていないことから、実際に円空の生地としての伝承が残されていたのは長良川を挟んで対岸に位置し、円空開祖の中観音堂が所在する「中島郡中村」であるとしている[8]。ほか、茨城県笠間市大町に所在する月崇寺の観音像背銘に「御木地土作大明神」とあることから、円空の生地を岐阜県郡上市美並町とし、「木地土」を「木地士」と読み、円空の出自を木地師とする説もある[9]。これに関して小島梯次は円空像の背銘には通常尊名のみが記され文章を書く事例が見られない点や、円空の次代に「木地師」は「木地屋」と呼ばれていることから、「木地士」は「木地土」と読むべきであると指摘し、さらに円空の郡上市美並町出身とする説を否定している[10]

円空に関する最初の所見は寛文3年(1663年)11月6日で、郡上市美並町根村に所在する神明神社の棟札によれば、同社の天照皇太神と阿賀田大権現、八幡大菩薩を造像している[11]。これ以前に出家していると見られているが、円空の出家に関しても諸説が存在する。

『近世畸人伝』や『淨海雑記』、『金鱗九十九塵』では幼少期に出家したとのみ記しており、『淨海雑記』では天台宗の僧となり、長じて愛知県北名古屋市高田寺において修行したと記している[12]。『金鱗九十九塵』では円空は最初は禅門にあり、後に高田寺で修行したとしている[13]。一方、岐阜県立図書館所蔵の1872年(明治5年)の『真宗東派本末一派寺院明細帳 拾五冊之内十』による円空を真宗の僧とする説もある[14]。さらに、円空は郡上市美並町の粥川寺において出家したとする説も見られる[15]。これは貫前神社旧蔵の大般若経断簡の文章を円空が18年前に出家即動法輪をしたと解釈して、その頃に円空がいた粥川寺において出家したとする説であるが、谷口順三や小島梯次は出家から初転法輪までの間には歳月が存在することからこれを否定している[16]

諸国の廻国と造仏活動[編集]

太田権現

2014年時点で最初の円空仏郡上市美並町の神明神社の諸像であるが、初期の円空仏は郡上市美並町や郡上市八幡町、関市岐阜市など岐阜県下に分布しているほか、周辺の三重県愛知県にも分布している[17]。初期の円空仏は小像が多い[18]

1663年)1月、津軽藩弘前城下を追われる。『津軽藩日記』寛文6年正月29日条や北海道に分布する円空仏の背銘に拠れば、同年春には円空は青森(青森県青森市)経由で蝦夷地(北海道)の松前にへ渡っている[19]。北海道の円空仏は道南地方に多く分布し、同一形式の観音像が多い。2014年時点で45体が確認され、現存像はこれに移入仏6体が加わる[20]寛政元年(1789年)の菅江真澄『蝦夷喧辞辯』(えみしのさえぎ)に拠れば、久遠郡せたな町太田山神社(太田権現)には多数の円空仏が存在したと記しているが、これは現存していない[21]。後に木喰の弟子・木食白道による『木食白導一代記』に拠れば安永7年(1778年)に木喰とともに北海道へ渡った白道は同社で「多数の仏」を実見したという。小島梯次は現存する北海道の円空仏は同一形式の観音像が多いのに対し、菅江真澄も木食白道も太田山神社の像は多種類の仏であったと記されていることから、太田山神社の像を円空仏であることを慎重視している[22]

円空仏の特徴[編集]

荒子観音堂

円空仏はデザインが簡素化されており、ゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴で、一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てている。一刀彫というのは一本で彫り出した事に由来するが、実際には多数の彫刻刀によって丹念に彫られており、鉈で荒削りで彫ったに過ぎないというのはただの宣伝である。円空としては民衆が気軽に拝める、現代で言えば量産型の仏像として製作し、野に置かれる事を望んでいたのだが、そのデザインが芸術的に高く評価されたため、大寺院で秘仏扱いされる事もあった。

円空仏の総数は2015年時点での集成で現存数が5298体、うち移入数が164体、所在不明・消失・盗難などの像が88体で、5298+88で確認数は5386体[23]。分布は愛知県の3241体が最多で、岐阜県の1684体、埼玉県の175体、北海道の51体と続く[24]

円空仏には愛知県名古屋市の荒子観音堂に伝来する「観音三十三応現身」や同寺の「千面菩薩」など、不揃いな板切れに尊像の目・鼻・口をつけた小像が存在し、これらは「木端仏(こっぱぶつ)」と呼ばれる[25]。また、荒子観音堂に伝来する菩薩立像は藤原朝の像に円空が顔面と手を補修した補修仏として知られる[26]

三重県三重郡菰野町の明福寺に伝来する薬師如来・阿弥陀如来像は一材に両像が彫られた珍しい像で、「両面仏」と呼ばれる[27]

円空と木喰[編集]

木喰仏

円空から後代の木喰も同様に日本各地で造仏活動を行っており、ノミ痕の残った鋭い円空仏に対し、表面を滑らかに加工し、後年には柔和で穏やかな表情を有した「木喰仏(微笑仏)」は円空仏と対比されている。

木喰は甲斐国出身の木食僧で、安永7年(1778年)に蝦夷地を訪れ、同地において造像活動を開始したとされる。木喰は同年7月にニ海郡八雲町の門昌庵を訪れており諸像を残している(初期の木喰仏)。門昌庵を訪れた安永7年の『納経帳』の存在から、木喰が太田権現を訪れ円空仏を実見して造像活動を開始したとする説もあるが[28]、木喰が円空や円空仏に直接した史料は残されていない。一方で、2004年の調査で初期の木喰仏は木喰とともに蝦夷地を廻国した弟子の木食白道の作例であることが判明し[29]、白道は『木食白導一代記』において円空に直接言及していないが、太田権現で多くの仏を見たと記している。

また、木喰は蝦夷地廻国以降も多数の円空仏が残されている岐阜県高山市丹生川町の真言宗寺院・千光寺を訪れているが、確実に円空仏を見た記録は残されておらず、円空と木喰の廻国ルートは重ならず、円空仏と木喰仏の分布も異なっていることが指摘されている[30]

さらに2015年には青森県上北郡六戸町海傳寺に伝来する釈迦如来像が初期の木喰像で、安永7年の北海道渡道以前の作例であることが確認された[31]

その他[編集]

  • 円空は、伊吹山太平寺で修行を積んだといわれる。また遊行僧として全国を巡り、山岳修験道の行者であった。大峯山で修行したことをはじめ、北海道の有珠山、飛騨の御嶽山乗鞍岳穂高岳などにも登拝した。
  • 国道41号下呂市門原地内の深谷の谷に沿って山道を1.7kmほど行くと、山中に高さ約17m、横・奥行ともに約27mの巨岩がある。大岩の下は、幅約2m、高さ約1m、三畳敷き程の岩陰となっている。円空が下呂を訪れた際、この岩陰に寝泊りし、多くの仏像を彫った場所といわれ、土地の人からは「円空岩」と呼ばれている。

脚注[編集]

  1. ^ 図解仏教成美堂出版126頁
  2. ^ 『円空・木喰展』、小島(2015)、p.8
  3. ^ 小島(2014),p.11、小島(2015),p.8
  4. ^ 小島(2015)、p.8
  5. ^ 小島(2014)、p.11
  6. ^ 小島(2014)、p.12
  7. ^ 小島(2014)、p.12
  8. ^ 小島(2014)、pp.12-13
  9. ^ 小島(2014)、p.13
  10. ^ 小島(2014)、pp.13 - 14
  11. ^ 小島(2014)、p.19
  12. ^ 小島(2014)、p.15
  13. ^ 小島(2014)、p.16
  14. ^ 小島(2014)、p.16
  15. ^ 小島(2014)、p.16
  16. ^ 小島(2014)、pp.16 - 17
  17. ^ 小島(2014)、p.19
  18. ^ 小島(2014)、p.19
  19. ^ 小島(2014)、p.21
  20. ^ 小島(2014)、p.22
  21. ^ 小島(2014)、p.24
  22. ^ 小島(2014)、pp.24 - 25
  23. ^ 『円空・木喰展』、p.248
  24. ^ 『円空・木喰展』、p.248
  25. ^ 『円空・木喰展』、p.224
  26. ^ 『円空・木喰展』、p.224
  27. ^ 『円空・木喰展』、p.223
  28. ^ 五来重『微笑佛 木喰の境涯』
  29. ^ 近藤暁子『木食白道-知られざるもう一人の木喰-』山梨県立博物館、2008年
  30. ^ 小島梯次「木喰の作品」『木喰展-庶民の信仰、微笑仏 生誕290年』(神戸新聞社, 2008年)、p.175
  31. ^ 『円空・木喰展』、p.19

参考文献[編集]

  • 版画(スクリーン印刷) 『[円空仏グラフィック作品].薬師三尊と十二神将.41枚で1組×5組製作(円空作の仏像を手漉き楮紙にスクリーン印刷を名古屋市とロサンゼルス市に寄贈)』(中部クリエーターズクラブ1976年
  • 長谷川公茂編著 『円空仏』 保育社〈保育社カラーブックス〉、1982年ISBN 4586505583
  • 五来重 『円空と木喰』 淡交社1997年ISBN 4473015505
    • 新版 『五来重著作集.第10巻 円空の造像の軌跡ほか』(法蔵館、2009年)
  • 富野治彦 『円空を旅する』(産経新聞出版、2005年、新版2010年)、ISBN 4819110888
  • 梅原猛 『歓喜する円空』 新潮社2006年
    • 梅原猛 『歓喜する円空』 新潮社〈新潮文庫〉、2009年ISBN 4101244138
  • 小島梯次『円空仏入門』まつお出版叢書、2014年
  • 『微笑みに込められた祈り 円空・木喰展』株式会社アートワン、2015年
    • 小島梯次「微笑みに込められた祈り 円空仏・木喰仏」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]