美濃国

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美濃国(みののくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、東山道に位置する。領域はだいたい現在の岐阜県の南部だが、変遷がある。濃州(のうしゅう)と呼ぶこともある[1]延喜式での格は上国、近国。

目次

[編集] 沿革

7世紀に成立。石神遺跡木簡飛鳥池木簡(677年12月)・藤原宮木簡では、三野国と表記。大宝戸籍(大宝2年 702)では、御野国と表記。また、平城宮から出土した木簡に、美野国と表記されたものもある。

古事記では、美濃国、三野国と記載。

藤原忠通書状案;天理図書館所蔵文書には、御庄々、武義(美乃国)、山上(美乃国)、吉田(美乃国)、保元々年七月と記載されている。新抄格勅符抄;神事諸家封戸:大同元年牒にも、美乃国とある。

成立時の範囲は、現在の岐阜県南部と長野県木曽郡にほぼ相当した。南隣の尾張国との境は木曽川であったが、当時の流路は現在より北で、現在の境川下流を通っていた。

木曽谷に関してはしばしば美濃国と信濃国で領有が争われたが、貞観年中(859~876年)に朝廷は藤原朝臣正範や靭負直継雄らを派遣して国境を鳥居峠とした。その後平安末期までに木曽は信濃国という認識がされ始めており平家物語などは信濃国木曽と記述するようになる。鎌倉時代には大吉祖荘は信濃、小木曽荘は美濃と書かれる傾向にあった。室町時代中頃まで美濃国木曾荘という記述が見られるが、最終的に武田信玄が領有した戦国期には確定し信濃国筑摩郡に編入されたと推定されている。

天正14年(1586年)に木曽川が氾濫して流路をほぼ現在のものに変えたことをうけて、変更された木曽川の北岸と中洲を尾張国から美濃国に移した。現在の地図にあてはめると、北岸は岐阜県のうち境川と木曽川にはさまれた一帯、中洲は各務原市川島にあたる。

該当するのは、岐阜市(旧柳津町の一部等)、各務原市(旧稲羽町の一部、旧川島町)と、羽島郡のほぼ全域(岐南町笠松町)、羽島市のほぼ全域、海津市(旧海津町平田町の大部分)である。

美濃国は、愛知県豊田市の一部と稲沢市祖父江町の一部、福井県の一部(旧石徹白村)を含んだ。これらは国の廃止後に市町村の境界変遷で所属する県が移ったものである。

この他、長野県の神坂村は昭和20~30年代に岐阜県中津川市への合併で問題となり、結局、1958年に大部分が分割されて中津川市に編入され、馬籠地区のみが長野県に残って山口村と合併した。平成の大合併の際にも、山口村の中津川市への編入が問題となり、中山道馬籠宿という観光地を失うことになる長野県から強い反対があったが、元々山口村は、日本海側である長野市との繋がりが浅い事から、2005年に長野県から脱退し、岐阜県中津川市へ編入された。これは平成の大合併における唯一の越境合併であった。

[編集] 国府・一宮など

国府は不破郡にあった。現在の岐阜県垂井町府中にあり、遺跡が発掘されている。

延喜式神名帳には大1座1社、小38座37社の計39座38社が記載されている。唯一の大社は仲山金山彦神社(現 南宮大社)で、一宮とされている。総社は、現在の南宮大社摂社の南宮御旅神社の位置にあったとされるが不詳である。

村國神社は延喜式神名帳には2座記載されている。

[編集] 国司

[編集] 守護

[編集] 鎌倉幕府

[編集] 室町幕府

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以下三郡は、安土桃山時代尾張国より移管された。

[編集] 脚注

  1. ^ 美作国(作州)との重複を避けるため二文字目を用いるが、越美北線のように「美」と略される事例も稀に存在する。

[編集] 関連項目