羽島市

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はしまし
羽島市
Gifu Hashima Station 01.JPG
Hashima, Gifu.svg
羽島市旗
Hashima Gifu chapter.JPG
羽島市章
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
団体コード 21209-1
面積 53.64km²
総人口 66,758
推計人口、2014年7月1日)
人口密度 1,240人/km²
隣接自治体 岐阜市大垣市海津市
安八郡安八町輪之内町
羽島郡笠松町
愛知県一宮市稲沢市
市の木 貝塚伊吹
市の花 美濃菊
羽島市役所
所在地 501-6292
岐阜県羽島市竹鼻町55番地
北緯35度19分11.8秒東経136度42分11.8秒
羽島市役所
外部リンク 羽島市

羽島市位置図

― 市 / ― 町・村

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竹鼻別院の藤
羽島市中心部周辺の空中写真。1987年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

羽島市(はしまし)は岐阜県。岐阜県内で唯一、新幹線駅がある自治体である。

当市内にある東海道新幹線駅、名神高速道路のインターチェンジ、店舗名、支店名等の多くで岐阜羽島(ぎふはしま)を使っている事が多く、そのため当市を指して岐阜羽島と呼ぶことも多い。

地理[編集]

岐阜県南部、沖積平野である濃尾平野に位置し、殆どが砂地である。一部(桑原町西小薮)を除き、東は木曽川、西は長良川と川に挟まれた地域である。かつては底の浅い巨大河川とその支流が網目状に存在していたため、頻繁に水害に見舞われていた。そのため輪中が発達していたが、今ではほとんど失われている。とはいえ、輪中堤防上に作られた祠や神社が点在し、また輪中の境で土地の高さが異なるなど名残りは多い。水は豊富でかつては数メートル掘れば地下水が出た。現在では地下水の採りすぎのためか十数メートル掘らなければ地下水が出ない。冬は伊吹山から吹き付ける伊吹おろしが吹く。

隣接している自治体[編集]

歴史[編集]

  • 7,000年以上前は海の底であった。弥生時代の遺物が正木町から発見されており、そのころには既に定住が始まっている。神話上の話であるが、ヤマトタケルが伊吹山に向かった際に足近町(阿遅加)に立ち寄ったとの記述が古事記にある。これが羽島市内の地名の初出である。
  • 古くから熱田神宮から不破関を結ぶ道が通っていた。墨俣町の下宿と羽島市の小熊には墨俣川(長良川)が流れており、それを結ぶ墨俣の渡しは軍事的に重要な場所であった。小熊側は中山と呼ばれるように小高くなっており、江戸時代が始まるまで度々兵が敷かれた。
  • 602年(推古10年)に羽島市最古の寺院、西方寺が太子寺として足近町に建立される。
  • 奈良時代平安時代に東海道を整備するが、船が貧弱であったために専ら羽島市を通るルートが使われた。そのために、租庸調を運ぶ人々の往来で混雑した。835年太政官符にみることができる。
  • 769年(神護景雲3年)、776年(宝亀7年)、853年(仁寿3年)に広野川(木曽川)で洪水が起きた記録がある。865年までには川が分岐してしまい、尾張側に水が流れ込む事態になったので朝廷に申し出て修復工事を行ったが美濃側の郡司らがこれを妨害した(広野川紛争)。
  • 律令体制が確立して後は尾張国の葉栗郡中島郡として管理され、東大寺や弘福寺の寺領であった。
  • 平安時代末期の1181年(治承5年)、治承・寿永の乱(源平合戦)のひとつといわれる墨俣川の戦いが墨俣川(長良川)河畔で起きた。源氏の本陣は西方寺にあったとされている。戦いは平氏の圧勝で、源氏は愛知県の熱田神宮まで敗走し知多まで追われた。両軍の戦死者を供養するため小熊の一乗寺が建てられた。
  • 1190年(建久元年)の源頼朝が初上洛をした際にも10月28日に小熊宿とあり、熱田神宮から不破関を結ぶ道を鎌倉街道として使う。後の将軍たちも羽島市を通る。
  • 尾張国鎌倉時代には土岐氏が領し、室町時代には斯波氏が領した。
  • 1221年(承久3年)承久の乱では後鳥羽上皇側の陣が敷かれた。
  • 1338年(建武5年/延元3年)、青野原の戦いに先立ち北畠顕家が足近に攻め込む。
  • 戦国時代になると斯波氏が弱体化し葉栗郡は土岐氏の預かりとなる。そのため、領地が明確に分かれていなかったために蜂須賀正勝に代表される土豪が力を持っていたのかもしれない。足近町尾張であるはずだが、熱田神宮から不破関を結ぶ道沿いにあった西方寺など古くからの寺社に斎藤道三が再興した話が残る。
  • 1556年(弘治2年)長良川の戦いの際に織田信長が正木町大良(現在の大浦)に陣を敷いた。この際斉藤義龍と戦いに及ぶ。
  • 戦国時代には、織田氏土岐氏斎藤氏がこの地域周辺を巡って小競り合いを繰り返していた。竹ヶ鼻城竹腰尚隆によって建てられており、当初は土岐氏・斎藤氏の領土であったと考えられるが、恐らく織田信長の美濃攻略のときに織田氏に支配権が移ったと考えられる。
  • 1561年(元亀4年)の森部の戦いをきっかけに6年間も続く泥沼の戦いが起きた。このときに羽島市は尾張で、織田信長は十数回出兵している。木下藤吉郎(羽柴秀吉、豊臣秀吉)が最終的に任されるのだが『武功夜話』に20回近く出兵していると記録している。
  • 1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いにおいて、加賀野井城、竹ヶ鼻城が羽柴秀吉によって攻略され戦火を被る。
  • 1586年(天正14年)に木曽川で大洪水が起き、流路が現在のように羽島市の東となった。このことによって、尾張国の葉栗郡は木曽川によって二つに分かれた。現在の羽島市側の葉栗を羽柴秀吉によって、羽栗郡と改称し美濃側に組み入れた。こうして現在の羽島市は尾張国から美濃国の行政区画に組み入れられた。この洪水の結果逆川ができ、木曽川の派川であった足近川の規模は小さくなった。
  • 1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで再び竹ヶ鼻城が攻撃された。また、加賀野井城城主加賀野井氏もこの戦いの結果滅びたため、羽島市を拠点とする大名はいなくなった。
  • 関ヶ原の戦いが終わり、徳川家康は現在の美濃路街道を凱旋した。そのために「御吉例街道」や「御悦び街道」と呼ばれる。江戸幕府の将軍たちの上洛や朝鮮通信使琉球使節も羽島市を通った。徳川吉宗に献上された象が通ったこともあった。現在も高さは違えど、その道筋の一部を残している。
  • 江戸時代は笠松代官所管轄の幕領尾張藩、旗本領が混在していた。桑原町にあった大須観音真福寺)は名古屋へと移され(今の名古屋市中区大須大須観音)、かつての活気は失われた。
  • 1650年(慶安3年)ヤロカ水と呼ばれる大洪水が起きる。山奥からヤロカ、ヤロカという怪音声が聞こえてきたため、それに答えると洪水が起きたというものである。
  • 1656年(明暦2年)に桑原輪中が完成する。
  • 1670年(寛文10年)に正木輪中が完成。
  • 1711年以前に足近輪中が完成する。
  • 1754年(宝暦4年)から1755年(宝暦5年)にかけて度重なる水害に羽島市を含む一帯にお手伝い普請として薩摩藩が治水工事(宝暦治水)を行った。その名残が石田の猿尾(木曽川から支流への水の勢いを弱める突起堤防)や逆川の洗堰である。この工事により切腹したり病死した薩摩の武士は薩摩義士として竹鼻別院に墓が設けられた。このような治水工事にもかかわらず、江戸時代を通じて水害は殆ど減らなかったためその後も断続的に治水普請が行われた。また、水にまつわる伝承や伝統行事が多い。
  • 1764年(明和元年)京都西陣より桟留縞が伝わる。これ以降美濃縞として知られる織物の産地となる。
  • 1768年(明和5年)桑原輪中で排水路整備の為三ツ分御普請が行われ、桑原川の原型となる。この時点で桑原川は小藪輪中手前の桑原町蓮池で長良川と合流していた。
  • 1832年(天保3年)松枝輪中が完成する。
  • 1891年(明治24年)10月28日濃尾地震が発生し、竹ヶ鼻町で火事がおきる等の被害があった。
  • 1896年(明治29年)に濃尾平野一帯で大水害が発生。羽島市にあった全ての輪中の堤が破れた。
  • 明治時代、洪水は1925年ヨハニス・デ・レーケによる木曽三川分流工事によって収束をみた。以降は洪水の発生は稀となる。これに伴い長良川の流路が変更され、桑原町西小藪が長良川の西側となった。
  • 1911年(大正元年)に隕石が落下、羽島隕石と名づけられる。
  • 1921年(大正10年)6月25日竹鼻鉄道(現名古屋鉄道竹鼻線)が開業する。
  • 1928年桑原川の長良川合流地点が羽島市南端まで延長される。
  • 1954年4月1日:羽島郡正木村足近村小熊村竹ヶ鼻町上中島村下中島村江吉良村堀津村福寿村及び桑原村合併し羽島市となった。市名は郡名(由来は羽栗郡及び中島郡)に因む。北部の笠松町柳津町(現・岐阜市)、岐南町及び川島町(現・各務原市)は工業が発達しており、合併に加わらなかった。これらの町は引き続き羽島郡の所属となった。
  • 1963年濃尾大橋の供用開始。愛知県への移動が容易となる。
  • 1976年9月12日9.12水害により一部が浸水をした。
  • 1989年3月1日海津郡海津町(現・海津市)と境界変更。
  • 1992年11月1日:羽島郡柳津町と境界変更。
  • 2004年4月18日:岐阜市、岐南町、笠松町、柳津町、北方町との合併の是非を問う住民投票が実施された。結果、反対票が上回り、28日、岐阜広域合併協議会から離脱。柳津町が岐阜市と合併した。

人口[編集]

Demography21209.svg
羽島市と全国の年齢別人口分布(2005年) 羽島市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 羽島市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
羽島市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 48,075人
1975年 52,570人
1980年 56,975人
1985年 59,760人
1990年 61,460人
1995年 63,962人
2000年 64,713人
2005年 66,730人
2010年 67,203人
総務省統計局 国勢調査より

行政[編集]

歴代市長[編集]

    • 初代:堀順一
    • 2代:河村忠一
    • 3代:国枝金市
    • 4代:酒井忠好
    • 5代:岩田博正
    • 6代:吉田三郎
    • 7代:白木義春(2004年12月21日 - 2012年12月20日 2期)
    • 8代:松井聡

市議会[編集]

市議会議員定数は18名。

産業・観光[編集]

竹鼻町は城下町として栄え、羽島地方の商業の中心地であったが、現在では近郊にスーパーマーケットやショッピングモールができるなどして栄えている。市の大部分は基本的に農業を営んでいたが同時に養蚕も行っており、明治以降は中小の紡績工場などで栄え、繊維の町として対岸の尾西市(現:一宮市)と威を誇っていたが、現在ではやはり衰えつつある。正木町は羽島市の中で最も北東にあって、鉄道や自動車で岐阜や名古屋に向かう人びとのベッドタウンとなっている。南部は農業が盛んで、田園地帯が多い。

主要な農産物は米で、岐阜県特有の品種ハツシモを育てている農家が多い。その他に、柿やイチゴの栽培が多い。十六ささげという莢が細長いマメが栽培されている数少ない地域の一つ。

竹鼻町には永田佐吉によって作られた佐吉仏とよばれる大仏と竹鼻別院の藤がある。木曽川を挟んだ愛知県一宮市とともに繊維業が盛ん。

羽島市内には中観音堂長間薬師寺といった円空仏を安置する寺院がある。

教育[編集]

大学[編集]

専門学校[編集]

高校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

  • 羽島市立足近小学校
  • 羽島市立小熊小学校
  • 羽島市立桑原小学校
  • 羽島市立竹鼻小学校
  • 羽島市立中央小学校
  • 羽島市立中島小学校
  • 羽島市立福寿小学校
  • 羽島市立堀津小学校
  • 羽島市立正木小学校


交通[編集]

鉄道路線[編集]

※太字は中心駅

バス[編集]

道路[編集]

公共施設[編集]

警察署[編集]

  • 岐阜羽島警察署(岐阜市)
    • 竹鼻警部交番
    • 正木交番
    • 足近警察官駐在所・小熊警察官駐在所・上中警察官駐在所・桑原警察官駐在所

消防署[編集]

病院[編集]

図書館[編集]

文化・学習施設[編集]

集客施設[編集]

出店が計画されている商業施設[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

歴史民俗資料館前にある竹ヶ鼻城址碑

羽島に関連する有名人[編集]

出身有名人[編集]

羽島にゆかりのある人物[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]