国府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

国府(こくふ、こう)は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市を指す。なお、『和名抄』によると、壱岐対馬には、「島府」が置かれたとあるが、まだ確定されていない。

目次

[編集] 国府の施設と配置

律令において、令制国の中心地である国府には、国司が政務を執った国庁等重要施設が設置されており、国庁の周囲は土塀等によって区画されていた。国庁とその周りの役所群を国衙(こくが)といい[1]、それらの都市域を総称して国府という。現在は役所群のほうを国衙、都市のほうを国府と分けて用いているが、国府と国衙を同一視する説もある[2]。その説によると、国府と国衙は、同時代的には置換可能な語で、歴史的には国府の方が先行し、8世紀には専ら国府と云う言葉が用いられ、平安時代後期以降に国衙が一般的になったとされている[3]

各国の差が小さいのは中心となる国庁で、区画の中に中庭を囲んで正殿、東脇殿、西脇殿を冂字形に配置し、南に正門を持つ。外形上最も整備された形では、南門から出る南北道と、これと交差する東西道が中心街路をなし、その他の官衙、国司館、その他施設が区画割りして配置される。しかし多くの場合国庁をとりまく建物群の配置の規律は緩い。国府の内と外を区分する外郭線は、国府が城柵に置かれた様な例外を除き存在しない。

国府に限らず、律令制時代の日本では役所の建物を曹司といい、これ等がまとまった一区画をと呼んだ。国司館は、守館、介館など、国司の為に用意された公邸である。元々、国司は国庁で政務をと執ったが、平安時代中期以降、国司館が政務の中心になった。国府には正倉が付属するが、奈良時代には徴税実務上郡の重要性が大きく、地方の正倉は大部分群衙にあった。(例として静岡県藤枝市志太群衙)また工房があって、国府勤務の官人の需要に応じ、都に送る調庸物を生産した。役所や工房で働く人には、国厨(国府厨)から給食が出された。周囲には工房で働いたり様々な雑務を行う労働者が住む竪穴住居群や、更に市場もあった。国府の陸上交通の為には駅家が置かれた。水運の為に国府津と呼ばれる港が設けられる事も多かった。

741年(天平13年)以降、国ごとに国分寺国分尼寺が建てられる事になったが、それ以前から国府機能と密着した付属寺院を持つ国もあった。平安時代には更に総社が指定された。

これ等の施設が一箇所に集中して建てられると都市的な景観になったが、距離を置いて分散する例も多かった。国衙には国司の他、史生、国博士、国医師、徭丁などの職員が勤務しており、小国で数十人、大国では数百人の人数規模だった。全体としての人口は、畿内以西の各国や大宰府の様に多い所で2、3千人に達したと推定されている。

[編集] 国府の推定と発掘

国府は現在では、静岡県静岡市等、極一部の都市を除いて室町時代には完全に消滅し、殆どが所在不明となった。和名類聚抄が国府があった郡を伝えるが、それ以上に絞り込むのは難しかった。1960年代迄の研究では、「国府(こう)」、「国分寺」、「総社」、或はそれと似た地名が探索され、他の状況証拠と合わせて様々に位置が推理された。しかし推定地は通常複数唱えられ、決め手を欠いた。国府の具体像に関する知識は皆無に近かった。

1964年に近江国府が発掘されてから、国府跡の遺跡が次々と発掘される様になって、状況は劇的に変わった。合わせて郡衙国分寺等の遺跡も見つかり、これらと照らし合わせて国府に共通する特徴が浮かび上がってきた。奈良時代から平安時代前半の国府では、区画と正殿・脇殿等で構成される政庁が他の施設には無い特徴で、これが国府の中心施設でもある事から、政庁を発見した時点で国府位置確定とみなされる。

発掘が始まった当初、国府は平城京平安京の様な中央の都城の縮小版と考えられていた。方形の外郭線を持つ都市が国府で、その中心に国衙という役所群、更にその要に国庁があるという三重構造が想定された。発掘が進むと、国府に明確な外郭線が存在しない事、都市域は付けたし程度で官衙域を包み込む程の広がりを持たない事が判明した。しかし、計画的な道路の敷設は認められる。下野国庁の南正面に南北道路が、伊勢国では国庁北側の一部に方格地割りが、大宰府では10世紀に方格地割りが認められる。

2007年現在、国府位置が判明した国は多いが、尚不明の国もある。国府の発掘は面積的に一つの都市を掘り出すのに等しい為、位置が確定しても全貌を完全に解明した事にはならない。各地で発掘調査が続いている。

[編集] 国府の一覧表(国府所在郡)を記載した史料

  1. 和名類聚抄の20巻本
  2. 色葉字類抄。とその増補版の伊呂波字類抄10巻本
  3. 拾芥抄(しゅうがいしょう)
  4. 易林本の節用集
  • サイト上の大学図書館のデジタルアーカイブシステムなどで、原文の詳細を読むことができる。
  • 各史料によって、国府の異同、国府の記載なし、国府所在郡のみで郷名の記載なし、などから、国府の時代による移転説、国府所在候補地が複数挙がり論争になる。
  • 史料が平安時代中期以降の編纂のため大化の改新~平安時代初期の初期国府と史料記載国府は違うと見る説、国分寺や総社のあった場所に国府もあったと見る説などがあり、国府の選定には注意を要する。

[編集] 国府に因む地名

古代の国府は現代では国府と書いて「こう」と読む地名として全国に残っている。府中は中世・近世に生まれた地名で、当時の国府・守護所に由来する。国府と書いて「こくふ」と読む地名には、近代以降に国府推定地に新たに付けられたものが多い。国分寺に由来すると思われる国分(こくぶ)を国府に変更した例もある。

[編集] 国府(こう・こふ)

※大久保彦左衛門著の三河物語には、国(国府の意味か?)と記載されており、国府とはなっていない。駿府については、駿付と記載されている。

[編集] 府中

[編集] 国府(こくふ)

[編集] 国衙

  • 国衙(こくが、周防国):防府市。

[編集] 府内

[編集] イベント

こくふロマン交流祭

各地の国府所在地自治体との交流イベント。各自治体持ち回りで開催。第1回は東京都府中市にて開催(こくふロマン交流祭2009in府中)

[編集] 関連項目

[編集]

  1. ^ kotobank.jp【国衙】出典:小学館
  2. ^ 百科事典マイペディア【国衙・国府】
  3. ^ 佐藤信『古代の地方官衙と社会』、9頁。

[編集] 参考文献

  • 阿部義平『官衙』(考古学ライブラリー20)、ニュー・サイエンス社、重版2003年(初版は1989年)。ISBN 4-8216-0350-0
  • 佐藤信『古代の地方官衙と社会』(日本史リブレット8)、山川出版社、2007年。ISBN 978-4-634-54080-4
  • 田中広明『国司の館 古代の地方官人たち』、学生社、2006年。ISBN 4-311-20300-4
個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語