安房国

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安房国の位置

安房国 (あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、東海道に属す。現在の千葉県南端にあたる旧国名。房州(ぼうしゅう)と呼ぶこともある。稀に安州(あんしゅう)とも呼ばれるが、安芸国(芸州)との重複を避けるため余り使われない。また、南総(なんそう)とも呼ばれた。延喜式での格は中国、遠国。


目次

[編集] 沿革

養老2年(718年)5月2日、上総国の平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を分けて安房国として独立した。天平13年(741年)12月10日に上総国に合したが、天平宝字元年(757年)に元に戻され、東海道に属する一国となり国級は中国(ちゅうごく)にランクされる。上総国阿幡郡、上総国阿波郡、上総国安房郡という表記の木簡がある。 国府は現在の安房郡三芳村国府付近に置かれ、古代末期から中世にかけて丸氏長狭氏安西氏神余氏などの武士団が活動し、平安末期には源頼朝の再起の地となる。鎌倉期の守護は不明。室町期の守護には結城氏上杉氏が就いた。15世紀半ば頃より里見氏が勢力をはり戦国期には安房統一を果たし、上総、下総に勢力をはった。豊臣秀吉による小田原城攻め以後は安房一国が里見氏の領地となった。関ヶ原の戦いでは里見氏は徳川家康を支援して加封を受けたものの、江戸幕府成立後の1614年(慶長19)に里見忠義大久保忠隣改易に連座して伯耆国倉吉に転封。その後は東条藩勝山藩上総百首藩北条藩館山藩などの諸藩と幕府領旗本領がおかれた。村数は280ヵ村(天保期)。1869年(明治2)安房では勝山、館山、北条の3藩に、新たに長尾藩花房藩の2藩がおかれた。この地の幕府領、旗本領は安房上総知県事柴山典の管轄となり、翌年に宮谷県が置かれ柴山典が権知事となり、安房四郡の幕領を除いた約5万6千石を管理した。1872年(明治4)廃藩置県によって安房国の領域は木更津県に編入され、1874年(明治6)木更津県と印旛県の合併により千葉県に編入した。

古代の安房国は、豊かな漁場に恵まれたことから御食国に任じられ、皇室や朝廷の御饌を担当した。膳氏を司る伴造氏(後に高橋氏と改称)の出自を示した『高橋氏文』によると、景行天皇東国に行幸したおりに、安房国にて磐鹿六雁命(いわむつかりのみこと、膳氏の始祖とされる)が(はまぐり)を捕り、天皇に料理をして献上したところ、天皇の子孫代まで御食を供するよう膳臣を授かったという記述がある。そのことに由来し、当時、中央官庁の大膳職で御食津神として祀られた安房神社高家神社などが存在する。

[編集] 地域

[編集] 古代-中世

[編集] 荘園

[編集] 中世-近世

[編集] 上総国の[1]

[編集] 郡と

[編集] 近代-

[編集] 郡と

  • ①安房郡(平群郡・朝夷郡・長狭郡が1897年に一部となる)
館山町、北条町、豊津村、館野村、九重村、稲都村、豊房村
長尾村、富崎村、神戸村、西岬村
平群郡
勝山村、佐久間村、保田村、富浦村、八束村、岩井村、平群村、国府村
滝田村、凪原村、船形村
朝夷郡
曦村、七浦村、健田村、千歳村、満禄村、豊田村、南三原村、和田村
北三原村、白浜村、江見村
長狭郡
鴨川町、田原村、西条村、東条村、大山村、吉尾村、由基村、曽呂村
太海村、天津町、湊村

[編集] 石高

  • 95736

[編集] 人口

  • 1721年(享保6年) - 11万5579人
  • 1750年(寛延3年) - 15万8440人
  • 1756年(宝暦6年) - 13万7565人
  • 1786年(天明6年) - 12万5052人
  • 1792年(寛政4年) - 13万0836人
  • 1798年(寛政10年)- 13万3513人
  • 1804年(文化元年)- 13万2993人
  • 1822年(文政5年) - 13万9662人
  • 1828年(文政11年)- 14万830人
  • 1834年(天保5年) - 14万4581人
  • 1840年(天保11年)- 13万9442人
  • 1846年(弘化3年) - 14万3500人
  • 1872年(明治5年) - 15万4683人

出典: 内閣統計局・編、速水融・復刻版監修解題、『国勢調査以前日本人口統計集成』巻1(1992年)及び別巻1(1993年)、東洋書林


[編集] 施設

[編集] 国府

国府は当時の平群郡、現在の南房総市府中と思われるが、正確な位置は不明である。

[編集] 国分寺

国分寺は館山市国分にあった。その法燈を同地の日色山国分寺(本尊:薬師如来)が伝承する。国分尼寺は未詳である。安国寺は鴨川市北風原の仏日山安国寺(本尊:聖観世音菩薩)が伝承する。利生塔は未詳である。

[編集] 延喜式内社

延喜式神名帳には下記の大社2座2社・小社4座4社の計6座6社が記載されている。后神天比理乃咩命神社は安房坐神社の后神を祀る神社とされ、洲崎神社(館山市洲崎)・洲宮神社(館山市洲宮)の2社が論社となっている。一宮は安房神社(館山市大神宮)である。近世以降、館山市洲崎の洲崎神社も一宮を主張したとみられる。館山市洲宮の洲宮神社が二宮とされることがある。

一宮二宮

安房郡 安房坐神社(現 安房神社名神大社
安房郡 后神天比理乃咩命神社(「元名洲神」と注記。論社2社) 大社

三宮以下

朝夷郡 天神社 (現 下立松原神社摂社) 小社
朝夷郡 莫越山神社(論社2社) 小社
朝夷郡 下立松原神社(論社2社) 小社
朝夷郡 高家神社 小社

総社

総社は六所神社(館山市亀ヶ原)だったと考えられているが、既に廃絶したとの説もある。館山市八幡鎮座の鶴谷八幡宮が「一国一社の八幡宮」で、総社の機能を持つ「総社八幡」だったと見られる。

[編集]

白浜駅(館山市正木付近)・・律令時代の駅
川上駅(南房総市川上付近)・・律令時代の駅

[編集] 馬牧

諸国牧

白浜馬牧 (南房総市白浜町白浜)
鈖師馬牧 (南房総市珠師ケ谷)

江戸幕府直轄牧馬

嶺岡牧

[編集] 城館

千葉県の城一覧#安房国

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太字は主要なもの

内海
保田湊
勝山湊
那古湊
北条湊
八幡湊
和田湊
正木湊
外海
白子湊
磯村湊
余瀬湊
天津湊
小湊

[編集] 人物

[編集] 国司

[編集] 安房守

[編集] 守護

鎌倉幕府
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室町幕府
  • ? - 1337年 - 斯波家長
  • ? - ? - 南宗継
  • ? - ? - 鵤木氏
  • 1363年 - 1368年 - 上杉憲顕
  • 1369年 - 1385年 - 結城直光
  • 1388年 - 1390年 - 上杉憲方
  • 1395年 - 1396年 - 結城直光
  • ? - 1416年 - 木戸満範
  • 1423年 - ? - 上杉定頼
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[編集] 脚注

  1. ^ 須田茂著、『房総諸藩録』、崙書房出版、1985年3月10日

[編集] 関連項目




先代 :
総国
行政区の変遷
 718年 - 1871年
次代 :
旧天領宮谷県旧藩領長尾花房館山加知山県