美濃国分寺
| 美濃国分寺 | |
|---|---|
境内遠望 |
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| 所在地 | 岐阜県大垣市青野町419 |
| 位置 | 北緯35度23分13.02秒 東経136度33分6.65秒 |
| 山号 | 金銀山 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 寺格 | 準別格本山 |
| 本尊 | 薬師如来(国の重要文化財) |
| 創建年 | 詳細不明(奈良時代中期) |
| 開基 | 行基 |
| 中興年 | 1615年(元和元年) |
| 中興 | 真教 |
| 正式名 | 金銀山 瑠璃光院 国分寺 |
| 札所等 | 西美濃三十三霊場満願札所 |
| 文化財 | 木造薬師如来坐像(国の重要文化財) 旧美濃国分寺跡(国の史跡) |
美濃国分寺(みのこくぶんじ)は、岐阜県大垣市にある仏教寺院で、高野山真言宗の準別格本山である。山号は金銀山。詳名は金銀山瑠璃光院国分寺。本尊は薬師如来。
現在の美濃国分寺は江戸時代初期の再興。西美濃三十三霊場満願札所。
目次 |
沿革[編集]
741年(天平13年)、聖武天皇により国分寺建立の詔が発せられる。美濃国分寺は美濃国府中(現:不破郡垂井町)に近い青野ヶ原(現大垣市)に建立される。775年(宝亀6年)に暴風雨で破損したという記録があり、この頃には建立されていたと推測される。
887年(仁和3年)、火災で焼失。本尊などは運び出され、一時美濃国席田郡(後の本巣郡の一部)の定額尼寺(旧糸貫町、現本巣市に存在と推測される)に移転する。再び元の地に再建され、1004年(寛弘元年)、美濃国司源頼光により修復されたという記録がある。しかし、南北朝時代の1338年(延元3年/暦応元年)の青野原の戦いなどの戦乱で焼失し、本尊も行方不明となる。
本尊薬師如来像は、江戸時代初期、真教上人が土中から見出したものと伝える。1615年(元和元年)、旧美濃国分寺の北東に、金銀山瑠璃光院美濃国分寺として再興される。
文化財[編集]
- 重要文化財(国指定)
- 木造薬師如来坐像 - 高さ304.8cm。寺伝に行基の作というが、実際には平安時代後期の作とみられる。伝承によれば、ケヤキの大木を行基が自ら一刀三礼をし、彫り上げたという。「馬だらい薬師」の別名があり、土中に埋没している際、背中のくぼみが土中から出ており、このくぼみに水を溜めて馬の足を洗うのに使用していたという話が伝わっている。
美濃国分寺跡[編集]
美濃国分寺跡は現美濃国分寺の南側にある。寺域は東西約230m、南北約205mで、西に金堂、東に塔を置く伽藍配置である。1968年(昭和43年)より発掘調査が進められ、礎石や百万塔、古銭(和同開珎)などが出土している。
美濃国分寺跡は国の史跡に指定されており、創建当時の伽藍の規模がわかるように整備され、史跡公園となっている。奈良時代の国分寺の伽藍全体の状況が分かるように整備されている例は、日本でも数少ない。近くに「大垣市歴史民俗資料館」があり、美濃国分寺跡の出土品が展示されている。
なお、美濃国分尼寺跡は美濃国分寺の西約1kmの不破郡垂井町平尾にあり、2004年(平成16年)より5ヵ年計画で発掘調査が行なわれている。2007年には建物の礎石などが発掘されている。
交通アクセス[編集]
所在地:岐阜県大垣市青野町419