11世紀
| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 10世紀 - 11世紀 - 12世紀 |
| 10年紀: | 1000年代 1010年代 1020年代 1030年代 1040年代 1050年代 1060年代 1070年代 1080年代 1090年代 |
11世紀(じゅういちせいき、じゅういっせいき)とは、西暦1001年から西暦1100年までの100年間を指す。2千年紀における最初の世紀となる。
目次 |
[編集] 11世紀の歴史
[編集] 世界
11世紀は、西アジアでトルコ系のイスラム王朝のガズニ朝やセルジューク朝の台頭が著しく、前者は北インドに侵入しインドのイスラム化の契機をつくり、後者は東ローマ帝国を打ち破って、小アジアにまで勢力を伸ばした。北アフリカのモロッコ近辺ではムラービト朝などベルベル人のイスラム王朝の台頭が始まって、レコンキスタを停滞させる一方、サハラ交易で繁栄したガーナ王国を滅ぼした。
東ヨーロッパでは東ローマ帝国が第一次ブルガリア帝国を征服してバルカン半島全土を回復して最盛期を迎えるが、11世紀後半に入ると衰退に転じ、国内の反乱やセルジューク朝、ノルマン人などの外敵に悩まされることになる。西ヨーロッパでは教皇権が伸長する一方、東西教会の分裂が起こっている。また、東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスがローマ教皇ウルバヌス2世に救援を依頼したことが発端で、十字軍の遠征が開始された。
東南アジア、南インドでは、1025年を境にシュリーヴィジャヤの衰退と、チョーラ朝、クディリ王国が全盛を極めた。東アジアでは、北宋の経済的繁栄は続くものの、遼や西夏への歳幣の負担と社会的格差の進行が重くのしかかり、王安石の改革が始まった。
[編集] 日本
平安時代中期から後期の初めにあたる。院政の開始以降を中世に区分する場合がある。
11世紀の前半から中葉にかけては、藤原北家による摂関政治が全盛を極めたが、地方では国司苛政上訴が行なわれ、小領主の有力武士が台頭していた。名目的な寄進荘園に課税するなど税の公平さを保つために荘園整理令が行なわれた。11世紀の後半になると藤原氏の力が及ばない後三条天皇の親政が契機となり、院政がはじまった(院政時代)。荘園公領制はこの院政期を通じて発展していくことになる。
[編集] できごと
- 東ローマ帝国の全盛期。
- セルジューク朝トルコの成立と拡張、東ローマ帝国の衰退始まる。
- 東西教会の分裂と西方でのローマ教皇権の全盛。
- 十字軍遠征の開始。
- ノルマン人の勢力拡大続く。
- 北インドにガズニ朝侵攻、以後北インドイスラム化へ。南インド、チョーラ朝の全盛。
- 北アフリカのムラービト朝台頭。
- 日本では院政の開始。荘園の新立を制止。
- 英語圏最古の大学であるオックスフォード大学創立。
- 1002年 - この頃、紫式部の『源氏物語』が成立。
- 1004年 - 澶淵の盟
- 1006年 - おおかみ座に超新星(SN1006)出現。明るさは太陽と月を除いて史上最高の-9等級と推定される。後世、藤原定家が『明月記』に記録。他各国で記録あり。
- 1016年 - ジャワのクディリ王ダルマヴァンシャが殺害される。
- 1016年 - 藤原道長が摂政となる。
- 1018年 - ダンカン1世がストラスクライド王国の王位を継承し、スコットランドのほぼ全域を支配。バシレイオス2世が第1次ブルガリア帝国を滅ぼし、東ローマ帝国がバルカン半島のほぼ全域を奪回。
- 1018年 - ガズニ朝のマフムードがインド遠征でプラティハーラ朝を滅ぼす。
- 1019年 - 刀伊の入寇
- 1025年 - チョーラ朝のラージェンドラ1世、シュリーヴィジャヤ征討の艦隊を派遣。
- 1031年 - コルドバのカリフ、ヒシャーム3世が死亡し、後ウマイヤ朝滅亡
- 1032年 - チベット系のタングート族が西夏を建国。帝位に李元昊がつく。
- 1037年 - トルコ人トゥグリル・ベク、セルジューク朝を興す。
- 1037年 - クディリのアイルランガ王が東部ジャワ再統一を完成し、カマラギャンに遷都。
- 1046年 - スートリ教会会議で神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世が三教皇の鼎立を終わらせる。
- 1052年 - 日本ではこの年(永承7年)が末法元年とされた。
- 1053年 - 藤原頼通により宇治の平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)が建立される。
- 1054年 - 正教会のコンスタンディヌーポリ総主教とカトリック教会の教皇が相互破門。東西教会の分裂の目安となる事件。(大シスマ)
- 1054年 - 7月4日超新星爆発。後のおうし座の「かに星雲(M1)」
- 1055年 - セルジューク朝軍が、バグダードに入城し、ブワイフ朝の勢力を追い払う。
- 1056年 - ムラービト朝のアブー・バクル・イブン・ウマルが指導者となる(王朝としての成立年代。宗教勢力としては1038年成立とされる)。
- 1058年 - トゥグリル・ベク、スルタンを称す。
- 1066年 - ノルマンディー公ギヨームがイングランドを制圧し、ウィリアム1世として即位(ノルマン・コンクエスト)。ハレー彗星接近。
- 1069年 - 中国の北宋王朝で王安石の改革が始まる。
- 1070年 - 東チャールキヤ王クロトゥンガがクロトゥンガ・チョーラ1世として即位、東チャールキヤ朝がチョーラ朝を継ぐ形で合併される。
- 1071年 - 東ローマ帝国のイタリア最後の拠点バーリがノルマン人に征服される。
- 1071年 - 東ローマ帝国、マンツィケルトの戦いでセルジューク朝に大敗、小アジアにトルコ人が侵入。
- 1077年 - カノッサの屈辱。
- 1077年 - ルーム・セルジューク朝が成立。
- 1077年 - ムラービト朝がガーナ王国を滅ぼす。
- 1081年 - 東ローマ帝国でアレクシオス・コムネノスが反乱を起こし、皇帝に即位(アレクシオス1世コムネノス)。コムネノス王朝の開始。
- 1082年 - 東ローマ皇帝アレクシオス1世が金印勅書でヴェネツィアへの免税特権を認める。
- 1085年 - カスティリア王アルフォンソ6世によるトレド征服。
- 1086年 - 白河天皇が第73代堀河天皇に譲位し、上皇として院政を開始。
- 1086年 - サグラハスの戦いでムラービト軍がカスティリア王アルフォンソ6世を破る。
- 1095年 - セルジューク朝の攻撃を受けていた東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスの救援要請を受け、ローマ教皇ウルバヌス2世がクレルモン教会会議において対イスラム教徒戦への参加を呼びかける。
- 1096年 - 第1回十字軍出発。
- 1099年 - エルサレム攻囲戦で十字軍が勝利。エルサレム王国成立。
[編集] 人物
[編集] キリスト教世界
- バシレイオス2世(958年 - 1025年) - 東ローマ皇帝(在位976年 - 1025年)
- ヤロスラフ1世(賢公)(978年頃 - 1054年) - キエフ大公(在位1016年 - 1054年)
- クヌート(クヌーズ1世)(995年 - 1035年) - イングランド王・デンマーク王・ノルウェー王を兼ねた北海帝国の君主
- ダンカン1世(1001年 - 1040年) - スコットランド王(在位1031年 - 1040年)
- ミカエル1世 (1000年頃 - 1059年) - コンスタンティノポリス総主教(在位1043年 - 1059年)・在任中に相互破門事件起こる
- レオ9世(1002年 - 1054年) - ローマ教皇(在位1049年 - 1054年)・在任中に相互破門事件起こる
- エドワード懺悔王(証聖王)(1004年頃 - 1066年) - イングランドのアングロ・サクソン系国王(在位1042年 - 1066年)
- マクベス(1005年 - 1057年) - スコットランド王(在位1040年 - 1057年)
- ロベルト・イル・グイスカルド(1015年 - 1085年) - ノルマン人傭兵で後に中世シチリア王国を建てるオートヴィル家の首領
- ミカエル・プセルロス(1018年頃 - 1078年頃) - 東ローマ帝国マケドニア朝末期の政治家・哲学者・歴史家として『年代記』を記録
- グレゴリウス7世(1020年 - 1085年) - ローマ教皇(在位1073年 - 1085年)・カノッサの屈辱の勝者
- ウィリアム1世 (1027年 - 1087年) - ノルマンディー公・イングランド王(在位1035年 - 1087年)・ノルマン朝の祖
- アンセルムス(1033年 - 1109年) - カンタベリー大司教・神学者・哲学者であり「スコラ学の父」
- ウルバヌス2世(1035年 - 1099年) - ローマ教皇(在位1088年 - 1099年)・クレルモン教会会議で十字軍を勧請する
- アルフォンソ6世(1040年以前 - 1109年) - レオン国王(在位1065年 - 1109年)・カスティーリャ国王(在位1072年 - 1109年)
- エル・シド(ロドリゴ・ディアス・デ・ビバール)(1045年? - 1099年) - レコンキスタで活躍したカスティーリャの騎士
- アレクシオス1世(1048年 - 1118年) - 東ローマ皇帝(在位1081年 - 1118年)・コムネノス朝の祖
- ハインリヒ4世(1050年 - 1106年) - ドイツ王(在位1056年 - 1105年)・神聖ローマ皇帝(在位1084年 - 1105年)
- ゴドフロワ・ド・ブイヨン(1060年頃 - 1100年) - 第1回十字軍の指導者の一人でエルサレムの初代聖墓守護者
[編集] イスラム世界
- フェルドウスィー(934年 - 1025年) - サーマーン朝・ガズナ朝時代に活躍したペルシャ語詩人・『シャー・ナーメ』を書く
- イブン・スィーナー(980年 - 1037年) - ブハラ出身の哲学者・科学者・医師としては『医学典範』がある
- イブン・アル・ハイサム(965年 - 1040年) - 数学者・天文学者・物理学者・『光学の書』を著し「光学の父」と呼ばれる
- マフムード(971年 - 1030年) - ガズナ朝のスルタン(在位997年 - 1030年)
- ハーキム(985年 - 1021年) - ファーティマ朝第6代カリフ(在位996年 - 1021年)・ドゥルーズ派では救世主とされる
- トゥグリル・ベク(993年 - 1063年) - セルジューク朝初代スルタン(在位1038年 - 1063年)
- イブン・ハズム(994年 - 1064年) - 後ウマイヤ朝時代の法学者・文学者・『諸宗派に関する書』『鳩の頚飾り』の著作がある
- マフムード・カーシュガリー(1005年? - 1102年?) - カラハン朝の王族・アッバース朝に逃れ『テュルク語辞典』をカリフに献呈する
- アブー・バクル・イブン・ウマル(? - 1087年) - ムラービト朝第4代アミール(在位1056年 - 1087年)・ガーナ王国征服
- ユースフ・イブン・ターシュフィーン(1009年? - 1106年) - ムラービト朝第5代アミール(在位1061年 - 1106年)・イベリア半島制圧
- ニザーム・アル・ムルク(1017年 - 1092年) - セルジューク朝全盛期の政治家・宰相・ニザーミーヤ学院を創設
- ユースフ・ハーッス・ハージブ(1018年/1019年頃 - 1092年) - カラハン朝の大侍従・『クタドゥグ・ビリグ(幸福に関する知恵)』を著す
- アルプ・アルスラーン(1029年 - 1072年) - セルジューク朝第2代スルタン(在位1064年 - 1072年)・マンツィケルトの戦いで勝利
- ウマル・ハイヤーム (1048年? - 1131年?) - セルジューク朝時代のペルシアの天文学者・『ルバイヤート』の詩人
- マリク・シャー(1055年 - 1092年) - セルジューク朝第3代スルタン(在位1072年 - 1092年)
- ハサン・サッバーフ(? - 1124年) - イスマーイール派・ニザール派開祖でいわゆる暗殺教団の最初の指導者
[編集] 南アジア・東南アジア
- アティーシャ(982年 - 1054年) - インドのヴィクラマシーラ寺院の学頭・チベットに招かれチベット仏教中興の祖となる
- ラージェンドラ1世(? - 1044年) - 南インドのチョーラ朝の王(在位1016年 - 1044年)
- アイルランガ(? - 1052年?) - ジャワ・クディリ朝の王(在位1019年 - 1052年?)
[編集] 中国と周辺国家
- 寇準(961年 - 1023年) - 北宋の宰相・南遷を拒絶して真宗皇帝の契丹親征を主張し澶淵の盟にもちこむ
- 真宗(968年 - 1022年) - 北宋の第3代皇帝(在位997年 - 1022年)・澶淵の盟を結ぶ
- 聖宗(971年 - 1031年) - 遼の第6代皇帝(在位982年 - 1031年)・澶淵の盟を結ぶ
- 李公蘊(974年 - 1028年) - 李朝大越国の初代国王(太祖)(在位1010年 - 1028年)
- 李元昊(1003年 - 1048年) - 西夏の初代皇帝(景宗)(在位1032年 - 1048年)
- 畢昇(? - 1052年頃) - 北宋の技術者で膠泥活字を用いて印刷を行ったとされる
- 欧陽修(1007年 - 1072年) - 北宋の政治家・詩人・文学者・歴史学者・唐宋八大家の一人
- 蘇洵(1009年 - 1066年) - 北宋の文人で唐宋八大家の一人・蘇軾と蘇轍兄弟の父
- 周敦頤(1017年 - 1073年) - 北宋の儒学者・宋学の祖とされる・『太極図説』の著者
- 曾鞏(1019年 - 1083年) - 北宋の政治家・散文家・唐宋八大家の一人
- 司馬光(1019年 - 1086年) - 北宋の政治家(旧法党)・歴史学者として『資治通鑑』がある
- 王安石(1021年 - 1086年) - 北宋の政治家(新法党)・唐宋八大家の一人
- 沈括(1030年 - 1094年) - 北宋の政治家・学者・『夢渓筆談』は中国の科学技術史の記録として重要
- 程顥(1032年 - 1085年) - 北宋の儒学者・弟の程頤とともに「二程子」と称する
- 程頤(1033年 - 1107年) - 北宋の儒学者・兄の程顥とともに「二程子」と称する
- 蘇軾(1036年 - 1101年) - 北宋の政治家・文人として唐宋八大家の一人・書家として宋の四大家の一人
- 蘇轍(1039年 - 1112年) - 北宋の政治家・文人として唐宋八大家の一人・蘇軾の弟
- 黄庭堅(1045年 - 1105年) - 北宋の文学者・書家・画家・書家・宋の四大家の一人
- 神宗(1048年 - 1085年) - 北宋の第6代皇帝(在位1067年 - 1085年)
- 米芾(1051年 - 1107年) - 北宋の文学者・書家・画家・収蔵家・宋の四大家の一人
[編集] 日本の主要人物
- 藤原道長(966年 - 1027年) - 公卿・摂政・内覧・通称は御堂関白・摂関政治の最盛期
- 藤原公任(966年 - 1041年) - 公卿・寛弘の四納言の一人・『和漢朗詠集』の選者
- 藤原行成(972年 - 1027年) - 公卿・寛弘の四納言の一人・書家で「三蹟」の一人
- 紫式部(973年? - 1016年) - 一条天皇の中宮彰子の女房・『源氏物語』作者
- 藤原伊周(974年 - 1010年) - 公卿・内大臣・長徳の変を起こす
- 藤原隆家(979年 - 1044年) - 公卿・中納言・大宰権帥となり刀伊の入寇を撃退
- 定朝(? - 1057年) - 仏師・宇治の平等院鳳凰堂阿弥陀如来像を造る
- 源頼義(988年 - 1075年) - 武将・河内源氏棟梁・前九年の役を平定
- 藤原頼通(992年 - 1074年) - 公卿・摂政・関白・藤原道長の長男
- 源隆国(1004年 - 1077年) - 公卿・大納言(宇治大納言)・『今昔物語集』などの編纂に関与?
- 安倍貞任 (1019年? - 1062年) - 武将・陸奥国安倍氏の棟梁・前九年の役を起こす
- 藤原経清(? - 1062年) - 豪族・藤原清衡の父
- 後三条天皇(1034年 - 1073年) - 第71代天皇(在位1068年 - 1072年)
- 源義家(1039年 - 1106年) - 武将・河内源氏棟梁・源頼義の長男・後三年の役を平定
- 大江匡房(1041年 - 1111年)- 公卿・儒学者・『江家次第』『遊女記』『傀儡子記』『洛陽田楽記』の著者
- 白河天皇(1053年 - 1129年) - 第72代天皇(在位1072年 - 1086年) - 上皇(法皇)として院政を開始
- 清原家衡(? - 1106年) - 武将・出羽国清原氏の棟梁・後三年の役を起こす
- 藤原清衡(1056年 - 1128年) - 武将・奥州藤原氏の祖・清原家衡は異父弟
- 良忍(1073年 - 1132年) - 僧侶・融通念仏の開祖