カナダ
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- カナダ
- Canada
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(国旗) (国章) - 国の標語 : A Mari Usque Ad Mare
(ラテン語: 海から海へ) - 国歌 : オー・カナダ

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公用語 英語、フランス語 首都 オタワ 最大の都市 トロント 独立
- BNA法
- ウェストミンスター憲章
- カナダ法 (Canada Act)イギリスから
1867年7月1日
1931年12月11日
1982年4月17日通貨 カナダドル ($)(CAD) 時間帯 UTC -3.5 から -8(DST: -2.5 から -7) ccTLD CA 国際電話番号 1
カナダ(Canada)は、北アメリカ大陸北部に位置する英連邦王国の一国たる連邦立憲君主制国家。イギリス連邦加盟国。
目次 |
[編集] 概要
首都はオタワ。世界で2番目に大きい面積の国土をもつ。北に北極海、南にアメリカ合衆国、西に太平洋、米国アラスカ州、東に大西洋、グリーンランドと隣接する。歴史的に先住民族が居住する中、外からやってきた英仏両国の植民地連合体として始まった。その後イギリスからの独立プロセスが1867年から始まり1982年に終わる。
立憲君主制で、連邦政府の運営は議会制民主主義で行われている。世界の先進八カ国(G8)の一国。旧来よりアメリカ合衆国の影響が強く、国際政治で立場を異にすることが多い複雑な関係ながら、隣国のアメリカ合衆国との交流が盛ん。また、1992年、北米自由貿易協定(NAFTA)に加盟し、メキシコを含む北米3国間での交流も促進された。経済面では多様な産業構造を保有しているが、貿易と豊富な天然資源に大きく依存している。
英国放送協会(BBC)がまとめた国際世論調査によると「世界に最も良い影響を与えている国」でカナダが1位(日本と同率)に選ばれた。カナダは世界的に高い好感度を得ている[2]。
[編集] 国名
正式名称は「Canada」、発音は英語で[ˈkʰænədə]フランス語で[kanada]。
日本政府による公式名は「カナダ」[3]。
1982年憲法が制定される前には複数の名称が存在したが、現在は公用語の英語と仏語の双方で「Canada」のみが公式名と定められている[4]。建国時には国号はカナダ王国(Kingdom of Canada)とすることも検討されていた。
また連邦制を強調するため、「カナダ連邦」「カナダ連邦政府」などの呼称が使われることもあるが、これらは主に政治体制を説明する文脈で使われる。
なお日本における漢字表記は「加奈陀」、通常「加」と略す。「加国」「加連邦」とも。ただし「加州」はアメリカ合衆国のカリフォルニア州のことを指し、その省略も「加」である。特に「日加協会」「日加合同〜」などといった名称の団体や事業がカナダとカリフォルニアの双方に多く存在するので混乱を招きやすい。
中国語における表記は「加拿大」であり、日本における表記と同様に「加」と略される。
国名はセントローレンス川流域イロコイ族の「村落」を意味する語「カナタ」("kanata")に由来する。ジャック・カルティエがセントローレンス川流域をカナダと呼ぶようになり、その後地図上でもカナダと表記されるようになった。
[編集] 歴史
ファースト・ネーション(先住民)やイヌイットの言い伝えでは先住民たちは時の始まりからこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部ユーコン準州に26,500年前、南部オンタリオ州には9,500年前に人類がいたことが示されている[5][6]。ヨーロッパ人の到来は西暦1000年にバイキングがランス・オ・メドーに居住したのが初めてであるが、この植民地は短期間で放棄されている。その後、1497年にイングランドのジョン・カボットが大西洋側を探検し[7]、1534年にはフランスのジャック・カルティエがこれに続いた[8]。
1603年に到着したフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランは、1605年に初めてのヨーロッパ人定住地をポートロイヤルに築き、1608年にはケベック をつくっている。これらは後にそれぞれアカディアとカナダの首都となった。 ヌーベルフランスの植民地の中ではカナダ人(Canadiens:フランス系カナダ人)はセント・ローレンス川流域に、アカディア人は現在の沿岸諸州に集中的に居住している。フランス人の毛皮商人とカトリック宣教師たちは五大湖、ハドソン湾そしてミシシッピー川流域からルイジアナを探検した。毛皮貿易路の支配を巡ってフランスとイロコイ族の戦争が起こっている。
イングランドは1610年にニューファンドランド島に漁業基地を設け、南部に13植民地を築いた。1689年と1763年に一連の北米植民地戦争が起こり、その結果、ユトレヒト条約(1713年)でノバスコシアが英国の支配下となり、七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)のパリ条約でカナダとヌーベルフランスの大部分がフランスからイギリスへ割譲された。
1763年宣言はケベックをヌーベルフランスから分離し、ケープ・ブレトン島をノバスコシアに加えた。これはまたフランス系カナダ人の言語と信仰の自由を制限もしている。1769年にセント・ジョーンズ・アイランド(現在のプリンス・エドワード・アイランド州)が独立した植民地となった。ケベックでの紛争を避けるため、1774年にケベック法が制定され、ケベックの領域が五大湖からオハイオ川まで拡大され、ケベックにおいてフランス語とカトリック信仰、フランス民法が許された。これは13植民地の多くの住民を怒らせることになり、アメリカ独立への動因となってしまっている[9]。 1783年のパリ条約によってアメリカの独立は承認され、五大湖南部がアメリカへ割譲された。およそ5万人の王党派がアメリカからカナダへ逃れている[10]。一部の王党派のために沿岸諸州のニューブランズウィックがノバスコシアから分割された。ケベックの英語話者王党派のために1791年法が制定され、フランス話圏のローワー・カナダと英語圏のアッパー・カナダに分割され、各々が独自の議会を持った。
アッパーおよびローワー・カナダは米英戦争(1812年戦争)の主戦場となった。カナダ防衛は英国系北アメリカ人に一体感をもたらした。1815年より英国とアイルランドからの大規模な移民が始まっている。19世紀の初めには材木業が毛皮貿易よりも重要になった。
責任政府を求める1837年反乱が起こり、その後のダールム報告では責任政府とフランス系カナダ人の英国文化への同化が勧告された[11]。1840年憲法法により、アッパーおよびローワー・カナダはカナダ連合に合併した。議会においてフランス系および英国系カナダ人はともにフランス系の権利の復活のために努力している。1849年に英領北アメリカ植民地全土に責任政府が設置された。[12][13]
1846年に英国と米国によるオレゴン条約が結ばれオレゴン境界紛争が終結。これによって、カナダは北緯49度線に沿って西へ境界を広げ、バンクーバー・アイランド植民地(1849年)、そして、ブリティッシュコロンビア植民地(1858年)への道が開かれた。カナダはルパート・ランドと北極圏地域への一連の西部探検を行っている。高い出生率によってカナダの人口は急増した。一方で、英国からの移入は、米国への移出によって相殺されていた。特にフランス系カナダ人がニューイングランドへ移民している。
幾度かの憲政会議の後に、1867年7月1日、1867年憲法法が採択され、オンタリオ、ケベック、ノヴァスコシアそしてニューブランズウィックが統合され「カナダの名の下の一つの自治領」である連邦がつくられた[14] 。カナダはルパートランドと北西地域を合わせたノースウエスト準州を統治することが前提とされている。この地では不満を抱いたメティス(フランス系と先住民の混血)によるレッド・リヴァーの反乱が起こり、1870年7月にマニトバ州がつくられている。ブリティッシュコロンビア植民地とバンクーバーアイランド植民地(1866年に合併)は1871年に、プリンスエドワードアイランド植民地は1873年にそれぞれ連邦に加入している。
保守党のジョン・A・マクドナルド首相 は萌芽期のカナダ産業を守るための関税政策を制定した。西部を開拓するために政府は3本の大陸横断鉄道に出資し(もっとも有名なものがカナダ太平洋鉄道である)、自治領土地法により開拓者のために大平原が解放され、そしてこの地域の治安維持のために北西騎馬警察が設立された。1898年、ノースウェスト準州でのクロンダイク・ゴールドラッシュの後、政府はユーコン準州を設置した。自由党のウィルフリッド・ローリエ政権下ではヨーロッパ大陸からの移民が大平原に定住し、アルバータとサスカチュワンが1905年に州に昇格している。
1914年、英国の宣戦布告に伴いカナダは自動的に第一次世界大戦に参戦し、志願兵を西部戦線へ派遣した。彼らは後にカナダ軍団の一部となり、ヴィミーリッジの戦いやその他の大きな戦いで重要な役割を果たしている。1917年には保守党のロバート・ボーデン首相がフランス語圏ケベックの住民たちの反対にもかかわらず徴兵制を導入して徴兵危機が起こっている。1919年にカナダは英国とは別個に国際連盟へ加盟した。そして、1931年、ウエストミンスター憲章によりカナダの独立が承認された。
1930年代の大恐慌にカナダ国民は大いに苦しめられ、このため社会主義政党の協同連邦党がアルバータとサスカチェワンで福祉制度を実施しており、これは「カナダの医療の父」として知られる1940年代から1950年代のトミー・ダグラス知事の先駆けとなるものであった。1939年12月、自由党のウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング政権は英国の宣戦から三日後に独自に対独宣戦布告をして第二次世界大戦に参戦した。カナダ軍は大西洋の戦い、ディエップの戦い、ノルマンディーの戦いで大きな役割を果たしてナチスドイツ打倒に貢献している。カナダ経済は戦争需要による好景気に活気づいた。1945年の終戦後にカナダは国際連合の原加盟国となった。
この経済成長と自由党政権による一連の政策によって新たなカナダ人アイデンティティが創発された。1965年に現在のカエデの葉の国旗が採用され、1969年には二カ国語公用語が実施、1971年には多文化主義が宣言されている。国民皆保険制度、年金制度、学生ローンといった社会民主主義的諸制度も創設されたが、これらの政策については地方政府、とりわけケベックとアルバータが管轄権の侵害であると反対している。そして最終的には、一連の憲政会議を経て、1982年に英国カナダ法の改正によるカナダ憲法成立が決まり、「権利と自由憲章」がつくられカナダは完全な主権国家となった[15]。同じ時期にケベックではケベック革命によって重大な社会経済の変化が起こり、州におけるナショナリスト運動が生まれていた[16] 。更に過激なケベック解放戦線によるオクトーバー・クライシスが1970年に引き起こされた。10年後の1980年に連邦からの分離に関する住民投票が行われたが拒否され、1989年には憲法改正も試みられたが失敗している。1995年に二度目の住民投票が行われたが、50.6%対49.4%の小差で拒否された[17] 。1997年に最高裁から州による一方的な連邦脱退は違憲であるとの判断が下され、交渉による連邦からの脱退を規定した法律が定められた[17]。
カナダは1950年代から1990年代にかけて数多くの国連平和維持活動に参加しており、2001年にはNATO主導のアフガニスタン紛争にも派兵している。一方で、イラク戦争への参加は拒否した。国内の先住民問題ではオカ、イペルウッシュ、ガスタフセン湖で土地問題を巡り様々な法廷闘争と幾度かの暴力沙汰が起き、1999年にカナダ政府はイヌイットの自治政府であるヌナブト準州をつくり、ブリティッシュコロンビアでは土地問題でニスカ族との最終合意に達している。2008年には首相が先住民を対象とした寄宿学校問題(en)で過去の政府の行いに対する謝罪をしている。
[編集] 地理
詳細はカナダの地理 (Geography of Canada) を参照
北アメリカ大陸の北半分を占める。南および西はアメリカ合衆国と接する。東は大西洋、デイビス海峡、西は太平洋、北はボーフォート海、北極海に面する。
ロシアに次いで2番目に面積が大きい国であり、北アメリカ大陸の約41%を占めている。人口密度は3.2人/km2とかなり少ないが、国土の多くは北極圏内にあるため人の住める地域も面積に比して極端に少ない。
カナダ人の80%はアメリカとの国境から200km以内に住んでおり、人口の約40%がオンタリオ州に集中している。それにウィニペグ湖からロッキー山脈に続く広大なプレーリー地域である。大半のカナダ人は、アメリカとカナダ国境線に沿って約500キロ幅の細長い帯状に住んでおり、このため、カナダは東西に延びる「北米のチリ」とも称される。 人口が最も多い地域は五大湖、セントローレンス川周辺である。その北にはカナダ楯状地が広がる。
カナダの領土の54%は森林で占められている。
[編集] 政治
詳細はカナダの政治 (Politics of Canada) を参照
政体は立憲君主制である。公式にはイギリス女王が国家元首(但しイギリス女王とは別人格扱い)となる。カナダでは「カナダ女王陛下」と呼ばれている[18]。ただし、形式的にはカナダ総督が女王の代理を務め、また実質的な首長は、総選挙により選出される連邦政府の首相である。政府は、議院内閣制を採用している。カナダは、歴史的に各州の合意により連邦が設立された経緯があることから、州に大幅な自治権が認められており、それぞれの州に首相、内閣及び議会がある。このためカナダにおける政治とは、州政府対連邦政府の駆け引きそのものということもできる。
現行のカナダの憲法は1982年に施行されたため「1982年憲法」と呼ばれている。この憲法により、二言語多文化主義・ケベック州の特殊性・原住民居留地の特殊性などが認められている。
オタワにある議会は二院制で、上院105名、下院308名。
詳細は「カナダ議会」を参照
主な政党には中道右派・保守主義のカナダ保守党、中道左派・リベラリズムのカナダ自由党の二大政党と、中道左派・社会民主主義政党の新民主党、ケベック州の地域政党である左派のブロック・ケベコワ、環境保護主義のカナダ緑の党がある。
1993年の下院総選挙で、与党・進歩保守党が改選前の169議席のうち167議席を失うという大惨敗を喫したことは、議会制民主主義が発達している先進国の政権与党が壊滅的な敗北を喫した例として、小選挙区制のモデルケースの一つとなる歴史的選挙であった。
英連邦に加盟している。また、英語圏の一員として国際諜報網「UKUSA」 (UKUSA) (アングロサクソン・ネットワーク)に加盟している。
一般的にアメリカ合衆国よりもリベラルな国民性で知られ、1960年代のベトナム戦争時には徴兵を逃れるためにカナダへ移住する若年男性が大量発生し、2004年にジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領が再選された時にはアメリカから多数のリベラル派市民が移民申請を行ったことが話題になった。また、死刑制度を廃止している。
医療費無料政策が国費を圧迫しているという議論もあるが、カナダの良き伝統として残すべきであるという意見が強い[要出典]。実際にカナダは医療費を無料にしたまま、財政の黒字化に成功している。
[編集] 地方行政区分
詳細は「カナダの州」を参照
カナダは10の州(プロビンス、province)と3つの準州(テリトリー、territory)に区分されている。
| 名称 | 人口(人) | 州都/主府/本部 | 備考 |
|---|---|---|---|
|
British Columbia
|
4,254,500 |
Victoria
|
|
|
Alberta
|
3,256,800 |
Edmonton
|
|
|
Saskatchewan
|
994,100 |
Regina
|
|
|
Manitoba
|
1,177,600 |
Winnipeg
|
|
|
Ontario
|
12,541,400 |
Toronto
|
|
|
Québec
|
7,598,100 |
Ville de Québec
|
|
|
New Brunswick / Nouveau-Brunswick
|
752,000 |
Fredericton
|
|
|
Nova Scotia
|
937,900 |
Halifax
|
|
|
Newfoundland and Labrador
|
516,000 |
St. John's
|
|
|
Prince Edward Island
|
138,100 |
Charlottetown
|
|
|
Yukon Territory
|
31,200 |
Whitehorse
|
|
|
Northwest Territories
|
42,800 |
Yellowknife
|
|
|
Nunavut
|
28,300 |
Iqaluit
|
[編集] 主要都市
| 都市 | 行政区分 | 人口 | 都市 | 行政区分 | 人口 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | トロント | オンタリオ州 | 5,113,149 | 11 | キッチナー | オンタリオ州 | 451,235 | |||
| 2 | モントリオール | ケベック州 | 3,635,571 | 12 | セントキャサリンズ | オンタリオ州 | 390,317 | |||
| 3 | バンクーバー | ブリティッシュコロンビア州 | 2,116,581 | 13 | ハリファックス | ノバスコシア州 | 372,858 | |||
| 4 | オタワ | オンタリオ州 | 1,130,761 | 14 | オシャワ | オンタリオ州 | 330,594 | |||
| 5 | カルガリー | アルバータ州 | 1,079,310 | 15 | ビクトリア | ブリティッシュコロンビア州 | 330,088 | |||
| 6 | エドモントン | アルバータ州 | 1,034,945 | 16 | ウィンザー | オンタリオ州 | 323,342 | |||
| 7 | ケベック | ケベック州 | 715,515 | 17 | サスカトゥーン | サスカチュワン州 | 233,923 | |||
| 8 | ウィニペグ | マニトバ州 | 694,668 | 18 | レジャイナ | サスカチュワン州 | 194,971 | |||
| 9 | ハミルトン | オンタリオ州 | 692,911 | 19 | シェルブルック | ケベック州 | 186,952 | |||
| 10 | ロンドン | オンタリオ州 | 457,720 | 20 | セントジョンズ | ニューファンドランド・ラブラドール州 | 181,113 | |||
| 2006年国勢調査 | ||||||||||
[編集] 軍事
詳細は「カナダ軍」を参照
[編集] 経済
詳細は「カナダの経済」を参照
20世紀初めまで経済の主体は農業だったが、現在では世界有数の先進工業国となった。工業は自動車産業や機械産業が成長し、近年はIT産業が発展してきている。
[編集] 鉱業
鉱物資源に非常に恵まれており、世界シェア10位に入る鉱物が17種ある。以下では2003年時点の統計データに基づく。有機鉱物資源では、天然ガス(6565千兆ジュール、3位)、燃料となる褐炭(3695万トン、9位)のほか、石炭(2954万トン)と原油(9111万トン)の産出量も多い。ダイヤモンドの産出量も1120万カラットに及び、世界第6位である。
金属資源では、 ウラン鉱(1万トン、1位、世界シェア29.2%)、カリ塩鉱(820万トン、1位、世界シェア30.9%)、 イオウ(903万トン、2位)、鉄鉱(1980万トン、3位)、銀鉱(1309トン、3位)、タングステン鉱(2750トン、3位)、ニッケル鉱(16万トン、3位)、亜鉛鉱(100万トン、4位)、コバルト鉱(4304トン、5位)、塩(1335万トン、5位)、鉛鉱(15万トン、5位)、金鉱(141トン、7位)、アンチモン鉱(143トン、8位)、銅鉱(56万トン、8位)が特筆される。このほか、マグネシウム鉱、リン鉱も採掘されている。
[編集] 貿易
最大の貿易相手国はアメリカで、輸出の5分の4以上、輸入の約3分の2を占める。鉱物、木材、穀物は現在も重要な輸出品だが、近年は工業製品が中心となっている。アメリカへの輸出品で最も多いのは、自動車と関連部品である。1989年にアメリカとのFTAが発効し、1994年にはメキシコも加わってNAFTAが結ばれた。アメリカ以外の主要輸出相手国は日本、イギリス、中国、メキシコ、ドイツ、イタリア。主要輸入相手国は中国、メキシコ、日本、イギリス、ドイツである。主要輸出品は、自動車および自動車部品、精密機器、原油、天然ガス、金属および金属製品、産業用機械、通信機器、化学製品、木材、パルプ、小麦、魚類(サケ類、イクラ、マグロ等)、メープルシロップなど。輸入品は自動車部品、自動車、機械、化学製品、コンピューター、原油、通信機器などである。
[編集] 通貨
カナダでは唯一の発券銀行として中央銀行のカナダ銀行があり、通貨カナダドルを発行、管理している。1ドル=100セントである。
[編集] 国民
[編集] 言語
英語(カナダ英語を参照)とフランス語が1982年憲法によって認められている公用語である。1969年に連邦政府における英語とフランス語の地位の同等性が認められた。2006年センサスにると、国民の 59.7%が英語、 23.2%がフランス語を母国語としている。98.5% が英語かフランス語のどちらかを話し(67.5%が英語のみを、13.3%がフランス語のみを、17.7%が両言語を話すことができる。) フランス語が主に使われている地域はケベック州、オンタリオ州、ニューブランズウィック州のアカディア人の多い地域、およびマニトバ州の南部である。このうち、ケベック州はフランス語のみを、ニューブランズウィック州は英語とフランス語を公用語とし、他州は英語のみを公用語としている。
なお、ユーコン準州では英語とフランス語が、ヌナブト準州では英語、フランス語、イヌクティトゥット語、イヌイナクトゥン語が、ノースウエスト準州では英語、フランス語、イヌクティトゥット語、イヌイナクトゥン語、クリー語、ドグリブ語、チペワイアン語、サウススレイビー語、ノーススレイビー語、グウィッチン語、イヌビアルクトゥン語も公用語となっている。
公用語以外の言語を使う住民も600万人ほどおり、中国語(広東語が多い)の話者が101万人、イタリア語が45万人、ドイツ語が44万人、などである。また先住民の中には個々の部族の言語を使うものもいるが、多くの言語はだんだんと使われなくなっていく傾向にある。
英語とフランス語が公用語であるバイリンガル国家ではあるものの、実際に両言語のバイリンガルな国民は少なく、特にカナダ西部ではフランス語はほとんど通用しない。
[編集] 人種
住民は、イングランド系21%、フランス系15.8%、スコットランド系15.2%、アイルランド系13.9%、ドイツ系10.2%、イタリア系5%、中国系4%、ウクライナ系3.6%、、オランダ系3.3%、ポーランド系3.1%、インド系3%である。また、3.8%のカナダ人が先住民族の血を引くと2006年に回答している。3分の1の国民が自らの民族をカナダ人であると主張しているが、これは、移民の出身国の民族意識よりも、民族的アイデンティティそのものはもはやカナダ人であると主張する人たちであり、大多数はイギリス系とフランス系であると思われる。先住民族を除く非白人の割合は16.2%である。
国勢調査によると人種別構成は2006年調査時点では下記の通り。
カナダとアメリカの人種構成の違いは、もともと黒人奴隷がほとんど存在しなかったために黒人(2.5%)が非常に少なく、イギリス系、フランス系が人口の半数を占めていることである。アメリカと同じくアイルランド系とドイツ系も多いが、ウクライナ系が非常に多いのが特徴で、ウクライナ・ロシア以外では最大規模である。このように、白人が多かったカナダであるが、近年の移民は大きくアジア出身国に偏っており、大都市を中心にアジア系の割合が急増している。特にバンクーバーとトロントは巨大なアジア系人口を抱え、この2都市では白人は人口の半数弱を占めるに過ぎない。一方、アフリカ系は主に、トロント、モントリオールに集中している。1999年に中国系のアドリエンヌ・クラークソン、続く2005年にアフリカ系のミカエル・ジャンが総督に就任するなど、リベラルな国民性も合わせて人種には寛容な姿勢を示している。世界中から多くの移民・難民の受け入れにも積極的であり、治安も安定しているためにアメリカやオーストラリア、ヨーロッパ諸国などに比べても有色人種に対する差別的態度は比較的小さいと言える。
[編集] 宗教
詳細はカナダの宗教 (Religion in Canada) を参照 2001年の国勢調査によると、キリスト教徒が多数(77%)を占める。内訳はカトリックが43.6%、プロテスタントが29.2%、正教会・東方諸教会が1.6%。
ムスリムが2%、ユダヤ教徒が1.1%、仏教徒が1.0%、ヒンドゥー教徒が1.0%、シーク教徒が0.9%。無宗教は16.2%である。
[編集] 文化
詳細はカナダの文化 (Culture of Canada) を参照
[編集] 文学
日本で人気のある『赤毛のアン』の作者L・M・モンゴメリはカナダの文学者である。またサイバーパンクSFの雄であるウィリアム・ギブソンはアメリカ合衆国出身だが、徴兵拒否のためにカナダに移住したため、「カナダの作家」として扱われることがある。また、マーガレット・アトウッドもカナダの作家である。
[編集] クラシック音楽
独創的なバッハ解釈で名高いグレン・グールドはトロント生まれである。また、モントリオール交響楽団はシャルル・デュトワが指揮者を務めている間に実力を高め、北米大陸屈指のオーケストラとして知られるようになった。
作曲家のマリー・シェーファーは、日本においてはサウンドスケープの提唱者としての側面の方が著名かもしれない。日本では近年、合唱界を中心に人気を集めており、中でも「魔法の歌(マジック・ソングズ)」「ガメラン」などがよく演奏されている。
[編集] 世界遺産
カナダ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が5件、自然遺産が6件ある。さらに米国とにまたがって2件の自然遺産が登録されている。
詳細は「カナダの世界遺産」を参照
[編集] 祝祭日
| 日付 | 祝祭日 (英語 / 仏語) |
備考 |
|---|---|---|
| 1月1日 | 元日 New Year's Day jour de l'An |
法令による。 |
| 復活祭の直前の金曜日 | 聖金曜日 Good Friday vendredi saint |
法令による。4月になることが多い(イースターを参照)。 |
| 復活祭の翌日 | イースター・マンデー Easter Monday lundi de Pâques |
4月になることが多い(イースターを参照)。 |
| 5月25日の直前の月曜日 | ビクトリア女王誕生日 Victoria Day fête de la Reine |
ビクトリア女王の誕生日と現在の国王誕生祭(Sovereign's birthday、fête de la Reine、王朝節)。[19]法令による。ケベック州では、パトリオットの祝日(fête des patriotes)と同じ日に祝う。パトリオットの祝日は、愛国者の反逆(Patriotes Rebellion)の記念日。 |
| 7月1日 | カナダ・デー Canada Day fête du Canada |
カナダ建国記念日。法令による。1867年の3つの植民地の自治開始を記念する日。 |
| 9月の第1月曜日 | レイバー・デー Labour Day fête du travail |
法令による。労働者の日。 |
| 10月の第2月曜日 | 感謝祭 Thanksgiving action de grâce |
法令による。アメリカとは異なる月に祝う。 |
| 11月11日 | リメンバランス・デー Remembrance Day jour du souvenir |
第一次世界大戦終結の記念日。州によって祝日では無い事がある。 |
| 12月25日 | クリスマス Christmas Noël |
法令による。 |
| 12月26日 | ボクシング・デー Boxing Day lendemain de Noël |
法令による。 |
[編集] スポーツ
英連邦の一員であるカナダであるが、スポーツ文化においては旧宗主国イギリスの影響はあまり残っていない。隣国アメリカ合衆国とも一線を画す独自のスポーツ文化が存在する。
[編集] アイスホッケー
アイスホッケーは現在カナダで最も盛んなスポーツであり、国技にも制定されている[20]。カナダの国土はアイスホッケーに非常に適した自然環境であり、冬の間は子供から大人までが娯楽でアイスホッケーを楽しむという人も多い。約58万人のカナダ人がアイスホッケーの競技者登録をしており、カナダ国内にはホッケー選手230人に一つの割合でインドアのアイスホッケーリンクが存在している[21]。
北米最大のプロリーグであるNHLは1917年にカナダで設立され、その後アメリカ合衆国へと拡大した。現在カナダ6チーム、アメリカ合衆国24チームの計30チームからなる。NHL選手の半数以上がカナダ人である[21]。アメリカ合衆国ではNFL、MLB、NBAに次ぐ4番手に位置づけられるNHLだが、カナダでは絶大な人気を誇る。特にカナダ最大の都市トロントを本拠地とするトロント・メープルリーフスと第二の都市モントリオールを本拠地とするモントリオール・カナディアンズは宿命のライバルとして知られている。NHLの優勝決定トーナメントであるスタンレー・カップにカナダのチームが勝ち進むと大きな盛り上がりを見せる。オリンピックでは初採用となった1920年のアントワープ五輪から1952年のオスロ五輪まで7大会で金メダル6度、銀メダル1度の圧倒的強さを誇っていたが、ソビエト連邦や欧州諸国の台頭に伴い、長らく金メダルから遠ざかった。2002年のソルトレイクシティ五輪では久しぶりの金メダルを獲得した。
[編集] カナディアンフットボール
カナディアンフットボールはカナダでは単にフットボールと呼称し、隣国アメリカ合衆国で盛んなアメリカンフットボールに非常によく似たスポーツである。カナダではアイスホッケーに次いで人気のあるスポーツであり[22]、国内8チームからなるプロリーグカナディアン・フットボール・リーグ(CFL)の優勝決定戦グレイ・カップはカナダ最大のスポーツイベントである[23]。CFLはアメリカ合衆国への拡大を何度も試みているが、現時点では失敗に終わっている。ラスベガスなどのNFLチームのない都市がCFLチームを登録しているが、観客動員が振るわず財政難に陥り、現在休止中となっている。
[編集] 野球
野球は隣国アメリカ合衆国の影響を受け、カナダでもポピュラーなスポーツの1つである。カナダ最大の都市トロントを本拠地とするメジャーリーグベースボール(MLB)のトロント・ブルージェイズ(1977年設立、アメリカンリーグ東地区)は米国外に本拠地を置く唯一の球団である。ブルージェイズは世界初の本格的開閉式ドーム球場ロジャース・センター(旧称スカイ・ドーム)を本拠地としており、1992年、1993年にはワールドシリーズを連覇した。当時はブルージェイズがMLB屈指の強豪球団であったため、1991年にはMLB史上初めて年間観客動員が400万人を突破した(1993年まで継続)。しかし、近年のブルージェイズは成績・観客動員共に低迷状態にある。また、かつてはカナダに本拠地を置くもう1つの球団としてモントリオール・エクスポズ(1969年設立、ナショナルリーグ東地区)が存在したが、フランス語圏であるモントリオールは英語圏に比べて野球の認知度が低く、慢性的な財政難に悩まされていた。結局、エクスポズは2005年にワシントンD.C.に移転した。カナダ出身の野球選手では、ラリー・ウォーカー、ジャスティン・モルノー、ジェイソン・ベイらが有名である。
[編集] バスケットボール
バスケットボールもアメリカ合衆国の影響でカナダの人気スポーツの1つとなっている。特にノバスコシア州やオンタリオ州の南部で盛んである。トロントを本拠地とするNBAトロント・ラプターズ(1995年設立)は現在米国外に本拠地を置く唯一のNBAチームである。ラプターズの設立と時を同じくして、バンクーバーにもバンクーバー・グリズリーズが設立されたが、こちらは観客動員の低迷による経営難に悩まされ、2001年にメンフィスへと移転した。
[編集] その他
旧宗主国イギリスの国技の1つであるサッカーの人気は隣国アメリカ合衆国と同様あまり高くない。しかし、近年は認知度が高まりつつある。2007年にはメジャーリーグサッカー(MLS)で初めて米国外を本拠地とするトロントFCが誕生し、2011年にはバンクーバーMLSも誕生予定である。
また、ラクロスはカナダの夏季の国技に制定されているスポーツである。
[編集] 脚注
- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ^ 日本経済新聞サイト 2007年3月10日 [2]
- ^ "日本国外務省 | 北米 | カナダ". 2008-05-23 閲覧。
- ^ "Canada Act 1982 | Constitutional Act, 1982". 2008-05-23 閲覧。
"Loi de 1982 sur le Canada | Loi constitutionnelle de 1982". 2008-05-23 閲覧。 - ^ Cinq-Mars, J. (2001). “On the significance of modified mammoth bones from eastern Beringia” (PDF). The World of Elephants - International Congress, Rome. 2006-05-14 閲覧。
- ^ Wright, J.V (September 27, 2001). "A History of the Native People of Canada: Early and Middle Archaic Complexes". Canadian Museum of Civilization Corporation. 2006-05-14 閲覧。
- ^ “John Cabot”. Encyclopædia Britannica Online. Encyclopædia Britannica.
- ^ “Cartier, Jacques”. World book Encyclopedia. World Book, Inc.. ISBN 071660101X.
- ^ "Wars on Our Soil, earliest times to 1885". 2006-08-21 閲覧。
- ^ Moore, Christopher (1994). The Loyalist: Revolution Exile Settlement. Toronto: McClelland & Stewart. ISBN 0-7710-6093-9.
- ^ David Mills. "Durham Report". Historica Foundation of Canada. 2006-05-18 閲覧。
- ^ Canadian Cofederation: Responsible Government|publisher=Library and Archives Canada
- ^ Library and Archives Canada Canadian Cofederation: Responsible Government
- ^ Farthing, John (1957). Freedom Wears a Crown. Toronto: Kingswood House. ASIN B0007JC4G2.
- ^ Bickerton, James & Gagnon, Alain-G & Gagnon, Alain (Eds). (2004). Canadian Politics, 4th, Orchard Park, NY: Broadview Press. ISBN 1-55111-595-6.
- ^ Bélanger, Claude (August 3, 2000). "Quiet Revolution". Quebec History. Marionopolis College, Montreal. 2008 閲覧。
- ^ a b Dickinson, John Alexander; Young, Brian (2003). A Short History of Quebec, 3rd, Montreal: McGill-Queen's University Press. ISBN 0-7735-2450-9.
- ^ Golden Jubilee: Biography Royal Style and Titles Act ( R.S., 1985, c. R-12 ) Royal Style and Titles Act
- ^ Victoria Day
- ^ アイスホッケーは冬季の国技。夏季の国技はラクロスである
- ^ a b アイスホッケー・ワールドカップ2004を終えて,メープルタウン・バンクーバー,2009年9月10日閲覧
- ^ Canadian Press (2006-06-08). "Survey: Canadian interest in pro football is on the rise". Globe and Mail. 2006-06-08 閲覧。
- ^ William Houston (2006-12-20). "Grey Cup moves to TSN in new deal". The Globe And Mail. 2006-12-23 閲覧。
[編集] 関連項目
- カナダ関係記事の一覧
- カナダ人の一覧
- 北米自由貿易協定
- ヌーヴェル・フランス
- ルパートランド
- アカディア
- ニューファンドランド島、ニューファンドランド・ラブラドール州
- ハドソン湾会社
- カナダにおける売春
[編集] 外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 日本外務省 - カナダ (日本語)
- 在カナダ日本国大使館 (日本語)
- 観光
- その他
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