ラトビア

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ラトビア共和国
Latvijas Republika
ラトビアの国旗 ラトビア共和国国章
国旗 (国章)
国の標語:Tēvzemei un Brīvībai
ラトビア語、「祖国と自由のために」)
国歌Dievs, svētī Latviju!
(ラトビアに幸いあれ!)
ラトビアの位置
公用語 ラトビア語
首都 リガ
最大の都市 リガ
政府
大統領 アンドリス・ベールジンシュ
首相 ライムドータ・ストラウユマ
面積
総計 64,589km2121位
水面積率 1.5%
人口
総計(2013年 2,014,000人(138位
人口密度 36人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(xxxx年 xxx,xxxユーロ
GDP(MER
合計(2008年 340億[1]ドル(87位
GDP(PPP
合計(2008年 387億[1]ドル(96位
1人あたり 17,071[1]ドル
独立
 - 日付
ロシア帝国から
1918年11月18日
ソビエト連邦から
1990年5月4日
通貨 ユーロEUR
時間帯 UTC (+2)(DST:(+3))
ISO 3166-1 LV / LVA
ccTLD .lv
国際電話番号 371

ラトビア共和国(ラトビアきょうわこく)、通称ラトビアLatviaラトビア語: Latvija)は、バルト海に面するヨーロッパ北東部に位置する共和制国家第一次世界大戦後の1918年に独立。その後1940年ソビエト連邦に占領された。リトアニアエストニアとともにバルト三国と呼ばれる。1991年にソ連から独立を回復。エストニアリトアニアロシアベラルーシ国境を接する。

国名[編集]

正式名称はラトビア語で、Latvijas Republika。通称、Latvija

公式の英語表記は、Republic of Latvia。通称、Latvia

日本語の表記は、ラトビア共和国。通称、ラトビア

国名の「ラトビア」は、バルト人の一派であるラトガレ人 (Latgaliansに由来する。

歴史[編集]

政治[編集]

国会議事堂

政体共和制である。議会 (サエイマ Saeima) は、一院制で定員100議席、任期は4年である。大統領は、議会内での選挙で選ばれ、任期は4年である。

主な国内問題としては、国内に居住するロシア人への処遇問題がある。ソ連時代からラトビア領内に住む非ラトビア人に対しては、ラトビア国籍取得に際して軒並みラトビア語試験などを課し、民族主義的な側面が多々あり、2009年現在35万人のロシア人が無国籍である。最大のマイノリティであるロシア系市民やロシアが頻繁にこのことに関する改善を要求し、EU加盟委員会も加盟に際してこの問題の改善を促した。

他方、首都リガではロシア語生活者が半数近くを占めるなど文化としてのラトビアの存続に危機感が募る中、EU加盟後の現在でもロシアはこの問題を外交カードとして使っており、ラトビアにとっては非常に悩ましい問題である。

EU加盟後も、ロシアと国境問題が存在した。これは併合前の国境を主張していたためで(ラトビアはロシア西部プスコフ州の一部の領有権を主張)、ロシアとの国境は暫定国境になっていたが、両国の関係改善を求めるEUの働きかけもあり、最終的にはラトビア側が要求を取り下げ、2007年3月27日にロシアとの国境画定条約に調印した。

なお、平時の死刑は廃止されているが、軍法戦時における死刑が規定されており、現在、EU加盟国の中で唯一、死刑が完全に廃止されていない国家である(他のEU加盟国は戦時も含め、死刑を全廃している)。

軍事[編集]

ラトビア共和国陸軍

陸海空の三軍及び郷土防衛隊からなる国軍を有する。国軍以外の準軍事組織としては内務省の国境警備隊がある。

第二次世界大戦中は独ソ戦初期に占領され、枢軸側に多くの兵士を供出した。たとえば武装親衛隊の第15SS武装擲弾兵師団および第19SS武装擲弾兵師団はラトビア人で構成されていた。枢軸側の敗戦から1991年の再独立まではソ連領であり、1998年9月までソ連軍が駐留していた。2004年には北大西洋条約機構に加盟した。再独立後の1992年より徴兵制をしいていたが、2007年1月1日より完全志願制に移行した。

地方行政区分[編集]

ラトビアの行政区分

ラトビアは、110の基礎自治体と9つの直轄市で構成されている。2009年7月1日の行政区画再編以前は26の地区と7つの直轄市があった。

地理[編集]

ラトビアの地図

主な都市は:

経済[編集]

首都リガ

IMFによると、ラトビアの2011年国内総生産(GDP)は282億ドルで[2]、これは日本のほとんどの都道府県より少ない。また、同年の一人当たりのGDPは1万6805ドルである。

ソ連時代には、重工業が盛んで、ソ連域内屈指の工業地域であった。当時ソ連内を走る電車の約9割がラトビアのリガ車両製作工場製であったともと言われていた。また、電機メーカーのVEFを始め多くの工場が立地していたが、独立回復後の市場経済化の流れの中で、工業拠点の多くが軒並み放棄され、現在も廃墟のまま残るなど、ソ連時代の産業はほとんど継承されなかった。結果として、現在では国際的に競争力のある基幹産業と呼べるものは見当たらず、木材加工金属などの産業がラトビアの産業を支えている。

ソ連崩壊以降、経済の混乱によりインフラの整備や開発の遅れが目立っていたが、近年になり、不動産金融・製造業等の分野に対する外国(ドイツスウェーデン英国、ロシア等)からの直接投資が活発になって、EU域内で最も高い成長率を記録するなど、リガを中心に経済成長が著しかった。しかし、実体経済に基づかないバブル的な経済事情と、ずさんな審査のもとに組まれた大量の不良融資やローンは、ラトビアを2008年の全世界的な恐慌のあおりを最も酷く受けた国の一つとする結果に至った。国内第二位のパレックス銀行は多額の負債を抱えたまま1ラッツで国有化され、政府もIMFに対して緊急融資の要請をした。2009年には経済が18%も落ち込んだが、その後の政府による厳格な緊縮財政は欧州連合 (EU) から高い評価を受けた。この結果、2013年7月のEU財務相理事会でラトビアのユーロ導入が承認され[3]、翌年1月1日から旧来のラッツに代わって流通がはじまった[4]

他方で、都市部ではインフレ率が大幅な上昇傾向にあることに加え、主な投資先がリガやその周辺に集中するなど地域間の格差が拡大しており、ラトビア経済が抱える最も大きな課題のひとつとなっている。

ここ数年[いつ?]、リガは、旧市街を中心に観光業が活発化しており、外資系ホテルの参入や新規航空路線の拡充とともに観光客が増加しているものの、リガ以外では観光開発が十分でなく、観光業でも地方とリガの間の格差が広がりつつある。

世界遺産にも登録されている旧市街地を中心とする地区は、景観保護のため高層ビルの建設が認められておらず、高層ビルは少ない。市内にある高層ビルはいずれも、そうした規制のなかったソ連時代に建設されたものである。これらのビルのうち、旧市街北部にある環境省等が入居するビルは、景観回復のため取り壊しも含め議論されている。

通信[編集]

他のバルト地域と同様、都市部ではインターネット接続環境が整備されている。特に公衆無線インターネット接続網は、リガ都心部を中心にアクセス可能地域が急速に拡大されているほか、光ファイバー網も整備され始めている。

交通[編集]

リガ国際空港から飛び立つエア・バルティックの旅客機

ラトビア最大のリガ国際空港は、バルト三国の中で最も航空路線・利用客数が多く、この地域でのハブ空港として機能している。最近では、夏季のみだが、リエパーヤのリエパーヤ国際空港への定期航空路の開設があり、独立回復後初の国内定期便(リガ⇔リエパーヤ)が就航したほか、数十年ぶりとなる地方空港を発着する国際定期便も就航した。2008年からは、クルゼメ地方の港湾都市ヴェンツピルスとリガを結ぶ定期便も復活した。

リガ市内の交通機関はトラム、トロリーバス、バスの3つで、距離の大小関係なく値段は共通して0.70ls。2006年までは0.20lsだった。

国民[編集]

民族[編集]

民族構成[5]
ラトビア人
  
62.1%
ロシア人
  
26.9%
ベラルーシ人
  
3.3%
ウクライナ人
  
2.2%
ポーランド人
  
2.2%
リトアニア人
  
1.2%
その他
  
2.1%

2011年現在の民族別住民構成は、ラトビア人が62.1%、ロシア人が26.9%、ベラルーシ人が3.7%、ウクライナ人が2.3%、ポーランド人が 2.4%、リトアニア人 (Lithuaniansが1.4%である。その他ラトガリア人 (Latgaliansリヴォニア人が生活している。

非国籍者問題[編集]

ラトビア移民帰化局によると、ラトビアの人口は約230万人であるが、ラトビア国籍保有者は約180万人、外国籍保有者が3〜4万人である。そして、残りの約45〜50万人のソ連時代から帰化せずに永住してきた移民は非国籍者(無国籍)という扱いになっている。彼らは、文字通り国籍がどの国からも付与されていないため、ソ連時代のラトビア国内で出生し一度も国外へ出たことがない場合でも、帰化しない限りラトビア国籍保有者となることができず、また、他国の国籍保有の条件を満たしているわけでもない(または、生活の便宜上そうすることを希望していない)ため、いずれの国からも国民としての扱いを受けることができない。

したがって、彼らは選挙権をはじめとするさまざまな市民権の行使ができない場面があり、人道的観点から、ラトビアにおける最も重大な政治問題のひとつとして解決が望まれている。この問題に対しては、ロシア(非国籍者の多くはロシア系住民)のみならず欧州の人権担当機関からも再三にわたり改善を促されているが、非ラトビア系住民のラトビア社会への帰化に危機感を持っているラトビア当局はいまだに抜本的な解決策を示さない状況が続いている。一方でビザ無し訪露が可能である。

こうした状況を作り上げた歴史的事実としては、1991年、ラトビアがソ連から独立を回復した際、ソ連への併合(1940年)以前の国民と、その直系子孫にのみ自動的に「ラトビア」国籍の旅券が付与された。それ以外の、ソ連時代にラトビアへ移民してきたロシア語を母国語とするロシア人に付与されなかったが、ラトビアで産まれた彼らの子供には片親の要請だけで国籍が付与されている。彼らは帰化せずに永住し続けてソ連政府が発給した旅券をそのまま使用していたが、1997年から、ラトビア政府が発給する「Alien Passport(非国籍旅券)」への切り替えが義務づけられ、「非国籍者」と定義されるようになった。

言語[編集]

言語話者(ラトビア)
ラトビア語
  
58%
ロシア語
  
38%
その他
  
4%

言語はラトビア語国語公用語であるが、リガなどの都市部ではロシア語系住民(ロシア人、ベラルーシ人等)が多く、ロシア語の使用率も高い。話者は少数であるものの、ラトヴィア語に近いラトガリア語及びウラル語族のリヴォニア語も法律によって権利を保障されている。 母国語話者の割合は公用語ラトビア語58.2%、ロシア語 37.5%である。ラトビア人の71%がロシア語を話すことができ、ロシア人の52%がラトビア語を話すことができる。 国籍取得の条件にラトビア語習得が義務付けられているため、ロシア系住民によるラトビア語話者数が増加した。

バルト三国の中で、最もロシア人人口が多いため、ロシア語人口が多い。特に首都リガでは人口の41.7%(2008年)はロシア人であり、人口の半数近くを占め、ラトビア人(42.3%)とほぼ同数となっている。ロシア語以外の外国語習得率も高い。世代によって話せる言語が異なり、中高年はロシア語、ラトビア語に加えてドイツ語が、対して青少年はロシア語、ラトビア語、のほか英語が話せるものの割合が高いが青少年はドイツ語が話せない事が多い。

若い世代や地方に住むラトビア人を中心にロシア語を理解できない者も増えているが、依然としてロシア語の存在は非常に大きい。映画館やテレビ放送ではラトビア語とロシア語の字幕が並列されていたり、ラトビア国内で出版・発行される新聞や雑誌であってもラトビア語版とロシア語版が存在するものも多数ある。比較すると圧倒的にロシア語版のほうが種類、量ともに豊富である。

これらの事実は、今でもかつての占領国の母語が自国で大いに幅を利かせていると感じるラトビア系住民にとっては脅威である。一方でラトビア語が国際言語として通用しない中、近年のロシア・CIS諸国との経済活動の活発化を背景に、この地域でロシア語を習得することは、英語を勉強することと同等に大切であると考えているラトビア系住民もおり、ロシア語に対する態度は一様ではない。

ラトビア国内で就職する場合でさえ、さほど専門性、国際性が問われない単純な職種であっても、顧客の3〜5割がロシア語話者という状況のため、ラトビア語に加えてロシア語が話せることが就職の条件となっていることも多く、普段の生活ではラトビア語しか話さないものでもロシア語を勉強する。

ラトビアに進出する外国企業も、当地におけるマルチリンガル比率の高さ(基本はラトビア語・ロシア語+他言語)を当地へ進出する上でのメリットと考えており、こうした事情もロシア語が容易に影響力を失わない要因のひとつとなっている。 このような状況はロシア本国はもとより、ロシア語圏と呼ばれる国・地方の者にとっては大変魅力的であり、観光客や新たなビジネスの獲得に大きく貢献している。また、西側資本もラトビアをEU内におけるロシアとの窓口として見る向きがあり、政治的・経済的にもラトビアはロシアの影響から抜け出すべきと考える者にとっては皮肉な現実となっている。

法律により、原則として公共の場所での広告や店舗の案内・メニュー等にはラトビア語の使用が義務付けられているため、ロシア語も含めラトビア語以外の言語が公共の場所で単独で使用される例を見つけることはほとんどない。この原則は教育現場においても適用されており、公立学校はもちろん、各民族学校での授業においても、6割以上はラトビア語でなければならないとされている。しかし、監督官が臨場した時にはラトビア語で授業を行い、帰れば再び多言語を使用するといった具合に器用に使い分けされており、教育現場では必ずしも徹底されていない。

2012年にはロシア語の第二公用語化の国民投票が行われ、74.8%の反対多数で否決された[6]。当然ながら非国籍者であるロシア系住人には投票権は無かった。

宗教[編集]

ルーテル教会ローマ・カトリック正教会などである。

文化[編集]

Svente邸宅

世界的ヴァイオリニストのギドン・クレーメルを生んだ国である。

世界遺産[編集]

ラトビア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 ラトビア語表記 備考
01月01日 元日 Jaunais Gads
復活祭の前々日 聖金曜日 Lielā Piektdiena
移動祝日 復活祭 Pirmās Lieldienas
復活祭の翌日 復活祭月曜日 Otrās Lieldienas
05月01日 メーデー Darba svētki 1920年の憲法制定会議の招集もこの日なので、同時に祝われる。
05月04日 独立宣言の日 Neatkarības deklarācijas pasludināšanas diena 1990年のこの日に、ラトビアは、ソビエト連邦からのその独立およびラトビア共和国の独立回復を宣言した。
05月第2日曜日 母の日 Mātes diena
06月23日 リーグァの日 Līgo Diena
06月24日 聖ヨハネの日 Jāņi
11月18日 独立記念日 Latvijas Republikas proklamēšanas diena 第一ラトビア共和国の独立は1918年のこの日に宣言された。
12月25日 クリスマス Ziemassvētki
12月26日 ボクシング・デー 2. Ziemassvētki
12月31日 大晦日 Vecais Gads

スポーツ[編集]

古くからバスケットボールが盛ん。バスケットボール欧州選手権ではリトアニアと覇権を争った。ソ連時代ではウリャーナ・セミョーノヴァらを輩出しモントリオールオリンピックモスクワオリンピックで女子代表は金メダルを獲得した。また、ボブスレーリュージュなどのソリ競技にも伝統的に力を入れている。

参考文献[編集]

アルタ・タバカ編『リガ案内』(土曜社、2012年)

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]