スイス

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スイス連邦
Schweizerische Eidgenossenschaft(ドイツ語)
Schwiizerischi Eidgnosseschaft(スイスドイツ語)
Confédération Suisse(フランス語)
Confederazione Svizzera(イタリア語)
Confederaziun Svizra(ロマンシュ語)
スイスの国旗 スイスの国章
国旗 国章
国の標語:Unus pro omnibus, omnes pro uno
(ラテン語:一人はすべてのために、そして、すべては一人のために)
国歌スイスの賛美歌
スイスの位置
公用語 ドイツ語スイスドイツ語
フランス語
イタリア語
ロマンシュ語
首都 ベルン
最大の都市 チューリヒ
政府
連邦大統領 ディディエ・ビュルカルテ
連邦参事会
内閣
ドリス・ロイトハルト
エフェリーネ・ヴィドマー=シュルンプフ
ウエリ・マウラー英語版ドイツ語版
シモネッタ・ソマルーガ(副大統領)
ヨハン・シュナイダー=アマン
アラン・ベルセ英語版フランス語版
面積
総計 41,290km2132位
水面積率 3.7%
人口
総計(2010年 7,870,000人(93位
人口密度 190人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 5,321億[1]スイス・フラン
GDP(MER
合計(2008年 4,925億[1]ドル(21位
GDP(PPP
合計(2008年 3,127億[1]ドル(35位
1人あたり 42,783[1]ドル
建国
同盟 1291年8月1日
ヴェストファーレン条約(独立の承認) 1648年10月24日
連邦憲法制定 1848年9月12日
通貨 スイス・フランCHF
時間帯 UTC +1(DST:+2)
ISO 3166-1 CH / CHE
ccTLD .ch
国際電話番号 41

スイス連邦(スイスれんぽう)、通称スイスは、ヨーロッパにある連邦共和制国家。永世中立国

ドイツフランスイタリアオーストリアリヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置する。国内には多くの国際機関の本部が置かれている。連邦首都ベルン市。主要都市は、チューリッヒバーゼルジュネーヴローザンヌなど。

国名[編集]

スイス連邦の正式名称は4種の公用語で定められているが、硬貨切手などのように4種を併記する余裕がない場合に単独で使用することが許されるラテン語の国名(Helvetiaヘルヴェティア共和国も参照)が定められている。

スイス連邦政府のロゴ


正式国名と同様に通称も5種類ある。

  • ドイツ語名:Schweiz(シュヴァイツ)(通常は女性定冠詞を付してdie Schweizと表記する)
  • フランス語名:Suisse(シュイス)
  • イタリア語名:Svizzera(ズヴィッツェラ)
  • ロマンシュ語名:Svizra(スヴィツラ)
  • ラテン語名:Helvetia(ヘルウェティア / ヘルヴェティア

略称(国名コード ISO 3166-1 alpha-2:ラテン文字2文字による国名コード)は、ラテン語名の頭字語であるCHを用いる。

なお、公用語ではないがスイスドイツ語ではSchwiizerischi Eidgnosseschaft(略称:Schwiiz(シュヴィーツ)[2]という表記になる。ドイツ語での正式名称にある“Eidgenossenschaft”は「誓約者同盟」という意味で、通常の「連邦」(Bund)とは異なる。

公式の英語表記は Swiss Confederation、通称は Switzerland(スウィツァランド) で形容詞はSwiss(スウィス)。

日本語表記はスイス連邦、および、スイス漢字による当て字では瑞西と表記し、と略す(スウェーデンも瑞典と当て字し瑞と略す)。稀にドイツ語の正式名称から「スイス誓約者同盟」という訳がなされることがある。また、古くはス井ス[3]スヰス[4]と表記されることもあった。

国名は、スイス建国の中心的役割を果たしたシュヴィーツ州に由来する。“Schwyz”(シュヴィーツ)は、古代ドイツ語で「酪農場」を意味する語が訛ったものだとされる。日本語表記の「スイス」はフランス語名“Suisse”(スュイス)または英語形容詞の“swiss”に由来する。ラテン語名は、古代ローマの支配が及ぶ前からベルン周辺に住んでいたケルト系先住民族の部族名・ヘルウェティイ族に由来する。ドイツ語辞書によると「スイス人」を表す“Schweizer”(男性名詞)/“Schweizerin”(女性名詞)には「熟練乳搾り人」「教会堂番人」「ローマ教皇近衛兵」、さらに「スイス製チーズ」の意味も含まれる。

歴史[編集]

スイスのルツェルンに建てられている「嘆きのライオン」像。
これはフランス革命の際に国王であるルイ16世の命令を守り、降伏後に市民に無抵抗のまま殺害されたスイス人傭兵達の記念碑である。
国土の大半が山岳地帯であるため、農業産業が育たない貧しい国だったスイスを支えていたのは「血の輸出」と呼ばれる傭兵派遣であった。

政治[編集]

新たな連邦憲法1999年に採択され、2000年1月1日に発効した。

スイスは、連邦国家であり、連邦議会(: Bundesversammlung: Federal Assembly)を最高機関とする議会統治制、つまり立法府が行政府を兼ねる統治形態を執っている。連邦議会は両院制で、直接選挙(比例代表制)で選ばれる200議席の国民議会(独:Nationalrat、英:National Council)と州代表の46議席の全州議会(独:Staenderat、英:Council of States)から構成される二院制である。

立法府が兼ねる連邦政府(内閣)は、連邦議会から選出される7人の連邦参事(閣僚、大臣とは呼ばない)で形成される合議体である。内閣はドイツ語圏の諸国と異なり連邦参事会(独:Bundesrat、英:Federal Council)と呼ばれる。7人の連邦参事(7 Bundesraete)が各省を統括し、その中の1人が連邦参事兼任のまま任期1年の連邦大統領となる。連邦議会の議場と連邦政府の各省庁のオフィスはともにベルンの連邦議会議事堂 Bundeshaus(連邦院とも訳される)の中にある。大統領の権限は儀礼的なものに限られる。

また、連邦参事は、議会の獲得議席数に応じて自動的に割り振られる。そのため、政党は一定の議席を得ている限り、意図的に下野しない限り自動的に連立与党の一員となる(比例代表制であるため、1党による単独過半数は過去に例がない)。マジック・フォーミュラーも参照のこと。

国民の政治参加に関して、国民発議(イニシアティヴ)と国民投票(レファレンダム)という、直接民主制の制度が憲法上認められているのも大きな特徴である。

議会[編集]

国民議会、全州議会共に任期は4年で、解散はない。

2007年10月21日に行われた総選挙投票率は48.3%。国民議会議員選挙では、移民排斥を主張しているスイス国民党が62議席を獲得し、第1党になった。以下、スイス社会民主党de)(en)が43議席、自由民主党(急進民主党)が31議席、キリスト教民主人民党が31議席、緑の党が20議席、その他13議席となった。

2011年10月23日に行われた総選挙投票率は49.8%。国民議会議員選挙では、スイス国民党が第1党を維持したが、55議席(-7)と議席を減らした。以下、スイス社会民主党が44議席(+1)、自由民主党が31議席(0)、キリスト教民主人民党が28議席(-3)、緑の党13議席(-7)、自由緑の党12議席(+9)、市民民主党9議席(+9)、その他7議席となった。自由緑の党は緑の党からの、市民民主党は国民党からの離党組による新党で、いずれも離党元の議席を食う躍進となった。

1959年以来の主要4党の獲得議席数は、立法:連邦議会 - スイスの情報参照。

憲法[編集]

スイス連邦憲法は連邦政府に委任すべき事項を規定している。憲法に規定のない事項については州政府が主権をもつ。例えば参政権の規定は州政府に主権があり、1971年に憲法で婦人参政権が確立したのちも、1990年に至るまでアッペンツェル・アウサーローデン準州では婦人参政権が制限されていた。憲法改正は容易であり、10万人の改正要求があった場合は改正提案に対する国民投票が実施される。憲法改正が多い国で、現行の1999年憲法が施行される前の1874年憲法(旧憲法)は、過去140回以上にもわたる部分改正が行われており、全面改正後の現行憲法(2000年施行)も2003年時点で既に6回改正されている[8]

税制[編集]

スイス連邦では、連邦政府、州、市町村の3段階の行政組織が課税権を有している[9]。税率は平均20%[9]。それぞれが独自に税率を設定できるため、個人の税率を低く設定して外国の富裕層の取り込みを図る州もある[9]

法人税についても優遇措置をとっており、外国から本社をスイスへ移転する企業がある[9]。そのため、OECD(経済協力開発機構)の有害税制リストにリストアップされている[9]

軍事・安全保障[編集]

現代におけるスイスは、国軍として約4,000名の職業軍人と約210,000名の予備役から構成されるスイス軍を有し、有事の際は焦土作戦も辞さない毅然とした国家意思を表明しながら永世中立を堅持してきた平和国として知られる。スイスは国際連合平和維持活動(PKO)への参加に積極的で、国外に武装したスイス軍部隊を派兵しているが、決して武力行使をせず、PKOでは武器を用いない人道支援に徹している。

多数の成人男子が予備役もしくは民間防衛隊(民兵)として有事に備えている。平和国家であるスイスではあるが、スイス傭兵の精強さは、ヨーロッパの歴史上、殊に有名である。現在でも、軍事基地が岩山をくりぬいた地下に建設されるなど高度に要塞化されており、国境地帯の橋やトンネルといったインフラには、有事の際に速やかに国境を封鎖する必要が生じた場合に焦土作戦を行うため、解体処分用の爆薬を差し込む準備が整っている。仮に、国境の封鎖に失敗して外国の侵略を受けても、主要な一般道路には戦車の侵入を阻止するための障害物や、トーチカが常設してある。東西冷戦の名残で、2006年までは、家を建てる際には防空壕核シェルター)の設置が義務づけられていた[10][11]。その数・収容率と強固な構造は他国の防空壕より群を抜いている。古い防空壕は地下倉庫や商店などとしても再利用されている。

スイスは、陸軍空軍を有するが、他国を攻撃しうる戦力投射能力は有しない。陸軍は船舶部隊(水軍・海軍とも呼ばれる)を有する。船舶部隊は、主に国境をなすレマン湖(ジュネーヴ湖)、国際河川ライン川、コンスタンス湖(ボーデン湖)に配置されている。特に、フランスとの国境にあるバーゼルの街は、別名スイス港とも呼ばれ、石油などを積んだ排水量3000トン未満の船が、オランダのアムステルダム港からドイツとフランスを経由してライン川を遡行して来る。バーゼルは、内陸国であるスイスが、水運を通じて海と繋がる唯一の貿易港となっている。20隻の哨戒艇が主力である船舶部隊は、有事の際にはライン川を遡行する商船臨検したり、徴用することとなる。

国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用している。20歳-30歳の男子に兵役の義務があり女子は任意である。スイスの男性の大多数は予備役軍人であるため、各家庭に自動小銃(予備役の将校自動拳銃も含む)が貸与され、予備役の立場を離れるまで各自で保管している。かつては、東西冷戦下の厳しい国際情勢に即応するため、包装された弾薬と手りゅう弾が貸与され、悪用防止の封印を施した容器に入れて各自が保管していた時期もあった[12]対戦車兵器迫撃砲など、より大型の武器は、地区単位で設置されている武器庫に収められ、厳重に管理されている。これらの支給火器が犯罪に用いられることはごく稀であったが、2007年9月からは、予備役に貸与されていた弾薬は回収され、軍が集中管理するようになった。現在、予備役の立場にある国民は自動小銃は持っていても弾薬は持っていない。有事の際は、動員令を受けた予備役に対して速やかに弾薬が貸与される予定である。銃が手軽に手に入る社会であるため、スイスでは自殺にもを用いる傾向にある。自殺者の24%から28%が銃で自殺しており、その割合はアメリカ合衆国に次ぐ世界2位で、ヨーロッパの中では最高である。また、特に男性が銃による自殺を選択する傾向があり、銃による自殺者の95%は男性となっている[13]

第二次世界大戦中のスイス空軍は、1907年のハーグ条約で定められた国際法上の「中立義務」を果たすため、領空を侵犯する航空機があれば、連合国側・枢軸国側を問わず迎撃した。ちなみに、当時のスイス軍の航空機は、一部の国産機を除いてはフランスとドイツの戦闘機を輸入またはライセンス生産したものだった。当時、仮に外国の軍隊がスイスを侵略し、スイスの存立が絶望的となる最終局面に陥った場合は、外国の軍隊がスイスのインフラを強奪する寸前のところで放火や爆破等の焦土作戦を実施し、侵略者に一切の戦利品を与えないように計画していた。その一方で、当時のスイス政府は柔軟な姿勢で外交と通商を展開した。第二次世界大戦においては、「資源を持たないスイスが、資源を持つ国と通商することは生存権の行使であって、中立義務に違反するものではない」と主張して、国民の生活を守るために必要な資源を枢軸国や連合国から輸入し、国益を確保した。

焦土作戦も辞さない悲壮な防衛努力の一方で、外国において武力行使をしない柔軟な外交政策は、現在も変わらない。2008年には、リビアカダフィ政権(当時)が、スイス人ビジネスマン2人を犯罪の容疑者と決め付けて拘留する事件が発生した。カダフィは、直ちにリビアからスイスへの石油輸出を止め、「スイスは、イスラム教のモスクを破壊する異教徒の国だ」として、スイスに対する「聖戦」を訴えてスイス政府を恫喝した。これに対して、スイス政府は、旅行者に扮した軍人と公安関係者からなる特殊部隊をリビアに派遣し、現地で密かに情報収集を行ったが、この特殊部隊は非武装だった。戦力投射能力のないスイス軍に自国民を救出する術はなく、当時の大統領が自らリビアに赴いてカダフィに謝罪をさせられる屈辱を味わっている。しかし、スイスが欲していた石油は確保された。

東西冷戦の時代には、政府によってスイスの一般家庭に配布された小冊子『民間防衛』の内容からもうかがい知れるようにスイス国民はあまねく民間防衛組織に加入し、有事に備えていた。冷戦の終結後は、民間防衛組織の多くが役割を失って消滅したか、人員や装備を大幅に削減したため、現在のスイスには「民間防衛」が発行された当時のような高度な防衛体制は、もはや存在しない。それでも、政府が食糧を計画的に備蓄し、スイス軍の施設と公立の学校については、核戦争への備えとしてシェルターが常設されている。民間でも、過去には自宅や職場にシェルターを装備する義務があったが、現在では撤廃された。それでも、任意でシェルターを装備している企業や個人が多いことで有名である。

東西冷戦の一時期、スイスは自立能力を高める為に兵器の国産化に取り組んだ。かつては戦車や航空機も国産していたが、開発費用の高騰と技術的課題のため断念した。ピラタス社やエリコン社といったスイスを代表するメーカーは、かつては防衛産業を担っていたが、現在では軍事に関与しない企業に生まれ変わっている。一方で、小火器装甲車は依然として高い国際競争力を持ち世界中に輸出されている。スイスの銃器メーカーであるシグ社の製品は、日本国にも輸出され、警察庁・都道府県警察、自衛隊、海上保安庁で採用されており、ピラーニャ装甲車などの兵器はアメリカ軍の採用を勝ち取ったことで有名である。

スイスにおける国防の基本戦略は、拒否的抑止力である。敵国にとって、スイスを侵略することによって得られる利益よりも、スイス軍の抵抗や国際社会からの制裁によって生じる損失の方が大きくなる状況をつくり出すことによって、国際紛争を未然に防ぐ戦略である。2002年国連加盟後も、この基本戦略は変わっていない。

地方行政区分[編集]

スイス連邦には26のカントン(canton)と呼ばれるが存在する。そのうち6は準州とよばれ、全州議会の議員定数配分が、通常の州の2名に対し、1名だけとなっている。カントンは、全部で2,889の市町村に分かれている。

主要都市[編集]

代表的な観光地[編集]

地理[編集]

スイスの地図。

国土は日本の約一割で、九州より約1500km²(東京23区の2倍程度)大きい。また、日本の内陸県のうち長野県山梨県岐阜県群馬県栃木県を併せた面積(約41458km²)に相当する。

経済[編集]

チューリッヒはスイス経済の中枢であり、欧州屈指の金融センターである。

IMFによると、2013年のスイスのGDPは6508億ドルであり、世界第20位である[14]。同年の一人当たりのGDPは81,323ドルであり、世界でもトップクラスの水準である。世界で最も国際競争力の高い国の一つであり、2011年世界経済フォーラムの研究報告書において、世界第1位の国と評価された[15]富裕層も非常に多く、9.5%の世帯が金融資産で100万ドル以上を保有しているとされる[16]。主な産業として、金融業(銀行、保険)、観光業、精密機械工業(時計、光学器械)、化学薬品工業が挙げられる。

通貨スイスフラン(CHF)は、よりも堅いと言われるほどの世界で最も安定した通貨であり、1870年代の硬貨が未だにデザインも変更されずにそのまま製造され、流通している。国内の物価および賃金水準は高く、国民の貯蓄高も、日本並みに高い。輸入関税率は低く、高級外車などが比較的安く購入できる。スイスの欧州連合(EU)加盟の賛否を問う国民投票において、国民の過半数が反対票を投じる重大な理由はここにある。すなわち、スイス国民にとってEU加盟は何らメリットが見出せないのである。

スイスフランの利子率の低さに目を付け、東中欧を中心に、フラン建ての住宅ローンが多く組まれている。このため、もしスイスフランが不安定となると、他国の家計にパニックを起こすリスクが生じている[9]

近世に至るまでスイスの主な産業のひとつとして存在したのが傭兵であった。スイスはその地形から農業などの産業を発達させにくかったため、戦力を輸出することで産業不足を補っていた。 現在は戦力の輸出は禁止されているものの、バチカンの傭兵のみは唯一の例外として認められている。

鉱業[編集]

スイス鉱業は岩塩の採掘のみに頼っている。浅海の堆積物と海水が褶曲、もしくはおしかぶせ断層によって地層中に閉じ込められたことに由来する。採掘量は2002年時点で30万トン。

銀行業[編集]

スイス銀行と言われる銀行(いわゆる大手プライベートバンク)は顧客の情報の守秘義務に関して国際的に有名で、刑事事件が起こっても原則として顧客の情報は外部に漏らさない。このことからマネーロンダリングの中継地としてしばしばスイス銀行の口座が使われることがある。近年はスイス政府も各国の警察及び金融当局に対して柔軟な対応をしており、犯罪収益金の没収等の処置を行い、当該国に一部返還する動きもある。

交通[編集]

鉄道[編集]

SBB(スイス連邦鉄道、スイス国鉄)が主要幹線を網羅しており、山岳部では、私鉄の登山列車などが運行している。

航空[編集]

チューリッヒ・ジュネーヴ(ジュネーヴ・コアントラン国際空港)・バーゼル(ユーロエアポート)・ベルン・サメーダンエンガディン空港)・ルガノなどの各都市に空港がある。日本からの直行便は、スイスインターナショナルエアラインズのチューリッヒ・東京間のみ。チューリッヒ空港では、ドイツ語の案内放送の後、英語で案内放送がある。

国民[編集]

民族[編集]

民族構成(スイス)
スイス人
  
78%
その他
  
22%

ドイツ語圏は神聖ローマ帝国の流れをくみ、南ドイツやオーストリアと共通のゲルマン系アレマン族(土着ケルト人と混血したうえでの)が多くを占める。フランス語圏は19世紀にフランスから参入したものであり、フランスの、ラテン化されたケルト人にゲルマン人が加わった流れとほぼ共通する。いずれにせよ混成民族であることは全ての欧州国家の例にもれない。

外国人の定住者ないし短期労働者は全人口の2割に及び、2007年には145万人に達した。最も多いのはイタリア295,507人、次にドイツ224,324人となっているが、特に旧ユーゴスラビア諸国出身者は非常に多く、35万人前後にもなる。(セルビアモンテネグロ196,078人、マケドニア60,509、ボスニア41,654人、クロアチア38,144人)。トルコ人も75,382人と多い。

2004年には、35,700人がスイス国籍を取得した。その半数以上が旧ユーゴスラビア諸国出身者である。スイスは、世界中から多くの難民を受け入れている。

言語[編集]

スイスの言語分布
 紫 :フランス語、 黄 :ドイツ語(アレマン語)、 緑 :イタリア語、 赤 :ロマンシュ語
言語話者(スイス)
ドイツ語
  
63.67%
フランス語
  
20.38%
イタリア語
  
6.46%
ロマンシュ語
  
0.48%
その他
  
9.01%

[17] スイスでは、各地方の地理的・歴史的な理由から使用言語が分かれているため、ドイツ語フランス語イタリア語ロマンシュ語の4つを公用語と定めている。北部と中部では主にドイツ語が使われている(全人口の64%、右図の黄色)。その多くはアレマン語系のスイスドイツ語と呼ばれる方言であるが、新聞や、テレビ、ラジオのニュース番組ではドイツの標準語である高地ドイツ語が使われる。ただし地方の放送局ではニュースも含めて番組はほとんどスイスドイツ語、全国放送でもなぜかテレビの天気予報だけはスイスドイツ語である。西部ではフランス語が(20%、紫色)、南部ではイタリア語が(6%、緑色)使われている。スイス・フランス語は、標準フランスとほとんど変わりはないが、数の数え方に若干特徴がある(数字の70、80、90をフランスのsoixante-dix、quatre-vingt、quatre-vingt-dixではなくseptante、huitante、nonanteと言う)。イタリア語はロンバルド語の系統に属する西ロンバルド語イタリア語版英語版が混じる。ティチーノ州で使われるロンバルド語系イタリア語はティチーノ語とも呼ばれる。

ロマンシュ語は、南東部にあるグラウビュンデン州のごく一部の人々の間で使われているだけであり、絶滅の危機にある(0.5%、赤色 - 面積は広いが人口は少ない)。ドイツ語圏以外のスイスでは、ドイツ語を学習する場合、普通、標準ドイツ語を学ぶので、かなり差異のあるスイスドイツ語を理解できない。したがって、ドイツ語圏スイス人と非ドイツ語圏スイス人の間で会話する時、ドイツ語圏のスイス人は標準ドイツ語を理解できるものの、会話の上では障害となることが多く、公用語であるフランス語の他に英語を用いることも多くなっている。学校教育において、英語を必修科目とし、母語以外の公用語を選択科目とする学校が増えていることも、若年層における英語の使用に拍車をかけている。その他、移民の出身地域である旧ユーゴスラビアの国々の言語やトルコ語が使われる。

宗教[編集]

スイス国民が信仰する宗教は、カトリックが人口の約43%、プロテスタントが約35%と、この2つでほとんど大部分を占める。他には、イスラム教が約4%、正教会が約2%、ヒンドゥー教仏教ユダヤ教などが、各1%未満であり、約11%が無宗教となっている。

2009年12月16日ジュネーヴイスラム関係者が、モスクの塔(ミナレット)新設禁止に抗議して、欧州人権裁判所に提訴したことが明らかになった。同年11月には、スイス国民投票においてモスク新設は禁止が賛成多数で承認されていた[18]

文化[編集]

世界遺産のベルン旧市街

食文化[編集]

映画[編集]

世界遺産[編集]

スイス国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が7件、自然遺産が3件存在する。

祝祭日[編集]

法定祝祭日

日付 日本語表記 独語表記 仏語表記 英語表記 備考
1月1日 元日 Neujahrstag Jour de l'An New Year's Day
聖金曜日 Karfreitag Vendredi Saint Good Friday 移動祝祭日。復活祭の前日。
復活祭 Ostern Pâques Easter 移動祝祭日。春分後の最初の満月の次の日曜。
復活祭月曜日 Osternmontag Lundi de Pâques Easter Monday 移動祝祭日。
キリスト昇天祭 Auffahrt Ascension Ascension 移動祝祭日。復活祭から数えて40日目。
聖霊降臨祭・五旬節 Pfingsten Pentecôte Whit Suntide 移動祝祭日。復活祭から数えて50日目。
聖霊降臨祭月曜日 Pfingstmontag Lundi de Pentecôte Whit Monday 移動祝祭日。
8月1日 建国記念日 Bundesfeier Fête de la Confédération Confederation Day
12月25日 クリスマス Weihnachtstag Noël Christmas Day
12月26日 ボクシング・デー Stephanstag Saint-Étienne St. Stephen's Day

この他に地域ごとの祝日がある。

著名な出身者[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 通常は“D′Schwiiz”と表記する。
  3. ^ 『國際聯盟年鑑 1929年』 青木節一著 1929年
  4. ^ 『國際外交録』 杉村陽太郎著 1933年
  5. ^ 長島信之 (2002年6月). “スイスがついに国連加盟へ”. 帝国書院. 2014年1月4日閲覧。
  6. ^ 広瀬孝文ボーチェック・ボレスラフ永世中立と国際連合 : スイスとオーストリアの国連外交の比較研究」34p
  7. ^ アルマンド・モンベリ (2012年3月2日). “10年前、やっと国連加盟したスイス”. swissinfo.ch. 2014年1月4日閲覧。
  8. ^ 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会「硬性憲法としての改正手続に関する基礎的資料
  9. ^ a b c d e f スティーブ・モリヤマ (2008年5月16日). “スイス:“有害税制”の是正に見る永世中立国の岐路”. 日経ビジネスオンライン. 2014年1月4日閲覧。
  10. ^ まだスイスだけが作り続ける防空壕
  11. ^ 不思議な穴
  12. ^ トーマス・ステファンズ (2008年7月22日). “小型兵器の横流しでスイスに調査”. swissinfo.ch. 2014年1月4日閲覧。
  13. ^ “痛ましい記録-銃による自殺”. スイス放送協会. (2010年3月22日). http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=8413586 2013年12月30日閲覧。 
  14. ^ IMF: World Economic Outlook Database
  15. ^ 世界経済フォーラム 国際競争力レポート
  16. ^ BCG Global Wealth 2012
  17. ^ スイス連邦統計局 ©2013 BFS /OFS/UST/SFSO
  18. ^ スイスでモスク尖塔の建設を禁止、国民投票で可決 2009年 11月 30日 ロイター

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光
その他
英 - 英語、独 - ドイツ語、仏 - フランス語、伊 -イタリア語、羅 - ロマンシュ語