スイス国民党
| スイス国民党 Schweizerische Volkspartei(ドイツ語) Union Démocratique du Centre(フランス語) Unione Democratica di Centro(イタリア語) Partida Populara Svizra(ロマンシュ語) |
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| 党首 | トニー・ブルンナー |
| 成立年月日 | 1971年9月22日 |
| 本部所在地 | スイス |
| 政治的思想・立場 | 中道右派 保守 |
| 公式サイト | Schweizerische Volkspartei SVP. Union Démocratique du Centre |
| シンボル | ダークグリーン |
スイス国民党(スイスこくみんとう、ドイツ語: Schweizerische Volkspartei,フランス語: Union Démocratique du Centre,イタリア語: Unione Democratica di Centro,ロマンシュ語: Partida Populara Svizra)は、スイスの中道右派・保守政党。ドイツ語圏住民を主な支持基盤とし、外国人の受け入れには消極的である。1929年以来連立与党の座にあり、1959年からは主要4党の一つとして連立与党の座を占めている。ドイツ語・ロマンシュ語では「スイス人民党」「スイス国民党」であるが、フランス語・イタリア語での名称は「中道民主連合」である。
内閣選挙(スイスの閣僚ポストは議会で政党ごとの枠に応じて指名される)で党の意に沿わない人物が閣僚に選出されたことを不服として、2007年12月に野党となったが、2008年12月に与党に復帰した。
概要[編集]
1917年、チューリヒ州で農工市民党として創立。1929年から連邦内閣に入閣するようになった。1937年には全国政党となり、1971年、グラールス州とグラウビュンデン州の民主党と合併し、国民党と改称した。
スイスは議会統治制の国であり、連邦参事会(連邦評議会とも)と呼ばれる連邦内閣は連邦議会から選出された7人の閣僚(大臣)によって構成される。7閣僚はそれぞれ一つの省を担当し、その中の1人が1年ごとの交替制で大統領職を兼任している。
連邦参事会を構成する7閣僚(交代制大統領職を含む)は1959年以来、議会を構成する上位4政党、すなわち自由民主党(急進民主党)、社会民主党、キリスト教民主党、国民党によって2:2:2:1の割合でポストを配分しており、その配分率はマジック・フォーミュラー(魔法の法則)と呼ばれてきた。しかし国民党は、2003年10月の総選挙で4位から第1党に躍進し、2003年12月10日に連邦議会で実施された閣僚選出選挙により、国民党2名、社民党2名、急進民主党2名、キリスト教民主党1名の割合に変わった。国民党からは、党内右派で躍進に貢献したクリストフ・ブロッハーが新たな閣僚となった。
2007年10月21日投開票の総選挙では、外国人犯罪者の強制送還を訴え、白い(自国民を示す)羊の群れから黒い(外国人を示す)羊が追い出される意匠のポスターを掲げた([1])。この公約は人種差別やナチスを連想させる内容であると激しい反発を受け、他党の選挙運動も過激化していった。しかし、結果は7議席増の62議席と、さらに議席を伸ばした。
ところが、2007年年末の内閣選挙で、党内右派のブロッハー司法・警察大臣が不信任を受け、党内左派のエヴェリン・ヴィトマー・シュルンプフが後任に指名された。この人選を不服とした国民党は、閣僚を拝命したシュルンプフを党の議員会議から締めだし、下野を宣言。さらに2008年6月1日には、シュルンプフや彼女を支持するグラウビュンデン州(シュルンプフの地元)の党員を除名した。また、6月2日、サミュエル・シュミット国防・スポーツ大臣が離党を宣言し、国民党は完全に野党になった。除名、あるいは離党した2人は、新党・市民民主党に移籍した。
2008年12月10日、シュミット国防・スポーツ大臣が辞任し、後任の内閣選挙が行われた。国民党はブロッハーの復帰を望んだが、他党の批判が強く、元党首のウエリ・マウラーも擁立した。他党からはハンスイェルク・ヴァルターを後任に推す動きがあったが(ただしヴァルターは、指名されても辞退すると表明。国民党はブロッハー、マウラー以外の党員を指名した場合はシュルンプフ同様離党させると主張していた)最終的にマウラーが1票差で選出され、国民党は与党に復帰した。
2011年10月23日投開票の総選挙では、第1党を維持したが、55議席と7議席を減らした。同党の議席減は、1967年総選挙以来44年ぶりであった。
外部リンク[編集]
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