シリア
- シリア・アラブ共和国
- الجمهوريّة العربيّة السّوريّة
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(国旗) 国章 - 国の標語:なし
- 国歌:祖国を守る者たちよ

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公用語 アラビア語 首都 ダマスカス 最大の都市 ダマスカス 建国
- 宣言
- 承認フランスより
1944年1月1日
1946年4月17日通貨 シリア・ポンド (YTL)(TRY) 時間帯 UTC +2(DST:+3) ISO 3166-1 SY / SYR ccTLD .sy 国際電話番号 963
シリア・アラブ共和国(シリア・アラブきょうわこく)、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。 「シリア」という言葉は、現在の国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。
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国名 [編集]
正式名称は、アラビア語でالجمهوريّة العربيّة السّوريّة(翻字: al-Jumhūrīyah al-ʿArabīyah al-Sūrīyah)で、読みはアル=ジュムフーリーヤ・アル=アラビーヤ・アッ=スーリーヤ、通称 سوريا (Sūriyā スーリヤー)または سورية (Sūrīyah スーリーヤ)。
公式の英語表記は Syrian Arab Republic (シリアン・アラブ・レパブリック)。通称 Syria (シリア)。
日本語の表記はシリア・アラブ共和国。通称シリア。
「シリア」の語源は不明だが、アッシリアの転訛とする説、ティルスの転訛とする説などがある。[2]
歴史 [編集]
詳細は「シリアの歴史」を参照
アケメネス朝 [編集]
- アケメネス朝ペルシアが古代オリエントを統一。
セレウコス朝 [編集]
- 紀元前305年 - マケドニアのセレウコス将軍が王号を名乗る。首都はアンティオキア。
- 紀元前304年 - インド領からの撤退始まる。
- 紀元前301年 - シリア地方獲得。
- 紀元前274年 - ガリア人侵入を撃退。
- 紀元前274年~紀元前168年 - コイレ・シリアをめぐるセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトのシリア戦争
- 紀元前130年 - パルティア軍に敗北。全東方領土を喪失。
ローマ帝国 [編集]
イスラム帝国 [編集]
セルジューク朝 [編集]
- シリア・セルジューク朝(1085年 - 1117年)。
モンゴル帝国 [編集]
マムルーク朝エジプト [編集]
オスマン帝国 [編集]
独立・シリア王国 [編集]
フランス委任統治領シリア [編集]
- 1920年8月10日 - セーヴル条約によりフランスの委任統治領(1920年-1946年)となる
- 1920年9月1日 - en:State of Damascus、en:State of Aleppo、大レバノンに分離・分割
- 1920年9月2日 - en:Alawite Stateに分離・分割
- 1921年5月1日 - en:Jabal Druze Stateに分離・分割
- 1921年10月20日 - en:Treaty of Ankara (1921)によりen:Sanjak of Alexandrettaが成立
- 1936年9月 - フランス・シリア独立条約交渉でフランスが批准を拒否。
- 1938年9月7日 - ハタイ共和国(1938年 - 1939年、現トルコ共和国ハタイ県)
独立・シリア共和国 [編集]
独立・シリア・アラブ共和国 [編集]
- 1961年 - 連合を解消、シリア・アラブ共和国として再独立
- 1963年 - バアス党政権樹立
- 1967年 - 第3次中東戦争、ゴラン高原を失う
- 1970年 - バアス党で急進派と穏健・現実主義派が対立、ハーフィズ・アル=アサドをリーダーとした穏健派がクーデターで実権を握る
アサド政権 [編集]
- 1971年 - ハーフィズ・アル=アサド、大統領に選出
- 1976年 - レバノンへの駐留開始(レバノン内戦)。
- 2000年 - ハーフィズ・アル=アサド大統領死去。息子のバッシャール・アル=アサドが大統領就任。
ダマスカスの春 [編集]
実質、大統領による独裁政権であるが、バッシャール・アル=アサドは大統領就任当初には、民主化も含む政治改革を訴えて、腐敗官僚の一掃、政治犯釈放、欧米との関係改善などを行い、シリア国内の改革派はバッシャールの政策を「ダマスカスの春」と呼んだ。
しかし、改革に反対する守旧派や軍部の抵抗で改革は思うように進展せず、また2003年のイラク戦争でアメリカ軍の圧倒的な軍事力で隣国の同じバアス党政権のサッダーム・フセイン体制がわずか1ヶ月足らずで武力で崩壊させられたことに危機感を覚え、以後、体制の引き締め政策を行い、デモ活動や集会の禁止、民主活動家の逮捕・禁固刑判決、言論統制の強化、移動の自由制限など、民主化とは逆行する道を歩む。近年、レバノン問題で欧米との対決姿勢を鮮明にしてからは、この傾向がますます強くなった。理由としては、グルジアなどで、いわゆる「色の革命」といわれる民主化運動により、時の強権的政権が次々と転覆したことに脅威を覚えたからだと見られている。
- 2005年 - レバノンより、シリア軍撤退
- 2007年 - バッシャール・アル=アサド、大統領信任投票で99%の得票率で再選、2期目就任。
- 2008年 - 隣国レバノンとの間に正式な外交関係樹立。大使館設置で合意。
- 2011年 - シリア騒乱発生。継続中。
シリア内戦 [編集]
詳細は「シリア騒乱」を参照
2011年の反政府勢力としては、「シリア国民評議会」(SNC)、「民主的変革のための全国調整委員会」(NCC)の二つの全国組織が結成されている。反体制派の「自由将校団運動」(Free Officers Movement)のニックネームを持つ「自由シリア軍」(FSA)という武装組織もつくられている。さらに、地方でも中央組織に加わっていない組織が作られている。2012年11月にはこれらを統合するシリア国民連合が結成され、政権側との対立が続いている。
2011年から続く内戦と、それにまつわる殺害、人権侵害の発生以来、シリアは中東諸国・国際社会からの孤立を深めている。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチなどによると、シリアの人権状況は現在、世界最悪の水準である。国際NGOフリーダム・ハウスは、毎年発表する「世界の自由度」調査の結果を基にシリアは「自由ではない」と断じた。現在も継続する危機を受けて英国、カナダ、フランス、イタリア、ドイツ、チュニジア、エジプト、リビア、米国、ベルギー、スペイン、湾岸諸国などの国々が、シリアとの外交関係を断絶した[3]。他方でイランが、同国のレバノンにおける主要同盟勢力であるヒズボラとともに、アサド政権の最大支援国となり、反政府勢力との戦闘に必要な財政支援と武器を供給している。
政治 [編集]
詳細は「シリアの政治」を参照
シリアは共和制、大統領制をとる国家である。現行憲法は1973年3月13日に制定されたもので、国家を社会主義、人民民主主義国家と規定しており、バアス党(アラブ社会主義復興党)を「国家を指導する政党」と定めている。シリア・アラブ共和国憲法はバアス党を「国家を指導する政党」と規定しており、バアス党によるヘゲモニー政党制が採られている。
元首 [編集]
国家元首である大統領は、バアス党の提案を受け人民議会が1名を大統領候補とし、国民投票で承認するという選任方法を採っている。大統領の任期は7年で、ムスリムでなければならず、再選制限は無い。
行政 [編集]
首相は大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、大統領が任命する。
立法 [編集]
大統領は絶対的な必要性がある場合は、人民議会の閉会中でも立法権も行使することができ、シリア軍の最高司令官も兼任する。
議会は一院制で、正式名称は「人民議会」。定数250議席。人民議会議員は国民の直接選挙(15選挙区)で選出され、任期は4年である。定数250議席のうち、127議席は労働者と農民の代表でなければならないと規定されている。
バアス党のほか、アラブ社会主義連合党やシリア共産党などの政党は与党連合「国民進歩戦線」(NPF)を結成している(国民進歩戦線議長はバアス党書記長)。合法的な野党というものは存在せず、事実上の野党勢力は無所属という形で人民議会選挙に立候補することとなる。非合法政党はクルド人勢力が大半。
司法 [編集]
司法制度はフランス法およびオスマン帝国法を基礎としている。イスラーム法は家族法の分野で用いられている。大統領を議長とする最高司法評議会が置かれており、裁判所判事の任命に当たる。最高司法機関は最高憲法裁判所である。
軍事 [編集]
詳細は「シリア軍」を参照
シリアはアラブの世界ではエジプトに次ぐ軍事大国として知られる。シリアは徴兵制が敷かれており、男子の兵役義務がある。また敵国であるイスラエルの侵攻を防ぐために、旧東側諸国の武器を重装備しており、主に友好国であるロシアから武器を調達している。
シリア軍の総兵力は現役約32万人、予備役は50万人である。陸軍の総兵力は約21万5000人、海軍総兵力約5000人+予備役約4000人、空軍総兵力約7万人、防空軍総兵力約4万人である。この中で第4師団と呼ばれるアサド政権の支持基盤であるアラウィ派で構成された部隊や、同じくアラウィ派でバース党党員の資格を持つ者で構成される共和国防衛隊が精鋭部隊で最新装備を優先的に割り当てられている。 その他にイスラエルの侵攻に備えて、ゲリラ戦を行う為に複数の民兵組織が組織されている。
シリアの軍事予算に占める割合は国家予算の一割に当たり、膨大な軍事費の為にシリアの財政を非常に圧迫している。またハマース、ヒズブッラー、PFLPなどのテロ組織、ゲリラ組織への資金援助、武器援助などを加えると軍事費は更に膨大なものとなっている。
国際関係 [編集]
詳細は「シリアの外交」を参照
国の安全を保障し、アラブ諸国の間での影響力を増大させ、ゴラン高原返還を確実にすることが、バシャル・アサド大統領の外交政策の主要目的である。シリアは、歴史上の多くの局面においてトルコ、イスラエル、イラク、レバノンなどの地理的・文化的隣国との間の激しい緊張関係を経験してきた。21世紀に入ると、「アラブの春」とそれに続くシリア内戦以前の段階において、中東地域の複数の国家との関係改善に成功し、現在はイラン、北朝鮮、中国、ロシア、パレスチナ自治政、イエメン、レバノン、スーダン、イラクと緊密な関係を維持している。それらの諸国は、反政府勢力との内戦でシリア政府を支援する数少ない国々となっている[4]。 対外関係では、政権はバアス党の伝統として「アラブの大義」「パレスチナを含むイスラエルによる全アラブ占領地の解放」を前面に押し出した主張をすることが多い。
トルコ [編集]
シリアはトルコのハタイ県を固有の領土と主張している。
イスラエル [編集]
同様にシリアは、イスラエルが1981年以来、主権を主張するゴラン高原を、シリア固有の領土であると主張している。シリア政府は同領土の返還を要求し続けている。
イスラエルを牽制するため、1976年以降レバノンに軍を進め以後駐留を続けたが、レバノン国内からの反対と国際的圧力により、2005年3月に軍と情報機関の完全撤退を表明した。軍は4月12日までに完全撤退した。情報機関の撤退については不明である。 レバノンの反シリア派は、同国で頻発する政治テロの犯人はシリアであると非難している。
また、ハマースやヒズボッラー、イスラーム・ジハード等の欧米諸国やイスラエルが「テロ組織」と呼ぶ組織を支援しており、アメリカからは「テロ支援国家」に指定されている。首都ダマスカスにハマースやその他のパレスチナ・ゲリラの拠点があり、武器援助や軍事訓練拠点を提供しているとされる。
ロシア [編集]
ロシアとはソ連時代からの友好国であり、最新鋭の弾道ミサイル等の武器援助国でもある。またCIS諸国以外で唯一のロシアの軍事施設がある[5]。
中国 [編集]
中国ともシリア国内の資源開発や投資分野で関係を深めている。
北朝鮮 [編集]
北朝鮮とはハーフィズ・アル=アサド政権からの伝統的友好国であり、軍事交流や弾道ミサイルなどの北朝鮮製兵器の買い手でもある。共同の核開発計画も行っているとされ、2007年にはイスラエル空軍が核開発施設と見られる建物を爆撃した。
イラン [編集]
イラク・バアス党政権との対立関係から、イラン・イラク戦争ではイラクと戦争状態にあったイランを支持した背景から、イランとは事実上の盟邦関係にあり、反米・反イスラエル、国際的孤立化にあるなど利害が一致する点が多い。最近は政治面の他、経済・軍事面でも一体化を強めつつある。 近年では、イランの他、ベネズエラ、スーダン、キューバなどの反米路線の国との関係を強化している。
イラク [編集]
隣国イラクを巡っては、米軍により指名手配されているサッダーム旧政権幹部を多数匿っているとされる。また、シリアがイラクへと越境してくるアル=カーイダなどのテロリストの通り道になっていると米国政府から非難されている。イラク治安筋によるとダマスカスとラタキアには、イラクへと密入国する外国人テロリストの手配者がいるとされ、そのほとんどが国境付近での密貿易で生計を立てているという。
米陸軍士官学校ウェストポイントはイラク北部のシンジャールで見つかったアル=カーイダの文書を元に報告書を作成した。それによると、現在までにシリアからイラクに入ったテロリストは590人で、約100人のシリア人手配者がテロリストの密入国を手助けしているという。動機は金銭目的、イスラーム原理主義を支持しているなどの理由であるという。テロリストの出身国は遠くはモロッコ、リビア、アルジェリア、イエメン、近くはサウジアラビアで、彼らは密入国の手数料として2500ドルを支払い、国境付近に到着すると偽造パスポートを受け取り、地元民の協力とガイドでイラクへと越境している。また、彼らのほとんどがアラブ諸国出身者であり、アラブ民族主義、あるいは侵略された同胞ムスリムを助けるジハードの遂行のためにイラクへ入国したとされる。特に、国境地域の住民はイラク側に住むスンナ派部族とは親戚関係にあり、イラク方言のアラビア語を喋るなど、イラクとの関係は深く、「外国人の占領下に置かれている同胞」への同情からテロリストを支援しているとされている。
シリア政府は、2003年の対イラク開戦時には越境する「アラブ人義勇兵」を放置していたが、同年4月以降までに密輸業者を取り締まるなどの対策を講じた。が、部族民や地元政府、治安当局者まで業者に賄賂で買収されてしまっており、効果があがっていないとされる。もっとも外国人テロリストの越境数が多かったのは、2004年のファッルージャの戦闘時で、大半がサウジ人であったという。[6]。
アサド大統領の出身部族はイスラームの少数宗派であるアラウィー派に属しており、多数派であるスンナ派を抑える形になっている。
地方行政区分 [編集]
詳細は「シリアの行政区画」を参照
シリアには13の県がある。
- ダマスカス
- ディマシュク県(ダマスカス)
- クネイトゥラ県 (クネイトゥラ)
- ダルアー県(ダルアー)
- スワイダー県 (スワイダー)
- ホムス県(ホムス)
- タルトゥース県(タルトゥース)
- ラタキア県(ラタキア)
- ハマー県(ハマー)
- イドリブ県(イドリブ)
- アレッポ県(アレッポ)
- ラッカ県(ラッカ)
- デリゾール県(デリゾール)
- ハサカ県(ハサカ)
地理 [編集]
詳細は「シリアの地理」を参照
東地中海に面する一部を除いて、国土は隣国と地続きであり、北部ではトルコと、東部ではイラクと、南部ではヨルダンと、西部ではイスラエルやレバノンとそれぞれ国境を接している。
国土の内、西部の地中海沿岸部には平野が広がっており、南部は肥沃な土地が広がっており、国内農業のほとんどを負担している。北部は半乾燥地帯、中部はアンチレバノン山脈が連なり、山岳地帯が大半であるが、乾燥地帯の延長上には、アラビア半島に続くシリア砂漠がある。国内最高峰はヘルモン山(2,814m)。国土を北から南にユーフラテス川が、南から北にオロンテス川が流れている。
気候は地中海沿岸部は典型的な地中海性気候(Cs)で、夏季は高温乾燥、冬季は温暖多雨である。内陸部に入るに従い乾燥の度合いが激しくなり(BS)、イラク国境周辺は砂漠気候(BW)となっている。この地域では冬季には氷点下まで下がり、降雪による積雪も見られるなど季節毎の差が激しい。ダマスカスの年平均気温は5.8℃(1月)、26.5℃(7月)、年降水量は158.5mm。
経済 [編集]
詳細は「シリアの経済」を参照
現在のシリア経済は、バアス党の強力な計画経済により農業、商工業、鉱業ともに偏りがなくバランスが取れた形となっており、石油資源にも恵まれているが、米国による禁輸措置もあり経済は低迷状態が続いている。2004年現在の政府発表の国内失業率は20%を超えている。現在、中華人民共和国の改革開放を手本として市場経済の導入を計っており、外国企業の投資受け入れやインターネット導入を進めている。
国民 [編集]
詳細は「シリアの人口動態」を参照
民族 [編集]
住民は、アラブ人が90%で、その他にクルド人、アルメニア人などがいる。アラブ人の中にはシリア語を母国語とする部族もいるため民族性も多様化している。少数民族としてネストリウス派(アッシリア人)、北コーカサス系民族、南トルコ系民族もいる。
言語 [編集]
言語はアラビア語が公用語である。その他にもシリア語、クルド語、アルメニア語が使われる。さらにフランス語もわりと広い範囲で使われている。
宗教 [編集]
「シリアのキリスト教」も参照
宗教は、イスラム教スンナ派が70%、他のイスラム教の宗派(アラウィー派、ドゥルーズ派など)が20%、キリスト教(非カルケドン派のシリア正教会、東方正教会のアンティオキア総主教庁、マロン派の東方典礼カトリック教会など)が10%である。
教育 [編集]
文化 [編集]
古代より文明が栄えた土地のため、また各文明の交流地点のため高度な文化が発達した。国内の各地にアッシリア帝国時代の遺跡が点在する。また西洋風の町並み・服装が浸透している。
また、反米・反イスラエル国家であるが、首都ダマスカスにはケンタッキーフライドチキンの店舗が存在する。[7]
世界遺産 [編集]
詳細は「シリアの世界遺産」を参照
シリア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件存在する。[8][9]
スポーツ [編集]
オリンピックシリア選手団は1948年ロンドンオリンピックから参加した。以後、中東戦争なども起こり、参加と不参加が続いたが、1980年モスクワオリンピック以降は参加を続けている。ただし、冬季オリンピックへの参加はまだない。
祝祭日 [編集]
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1月1日 | 元日 | عيد راس السنة الميلادية | |
| 3月8日 | 3月8日革命記念日 | ثورة الثامن من اذار | バアス党による権力掌握を記念する |
| 3月21日 | 母の日 | عيد الأم | |
| 4月17日 | 独立記念日 | عيد الجلاء | フランス軍のシリア完全撤退の日を祝う |
| グレゴリオ暦のイースター | عيد الفصح غريغوري | 新暦のイースター。移動祝日 | |
| ユリウス暦のイースター | عيد الفصح اليوليوسي | 移動祝日 | |
| 5月1日 | メーデー | عيد العمال | |
| 5月6日 | 殉国者の日 | عيد الشهداء | 1916年、オスマン帝国のアフメト・ジェマル・パシャが シリア民族主義者多数を処刑した記念日 |
| 10月6日 | 10月解放戦争記念日 | حرب تشرين التحريرية | 第四次中東戦争の開戦記念日 |
| 12月25日 | クリスマス | عيد الميلاد المجيد | |
| 犠牲祭 | عيد الأضحى | 移動祝日 | |
| 断食明け大祭 | عيد الفطر | 移動祝日 | |
| 預言者生誕祭 | المولد النبوي | 移動祝日 |
脚注 [編集]
- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ^ 牧英夫編著 『世界地名の語源』 自由国民社 1980年12月20日発行 12ページ
- ^ http://www.haaretz.com/news/middle-east/assad-takes-a-page-out-of-russia-s-book-in-his-war-against-rebels-1.411789
- ^ http://sana.sy/eng/21/2012/11/26/454262.htm
- ^ 安蒜泰助『今のロシアがわかる本』三笠書房 知的生きかた文庫、2008年4月10日発行(147ページ) ISBN 978-4-8379-7668-4
- ^ http://www.guardian.co.uk/uslatest/story/0,,-7946319,00.html
- ^ http://commons.wikimedia.org/wiki/File:KFC-Damascus.JPG
- ^ http://whc.unesco.org/ja/list/?iso=sy&search=& 世界遺産センター-シリア
- ^ http://www.unesco.or.jp/isan/list/list_3/ 世界遺産一覧-五十音順国別リスト(サ行)
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 日本政府
- 日本外務省 - シリア (日本語)
- その他
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