アンゴラ
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- アンゴラ共和国
- República de Angola
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(国旗) (国章) - 国の標語 : 不明
- 国歌 : 進めアンゴラ!

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公用語 ポルトガル語 首都 ルアンダ 最大の都市 ルアンダ 独立
- 日付ポルトガルより
1975年11月11日通貨 クワンザ(AOA) 時間帯 UTC +1(DST: なし) ccTLD AO 国際電話番号 244
アンゴラ共和国(アンゴラきょうわこく)、通称アンゴラは、アフリカ南西部に位置する共和制国家。東にザンビア、南にナミビア、北にコンゴ民主共和国と国境を接し、西は大西洋に面している。コンゴ民主共和国を挟んだ飛地のカビンダが存在し、カビンダは北にコンゴ共和国と国境を接する。首都はルアンダ。
ポルトガル語諸国共同体の加盟国であり、アフリカ最大のポルトガル語人口を擁する国である。
目次 |
[編集] 国名
正式名称はポルトガル語でRepública de Angola(レプブリカ・デ・アンゴーラ)。通称、Angola。日本語にするとアンゴーラが近い。
公式の英語の名称は、Republic of Angola(リパブリック・オブ・アンゴラ)。通称、Angola(アンゴラ)。
日本語の表記は、アンゴラ共和国。通称、アンゴラ。国名はかつてこの地を支配していたンドンゴ王国のンゴラ王に由来する。独立時の1975年から1992年までは正式名称はアンゴラ人民共和国だったが、1992年の憲法改正により現在のアンゴラ共和国となった。
[編集] 歴史
詳細は「アンゴラの歴史」を参照
この地域には、1世紀頃から主にバントゥー系のアフリカ人が住んでいた。
1482年にポルトガル人がコンゴ川河口に到着、現地に存在したンドンゴ王国内に基地サン・サルヴァドールを築いた。1490年にポルトガルが植民地経営を開始。また、現アンゴラ北西部ザイーレ州には、コンゴ王国の首都ンバンザ・コンゴ(ポルトガル語ではサン・サルヴァドール)があった。1575年にルアンダを建設した後、ルアンダを拠点に奴隷貿易を進めたポルトガル人は徐々にアンゴラ内陸部に進出して行き、以降アンゴラはブラジルやウルグアイ、アルゼンチンなど南米や西インド諸島への黒人奴隷供給地となった。1576年から1836年までの間に、三百万人の奴隷が大西洋三角貿易の一環としてアンゴラからラテンアメリカに連行された[2]。
20世紀に入り、約40万人のポルトガル人が入植。植民地支配に固執するアントニオ・サラザール政権はアンゴラを手放すまいとして、1951年、建前上は本国と同等なポルトガルの海外県になった。しかし、これは建前に過ぎずこの頃から独立運動が活発化し、1961年からアンゴラ独立戦争が始まった。独立派とポルトガル軍(現地採用の黒人兵も多かった)との独立戦争の末に、宗主国でのカーネーション革命により、1975年11月11日独立した。
しかし独立直後から、ソ連及びキューバの支援するアンゴラ解放人民運動 (MPLA) 、アメリカ合衆国と南アフリカ共和国が支援するアンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA) 双方が政府を樹立し内戦状態に。結局MPLAが勝利し、政権を掌握した(アンゴラ国民解放戦線)。
1979年9月、第2代大統領にジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントスが就任。アンゴラ政府はソ連など社会主義陣営との結びつきを強め、MPLAによる社会主義一党独裁制を敷いた。しかし、この間もUNITAとの内戦(アンゴラ内戦)が続いたため、多くの人命が失われ、経済は疲弊。さらに戦闘や地雷で負傷してしまった人々も多く発生した。アンゴラ内戦は、政府・反政府勢力がそれぞれ米ソの後援と、それぞれの勢力の代理人であった南アフリカ共和国(アパルトヘイト時代)とキューバ(カストロ政権)の直接介入を受けていたことから、東西冷戦の代理戦争と言われている。
MPLAは1990年に社会主義路線を放棄し、翌年には複数政党制の導入を決めた。ポルトガル政府の仲介で1991年5月、MPLAとUNITAがリスボンで和平協定に調印。しかし1992年の大統領選および議会選をめぐる対立から再び内戦に。国連の仲介で1994年11月に和平がなったが、1998年に内戦が再燃した。
2002年2月、UNITAのジョナス・サビンビ議長が戦死。和平機運が高まり、3月15日に双方は休戦で合意した。4月4日に休戦協定が結ばれ、27年間の内戦に終止符が打たれた。
[編集] 政治
詳細は「アンゴラの政治」を参照
大統領を元首とする共和制国家であり、220名の議席数からなる一院制の人民議会を擁する。現行憲法は1992年憲法である。
独立以前からの独立闘争と、建国後の1975年から2002年まで続いた内戦により、極めて不安定な時期が長く続いたが、2002年の内戦終結によりようやく安定の兆しが見えている。
主要政党はアンゴラ解放人民運動(MPLA)。
[編集] 地方行政区分
詳細は「アンゴラの行政区画」を参照
18州(províncias)の下に158の市町村(municípios)に分かれている。
- ベンゴ州 (Bengo)
- ベンゲラ州 (Benguela)
- ビエ州 (Bié)
- カビンダ州 (Cabinda) → 飛び地
- クアンド・クバンゴ州 (Cuando Cubango)
- クアンザ・ノルテ州 (Cuanza Norte)
- クアンザ・スル州 (Cuanza Sul)
- クネネ州 (Cunene)
- ウアンボ州 (Huambo)
- ウイラ州 (Huila)
- ルアンダ州 (Luanda)
- ルンダ・ノルテ州 (Lunda Norte)
- ルンダ・スル州 (Lunda Sul)
- マランジェ州 (Malanje)
- モシコ州 (Moxico)
- ナミベ州 (Namibe)
- ウィジェ州 (Uige)
- ザイーレ州 (Zaire)
[編集] 地理
詳細は「アンゴラの地理」を参照
国土面積は124万6700平方キロメートルで、ニジェールに次いで世界で23番目。また日本の約3.3倍の大きさである。
アンゴラ本土(カビンダ州を除く地域)は、南はナミビア、東はザンビア、北はコンゴ民主共和国と国境を接続する、また飛び地であるカピンダ州はコンゴ民主共和国とコンゴ共和国に挟まれている。
寒流であるベンゲラ海流の影響により、沿岸部での気候は穏やかなものとなっている。
[編集] 軍事
詳細は「アンゴラ共和国軍」を参照
[編集] 経済
詳細は「アンゴラの経済」を参照
長年にわたる内戦によってインフラの破壊や人的資源の損失などが著しいが、沿岸部の埋蔵量80億バレルとされる石油と内陸部に産出するダイヤモンドなどで、経済的な潜在力は高い。内戦が終結し、毎年貿易で30億ドル以上の黒字を記録するなど、これからの発展に十分な期待が持たれる国として外国企業の進出も盛んである。また、2007年1月1日にはOPECに加盟した。
対日本関係は1990年代以前は希薄であったが、内戦の終結や豊富な資源等が発見され、次第に関係を深めている。2005年には日本大使館が開設された。
- 国内総生産: 114億ドル(2002年)
- 一人当たり国民所得: 660ドル(2002年)
[編集] 交通
フラッグキャリアのTAAG アンゴラ航空が国内主要都市の間を運航している他、アフリカ大陸の近隣諸国やヨーロッパ、南北アメリカ大陸の主要都市との間を結んでいる。なお同社は、近年アメリカ製の最新鋭機であるボーイング777やボーイング737-800を次々と導入し、サービス向上に力を入れている。
[編集] 国民
詳細は「アンゴラの国民」を参照
15世紀以来長らくポルトガルの支配下に置かれ、ラテンアメリカへの奴隷供給源となったため、アフリカの中でも人口密度が極めて低い国の一つとなっている。
[編集] 民族
アンゴラの民族は、オヴィンブンドゥ人37%、キンブンドゥ人25%、バコンゴ人13%などアフリカ系黒人諸民族が大半であるが、メスチーソ(白人と黒人の混血、いわゆるムラート)が2%を占め、1%ほどポルトガル系を中心とするヨーロッパ系市民も存在する。また、アンゴラ内戦時に派遣され、現在も帰れないまま残留しているキューバ兵が10,000人ほど残っている。その他のマイノリティとしては中国人(華僑)など。日本人移民はなかった。
北部のバコンゴ人はかつてコンゴ王国の担い手だった民族であり、国境を越えたコンゴ民主共和国やコンゴ共和国にもまとまった数の集団が存在する。
[編集] 宗教
2006年の統計によるとアンゴラの宗教はキリスト教が最大で、人口の53%(カトリック38%、プロテスタント15%)を占める。残り内訳は土着宗教が46.8%、仏教が2%ほどになっている。
[編集] 言語
アンゴラの公用語はポルトガル語であるが、90%以上の住民はバントゥー諸語を話す。なお、ポルトガル母語話者数は国民の50%程だと見られている。
[編集] 教育
アンゴラは旧宗主国であったポルトガルが教育に力を入れなかったことや、建国以来の内戦の影響により初等教育、中等教育、高等教育の全てにおいて立ち遅れており、2001年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は67.4%(男性:82.9% 女性:54.2%)である[3]。なお、1975年の独立時の識字率は約10%だった。
主な高等教育機関としてはアゴスティーニョ・ネト国立大学が挙げられる。
[編集] 文化
詳細は「アンゴラの文化」を参照
ポルトガルは400年以上の長きに渡ってアンゴラを支配していたため、アンゴラの文化は言語や宗教の面でサウダージの感覚など、ポルトガルの文化の影響を非常に強く受けている。
アンゴラ独自の文化ではないが、ブラジルのカポエィラやサンバ、アルゼンチン、ウルグアイのタンゴ、カンドンベなどのアフリカに起源を持つ文化は、アンゴラから連行された黒人奴隷の文化が基になったものである。アンゴラ発祥のクラブミュージックであるクドゥーロも、近年世界的に注目を集めている。
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1月1日 | 元日 | Ano Novo | |
| 2月4日 | 武装闘争開始の日 | Dia Nacional do Esforço Armado | 独立を求めて宗主国ポルトガルへの闘争を開始した日 |
| 3月8日 | 国際女性デー | Dia do Trabalho | |
| 3月27日 | 勝利の日 | ||
| 4月14日 | 青年の日 | ||
| 5月1日 | メーデー | Dia do Trabalho | |
| 6月1日 | 子供の日 | Dia Internacional da Criança | |
| 8月1日 | 国軍記念日 | ||
| 9月17日 | 国民的英雄の日 | Fundador da Nação e Dia dos Heróis Nacionais | 最初の大統領アゴスティニョ・ネトの誕生日 |
| 11月11日 | 独立記念日 | Dia da Independência | |
| 12月1日 | 開拓者の日 | ||
| 12月10日 | MPLA労働者党設立記念日 | ||
| 12月24日 | クリスマスイブ | ||
| 12月25日 | クリスマス | Natal |
[編集] スポーツ
詳細は「アンゴラのスポーツ」を参照
アフリカ屈指のバスケットボールの強豪として知られており、2006年バスケットボール世界選手権では日本などと対戦し、3勝2敗のBグループ3位で決勝トーナメントに進んだ。
サッカーでも代表チームが予選でナイジェリアなどの強豪を破り2006 FIFAワールドカップに初出場する。本大会ではポルトガル、メキシコ、イランと対戦。旧宗主国との対戦とあり、この大会の一つの注目点ともなった。結果は1敗2分けで1次リーグ敗退に終わったものの、強豪メキシコに引き分けるなど健闘した。
[編集] 脚註
- ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ^ 福井英一郎(編)『世界地理10 アフリカII』朝倉書店 1998 (ISBN 4-254-16540-4)p.136
- ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ao.html 2009年4月2日閲覧
[編集] 参考文献
- 芝生瑞和『アンゴラ解放戦争』岩波文庫(岩波新書) 1976/01
- 福井英一郎(編)『世界地理10 アフリカII』朝倉書店 1998 (ISBN 4-254-16540-4)
- 青木一能『アンゴラ内戦と国際政治の力学』株式会社芦書房 2001/10 (ISBN 4-7556-1156-3)
[編集] 関連項目
- アンゴラ関係記事の一覧
- ポルトガル語諸国共同体
- アンゴラ (小惑星)(アンゴラに因んで命名された小惑星)
[編集] 外部リンク
- 政府
- 在日アンゴラ共和国大使館 (日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - アンゴラ (日本語)
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