多国籍軍
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多国籍軍(たこくせきぐん、Coalition forces, Multinational force, Allied forces)とは、一般に、国際連合安全保障理事会の決議や勧告を受けて各国が合同で編成する軍隊のことである。国際連合憲章で規定された国連軍と異なるものであり、各国が各々の裁量・責任において派遣する。
日本語においては、歴史上、ある時期よりも以前の“Allied forces, Allied Power, Allies”は、「連合軍」や「連合国」ないし「連合国軍」と訳されてきた(例:第二次世界大戦 / 第一次世界大戦)。が、湾岸戦争で米英仏など多数の国々によって編成された際、日本の大手マスメディアにより、同じ“Allied forces, Allied Power, Allies”が初めて「多国籍軍」と訳され始めたのが、そのまま定着して現在に至る。
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[編集] 用例
- 最古の「多国籍軍」
- 1982年のレバノン内戦で、パレスチナ難民や自国民を保護するとの名目で、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、イタリアが部隊を派遣した。これは、各国が各々の独立した指揮権の下におこなったもので、言わば単に同じ紛争で同じ時に同じ場所へ派遣された各国の部隊であるので、下に挙げられているような、同一の指揮権・指揮官の下に編成された「多国籍軍」と異なる。
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詳細は「レバノン内戦#レバノン戦争と多国籍軍の進出」および「レバノン内戦#多国籍軍撤退」を参照
- 国連決議に基づいて同一の指揮権・指揮官の下に編成された「多国籍軍」
- 1991年の湾岸戦争において、アメリカ合衆国主導のもと、中東諸国を含めて約30ヶ国が参加した。
- 国連決議に基づかないが同一の指揮権・指揮官の下に編成された「多国籍軍」
- 2001年のアフガニスタンのターリバーン政権への攻撃において、北大西洋条約機構がアメリカ同時多発テロ事件に対する(北大西洋条約に基づく)集団的自衛権を発動して攻撃を行った。それに続けてターリバーン政権が崩壊した後に国際治安支援部隊が編成された[1][2]。
- 2003年のイラク戦争において、アメリカを中心とする諸国が Coalition of the willing (日本語で「有志連合」とも訳される。直訳すれば「意志の連立(合併)」か?)を形成して攻撃を行った。また、戦後のイラク駐留軍の正式な名称は、 Multi-National Force – Iraq であり、直訳すると正に「多(Multi-)国籍(National)軍(Force)」である[3][4]。
[編集] その他
- スポーツにおいて、外国籍の選手が数多く所属するクラブチームについて、多国籍軍と表現される事がある。NBAのミルウォーキー・バックスは2009年シーズンのロースター12名中7名がアメリカ国外生まれの選手となっている[5]。
[編集] 脚注
- ^ 武装集団220人を殺害 アフガン多国籍軍MSN産経ニュース2008.9.2 01:53付、共同通信配信記事
- ^ アフガニスタン内閣、駐留多国籍軍の地位見直しを求める AFPBBニュース、8月26日付AFP配信記事
- ^ 2 イラクにおける多国籍軍の動向平成20年度防衛白書 第I部 わが国を取り巻く安全保障環境
- ^ イラク多国籍軍の兵員「半減」、米軍「今や孤独の戦い」2007年5月10日12時47分 読売新聞配信記事
- ^ ミルウォーキー・バックス J SPORTS 2009年11月26日閲覧
[編集] 外部リンク
- 冷戦後の国連安保理決議に基づく「多国籍軍」The Reference 53(3) (通号 626) 号国立国会図書館調査及び立法考査局外交防衛課職員(当時)樋山千冬の論文
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