パレスチナ問題

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パレスチナ問題(パレスチナもんだい、アラビア語: قضية فلسطينية‎、ヘブライ語: הסכסוך הישראלי-פלסטיני‎)は、パレスチナの地を巡るパレスチナ定住者(パレスチナ人)とイスラエルシオニストユダヤ人入植者ら)との関係から生じた紛争を一個の政治問題として扱った呼称。パレスチナ・イスラエル問題イスラエル問題と表記することもある。

目次

[編集] 経緯

[編集] イギリスの三枚舌外交

本来は民族紛争ではなかった。第一次世界大戦において連合国側のイギリス同盟国側の一角であるオスマン=トルコに対し側面から攻撃を加える意図の下、トルコの統治下にあったアラブ人(広義:信仰上はイエフディやキリスト教徒も含む)たちに対してトルコへの武装蜂起を呼びかけた。その際この対価として1915年10月にフサイン=マクマホン協定を結びこの地域の独立を認めた。

他方、膨大な戦費を必要としていたイギリスはユダヤ人豪商ロスチャイルド家に対して資金の援助を求めていた。この頃、世界各地に広がっているユダヤ人の中でも、ヨーロッパでは改宗圧力を含め差別が厳しかった為、シオンに還ろうという運動(初期シオニズム)が19世紀末以降盛り上がりを見せていた。そこでイギリスは外相バルフォアを通じ1917年ユダヤ人国家の建設を支持する書簡をだし、ロスチャイルド家からの資金援助を得ることに成功した(バルフォア宣言)。

しかしイギリスは同じ連合国であったフランスロシアとの間でも大戦後の中東地域の分割を協議しており、本来の狙いはこの地域に将来にわたって影響力を確保することであった(サイクス=ピコ協定)。

こうしたイギリスの「三枚舌外交」はロシア革命が起こりレーニンらによって外交秘密文書がすべて公表されるに至り公のものとなった。ただし、それぞれの条文を厳密に適用すれば、三つの協定に殆ど矛盾はない。

第一次世界大戦でユダヤ軍・アラブ軍は共にイギリス軍の一員としてオスマン帝国と対決し、現在のヨルダンを含む「パレスチナ」はイギリスの委任統治領となった。

現在のパレスチナの地へのユダヤ人帰還運動は長い歴史を持っており、ユダヤ人と共に平和な世俗国家を築こうとするアラブ人も多かった。ユダヤ人はヘブライ語を口語として復活させ、アラブ人とともに嘆きの壁事件など衝突がありながらも、安定した社会を築き上げていた。 しかし、1947年の段階で、ユダヤ人入植者の増大とそれに反発するアラブ民族主義者によるユダヤ人移住・建国反対の運動の結果として、ヨルダンのフセイン国王、アミール・ファイサル・フサイニー(1933年アラブ過激派により暗殺)、ファウズィー・ダルウィーシュ・フサイニー(1946年暗殺)、マルティン・ブーバーらの推進していたイフード運動(民族性・宗教性を表に出さない、平和統合国家案)は非現実的な様相を呈する。

[編集] 国連による「パレスチナ分割決議」

後にイスラエル首相となるベギン率いるイルグンシャミル率いるレヒ等のユダヤ人テロ組織のテロとアメリカの圧力に屈したイギリスは遂に国際連合にこの問題の仲介を委ねた。

大多数が不法移民であったユダヤ人の人口はパレスチナ人口の3分の1で、ユダヤ人の土地の所有はわずか7%に過ぎなかったが、1947年11月29日の国連総会では、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを国際管理とするという国連決議181号パレスチナ分割決議が、賛成33・反対13・棄権10で可決された[1]。この決議は、国内の選挙において、ユダヤ人の投票獲得を目当てにしたアメリカ大統領トルーマンの強烈な圧力によって成立している。アメリカ、ソ連、フランス、ブラジルなどが賛成し、アラブ諸国が反対した。(イギリスは棄権)

[編集] イスラエルの独立宣言から中東戦争へ

1948年2月アラブ連盟加盟国は、カイロでイスラエル建国の阻止を決議した。アラブ人・ユダヤ人両者によるテロが激化する中、1948年3月アメリカは国連で分割案の支持を撤回し、パレスチナの国連信託統治の提案をした。1948年4月9日、ユダヤ人テロ組織、イルグン、レヒの混成軍が、エルサレム近郊のデイル・ヤシーン村で村民の大量虐殺を行い、その話が広まって、恐怖に駆られたパレスチナ人の大量脱出が始まった。1948年5月イギリスのパレスチナ委任統治が終了し、国連決議181号(通称パレスチナ分割決議)を根拠に、1948年5月14日に独立宣言しイスラエルが誕生した。同時にアラブ連盟5カ国(エジプト・トランスヨルダン・シリア・レバノン・イラク)の大部隊が独立阻止を目指してパレスチナに進攻し、第一次中東戦争が起こった。

[編集] パレスチナ難民の発生

楽勝が予想されたアラブ側は内部分裂によって実力を発揮できず、イスラエルは人口の1%が戦死しながらも勝利する。1948年の時点でパレスチナの地に住んでいた70~80万人のアラブ人などが難民となった(いわゆるパレスチナ難民)。パレスチナ難民は、イスラエルによる「ナクバ」(アラビア語で「大破局」「大災厄」を意味する)と表現した。

パレスチナ難民の発生原因については、当時は、ユダヤ人軍事組織によって追放されたというパレスチナ側の主張とパレスチナ人が自発的に立ち去ったというイスラエル側の主張があった。現在では、イスラエルの政府資料や米国の諜報資料が公開され、イスラエル側の主張が虚構であり、大多数のパレスチナ難民は、ユダヤ人軍事組織による大量虐殺(イスラエルの歴史学者イラン・パペによれば、総計2千人~3千人が犠牲になった)、銃器による脅迫、また、ユダヤ人軍事組織による攻撃を恐れて、難民となったことは、学術的に明らかになっている。現在の学術的な争点は、パレスチナ人の追放が予め計画されたものか、それとも戦闘激化に伴った偶発的なものかという点である。

また、イスラエル建国に伴うアラブ諸国におけるユダヤ人への迫害の増加により、また、「ユダヤ人の国家が誕生した。」というイスラエルの宣伝活動を単純に信じたため、セファルディムなどアラブ諸国のユダヤ人住民が40万人がイスラエルに移住し、アラブ諸国に残された財産の大部分は没収された。

1949年2月にエジプトとイスラエルの停戦協定が成立。イスラエルがパレスチナの80%を占領し、残り20%はトランスヨルダンが占領した。エルサレム旧市街はヨルダンに新市街はイスラエルに占領された。ガザ地区がエジプト領となり、パレスチナ難民が押し寄せた。

1950年に施行された不在者財産没収法により、1947年のパレスチナ分割決議から翌年9月までの間に居住地を離れて近隣に避難するなどしたパレスチナ人は家屋・財産を没収されることになった。こうして没収された土地はユダヤ人入植者たちに与えられた。(これが下記の「難民」の「帰還権」問題に繋がる。) 1956年7月エジプトがスエズ運河国有化を宣言し、それを阻止するために10月にイスラエル・イギリス・フランスがエジプトに侵攻し、スエズ戦争(第二次中東戦争)が起こる。アメリカとソ連の即時停戦要求を受け入れ、イギリス・フランスは11月に戦闘を中止した。アメリカの共和党のアイゼンハワー大統領が経済援助の停止という圧力をかけて、1957年3月にイスラエルをシナイ半島から撤退させた。この戦争により、中東の主導権はイギリス・フランスからアメリカ・ソ連に移った。

[編集] 第三次中東戦争とイスラエルの占領拡大

1964年5月にPLO(パレスチナ解放機構)が結成された。
1967年5月エジプトのナセル大統領はシナイ半島の兵力を増強し、国連監視軍の撤退を要請し、イスラエル艦船に対するチラン海峡封鎖を宣言した。6月にイスラエルはエジプトを奇襲し、6日戦争(第三次中東戦争)が起こった。イスラエルをアメリカが支援し、アラブをソ連が支援した。

イスラエルはエルサレムガザ地区シナイ半島ヨルダン川西岸ゴラン高原を占領し、国際連合安全保障理事会は停戦決議を可決した。11月に国連安保理でイスラエルの占領地からの撤退、中東地域の航海自由の保障、避難民問題の解決などを決議した。

1973年10月にエジプトとシリアがイスラエルを奇襲し、第四次中東戦争(ラマダン戦争、ヨム・キプール戦争)が起こった。アラブ石油輸出国機構10カ国はイスラエルを占領地から撤退させるまで石油生産の5%以上を毎月削減するとの決議を可決し、石油危機が起こった。国連安保理は停戦決議を可決した。 アメリカによる和平交渉により1978年9月にキャンプ・デービッド合意が成立し、1979年3月にエジプト・イスラエル平和条約が調印された。
1974年10月 PLOが国連でオブザーバーの地位を獲得した。

1980年3月1日、国連安保理で、イスラエルが1967年以降、アラブ側の領土を占領し、また入植地にした行為を全て無効とし、速やかな撤退の要求を決議した[2]。この時はアメリカも賛成に回ったが(棄権するつもりだったが間違えたと声明)、イスラエルはこの決議を無視した。


1981年、アメリカのレーガン大統領は、ユダヤ系ロビーやイスラエルの反対を押し切って、サウジアラビアに武器を輸出した。1982年4月にシナイ半島がエジプトに返還された。6月にイスラエルがレバノンに侵攻しレバノン戦争が起こった。PLOはベイルートから撤退した。9月にアメリカのレーガン大統領が中東和平案を提示し、アラブ首脳会議でフェズ憲章が採択された。

[編集] オスロ合意・ラビン首相の暗殺

1987年にイスラエル占領地でパレスチナ人の抵抗運動(インティファーダ)が始まる。
1991年10月マドリードで中東和平会議開催、1993年9月パレスチナ暫定自治協定がワシントンで調印された(オスロ合意)。その結果1994年5月よりガザエリコ先行自治が開始され、自治政府も組織されはじめた。PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相、ペレス外相がノーベル平和賞を受賞した。
1996年1月にパレスチナ評議会の選挙が行われた。 その矢先の1995年11月和平に尽力したイスラエルのラビン首相は和平反対派のユダヤ人青年イガール・アミルに射殺された。 イスラエルでは概ね労働党が「和平推進」(エルサレムとヨルダン川西岸の戦略的に重要な土地を併合)、リクードが「和平反対」(パレスチナ全土を併合)であった。和平は合意された為、枠組み自体が崩されるまでには至っていない。

[編集] 現状

西岸地区に築かれた分離壁

[編集] 続く暴力

双方の市民には平和運動や交流活動、イスラエルでの徴兵拒否や予備役兵の赴任拒否などの運動がある。パレスチナ自治政府は和平を進めることを公式方針としているが、武力の弱さをおぎなうためとしてテロ戦略を採用する武装組織も存在し、若者や女性を頻繁に自爆テロ攻撃に使っている。

一方で、イスラエル政府も占領中のヨルダン川西岸地区に入植者を送り込み、一般市民を不法な領土拡張政策に利用している。イスラエル人の入植者達がパレスチナ人住民のオリーブ畑に放火した後、畑を耕して自分たちの土地として既成事実化している。またパレスチナ人住民はイスラエル軍も放火に加担していると証言している。

最近ではパレスチナ人の自爆テロ(Suicide bombing,すなわち単に自爆(攻撃)のことだが、日本では「自爆テロ」と訳されることが多い)は、イスラエル側が建設した分離壁(下記参照)によって困難になっており、パレスチナの各武装組織はカッサムロケットによる砲撃に重点を移しつつある。その結果イスラエルの民間人に多数の犠牲者がでている。これに対しイスラエル側は戦闘ヘリコプターによる爆撃、ブルドーザーによる住居破壊(抵抗する住民を轢き殺す事件も多数起きており、「人間の盾」としてパレスチナ入りしたアメリカ人のレイチェル・コリーも轢き殺された一人である。なお、イスラエル軍のブルドーザーは、米国キャタピラー社の特注品である)、戦車による砲撃、銃撃などでパレスチナを攻撃しており、子供などを含んだ多数のパレスチナ市民が犠牲になっている。イスラエル軍の攻撃は、農地や発電所などのインフラにもほぼ無差別に及んでいる。

イスラエル支配下のパレスチナ人地区では、住居の建設はイスラエルの許可が必要だが、イスラエルの市民団体「ピース・ナウ」によれば、申請の94%が却下される[3]。特に、イスラエルが行政・治安共に実権を握るC地区では、2008年2月現在、パレスチナ人の住居は、自分の土地であっても過去10年間1軒も許可されていない。住居がなければ生活できないので、やむなく無許可で家を建てるが、イスラエルは無許可を理由に住居を破壊するのである。イスラエルは、こうした「無許可」の建物の1/3に破壊命令を出している。

また、2002年4月にイスラエル軍のジェニン地区侵攻でパレスチナ人の虐殺が行われたとパレスチナが主張したが、イスラエルはそれを否定し、国連の査察受け入れを拒否して国連査察団が現地に入ることなく解体してしまうなど、イスラエルは国連や第3国からの介入を基本的に拒否している。

[編集] 国際社会の対応

2002年2月にサウジアラビアアブドラ皇太子がイスラエルが全占領地から撤退すれば、国家として承認するという中東和平の提案をし、6月にアメリカ大統領のブッシュがパレスチナ暫定国家建設を支持し、イスラエルが入植活動を停止し、パレスチナがテロ組織を解体するという中東和平構想を発表した。
2003年4月アメリカEUロシア国際連合の4者により中東和平案のロードマップがイスラエルとパレスチナ自治政府に提示された。10月に国連総会で分離壁の建設中止についての決議が採択された。

アメリカはイスラエルと極めて関係が深く、国連安保理でイスラエルを非難する内容の決議案が出されると、ほぼ確実に拒否権を発動している。民間レベルでも、2008年3月のギャロップ社の世論調査[4]によれば、イスラエルへの好感度は71%で上から5番目(上からカナダイギリスドイツ日本の順)と比較的高いが、逆にパレスチナ自治区への好感度は14%で下から3番目(下からイラン北朝鮮の順)と低く、親イスラエル・反パレスチナの国民感情を示している。

また、軍事援助も継続して行っている。2007年7月29日にイスラエルのオルメルト首相が明かしたところによると、イスラエルはアメリカに対し、従来の25%増となる、10年間で300億ドル(約3兆5000億円)の軍事援助を取り付けた。従来は年間24億ドル(約2800億円)(AFP通信米政府、イスラエルに10年で300億ドルの軍事支援に合意 * 2007年07月29日 21:35 発信地:エルサレム/イスラエル」)。この金額は、イスラエルの軍事費の2割以上に相当する。

これは無償援助のみの額で、有償での借款や兵器の売買などを含めると、アメリカによる出資はさらに巨額になる。

ドイツは、ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)の負い目もあって、イスラエルの全面支援を表明している。その他の欧州諸国は、パレスチナは未承認だが、米独に比べるとイスラエルに批判的である。

アジア、アフリカ諸国は、大部分がパレスチナを承認している。中華人民共和国は、パレスチナを承認する一方、2007年1月10日 - 11日には胡錦涛国家主席、温家宝首相がイスラエルのオルメルト首相と会談するなど、両にらみの態度を取っている。

日本は、パレスチナは未承認であり、現在は将来の承認を予定した自治区として扱っている。パレスチナに物資の援助は行うが、ハマースへの対応は欧米に歩調を合わせている。また、日本の援助で建てられたパレスチナの施設が、イスラエルにしばしば破壊されているが、これについてイスラエルに抗議は行っていない。2008年2月25日、イスラエルのオルメルト首相は来日し、2月27日福田康夫首相と会談した。福田首相は、「平和と繁栄の回廊」構想の具体化を急ぐ考えを改めて表明し、会談後両国の関係強化などを盛り込んだ共同声明を発表した。また、イスラエルが北朝鮮によるシリア、イランへの軍事協力を示す情報を提供することも分かった。しかし、イスラエルのガザ地区などへの攻撃については、日本は何も触れなかった。翌2月28日、オルメルト首相は、日本の記者クラブの講演で「北朝鮮とイラン、シリア、ヒズボラ、ハマースは悪の枢軸だ」と述べた。北朝鮮はこの動きに反発し、「イスラエルこそ危険な反動勢力」と主張した[5]

報道については、双方が相手に有利な偏向報道を行っていると主張している[6]。イスラエルは、2008年3月12日カタールの放送局アルジャジーラを、ハマース偏向を理由に取材拒否した。さらに、アルジャジーラ本社やカタール政府に懸念を表明する文書の送付や、アルジャジーラ記者のビザ発給制限も検討している。しかし、少なくとも日本においては、双方の犠牲者と報道量を比較すると、イスラエル側の犠牲者に相対的に手厚い報道を行っている。

当事者のプロパガンダ(宣伝)も活発で、インターネットでも互いの関連サイトが多数存在する。2008年12月29日には、イスラエル国防軍によるYouTubeチャンネルが設けられた。

[編集] 境界を越えた分離壁の建設

この一方でイスラエルはパレスチナ人居住区とを分断する壁を一方的に築いている。イスラエルは「Wall(壁)」ではなく「Fence(フェンス、柵)」であると主張し、「反テロフェンス」と呼んでいる。壁は、イスラエル領土だけで無く、イスラエル領域外の入植地を囲む形で建設が進められている。第1次中東戦争の停戦ラインでパレスチナ側とされた領域も壁の内部に取り込まれており、事実上の領土拡大を進めている。2004年7月9日、国際司法裁判所は、イスラエルによる占領下にあるパレスチナにおける壁の建設が国際法に違反するという勧告的意見を下した。イスラエル側は現在も壁の建設を続行している(エルサレム周辺地図(英語) 青地がイスラエル入植地、灰地がパレスチナ人居留区、黒実線が壁、灰実線が計画中の壁。全体図は外部リンクからパレスチナ赤新月社による地図参照)

また、単に壁を作るだけではなく、道路の通行規制も行っている。パレスチナ自治区であるべき地域に、イスラエル人専用道路(パレスチナ人立ち入り禁止)や、パレスチナ人の通行制限されている道路が多数存在している(地図:ヨルダン渓谷沿い入植地群)。さらに、イスラエルは要所に検問所を設け、気まぐれに通行規制を行い、パレスチナの多数の病人や怪我人を死に追いやっている。また、パレスチナより先進医療の整備されたイスラエルでの治療を求める患者に対し、イスラエルの密告者スパイ)になるよう要求し、断った者に治療拒否する事件も起きている(Israel accused of forcing patients to be informers(「イスラエル、患者に密告者であることを強制し非難される」、英語))。このようにしてイスラエルは、パレスチナ人のあらゆる交通・物流を制限し、居住区に押し込めている。

[編集] アラファト後

アラファト議長(正式には大統領であるが、日本などはまだ国家として承認していないためこのように呼んだ。日本政府の正式な呼称は「自治政府長官」であったが、2006年に「自治政府大統領」に改められた)の死後、2005年1月の自治政府議長選ではマフムード・アッバースが当選した。しかし、選挙中に武装部門のファタハに担ぎ上げられたり、その一方で武装闘争は誤りであったと述べるなどという言動もあったので過激派への対策がどのようになるかは不透明である。

[編集] ガザ撤退と西岸の入植地堅持

2005年4月には、アメリカの大統領のブッシュがイスラエル首相のアリエル・シャロンとの会談で、2005年8月を目処にイスラエル側がガザ地区の入植地からの撤退を予定する一方でヨルダン川西岸地区最大のマーレ・アドミム地区への入植地拡大を計画していることに対し、「中東和平の行程表(ロードマップ)に反する。」として、強い懸念を示した。シャロンと「約束の地」への思い入れが強い宗教右派の間には対立が存在し、更には入植者が強い抵抗を示す中で、治安部隊によるガザからの退去作業が8月17日より開始され、ガザの入植地は解体された。しかし、ヨルダン川西岸地区の入植地は明け渡さず、逆に新たな入植地の拡大を進めている。

[編集] 選挙でのハマースの勝利

2006年1月には、パレスチナ総選挙でハマースが第一党になり、3月29日、アッバース議長の元でハマースのハニーヤ内閣が成立した。ハマースをテロ組織と指定するEU、アメリカ、日本などは援助を差し止め、ファタハとハマースの武装衝突が激化するなど、パレスチナの混迷が続いている。

[編集] 再びガザ侵攻

2006年6月27日には、アッバース議長とハマースのハニーヤ首相が1967年の国連停戦決議に基づく国境線の合意(事実上のイスラエル承認)で合意した。しかし、イスラエルはパレスチナ人に対する予防拘禁の強化を図る一方、兵士の拉致を理由に逆にガザ侵攻を拡大。ヨルダン川西岸地区では閣僚を含む立法評議員(国会議員に相当)、地方首長を約80人を拉致し、評議会を機能停止に追い込んだ。カタールは国連安保理にイスラエルのガザ撤退および閣僚等の解放を求める決議案を提出した。しかし、7月13日、米国の拒否権で否決されている。また、同月12日から13日にかけて、日本の小泉純一郎首相はイスラエル、パレスチナを訪問し、イスラエルのオルメルト首相、パレスチナのアッバース議長と会談。しかしハニーヤ首相と会おうとはしなかった。小泉首相はヨルダンを含めた4ヶ国協議を提案し、それぞれの賛同を得た。しかし、イスラエルにガザ侵攻への自制を求めた件については「イスラエルの立場は明確だ」と退けられている。また、ハマース政権成立後では初めて、パレスチナに対する約3000万ドルの人道支援を発表した。ただし、直接援助はイスラエルの反発に配慮し行わず、世界食糧計画などを介した形となる。

その後もイスラエルとパレスチナの断続的な衝突が続いた。11月1日、イスラエルは再びガザ地区に侵攻。7日までにパレスチナは軍民合わせて50人以上、イスラエルは兵士1人が死亡した。イスラエルは撤退を表明したが、翌8日すぐに攻撃を再開、ガザ地区北部のベイトハヌーンでパレスチナ市民が少なくとも19人死亡し、アッバース議長は「イスラエルは平和への機会を破壊している」と非難。ハマースは報復を宣言した。イスラエルは誤爆と主張。事件の解明まで攻撃を中止すると発表したが、パレスチナ活動家の暗殺は続けている。ベイトハヌーンの事件について、再びカタールは国連安保理に非難決議案を提出した。フランスなどの要求で、パレスチナ側のロケット攻撃も非難する修正案に改められたが、11月11日、やはり米国の拒否権で否決された(日本は棄権)。

パトリック・オコナーによると、2000年から2006年11月3日までの、パレスチナ側とイスラエル側の犠牲者数の比率は39:10である。しかし、2006年は258:10で、3月のハマースの政権参加後に限ると、762:10にまで差が広がったという([7])。すなわち、ハマースは政権参加後おおむね停戦を守っているが、イスラエルは一方的にパレスチナ人の殺害を続けているという指摘である。
一方イスラエル諜報機関の元長官アヴィ・ディクターは、分離壁の建設によって自爆テロを90%阻止することが出来たと証言している。[8]実際、自爆テロは未遂の時点で逮捕されているケースが多く[9]、ハマース側が自粛しているのではなく、物理的に自爆テロが出来ない状況になっているという主張である。なお、このような状況下でハマースはロケット砲による無差別攻撃に攻撃を転換したとの指摘もある。
また、『毎日新聞』2006年12月31日号でイスラエルの人権団体「ベツェレム」のまとめを報じたところによると、2006年中の12月27日までの集計で、イスラエル軍に殺害されたパレスチナ人は660人(未成年141人)、パレスチナ側に殺害されたイスラエル人は23人であった。パレスチナ側の犠牲者は前年の3倍以上で、逆にイスラエル側の犠牲者は、2000年以降では最少であった。パレスチナ側犠牲者のうち、少なくとも322人はイスラエルへの敵対行為に参加しておらず、イスラエル側犠牲者のうち17人は一般市民であったという。同様に、パレスチナの「パレスチナネットワーク」によると、イスラエル軍に殺害されたパレスチナ人は742人(子供144人、暗殺死210人。数字はのべ)。負傷者は3735人、連行者は5671人(子供約300人)であったという(「Year end statistics: Israeli forces killed 742 Palestinians, injured 3,735 and arrested 5,671」、英語。イスラエル側犠牲者の調査はない)。パレスチナのバルグーティ情報相は、世界銀行の調査を元に、イスラエルによる(パレスチナに対する)アパルトヘイトが行われていると主張した(「Barghouthi: The World Bank Report shows Apartheid established by Israel in Palestine」、英語)。

[編集] パレスチナ内紛と続くイスラエルの侵攻

パレスチナ内部でも、米欧・イスラエルの支持を受けるファタハと、ハマースの内部抗争が続いている。2006年にハマースは選挙での多数を根拠に単独内閣を組んだものの、国際社会は認知しようとしなかった。ファタハとハマースの間で連立政権の交渉が進められたが、両者の抗争で2006年中だけで28人の死者を出している[10][11]

2007年には、両者の抗争で50人に及ぶ死者を出した。5月16日には、ハニーヤ首相の自宅に何者かの発砲事件があり、5月17日には、ハマースによるアッバース議長の暗殺計画が発覚。5度に及ぶ停戦合意がなされているが、合意の直後に抗争が再開される状況が続いている。6月11日からの抗争は、ハマースがガザ地区を武力占拠したことで、本格的な内戦に突入。アッバース大統領は非常事態宣言を出し、内閣の解散を宣言。イスラエルや米国は、ハマースを排除したファイヤド政権を正式な交渉相手と認めた。6月20日、アッバース大統領は「人殺しのテロリストたちとは対話はしない」と、ハマースを相手にしないことを表明した。

平行して、イスラエルによる攻撃も続いている。4月24日、ハマースはイスラエルによるパレスチナ自治区ヨルダン川西岸とガザ地区攻撃への報復として、ガザ地区からイスラエルへロケット弾の攻撃を行った。ハマース側はイスラエルの攻撃に対する応戦であり、停戦そのものを破棄するつもりはないと主張したが、イスラエルはガザ地区への空襲を繰り返し行い、さらに地上部隊の再侵攻を主張する声も強くなった。極右政党「わが家イスラエル」党首のリーバーマン副首相は「イスラエル軍がハマース壊滅のための地上作戦に踏み切らなければ、連立政権から離れる」と主張した。

5月20日には、ハマースのハリル・アルハヤ立法評議員(国会議員)宅が空襲を受け、アルハヤはハマースとファタハの停戦協議のため不在で難を逃れたが、8人が死亡した。イスラエル側はアルハヤを標的にしたものではなく、付近にいた武装集団を狙ったものと主張した。5月21日、パレスチナ側の攻撃でイスラエル人1人が死亡すると、イスラエルのリブニ外相は共同記者会見で「停戦は幻想で、ロケット弾はハマスが平穏に乗じて武器の密輸を行った結果だ。われわれはハマースと戦い続ける」と述べた。また、同国のアビ・デヒテル警察相は、ハマースの事実上の最高指導者であるハーリド・マシャアルについて、「彼の存在は正当な標的である以上だ。困難な使命ではあるが機会さえあればいつでも、彼を我々の前から消すことだろう」と暗殺を公言し、さらにハニーヤ首相の暗殺についても「(イスラエルに対する)攻撃命令を出している者の中にハニーヤが連なっているならば、彼も正当な標的となる」と実行に含みを持たせた(「警察相、ハマス最高指導者の殺害を予告 - イスラエル * 2007年05月21日 20:10 発信地:イスラエル」)。

さらに、5月31日、ユダヤ教スファルディーの前首席ラビであるモルデハイ・エリヤフは、オルメルト首相に「ユダヤ人の戦争倫理によると、個人の不道徳な行為について、市全体が集団的な責任を負う。ガザではカッサムロケットの発射を止めないから、すべての人口に責任がある」と主張する手紙を出し、シナゴーグに内容を配布した。パレスチナ『エレクトロニック・インティファーダ』紙のアリ・アブニマーは、「イスラエルでこの類のパレスチナ人に対する大量虐殺をそそのかす憎悪が語られるのは珍しいことではない。では、ムスリムやパレスチナの指導者がこのようなことを言ったらどうなるか。イランアフマディネジャド大統領が伝えられたところでは、イスラエルを取り除くことを述べたときに、国際社会がどう激しく抗議をしたかを私たちは知っている。アフマディネジャドを非難して、ご機嫌取りをしていたすべてのEU官僚は、このイスラエルの前首席ラビに対して、同じような強く、公的な立場を取るのだろうか?」と批判した。

6月28日、イスラエルはガザに地上部隊を侵攻させ、軍民合わせて少なくとも12人を殺害。さらに、15歳から50歳の男性に家から出るように命じ、町の広場に集めさせた。

11月27日、米国の仲介で開かれた中東和平国際会議において、ブッシュ米大統領、オルメルト・イスラエル首相、アッバース・パレスチナ自治政府議長は和平交渉再開を確認した。しかし、ブッシュはイスラエルを「ユダヤ人国家」と定義づけ、イスラエル領及びイスラエル占領下の地への帰還を望むパレスチナ人や、イスラエルの非ユダヤ人住民の神経を逆なでした。イスラエルは、自国をユダヤ人のみの単一民族国家と定義づけることを望んでおり、ブッシュはその意を汲んだといわれている。また、イスラエルは交渉再開を表明する一方、連日ガザ地区の攻撃や空襲を行い、11月30日には、ガザ再侵攻の準備が整ったことを発表した。

2008年1月、ブッシュ米大統領はイスラエル・パレスチナを歴訪。1月9日にはイスラエルでオルメルト首相と会談し、1月10日には初めてパレスチナを訪問し、アッバース議長と会談した。ブッシュ大統領は、イスラエルの入植地について「1967年に始まった占領を終結させる必要がある」と述べ、またパレスチナ自治区を入植地が分断している現状について「スイスチーズ(穴あきチーズ)ではうまくいかない」と批判した[12]。一方、パレスチナに対しては「テロとの戦い」の継続と、ハマースからのガザ地区奪還を要求した。
しかし、イスラエルのガザ地区攻撃については「パレスチナ領域がテロ組織の天国になってはならない」と理解を示し、イスラエル領への帰還を望むパレスチナ難民についてはこれを認めず、保証金で解決する考えを示した[13]。入植地についても、具体的にまとまったのはイスラエル政府が違法とする入植施設の撤去を約束したことだけで、既存の入植地・検問所については追認する考えを示すなど、イスラエルに有利な現状を追認するに留まった。『東京新聞』『中日新聞』は、これを「イスラエルの『独り勝ち』」と評した[14]。パレスチナではブッシュに抗議するデモが行われ[15]、イスラエルでの世論調査では、和平の進展に懐疑的な意見が多数を占めた[16]

並行して、ハマース側はイスラエルをロケット弾で攻撃し、イスラエルは報復にガザ地区を攻撃。1月15日にはガザ市街に侵攻し、民間人5人を含む17人を殺害した。ハマース側は、イスラエルの集団農場(キブツ)で作業していたエクアドル人ボランティア1人を殺害した。1月18日には、イスラエルの空襲でガザにある内務省ビルが破壊された。1月の間に、パレスチナ側からは少なくとも96人の犠牲者が出た。イスラエルのバラク国防相はロケット弾攻撃の報復にガザ地区の完全封鎖を指示し、国連の援助車両も閉め出した。燃料の供給が止まったため、ガザ地区唯一の発電所は操業不能となり、ガザの電気の1/3(イスラエル側の主張によれば、1/4)が供給できなくなった。また、食料などの生活必需品も、イスラエルの兵糧攻めにより深刻な状況となっているという[17]。17日には、国連の潘基文事務総長が「パレスチナ人による襲撃の即時停止、ならびイスラエル軍の最大限の自制を求め」る声明を出したが[18]、イスラエルとハマースはこれを無視した。

[編集] 2008年~2009年ガザ侵攻

[編集] イスラエル「暖冬作戦」

2008年2月28日、来日中のオルメルト首相は、コンドリーザ・ライス米国国務長官と会談し、同日帰国した。オルメルトは、攻撃の自重を求めるライスに対し、「脅威が去るまでは(攻撃を)続ける」とこれを拒否した。また、2月29日、イスラエルのマタン・ヴィルナイ国防副大臣は、「カッサムロケット弾がさらに撃ち込まれ、遠くまで着弾するようになれば、パレスチナ人はわが身のうえに大規模なהשואה(shoah、ショアー、ナチスによるユダヤ人大虐殺を意味する)を引きよせることになるだろう。というのは、我々は防衛のために全力を使うからだ。」[19]と述べ、ハマースが攻撃を止めないならば、パレスチナ人を大虐殺すると脅した。この発言にイタン・ギンツブルグ国防副大臣などは、「ショアーは災害を表す普通名詞で、ジェノサイド(大量虐殺)を意味しない」[20]と火消しした。ハマースは、この発言に「(やはりイスラエルは)新しいナチス」であったと反発した。

3月1日、イスラエルはガザ地区への地上部隊の侵攻を本格化させ、この日だけでパレスチナ側に61人の犠牲者が出た。イスラエル軍は、これを「暖冬作戦」と称している。イスラエル軍が、ハマースのロケット弾攻撃による死者が出たことを理由に(ただし、それ自体イスラエル軍の空襲で、ハマースに5人の死者が出たことに対する報復)攻撃を激化させた2月27日以降、ガザ地区からひとまず撤退した3月3日までの6日間に、パレスチナ側は116人(約半数は非戦闘員)、イスラエル側は3人(1人は非戦闘員)殺害されている。3月2日、国連の潘基文事務総長は、イスラエルに作戦中止を要請し、またハマースのロケット弾攻撃を「テロ行為」と批判した。しかし、イスラエルのオルメルト首相は「テロとの戦いをやめるつもりはない」と作戦継続を宣言し、これを拒否した。同日、パレスチナ自治政府のアッバース大統領は、ガザ侵攻を止めるまで和平交渉の中断を発表した。

3月3日、イスラエル軍はガザ地区から撤退し、ハマースは勝利宣言を出した。しかし、オルメルト首相は「寛大な措置を施す時期ではない。(パレスチナへの)応戦を続けるが、応戦は具体的な作戦や日時に限ったものではない」と再侵攻の意志を示し、さらにあるイスラエル政府高官は、3月4日と5日にライス米国務長官がイスラエルとパレスチナを訪問する予定に触れ、「(ライス)長官の訪問に合わせ、二日間の中休みを取っただけ」と言った[21]。3月4日夜、イスラエル軍は戦車で再侵攻を行い、武装勢力幹部宅を襲撃し、幹部と来客の乳児を殺害。幹部の子ら数名を連行して引き揚げた。ライス米国務長官は、アッバース大統領に対し、ガザ侵攻中止は和平交渉再開の条件にはならないとの見解を示し、またイスラエルのガザ侵攻については、「自衛の権利があることを理解する」とこれを容認した。アッバースは、和平交渉の再開は認めたが、双方の見解の相違もあり、具体的な日程の見通しは立っていない。イスラエルは、「暖冬作戦」の第2弾として、都市に隠された武器捜索を予定しているという。

3月6日、イスラエルの神学校にパレスチナ人の男が乱入、生徒ら8人を射殺し、男はイスラエル治安当局に射殺された。神学校は、ユダヤ人入植者の思想的拠点だった。アッバース大統領、米ブッシュ大統領、潘国連事務総長らは相次いでテロ非難声明を出した。また、ブッシュ大統領は、オルメルト首相に電話で弔意を伝えると共に、「米国はイスラエルを強く支持する」と述べた。一方、ハマースは「(パレスチナ人)虐殺に対する自然な反応だ」と、犯行を支持する声明を出した。米国は、国連安保理でテロ事件として非難声明の採択を要求したが、リビアがイスラエルによるパレスチナ攻撃も非難すべきと主張し、採択は見送られた。犯行そのものについては、ハマースが認めたという報道[22]と、ヒズボラ関係者とする報道[23]があり、情報は錯綜している。
3月10日、エジプトの仲介で、イスラエルとハマースは当面の攻撃自制に同意した。しかし、オルメルト首相は「軍はガザで必要なだけ行動する」と述べており、また停戦の条件として、ハマースはイスラエルのガザ封鎖解除を、イスラエルはハマースの武器密輸停止を要求している。3月12日、イスラエルはベツレヘムなどでイスラム原理主義組織イスラム聖戦の幹部ら5人を暗殺し、イスラム聖戦はガザ地区からロケット弾で報復攻撃した。イスラエルはガザ地区を空襲し、イスラム聖戦の戦闘員4人を殺害した。

一方、パレスチナ自治区内のイスラエル入植地については、3月9日には、イスラエルは「9年前に決定していた」ことを理由に、ギバットゼーブ入植地の拡大を決定した。日本や国連などは、入植地拡大に懸念を表明した。3月31日にも、「拡大凍結の対象外」と主張し、東エルサレム郊外の入植地増設を発表した。ライス米国務長官は、「入植を止めるべきだ」と批判した。一方、イスラエルが設けている400以上の検問所・道路封鎖について、約50箇所で撤去を発表した。

4月に入ってもガザ地区での攻撃は続いており、4月中だけでパレスチナ側は46人以上、イスラエル側は10人の犠牲者が出ている。この他、4月16日には、ロイター通信のファデル・シャナカメラマンが、イスラエル軍の砲撃で殺されている。また、イスラエルは国連人権委員会によって調査のためにイスラエル入りする予定であったリチャード・フォークの入国を、「イスラエルの行いをナチスと比べるなど、調査官として不公平」という理由で拒否した。

[編集] 半年間の停戦

6月19日、エジプトの仲介でハマースとイスラエルは6ヶ月の停戦に踏み切った。断続的に衝突は続くもののまだ平和であった。しかし、11月4日、イスラエルはエジプトとの地下通路が掘られているという理由で空襲した。その結果、ハマースは停戦中として攻撃を手控えたが、イスラム聖戦などが報復としてロケット弾を発射し、緊張が高まった。停戦期間中、パレスチナ側は20人が殺害されたが、イスラエル側の犠牲者はなかった[24]。イスラエル系の諜報テロ情報センターは、ハマースは注意深く停戦を守り、一方で他の無法組織(イスラム聖戦などのこと)との衝突は避け、停戦を維持させるための政治面からの説得を試みていると分析している[25]

12月に入り、再度エジプトの仲介のもとで停戦延長をイスラエルは試みたが、ハマースが「イスラエルがガザの封鎖解除に応じなかった」と主張し、延長を拒否したため12月19日失効した。イスラエル側は、当初の合意事項であった「ガザに対する封鎖の段階的解除」は実質行われており、武器兵器などは勿論論外であるが人道物資などを初めとする様々な流通があったとしている。しかし、赤十字社は11月4日以降、封鎖は再び厳しくなり、ガザの状況を「破滅的」と報告した。国連調査官のリチャード・フォークは12月9日、イスラエルが流入を認める物資は「飢餓と病を避けるにはギリギリ」であり、イスラエルによる「パレスチナ人への集団的懲罰は人道に対する罪」であるとの見解を示した。また、ガザ地区からの輸出は、2月以来完全に禁止されたままである[26]

ヨルダン川西岸地区では、12月12日、イスラエルは主要入植地4箇所を含む西岸の6.8%を自国領として併合し、難民の帰国を5000人にとどめる提案を行った。イスラエルは当初の要求であった7.3%から譲歩したが、いずれにせよパレスチナ国家樹立に欠かせない土地であるとして、自治政府は要求を拒否した。

[編集] イスラエル「鋳られた鉛("Operation Cast Lead")作戦」

ガザ侵攻 (2009年)も参照

イスラエルハマースの間では、2008年6月から半年間にわたって停戦が続いていた。6月19日、エジプトの仲介でハマースとイスラエルは6ヶ月の停戦に踏み切った。断続的に衝突は続くもののまだ平和であった。そして、12月に入り、再度エジプトの仲介のもとで停戦延長をイスラエルは試みたが、ハマースが「イスラエルがガザの封鎖解除に応じなかった」と主張し、延長を拒否したため12月19日失効した。 停戦の期限が切れる前から、ハマースはロケット弾迫撃砲などで攻撃を再開。このハマースの度重なるロケット砲によってイスラエル人、一人が死亡した。[27]また、再三のイスラエル側からの警告があったにも関わらず無差別のロケット砲攻撃をハマースはやめなった。[28] 12月27日(現地時間午前11:30、UTC午前9:30[29])、イスラエルはガザ地区を空襲し、同日だけで200人以上が犠牲者となった。イスラエル軍は、「ハマースのテロ作戦従事者」および訓練キャンプと武器庫を標的としたと声明を出した。なおイスラエルは武器輸入を止めないハマースを6ヶ月前、即ち停戦期間中からその拠点を調べ、今後起こりうるであろう軍事作戦の計画をしていた。[30]。両者の交渉を仲介したジミー・カーターによると、イスラエルは非公式に、48時間ロケット弾を発射しないのならば、通常の15%の物資供給は可能だとの見解を示したが、ハマースは拒否し、その結果イスラエルの報復攻撃が始まったという[31]

2009年1月17日までの22日間で、地上戦も含めパレスチナ側で殺害された人数は少なくとも1300人[32]AFP通信、パレスチナ自治政府保健省)を数え、第三次中東戦争以来最悪の数である。イスラエル側の殺害された人数は13人(イスラエル政府筋、ただし味方の誤射で死亡した4人を含む。3人は民間人。ハマース側は、地上戦で10人を殺害したと主張[33])パレスチナ側死者のうち、イスラエル側主張[34]によれば、ハマースの戦闘員500人を殺害、130人を拘束[35]した。ハマースのアブジャアファル(仮名)小隊司令官は、殺害されたのは48人と主張した。家屋全壊は4100棟、損壊は17000棟。地上戦突入後は救急車が現場に向かえず、死者の実数は把握し切れていないという。ヨルダン川西岸地区では、ガザ侵攻に抗議したパレスチナ人1人がイスラエル軍に射殺された。  国際連合も、攻撃に巻き込まれた。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によると、イスラエル軍のガザ侵攻で、約15000人の住民が自宅を失うなど難民化し、国連が設けた23箇所の避難所に収容中と発表した。避難所のうち、国連が運営する学校はイスラエル軍の砲撃で、少なくとも48人が殺害された[36]。イスラエル側は、死者に数人のハマース戦闘員が含まれていると発表したが、UNRWAガザ事務所のジョン・ギング所長は「学校に戦闘員などいなかったし、校内からの攻撃もなかった」と反論した。またイスラエルは誤爆したことを認めたとジョン・ギング所長は語っているが、イスラエル軍は、誤爆を認めておらず、学校に導火線が張り巡らされているのを軍用犬が見つけ、ハマースの攻撃があったと兵士が証言している。
1月8日には、UNRWAの輸送トラックがイスラエル軍に砲撃され、1人が殺害された[36]。UNRWAは、イスラエル軍が職員の安全を保証するまで活動を停止すると発表[37]したが、1月9日にイスラエル政府から安全確保の保証が得られたとして活動を再開した。1月14日、UNRWA本部が空襲を受け、支援物資の食糧・医薬品などが焼き払われた[38]。また、3人が負傷した。

1月9日、国連人道問題調整事務所(OCHA)は、パレスチナ自治区ガザ地区のガザ市近郊のザイトゥン地区で5日、イスラエル軍が約110人のパレスチナ人市民を1軒の住宅に集めた上でそこに戦車で複数回砲撃を行い、子供を含む約30人が死亡したと発表した[39]

イスラエルのニシム・ベンシトリット駐日大使は2008年12月28日、「われわれは国民を守るために、ハマースの施設への攻撃実施を決めた。(ハマースが)何らかの対応をとった場合は、われわれも考え直すだろう。しかし、彼らが攻撃を続けるなら、われわれも攻撃を続ける」と主張した。

12月29日、米国家安全保障会議のジョンドロー報道官は記者団に「米国はイスラエルに自衛が必要であることを理解している」とイスラエルの正当性を擁護し、今回の事態の発端となったハマースの攻撃停止を要求した。イギリス、ドイツもイスラエルの自衛権の発動であると認め、さらにエジプトやパレスチナ自治政府さえもハマースの暴挙を非難している。ハマースは自治政府とエジプトの態度に「裏切り者」と反発した。また、エジプト情報当局は12月26日夜、48時間以内の攻撃はないであろうとの予測をハマース側に伝えていたが、ハマースが挙行した警察学校卒業式会場などが空襲の格好の標的となり、死者を増やした。そのため、ハマースは「エジプトに騙された」と非難した。

一方、湾岸協力会議首脳会議は12月30日、イスラエル非難を声明した。国連の潘基文事務総長は29日までに連日双方に停戦を呼びかける声明を出したが、事実上黙殺されている。日本は12月31日、麻生太郎首相が民間人の犠牲に遺憾の意を表明し、イスラエルに対し速やかに攻撃の停止を求めた。

2008年12月30日と2009年1月1日、フランスは人道物資搬入のための48時間の停戦案を出したが、ハマスの継続的なロケット砲攻撃を停止するためには不十分であるとし、イスラエルは拒否した。イスラエルのリブニ外相は、仏サルコジ大統領に対し、「われわれは、ガザの人道的状況をあるべき姿に維持している」と主張した。ハマースは、イスラエルの攻撃停止とガザ地区包囲解除が停戦の前提との見解を示した。

12月29日、イスラエルのバラク国防相はハマースとの「全面戦争」を宣言した。

ガザ地区の住民は、ハマースの実効支配を理由に、地区外への避難は負傷者の手当などの特例を除き認められていない[40]。2009年1月2日、イスラエルは非パレスチナ人に限り脱出を許可し、約200人が退去した。

一方、イスラエル世論の空襲支持は高く、イスラエル国内のメディア・『ハアレツ』紙2009年1月1日号によると、52%が空爆継続、19%が地上侵攻を支持。停戦支持は20%だった。また、2月に予定されているクネセト総選挙の議席予想では、空爆直前の調査では与党は定数120中55議席だったが、60に伸ばす見込みであるという[41]。このため、攻撃は一説に2006年のレバノン侵攻失敗や自身の金銭スキャンダルを帳消しにしたいオルメルト暫定首相[42]ら与党側が仕組んだ「選挙対策」ではないかとする見方も出ている [43]

1月3日夜、イスラエル軍はガザ地区の地上侵攻に踏み切った。イスラエル軍はガザ地区に三方から侵攻し、ガザ地区を三分断。ガザ地区最大の都市ガザ市を包囲した。国連の潘事務総長はオルメルト首相に「深い懸念と失望」を伝え、攻撃の即時停止を求めた。パレスチナ自治政府とエジプトも地上戦開始に非難声明を出した。リビアが国連安保理にイスラエルを非難する停戦決議案を出したが、米英の反対で採決には掛けられなかった。フランスを中心とした欧州連合は停戦を働きかけたが、イスラエルは拒否。しかし、欧州連合はイスラエルとアッバース大統領の自治政府とは交渉しているが、ハマースを「テロ組織」とする立場から、ハマースへの直接交渉は一切行っていない。イスラエルも同様である。

米国ブッシュ大統領は1月5日、「自衛を望むイスラエルの立場を理解する」と述べ、イスラエルが目標を達成するまで攻撃を支持する構えを見せた。一方、米国は停戦の条件として〈1〉ガザを実効支配するハマースのロケット弾発射停止〈2〉エジプトからガザへの武器密輸ルートとなっているトンネルへの対処〈3〉ガザとイスラエルとの境界にある検問所の再開を提示したが、ハマースはイスラエル寄りであるとして拒否した。ハマースは同日、エジプトに外交団を派遣した。ベネズエラ1月6日、イスラエルへの抗議として、イスラエル大使を追放した。

1月7日、人道物資輸送のため、イスラエル軍は隔日で3時間の攻撃停止に行なった。これによりガザの住民はごく短時間ではあったが、安堵するときが与えられた。しかし困難な状況は変わっていない。

1月8日のイスラエル軍によるUNRWAへの攻撃は、攻撃停止されているはずの時間帯であった。同日、国連安保理は英国提出による双方に「即時かつ永続的停戦を求める」決議を採択した。米国は拒否権発動を見送り、棄権した。しかし、当事者は停戦決議を無視した。また、米国の上下院は相次いでイスラエル全面支持の決議を行った。1月13日、ガザ市で地上戦に突入した。1月14日ボリビアベネズエラはイスラエルと断交した。イスラエル、ハマース双方は実質的にエジプトを介して停戦交渉中である。しかし、イスラエルは一切の譲歩を避けるため、一方的に停戦を宣言した[44]。ハマースはこれを拒否し、その後も衝突は続いたが、1月18日にハマース側が1週間の停戦を表明したことで、一応の終結を見た。1月21日にイスラエル国防軍は、ガザ地区から撤退した。これは、1月20日バラク・オバマのアメリカ大統領就任に配慮したものといわれている。オバマは「イスラエルの自衛権」に理解を示す声明を出し、引き続き米国はイスラエル支持を鮮明にした。一方、ジョージ・ミッチェル元上院議員を中東問題特使に任命したが、米国最大のユダヤ人団体名誉毀損防止同盟エイブラハム・フォックスマン委員長は、「ミッチェル氏は中立だ」「だから心配だ」と不満を口にした[45]。また、イスラエル軍の攻撃が戦争犯罪として訴追される可能性があるため、イスラエルは閣議で、訴追される可能性のある全ての軍関係者を守る方針を決めた[46]

イスラエルはガザ地区の封鎖を継続しており、ハマースはもとより、他の住民も密輸トンネルの再建で対抗しようとしている。これは民生品が長期の包囲で不足しているためである。ハマースは1年の、イスラエルは1年半の停戦案を提示したが、進展は見られない。

双方による報道管制も行われている。特に、イスラエルは報道関係者のガザ地区への立ち入りを一切禁じ[47]アルジャジーラなど従来よりガザ地区に記者が駐在しているマスコミ以外は、直接取材は不可能に近い状況になっている。1月3日の地上侵攻作戦では、規制解除前に報じたイランの記者を逮捕した[48]1月9日には米3大ネットワーク(ABCCBSNBC)やCNN、欧州の主要メディアなどが連名で、現地取材を認めるよう声明を出した。イスラエル最高裁は、外国メディアの現地取材を認める判決を出したが、イスラエル国防軍側はまだ認めていない[49]
また、アル=アズハル大学のアブデルワーヘド教授によれば、イスラエルはガザ地区にいる記者(ジャーナリスト)に自宅またはオフィスに留まるよう通達を出し、従わない場合は攻撃目標にするとした[50]。1月14日のガザ空襲では、マスコミの支局が多数入居しているシュルーク・タワーも攻撃を受けた。ガザ地区への記者の立入は、18日に許可制で解禁され、23日に自由化された[51]

[編集] 解決

案として、イスラエル側からは、ハマース側が武装闘争を放棄する、というものがある。自爆テロ戦術の行き詰まりと国際的孤立の状態から脱却できる。しかしこれについては、ハマース側の攻撃がない時でも、イスラエル側はハマースの要人を殺害しているとして強い反発がある。さらにイスラエルには、パレスチナ人全ての追放・抹殺を主張するタカ派も一部に存在する。そこまで行かなくても、「我が家イスラエル」党首であり、オルメルト政権に戦略問題担当相として入閣しているアヴィグドール・リーバーマンは聖地(エルサレム)からの非ユダヤ人の追放、パレスチナ自治区にイスラエルのアラブ人居住地域を譲渡する代償にユダヤ人入植地の領土化およびイスラエル領からのパレスチナ人追放、ハマースと接触した(イスラエルの)アラブ系国会議員の処刑などを主張している。少なくとも、ガザ地区以外の入植地からの撤退は認めないというのがイスラエルの方針である。

同様に、パレスチナ人の中にもハマースなどイスラエルの存在を認めないタカ派が根強いが、全てではない。和平を望むものはパレスチナ、イスラエル、双方に存在する。 現在のハマースは、「イスラエルの生存権は認めない」が、イスラエルの「1967年(第三次中東戦争)当時の国境線までの撤退と引き換えに10年間の停戦を実施」する用意があると主張。国家としての承認はしないが、存在は事実上黙認するという考えを示している(1980年の安保理決議465が根拠となっている)。

また、ハマースが多大な犠牲にも拘わらずロケット弾攻撃を止めないのは、敢えてイスラエルに報復させることで、パレスチナ内部の不満をそらせるためではないかとする見方もある[52]

また、パレスチナが国連に加盟し、独立を国際的に承認する、というものがある。 国連加盟により、パレスチナの権利は保証され、現在の状態からは脱却可能である。

なお、日本においては1973年のオイルショック以降、中東寄りの報道が一層顕著となり、中東サイドであればテロリストの組織であっても正当化するなど公平さに欠けている、との主張もある。[53]イスラエル側、ハマース側の主張が異なることも多いことから、注意深くニュースを読み解く必要があり、中立、公正の目を持ってみなければ、平和への構築を行うことは困難である。

付言すれば、イスラエル、パレスチナ双方の好戦勢力が、支配地域内における自らの存立と支配力を維持する為の大義として相手側の脅威と攻撃を利用している、という利害一致・共犯関係を無視してはならない。イスラエル・パレスチナ双方に、好戦勢力、浮動層、非戦・共生主義者が居る。それはそれぞれの支配政党の内部、あるいはその周辺においても同様、との見方が初見としてバランス的である。攻撃と犠牲の既成事実は、支配地域内を戦闘正当化へと情報操作し、扇動する材料として圧倒的力を持つ為、当地域における世論作りは常に好戦勢力に有利にあると言える。そして、攻撃・犠牲の既成事実が大義として積み重ねられてゆく中、犠牲を払い続けるのは、扇動を受ける浮動層、非戦・共生主義者、つまり大半を占める一般市民だ。国際世論がこの情報の悪循環に対して加担者とならない為には、イスラエル、パレスチナ双方の好戦勢力のシナリオに惑わされない注意深さを要する。

[編集] 「パレスチナ問題」の核心の簡素なまとめ

  • アラブ諸国との関係正常化

[編集] 脚注

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  1. ^ ◆パレスチナの歴史的変遷図
  2. ^ (2) アラブ占領地におけるイスラエル入植地に関する国連安全保障理事会決議465(仮訳)
  3. ^ 94% of applications for construction permits are rejected by Israel(英語)
  4. ^ March 3, 2008 Americans’ Most and Least Favored Nations
  5. ^ 〈論調〉 イスラエルこそ危険な反動勢力 『朝鮮新報3月14日号、『労働新聞3月9日号より転載
  6. ^ 中東問題を扱う西側メディアの規則(パレスチナ)
    シモン・ペレス The Peres Center For Peace(イスラエル、英語)
  7. ^ Israel's Large-Scale Killing of Palestinians Passes Unreported、英語
  8. ^ [Online NewsHour  http://www.pbs.org/newshour/bb/middle_east/jan-june06/israel_2-02.html]
  9. ^ [haaretz 2008年2月29日 エルサレムで17歳の少女を自爆容疑で逮捕 http://www.haaretz.com/]
  10. ^ AFP通信 ハマスとファタハ間の緊張高まる - パレスチナ自治区 2006年12月15日 01:21
    なお、この記事にあるガザ地区でのデモ行進で、「子どもを殺さないで」と書かれたプラカード涼宮ハルヒのイラストが使われていたことが話題になった。
  11. ^ AFP通信 イスラム原理主義組織ハマスがガザ地区の主要拠点を占拠 - ハマスとファタハの対立、2年間の軌跡 - 2007年06月15日 14:15 発信地:ガザ市/パレスチナ自治区
  12. ^ 「穴あき国家」は問題 ブッシュ大統領
  13. ^ 『東京新聞』『中日新聞』パレスチナ難民帰還権 米大統領 『補償金で解決を』2008年1月11日 夕刊
  14. ^ 米大統領の中東和平外交 イスラエルの『独り勝ち』 2008年1月12日 朝刊
  15. ^ George W. Bush: You are not welcome(英語)
  16. ^ AFP通信 ブッシュ大統領訪問の成果、イスラエル国民は「懐疑的」 2008年01月10日 23:03
  17. ^ 2008.01.19 ガザへの攻撃、続く 内務省ビル崩壊、一週間で死者30人超
  18. ^ 毎日の動き(2008年1月17日の項目)
  19. ^ BBC Dozens die in Israel-Gaza clashesロイター通信 Israel warns Gaza of "shoah"
  20. ^ shoahはdisaster(災害、惨事)を表す普通名詞であり、ナチスのユダヤ人大虐殺を指す時は、定冠詞のHaをつけて、Hashoahという表現を使うという。ただし、ナチスによる惨事(すなわちユダヤ人虐殺)に対して、惨事を表す他の単語ではなく、shoahが主に使われる表現であることも、また事実である。
  21. ^北海道新聞イスラエル軍 地上部隊、ガザから撤退 ハマスは「勝利」を宣言(03/04 07:40)
  22. ^日本経済新聞エルサレムで銃乱射テロ、ハマスが犯行認める
  23. ^ CNN ハマスが犯行否定、ヒズボラの関与示唆 エルサレム乱射
  24. ^ 共同通信社 ハマスが停戦終了発表 ガザで対イスラエル
  25. ^ December, 2008 The Six Months of the Lull Arrangement
  26. ^ occupied Palestinian territory The Humanitarian Monitor November 2008 Number 31
  27. ^YnetnewsMan killed in rocket strike, 12.27.2008、英語
  28. ^ “ハマス、ガザから迫撃砲攻撃 イスラエル側は反撃示唆”. 朝日新聞(. 2008年12月25日23時40分). http://www.asahi.com/international/update/1225/TKY200812250302.html 2008.12.26 閲覧。. 
  29. ^ Harel, Amos (December 27, 2008). “ANALYSIS / IAF strike on Gaza is Israel’s version of ‘shock and awe’”. Ha’aretz. http://www.haaretz.com/hasen/spages/1050405.html December 27, 2008 閲覧。. 
  30. ^ 『ハアレツ』2008年12月28日号 「Disinformation, secrecy and lies: How the Gaza offensive came about」、Barak Ravid、英語
  31. ^ワシントン・ポスト』2009年1月8日 An Unnecessary War By Jimmy Carter Thursday, January 8, 2009; A15、英語
  32. ^ 民間人とはっきりしている女性は100人、子供は410人。
  33. ^ 地上戦までのイスラエル側で殺害された人数は4人。
  34. ^ 『讀賣新聞』2009年1月21日 ガザ死者1315人、被害額1750億円に…自治政府発表
  35. ^ 戦時国際法の保護を受ける捕虜ではない、とのイスラエルの主張による。
  36. ^ a b 前記1300人に含む
  37. ^ AFP通信 国連車両をイスラエル軍が攻撃、ガザ援助活動停止 2009年01月09日 11:54 発信地:エルサレム/イスラエル
  38. ^ BBC UN building on fire in Gaza
  39. ^ イスラエル軍:住民を住宅に集め砲撃…30人死亡 ガザ 毎日新聞 2009年1月9日
  40. ^ エジプトのムバラク大統領は「パレスチナ自治政府のアッバス議長がガザ地区を掌握しない限り、全面開放しない」としている。『朝日新聞』 2009年1月3日号 「入院中の9歳少女、父「娘は空爆で口がきけなくなった」2009年1月3日3時26分
  41. ^ 『ハアレツ』2009年1月1日号 「Labor, Barak enjoy popularity surge thanks to Gaza operation」、Yossi Verter、英語
  42. ^ 2008年9月21日、汚職で辞任を表明したが、次期総選挙まで選挙管理内閣として首相の職務を続けているので「暫定」が付く。
  43. ^ Behind Gaza Operation, An Uneasy Triumviratewashingtonpost.com December 31, 2008
  44. ^ AFP通信 イスラエル、ガザ地区での戦闘で一方的停戦の構え * 2009年01月17日 09:25 発信地:ガザ市/パレスチナ自治区
  45. ^ 『The Jewish Week(週刊ユダヤ人)』 01/21/2009 Mitchell As Envoy Could Split Center、英語
  46. ^ 『朝日新聞』 イスラエル、軍幹部名の報道禁じる 戦争犯罪の訴追恐れ(1/2ページ) 2009年1月27日6時15分
  47. ^ 共同通信 2008年12月29日 イスラエルが情報統制 記者の立ち入り禁止
  48. ^産經新聞』(共同通信配信) 【ガザ侵攻】事前報道でイランTV記者ら逮捕 2009.1.6 23:16
  49. ^ 『産經新聞』 【ガザ侵攻】新しい戦場・インターネット 宣伝戦も熾烈 (2/2ページ) 2009.1.12 19:28
  50. ^ 2008-12-29 22:46:38 ガザより・・・緊急メール(3)29日 アブデルワーヘド教授/岡真理
  51. ^ AFP通信 イスラエル、報道関係者のガザ地区入境を許可へ 23日から 2009年01月23日 01:35 発信地:エルサレム/イスラエル
  52. ^ 土井敏邦「ハマス離れが始まった ガザ住民の『不満と怒り』─経済封鎖から8ヵ月の現実─」、『論座』2008年4月号
  53. ^ 「世界」2004年7月号P.33

[編集] 関連項目

[編集] 関連文献

  • 広河隆一『パレスチナ』岩波新書
  • 岡倉徹志『パレスチナ・アラブ その歴史と現在』三省堂
  • エリアス・サンバー『パレスチナ 動乱の100年』創元社
  • 奈良本英佑『パレスチナの歴史』明石書店
  • 横田勇人『パレスチナ紛争史』集英社
  • 山崎雅弘『中東戦争全史』学習研究社
  • 立山良司『図説 中東戦争全史』学習研究社
  • 森戸幸次『中東百年紛争 パレスチナと宗教ナショナリズム』平凡社
  • PLO研究センター『パレスチナ問題』亜紀書房
  • 阿部俊哉『パレスチナ』ミネルヴァ書房
  • エドワード・サイード『パレスチナとは何か』岩波書店
  • エドワード・サイード『パレスチナ問題』みすず書房
  • エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ』みすず書房
  • エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ2』みすず書房
  • エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ3』みすず書房
  • エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ4』みすず書房
  • エドワード・サイード『イスラム報道』みすず書房
  • イアン・ミニス『世界の紛争を考える アラブ・イスラエル紛争』文溪堂
  • 市川裕『ユダヤ教の精神構造』東京大学出版会
  • 立山良司『揺れるユダヤ人国家 ポスト・シオニズム』文芸春秋
  • 池田明史『イスラエル国家の諸問題』アジア経済研究所
  • ウリ・ラーナン『イスラエル現代史』明石書店
  • 高橋和夫『アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図』講談社
  • 立山良司『イスラエルとパレスチナ 和平への接点をさぐる』中央公論社
  • 鏡武『中東紛争』有斐閣
  • 土井敏邦『和平合意とパレスチナ イスラエルとの共存は可能か』朝日新聞社
  • M・ブーバー『ひとつの土地にふたつの民 ユダヤ、アラブ問題によせて』みすず書房
  • ミシェル・ワルシャウスキー『イスラエル・パレスチナ民族共生国家への挑戦』柘植書房新社
  • デイヴィッド・フロムキン『平和を破滅させた和平 中東問題の始まり[1914-1922]』紀伊國屋書店

[編集] 外部リンク