アルメニア人
アルメニア人(アルメニアじん)は、アルメニアの主要民族。インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の7割はアルメニア共和国外在住である。
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歴史 [編集]
古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。また中世の東ローマ帝国ではアルメニア系の王朝が建てられたことがある[1]。なお、アルメニア人は非カルケドン派であるアルメニア使徒教会の信者がほとんどである。
12世紀にアルメニア王国や東ローマ帝国が衰退・崩壊した後は世界中に拡散し[2]、商工業の担い手として各地にネットワークを広げて活躍した。この点はよくユダヤ人[3]と比較されることも多い。移住先に於いても独自のネットワークを築き、宗教をアイデンティティとすることなど、両者には共通している側面もある[4]。オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国の領内で独自のコミュニティを形成し、これらを結ぶ形でアルメニア商人の商業網が構築された。例えば、イランの絹を17世紀にはアレッポ、18世紀にはイズミル経由でヨーロッパ市場に供給した。
日本ではアルメニア人は商才がある民族として有名であるが、それは藤田田の著書の影響でもある[3]。
また古代から兵士としての能力があり、プルタークや東ローマ帝国皇帝ニケフォロス2世はアルメニア兵の能力を自らの著書で賞賛している。また、トゥールーン朝、ファーティマ朝といったエジプトの王朝には亡命アルメニア人によって編成された部隊が存在していた。東北大学大学院国際文化研究科教授北川誠一は古代のアルメニア人の最初の職業は軍人であり、それがキャラバンと結びついた。古代のキャラバンは商人と武力は密接な関係があると指摘し、それがアルメニア人が兵士と商人で名をはせた要因になったという説を提唱している。 そういった気質を反映してか、ビック・ダルチニアンなど格闘技の世界で活躍するアルメニア人も多い。
現在、シリアやイスラエル[5]及びイラン[6]には、比較的大規模なアルメニア人社会が存在する。ヨーロッパではフランスに40万から50万人といわれるアルメニア人が住み、政界・銀行・芸能など多方面に進出して、フランス社会に大きな影響力を持っている。アメリカにも80万人近いアルメニア系の住民がいる。
1915年から1917年までにオスマン帝国により「敵国ロシアに内通した」という理由で、アナトリア半島東部に住むアルメニア人が150万から200万人も虐殺されたといわれる出来事(アルメニア人虐殺問題)で対立している。トルコが謝罪と賠償どころか虐殺自体を否定しているため、アルメニア人のトルコに対する憎しみは強いが、アルメニア人過激派がトルコの外交官や施設に対してテロ攻撃を行ったことで、トルコ人の反アルメニア感情も高まっている。この問題に関しては欧米のアルメニア系住民による各国議会への強力なロビー活動もあって基本的にアルメニア寄りの立場をとる国が多く、虐殺問題を指摘されたトルコ側が「先進国の威を借りたアルメニアの圧力」に反発して態度を硬化させるという悪循環も生んでいる。
アルメニア人の姓 [編集]
アルメニア人の姓には、ハチャトゥリアン(Խաչատրյան)やスペンディアリャン(Սպենդիարյան)、サローヤン(Սարոյան)など、「-ian」や「-yan」(-յան)がつくものがみられるが、これは父称に由来する。
関連項目 [編集]
註 [編集]
- ^ ヘラクレイオス王朝・マケドニア王朝の2つの王朝の始祖は東ローマの侵略で捕らえられたアルメニア人捕虜である。バシレイオス1世はアルメニア語を話せたというが、彼らはギリシャ語を母語としており、ギリシャ化していた。
- ^ 一部は11世紀にトルコ南東部のキリキアに移住しキリキア・アルメニア王国を建国、14世紀末まで独立を保った。
- ^ a b 「ユダヤ人が三人いても、一人のアルメニア人に敵わない」という諺も存在するというが詳細は不明(藤田田『ユダヤの商法』)。
- ^ 但し、アルメニアという大規模な集住地域(土地)や言語を失ってはいない。
- ^ エルサレムにはキリスト教徒やアラブ人とは別にアルメニア人地域が存在する。
- ^ イランのエスファハーンにあるジョルファ地区には、16世紀エスファハーン造営に従事したアルメニア人を起源とする大規模コミュニティーが存在する。
外部リンク [編集]