社会主義
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関連項目
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社会主義(しゃかいしゅぎ、英: socialism)は、個人主義的な自由主義経済や資本主義の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想、運動、体制[1]。歴史的にも社会主義を掲げる主張は多数あり、狭義には生産手段の社会的所有を主張するマルクス主義などの共産主義を指す場合もあるが、広義には各種の社会民主主義、一部のアナキズムなども含む[2]。
目次 |
[編集] 用語
「社会」の語源は「ラテン語: socius」(友人、同盟国などの意味)である。「社会主義」の語の最初の使用は諸説あるが、「自由、平等、友愛」の語を普及させたピエール・ルルーが1832年に「フランス語: personnalite」(個人化、個別化、パーソナライズなどの意味)の対比語として記した「フランス語: socialisme」(直訳では「社会化する主義」、社会主義)が最初とも言われており[1]、ルルーは1834年には「個人主義と社会主義」と題した文書を発行した。他には1827年のアンリ・ド・サン=シモンなどの説があるが、いずれもフランス革命の流れの中で発生した。「社会主義」の語は、後の近代的な意味では色々な主張により使用された[1]。このように歴史的には「社会主義」の語は主に、個人主義的な自由主義やそれを基本原理とした資本主義などの対比概念として使用されている。
[編集] 概要
「社会主義」にはさまざまな定義や潮流がある。狭義には、生産手段の社会的共有と管理を目指す共産主義、特にマルクス主義とその潮流を指す。広義には各種の社会改良主義、社会民主主義、一部のアナキズム、民族社会主義、宗教社会主義なども含めた総称である。
歴史的には、市民革命によって市民が基本的人権など政治的(理念的)な自由と平等を獲得したが、資本主義の進展により少数の資本家(ブルジョワジー)と大多数の労働者などの貧富の差が拡大して固定化し、労働者の生活は困窮し社会不安が拡大したため、労働者階級を含めた経済的(実質的)な平等と権利を主張したものとされる。市民革命と社会主義運動は、啓蒙思想と近代化では共通であるが、初期の資本主義が経済的には自由放任主義(夜警国家)を主張したのに対し、社会主義は市場経済の制限や廃止、計画経済、社会保障、福祉国家などを主張する。
第一次世界大戦後にロシア革命が起こり、世界最初の社会主義国が誕生した。第二次世界大戦後は社会主義(共産主義)陣営と資本主義(自由主義)陣営の間で冷戦や、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの代理戦争が続いた。西側諸国内でも資本主義勢力と社会主義勢力と社民主義勢力の対立が生まれ、東側諸国でもソ連型社会主義と自主管理社会主義の対立、中ソ対立などが起こった。一方で非共産主義諸国でも、西側諸国でのニューディール政策など混合経済化が進んだ。
他方、共産党の一党独裁のもとに中央集権型の官僚制が構築されたソ連型社会主義は、特にブレジネフ指導体制の成立後は停滞する。1989年には東欧革命が、1991年にはソ連崩壊が発生し、「社会主義」のイメージは世界的に失墜した。共産党独裁体制が続く中華人民共和国やベトナムは市場原理の導入を進め、事実上の混合経済体制を築いている。
現在、社会民主主義では市民主義、軍縮、反原発、環境問題、反グローバリゼーションなども主要なテーマとなっており(ただしこれらのテーマは本来の社民主義とは別の概念)、一部はアナキズムの潮流とも関連する。また従来の社会民主主義に新自由主義の市場原理主義を取り入れた「第三の道」路線も登場している。
一方、新自由主義に苦しめられた中南米諸国では、21世紀に入って社会主義政権の伸張が著しい。ベネズエラなどでは選挙を通じて社会主義を掲げる政権が成立し、社会主義路線を進めている。
[編集] 潮流
主な潮流には以下がある。ただし各潮流の定義や範囲はさまざまな考えがあり、また時期によっても変化している。
[編集] 空想的社会主義
シャルル・フーリエ、アンリ・ド・サン=シモン、ロバート・オウエンらに代表される、初期の社会主義思想。ただし「空想的社会主義」という名称は、自らを「科学的社会主義」と称するマルクス主義の立場からの呼称である。
[編集] 社会民主主義
社会民主主義は議会政治を通した民主的な変革を目指し、マルクス主義の暴力革命論を否定する(反共産主義)。社会改良主義、民主社会主義などや、広義にはマルクス主義の立場を堅持しながら多党制を支持し暴力革命を否定した修正主義、構造改革主義、ユーロコミュニズムなども含む。国際組織に社会主義インターナショナルなどがある。
[編集] アナキズム
アナキズム(無政府主義)は個人主義的な立場、自由主義的な立場、社会主義的な立場など多様な思想の総称だが、社会主義的な立場では権力の集中に反対して地域コミュニティや労働組合主義などを目指す。マルクス主義を権威主義と批判する。
[編集] サンディカリスム
サンディカリスム(労働組合主義)は、コーポラティズム(共同体主義)の側面を持ち、労働組合がゼネストで資本主義体制を倒し、革命後は政府ではなく集産主義的な労働組合の連合による経済や社会の運営を目指す。より急進的で革命的な思想にアナルコサンディカリスムがある。
[編集] 共産主義
詳細は「共産主義#潮流」を参照
共産主義は、産業の共有によって搾取も階級もない社会を目指す。フランス革命時のバブーフは「土地は万人のものである」として物品の配給による平等社会を目指し、「共産主義の先駆」とも呼ばれる。なおマルクス・レーニン主義では、資本主義社会から共産主義社会に発展する中間の段階を「社会主義社会」とも呼ぶ。
- マルクス主義(科学的社会主義)
- マルクス主義はマルクスとエンゲルスにより展開された。唯物史観と剰余価値説により「科学的社会主義」と自称し、共産主義革命は歴史の必然とした。議会制民主主義はブルジョア民主主義と批判して暴力革命とプロレタリア独裁を主張したが、19世紀終わりにはマルクスは平和革命の可能性も認め[3]、エンゲルスは暴力革命が時代おくれとなったと述べた[4]。従来の社会主義を「空想的社会主義」と呼び、一定の評価をしながらも限界を指摘した[5]。また同時代のプルードンの無政府主義を批判した[6]。「万国の労働者団結せよ」というプロレタリア国際主義に立つ。なおマルクスとエンゲルスの著作の大半は、資本主義のメカニズムの分析や、歴史・時事分析、革命の方法論であり、革命後の社会体制への言及は少ない。
- マルクス・レーニン主義
- マルクス・レーニン主義は、レーニンによる「マルクス主義の継承と発展」である。マルクス主義を基本としながらも帝国主義論により、職業革命家により構成される前衛党に指導された、反帝国主義と後進国革命を主張した。ロシア革命後も反革命勢力による反動に対抗するためとして一党独裁制を継続し、ソ連型社会主義の基礎となった。
- 左翼共産主義
- 反レーニン主義を掲げ、より左翼的で正統なマルクス主義を標榜する。議会主義を掲げる社会民主主義や労働組合を「欺瞞」、レーニン主義(および後継のソ連、トロツキズム、スターリン主義、毛沢東主義など)を国家資本主義として、いずれも「資本主義の分派」と批判し、労働者の国際的連帯による真の共産主義革命とプロレタリア独裁を主張する。
- トロツキズム
- トロツキーによるマルクス主義理論。マルクスの世界革命論と後進国の革命理論である永続革命論を主張し、スターリンの一国社会主義論を批判した。なお各国共産党において、トロツキストの用語は、しばしば裏切り者の代名詞として用いられた。
- スターリン主義
- スターリンの発想と実践の総称。マルクス・レーニン主義を掲げながらも、世界革命論を批判して一国社会主義論を主張した。後のスターリン批判では、その独裁・個人崇拝・国家主義・民族主義などが批判された。
- 毛沢東主義
- 毛沢東を中心とした中国共産党の思想。マルクス・レーニン主義を掲げながらも、農民中心のゲリラ戦術などによる革命方式を主張した。
- 主体思想
- 主体思想(チュチェ思想)は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の独自の思想。当初はマルクス主義の発展と自称していたが、現在では「マルクス主義を基礎にしながらもすでにそれを超克した」と称している。
[編集] アラブ社会主義
アラブ社会主義は、1950年代~1960年代に広まった、国有化など反植民地ナショナリズムの傾向を持つ社会主義。
[編集] 宗教的社会主義
宗教的社会主義は、宗教的価値観に基づく、あるいは宗教の要素を積極的に取り込んだ社会主義を言う。
[編集] 国家社会主義
詳細は「国家社会主義」を参照
以下の意味で使用される。
- State Socialismの日本語訳。ラッサールの社会主義、ビスマルクの社会保障政策、ソ連型社会主義など。
- National Socialismの日本語訳。国民社会主義、民族社会主義とも訳される。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)などの思想。ナチズム、ファシズム、ナチス左派を参照。
- 日本の高畠素之、赤松克麿、あるいは北一輝などの思想。
[編集] ビルマ式社会主義
ビルマ式社会主義は正確には「社会主義へのビルマの道」と呼ばれ、社会主義とビルマ族の主要宗教である仏教を融合させたビルマ独特の社会主義体制である。マルクス主義をビルマ国民にとって有害であると否定し、ビルマ共産党とは激しく軍事衝突するなど反共主義の色彩が強く、一方、議会制民主主義はビルマに混乱をもたらしたとして国会を閉鎖して政党活動を禁止した。また、外来の文化・資本・軍事同盟を拒絶し、孤立主義をとった。1988年、全国的な民主化要求デモにより、26年間続いた社会主義政権は崩壊した[7]。
[編集] 新左翼
- 新左翼諸派の総称。ソ連型社会主義や各国の共産党や社会民主主義政党を既成左翼と批判する。多数の潮流・思想・党派があり、日本ではトロツキズムの第四インター、「反帝国主義・反スターリン主義」の革マル派と中核派、マルクス主義復権としてレーニン主義を否定する社青同解放派、その他アナキズム、毛沢東主義、構造改革派などがある。なおトロツキストや毛沢東派は、自己の潮流こそ正当のマルクス主義であるという認識から、「新左翼」と呼ばれることを嫌う場合が多い。
[編集] その他
以下に挙げるものは、通常は「社会主義」とは呼ばれないが、社会主義的側面を持っているとも言われる。
- 古代の土地公有制度
- 農耕地を全て公有とし、農民に均等分配して公平を図る唐の均田制や、奈良時代の班田収授法、インカ帝国の生産手段の公有(私有の禁止)制度は、専制政治の体制下においてのものであるが、社会主義との類似性が指摘される事が多い[要出典]。
- ケインズ主義
- ジョン・メイナード・ケインズの提唱したケインズ経済学は、国家による経済への介入など社会主義的要素を含み、それに反対する立場からは社会主義であるとして批判された。なお、マルクス経済学の立場からは、国家独占資本主義であるという批判がなされている。一般的には、資本主義と社会主義(あるいは自由経済と計画経済)をミックスした混合経済とされる。
- 日本型社会主義
- 戦後の日本は分権的特徴と中央集権的な特徴を兼ね備えた独特の混合経済体制を築き、経済学者の竹内靖雄などによって日本型社会主義と呼ばれる事がある。この場合「世界で最も成功した共産国」と賞賛または皮肉をもって呼ばれる事がある。
- 協同組合運動
- 協同組合運動は、空想的社会主義者であるロバート・オウエンの思想を源流とし、資本主義とは別形態の組織として協同組合を結成する、一種の社会主義運動である。産地直接契約など市場に左右されない生産や供給、組合員による生産参加や組織運営なども行われている。しかしながらオウエンの思想からやや現実に妥協し、非社会主義国家においても受け入れられている。その結果協同組合は、流通において私企業と提携、私企業を子会社に持つ、あるいは私企業が集まって協同組合を結成するなど、資本主義・自由主義市場と並存または補完し合う関係を構築している。
- ナショナルトラスト運動
- ナショナルトラスト運動は、各国のボランティアが共同の理念で広大な土地を購入し、利益を目的とせず、永続的に維持管理する面で、社会主義の側面を持っている。法的には私有財産であり観光資源としての側面もあるが、逆に国立公園化などの国有化と異なり政権によって民営化される恐れが無く、将来的にも私企業による経済活動を排除・規制できる。
- フリーソフトウェア運動
- フリーソフトウェア運動やオープンソース運動は、コンピュータ用のソフトウェアを公開する運動だが、多くの場合(GPLなど)では、一旦公開されたソフトウェアや、それをベースに他者が修正したソフトウェアも、強制的かつ永久に公開され無償使用できる面で、社会主義(共産主義)的な側面があり、ソフトウェア特許によって成り立つ企業からは非難されている[8]。これらにはリチャード・ストールマンのようなあらゆる独占に反対する個人の他、既存の特許とフリーライセンスの共存を目指す立場、有償のサポートによって利益を得る企業などが含まれる。
[編集] 歴史
「社会民主主義」、「共産主義#歴史」、および「社会主義国#歴史」も参照
[編集] 源流
社会主義の源流には、各民族のいわゆる原始共同体における、さまざまな共有や平等や相互扶助の形態が挙げられる(これらはマルクス主義では「原始共産制」とも呼ぶ)。私有財産の概念が浸透した近代以降も、入会権などの共同体による部分的な共有は認められている。またプラトンの哲人政治は、哲学者の独裁によって平和で平等な理想社会を目指し、最初の共産主義と呼ばれることもある。
[編集] 初期社会主義
近代的な形での社会主義や共産主義が登場するのは、18世紀後半から産業革命による近代化と、市場原理を掲げる自由放任型の資本主義が進展し、従来の共同体が破壊されて労働者階級となり、その階級の固定化や貧富の差の拡大、恒常的な貧困などの社会問題や社会不安が顕在化してきてからである。
18世紀後半より、後に「初期社会主義」(マルクス主義の立場からは空想的社会主義)と呼ばれる社会主義者が登場した。ロバート・オーウェンは経営者の立場から労働者の幼児教育や協同組合を実践し、更に共産主義的な共同体を目指した。サン=シモンは産業階級(経営者および労働者)による富の生産を重視し、キリスト教の人道主義による貧者の救済を説いた。シャルル・フーリエは国家の暴力と革命の暴力の双方を疑問視し、国家の支配を受けない自給自足で効率的な協同社会を提唱した。イギリスのフェビアン協会は、後の社会民主主義や労働党の源流ともなった。これらは社会改良主義とも呼ばれる。
また1798年にフランス革命が勃発すると、多くの革命思想が登場した。バブーフは「土地は万人のもの」として、国家による物品の共同管理と平等な配給や、前衛分子による武装決起と階級独裁を主張し、後に「共産主義の先駆」とも呼ばれ、その思想はブランキや後のレーニンにも受け継がれた。ヴァイトリングは欧米の諸都市で労働者結社を実践し、いわゆるメシア共産主義を説いた。モーゼス・ヘスはヘーゲル左派の出身で貨幣廃止論などを唱えた。
一方、社会主義者のうち、全ての権威を否定する立場は無政府主義(アナキズム)とも呼ばれる。フランスのプルードンは「財産とは盗奪である」として、あらゆる中央集権的組織に反対して「連合主義」を唱え、更にロシアのバクーニンやクロポトキンに受け継がれた。
1848年にヨーロッパ各地で起こった革命(1848年革命)では当初から労働者や社会主義者が参加した。
[編集] マルクス主義と第一インターナショナル
カール・マルクスとエンゲルスは1848年に『共産党宣言』を執筆した。マルクス主義は、唯物史観と剰余価値説により、従来の社会主義が持っていた階級闘争や労働組合運動、政治運動についての理論に、資本主義の分析を理論的武器として提供し、ヨーロッパを始め全世界的規模で広範な影響力を持った。
1862年にはヨーロッパの労働者と社会主義者の国際組織である第一インターナショナルが設立され、労働組合の奨励や労働時間の短縮、更には土地私有の撤廃などを決議した。しかし権威となったマルクスと、無政府主義者のバクーニンなどの反対派は相互に批判と除名を行い、第一インターナショナルは崩壊した。
1871年にはパリ・コミューンにより、一時的ではあるが世界初の共産主義革命政権が誕生した。革命歌である「インターナショナル」も誕生し、「発達した資本主義国家であり階級闘争も激化しているイギリスやドイツでも革命が近い」との考えが広まった。ドイツではビスマルクが、社会主義者鎮圧法と同時に、世界最初の社会保険を創設した。これは「飴と鞭」政策と呼ばれたが、その後のドイツや各国の社会保障制度の基礎ともなった。
1889年にはマルクス主義者を中心に第二インターナショナルが結成され、その中心的な存在となったドイツ社会民主党の内部から修正主義論争が発生した。ベルンシュタインらは議会制民主主義による平和革命を認めて「修正主義」と呼ばれ、暴力革命やプロレタリア独裁を堅持すべきとするカウツキーらは「教条主義」と呼ばれたが、後にはカウツキーも合流して社会民主主義を体系化した。しかし1914年には第一次世界大戦が勃発し、各国の社会主義者が自国の戦争を支持したため、第二インターナショナルは崩壊した。
日本では、1901年には日本最初の社会主義政党である社会民主党が、1906年には日本最初の合法社会主義政党(無産政党)である日本社会党が結成された。キリスト教徒からマルクス主義に転じた片山潜は普通選挙運動による「議会政策論」を説き、無政府主義やアナルコサンディカリスムの影響も受けた幸徳秋水はゼネストなどの「直接行動論」を主張したが、1910年の大逆事件(幸徳事件)などで弾圧された。
[編集] 第一次世界大戦以降
1917年には、レーニンは帝国主義論で「資本主義は延命のため、従来の自由市場経済から独占資本主義と帝国主義に移行している」として、ロシアなどの工業後進国での革命と、そのための職業革命家により構成される前衛党による一党独裁を主張した。また同年にはロシア革命が発生し、ボリシェヴィキによる十月革命により、世界で最初の社会主義国家であるソビエト連邦が誕生した。
しかしドイツのローザ・ルクセンブルクはマルクス主義の立場から修正主義を批判し暴力革命を認めながらも、「プロレタリア独裁は階級の独裁であり、一党一派の独裁ではない」とレーニンを批判した。マルクス主義の立場からの反レーニン主義は、後に左翼共産主義の潮流ともなった。
1919年には共産主義の国際組織である第三インターナショナル(コミンテルン)が結成され、主要各国には支部でもある共産党が設立された。しかし1924年のレーニンの死後、実権を握ったスターリンは、マルクス・レーニン主義を定式化しながらも、「ファシズム勢力よりも社会民主主義勢力を優先して攻撃すべき」という社会ファシズム論や、「ソ連は一国でも社会主義社会建設ができる」という一国社会主義論を主張し、更には秘密警察や粛清による恐怖政治や個人崇拝を徹底した(スターリン主義)。トロツキーは、マルクス主義の世界革命論の立場からスターリンを批判したが、除名され、海外で第四インターナショナルを結成して反資本主義・反スターリン主義の運動を続けた(トロツキズム)が、暗殺された。
これに対してマルクス・レーニン主義やソ連型社会主義に反対する社会民主主義者は、1923年に反共主義(反マルクス主義)を掲げる労働社会主義インターナショナル(社会主義インターナショナルの前身)を設立した。
日本では1922年に、コミンテルン日本支部として非合法の第一次共産党が結成された。また非日本共産党系は労農派と呼ばれ、1926年には労働農民党が結成されたが、「天皇制は絶対主義で、現状は半封建主義」と規定して二段階革命論を主張する講座派と、「明治維新はブルジョワ革命で、現状は帝国主義」と規定して一段階革命論を主張する労農派の間で、日本資本主義論争が行われた。後に、講座派の理論は日本共産党に、労農派の理論は社会党左派や新左翼各派に受け継がれた。
1929年に世界大恐慌が発生すると、失業や貧困が「個人の努力の問題」だけでは無く、資本主義に内在する矛盾である事が明白となり、各国で社会主義・共産主義勢力が増大した。イギリス・フランス・アメリカなどではブロック経済化が進み、広大な植民地を持たず独自にはブロック経済を形成できないイタリア・ドイツ・スペインなどでは、民族主義と社会主義的な統制経済[要出典]を取り入れたファシズムなどの軍国主義が台頭し、第二次世界大戦勃発の要因ともなった。日本では1937年の人民戦線事件を契機に社会主義者への弾圧が強まり、他方では北一輝の『日本改造法案大綱』の影響も受けて、昭和維新を掲げる皇道派が台頭した。
また社会不安と社会主義への対抗のため、アメリカではニューディール政策、イギリスや北欧諸国では福祉国家政策などの、社会民主主義的な政策が推進された。
[編集] 第二次世界大戦以降
第二次世界大戦後は、ソ連に占領された地域を中心に、東欧や東アジアなどに次々と社会主義国家が誕生して衛星国とも呼ばれ、国際機関のコミンフォルムも創設された。ただしユーゴスラビアのチトーは、直接民主制を取り入れた独自の自主管理社会主義を採用し、ソ連型社会主義とは一定の距離を保った。また中国の毛沢東は、マルクス主義を指針としながらも、農民中心のゲリラ戦術を主張(毛沢東思想)し、1949年には国共内戦に勝利して社会主義政権を樹立した。これら社会主義陣営である東側諸国は、資本主義陣営である西側諸国と、冷戦や代理戦争を続けた
東側諸国の多くでは、ソ連と同様に重要産業の国有化や、五カ年計画などの計画経済、教育の無料化などが行われ、インフラ整備や近代化が推進され、一時は水爆開発や宇宙開発競争でも優位に立つなど「社会主義の優越性」が広く伝えられた。また「資本主義は戦争勢力、社会主義は平和勢力」、「資本主義の核兵器は侵略用、社会主義の核兵器は防衛用」などの主張も行われた(反核運動#反核運動の中立性も参照)。
しかし1953年のスターリン死去後、1956年のスターリン批判と、続くハンガリー動乱では、各国の共産党や共産主義者に大きな衝撃を与えた。イタリアやスペインなど西ヨーロッパの共産党では、プロレタリア独裁を放棄し複数政党制を認めるユーロコミュニズムが広がった。日本共産党では親ソ派・親中派との論争や除名や分派を繰り返し、1960年代には自主独立路線を確立したが、同時に「既成左翼」を批判する多数の新左翼が勢力を広げた。また中国はソ連のフルシチョフによる平和共存路線を「修正主義」、ソ連は中国を「教条主義」や「極左冒険主義」と批判して中ソ対立が始まり、更に中国では大規模な権力闘争である文化大革命が開始され、各国共産党にも介入した。後の印パ戦争や中越戦争は、中ソ対立の代理戦争の側面もある。
日本では戦後に再建された日本共産党は、当初は連合国軍を「解放軍」と規定し平和革命論も主張したが、コミンフォルムの意向を受けて、平和革命を批判し武装闘争を行った主流派の所感派と、対立する国際派などの対立や分裂を経由して、1955年の六全協で敵の出方論により武装闘争を棚上げし、二段階革命論[9]の自主独立路線に転換した。この転換とスターリン批判の影響で、多数の党員が新左翼各派に転じた。また非共産党系の合法社会主義勢力は日本社会党を結成したが、当初より労農派マルクス主義に基づき一段階革命論・平和革命論である日本型社会民主主義を掲げる社会党左派と、西欧型の社会民主主義を掲げた社会党右派が、対立・分裂や再統一を繰り返し、後には反共主義の西尾末広などが民主社会主義を掲げ民社党を結成し、更に構造改革主義(江田ビジョン)を主張した江田三郎が社会民主連合を結成した。また1970年の安保闘争、ベトナム反戦運動では多くの新左翼や市民団体も参加したが、新左翼各派や連合赤軍は内ゲバや武装闘争を続け孤立した。
1960年代の西ヨーロッパ諸国では、新左翼が勢力を伸ばし、ベトナム反戦を掲げた学生運動が盛んになった。特に毛沢東思想と文化大革命はフランスのゴダールやサルトルに大きな影響を与え、1968年革命が起きた。人民民主主義を掲げていた東ヨーロッパ諸国ではソ連離れが進み、チェコスロヴァキアでは1968年にプラハの春が勃発したが、この運動はハンガリー事件と同様にソ連軍によって弾圧された。また、チトー率いるユーゴスラビアは、チトー主義のもと非同盟諸国との関係を拡大した。1970年代には西ヨーロッパの共産党でユーロコミュニズム志向が強まる一方、東ヨーロッパ諸国でもソ連離れがさらに進んだ。1974年にヨーロッパ最長の独裁体制となっていたエスタド・ノヴォ体制がカーネーション革命によって崩壊したポルトガルでは、1976年に制定された新憲法に社会主義の建設を目指すことが盛り込まれるなど急進的な革命が進むかと思われたが、結局革命は穏健化し、社会主義体制は生まれないままヨーロッパ共同体に統合された。
一方、第三世界では、1959年のキューバ革命、1954年から1962年までのアルジェリア戦争、1965年から1975年のベトナム戦争など、西側の植民地主義に反対する植民地解放戦争の側面が強い社会主義革命が発生した。また、インドなど社会主義的政策を掲げる国家や政府が増加した。
1960年に「アフリカの年」を迎えたアフリカでは、共産主義(マルクス=レーニン主義)を掲げた国家は、コンゴ人民共和国やベナン人民共和国、ソマリア民主共和国、社会主義エチオピア、1975年に一斉に独立した旧ポルトガル植民地のアンゴラ人民共和国、モザンビーク人民共和国など、クーデターを起こした軍人や独立戦争を成功させた党派がマルクス=レーニン主義を掲げていた少数の政権に留まったが、マルクス=レーニン主義によらない独自の社会主義を掲げた国家には、アルジェリア戦争でフランスに勝利して独立を達成したアルジェリアや、ドゥストゥール社会主義を掲げたチュニジア、ウジャマー社会主義を掲げたタンザニア、アフリカ合衆国の実現を目指した容共的なクワメ・ンクルマ政権のガーナなどの非同盟系の国家の他、ザイールのモブツ政権などの西側よりの国家も存在し、新たに独立した多くの国家がその成立理念に多種多様なアフリカ社会主義を掲げた。
ラテンアメリカでは1960年代にゲバラ主義に影響され、キューバに支援された農村ゲリラ部隊の蜂起が続いたが、チェ・ゲバラ自身が1967年にボリビアで戦死したことにより、ゲバラ主義に基づく農村ゲリラ組織は重大な挫折を来した。ゲバラの戦死後は、ブラジルやウルグアイ、アルゼンチンでカルロス・マリゲーラが標榜した都市ゲリラが勢力を伸ばし、1960年代末からペルーのフアン・ベラスコ・アルバラード政権やボリビアのフアン・ホセ・トーレス政権など、クーデターによって社会主義を掲げる軍事政権が成立し、左翼ポプリスモ的な政策を採用した。また、チリでは1970年に人民連合が民主的な選挙によって勝利し、社会党からサルバドール・アジェンデ政権が成立したが、アジェンデ政権は1973年に陸軍のピノチェト将軍のクーデターによって崩壊した。同時期には南米南部諸国の都市ゲリラ部隊も各国の政府軍によって鎮圧され、1970年代の南米諸国は概して反共的な軍事政権によって支配されることになった。一方、コスタリカとパナマを除いた多くが保守的な独裁政権だった中央アメリカでは1979年にサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)がニカラグア革命を成功させ、反共的なソモサ王朝を滅ぼし、この革命は近隣のエルサルバドルにまで波及したが、アメリカ合衆国の中米反共政策によって中米紛争は拡大の一途を辿ったまま、最終的には敗北した。一方1980年代に民政移管が進んだ南アメリカ諸国では、軍事政権期に拡大した対外債務問題などから、積極的に新自由主義モデルへの転換が行われた。
[編集] ソ連崩壊後
1989年からの東欧革命によりソビエト社会主義共和国連邦や東欧の社会主義国家は次々に崩壊し、現在、国家として社会主義を標榜する国は中華人民共和国、ベトナム、ラオス、キューバ、北朝鮮などである。
特に中華人民共和国・ベトナム・ラオスは、政治的には共産党一党独裁を堅持しながらも、経済政策では市場経済を導入し、一種の混合経済化が進んだ。また朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は独自の「主体思想」を掲げ、鎖国的な軍事独裁体制を堅持しており、1990年代には「マルクス主義を基礎にしながらもすでにそれを超克した」とした。このため、いわゆるソ連型社会主義の国家は既に存在しない。
日本では、日本共産党は以前からの自主独立路線を踏まえて1991年のソ連共産党の解散を「大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の党の終焉を歓迎する」とし、2000年には党規約から「前衛党」規定を削除した。日本社会党は1996年に自社さ連立政権である村山内閣で、日米安保・自衛隊・原発などを容認に転じ、1996年には社会民主党に改称した。これらの路線転換に反対して、左派からは新社会党が独立し、右派などは民主党(旧)の結成に合流し、党勢は縮小したが、2006年の綱領ではプロレタリア独裁の字句が消え、2009年からは鳩山内閣の連立政権に参加している。
一方、ラテンアメリカではキューバの社会主義政権存続に加え、1990年代に加速された新自由主義による市場開放により、国内産業の壊滅や貧富差の拡大もあり、1990年代後半からベネズエラ、ボリビア、エクアドル、ニカラグアなどで21世紀の社会主義を標榜し、社会主義路線をとる国が続き、米州ボリバル同盟のような相互扶助国際組織を形成している。
[編集] 主な論点
- ここでは社会主義全般に関する歴史的な主な論点を記載する。なお共産主義に関する論点の詳細は、共産主義、マルクス主義、マルクス・レーニン主義、スターリン主義 なども参照。
[編集] 歴史観・社会観、 社会発展と個人のあり方
社会主義の多くの潮流は啓蒙思想を引き継いだ進歩主義、社会改良主義の立場であり、歴史や人間を社会進歩の観点で見る場合が多い。
マルクス主義では、経済的構造が現実の土台であり、法的または行政的な諸制度や、文化的・宗教的・哲学的・その他の上部構造は、究極においてこの土台から説明されるべきである[10]と考える[11]。
これに対し、人文主義や保守主義の立場から、「善政を行った権力者や労働条件の向上を目指した資本家もいる」、「歴史は多様で、人間の幸福感も色々である以上、個々人のあり方が重要である」などと批判される。
これへの反論には、「歴史の発展と個々人のあり方とでは視点がちがう」、「あらゆる人間の第一の前提は生きることができるということであり、そのためには衣食住その他の物品が必要である。したがって、生活必需品の生産はあらゆる歴史の根本条件である。」[12]、「個人の努力だけでは解決できない貧困や格差がある以上、社会的な改良は必要である」などがある。
[編集] 路線上の相違・多様性
初期の資本主義社会では自由放任主義による過酷な労働が社会問題化したため、労働組合運動などが活発となった。19世紀ヨーロッパの社会主義者・無政府主義者の間では、ビスマルクなどと協調すべきか対決すべきか(ビスマルクは後に社会主義運動を弾圧。他方で社会保険制度を導入)など、社会主義の実現方法や組織論などが議論された。
マルクスは、資本主義は近代化・国際化のために必要と評価した上で、「発達した資本主義社会では、矛盾の深刻化により共産主義革命は必然」とした。このため各国の共産主義者を含め「仮に必然ならば、何故革命運動が必要なのか」などの論議がされ、「長期的には革命は必然だが、時期は諸条件で変わるので、革命運動で早めるべき」などとされた。
次にレーニンは「資本主義は独占資本主義による帝国主義段階となり、自由経済は歪められ、植民地の富の収奪などで延命している。このため世界規模で労働者階級と被抑圧民族は団結すべきである。ただし、各国の経済発展段階と革命の時期は均等ではない。いずれ先進国でも必ず革命が発生する。」として、後進国ロシアでの社会主義革命を正当化した。
後を継いだスターリンは、ソ連は一国でも社会主義建設ができるという一国社会主義論を唱え、トロツキーの世界革命論と対立した。
一方、社会民主主義では市場経済の枠内での改革、あるいは社会主義を目指す場合でも平和革命が主張された。
以上のように、多数の現状認識論や路線があり、各国の社会主義者や共産主義者で対立や分裂のもとになっている。
日本では、日本社会党の左派(社会主義協会)は主に先進国の社会主義革命の立場を採用した。日本共産党は、現在日本で必要とされている変革は社会主義革命ではなく、対米従属と大企業の支配をうち破る民主主義革命であるとした。民社党は自由主義体制内の構造改革を唱えた。新左翼各派は日本帝国主義が復活していると現状認識し、反帝国主義、反スターリン主義(反共産党)などを主張、その位置づけや路線をめぐって多数に分裂した。
[編集] 経済
社会主義の多くの潮流は、マルクス主義を除いて、必ずしも明確な経済理論は持たない。一部の社会民主主義者はコーポラティズムや国民経済を主張している。一部のアナキズムはレッセフェール的な自由な地域経済を主張している。
カール・マルクスは、アダム・スミスやデヴィッド・リカードらの労働価値説を引き継いだ剰余価値説を主張し、商品の価値の実体は、その商品の生産に必要とされる平均的な労働時間であるとし、立場の弱い労働者の賃金は最低限の生活費のみとなり、資本家に搾取されるとした。
労働価値説への批判には「機械化やコンピュータ化、経営者の判断などによる製品の市場価値向上やコストダウン、あるいはブランドや流行などによる市場価値の上昇が説明できない」などがある[13][14]。これへの反論には、「自動的な機械であっても、その開発、生産、設置、運用、修理に労働力が必要」、「独占資本は利益最大化のため独占を行い、自由市場自体を終結させる」(帝国主義論)などがある。
第二次世界大戦後、欧米列強の植民地から独立したアフリカ諸国の中には、ソビエト連邦による支援や計画経済による近代化の目的もあり、多くのアフリカ社会主義が誕生した。しかしその多くは後に独裁化し、失敗国家となった。他方、ユーゴスラビアの自主管理社会主義のように独自の道を歩んだケースもある。
なお、従来「資本主義の矛盾」とされた景気循環による定期的な不況や失業は、第二次世界大戦後は「ケインズ主義や社会保障などで緩和された」と考えられてきた。しかし新自由主義による格差社会の拡大と世界金融危機 (2007年-)の発生により、「労働者の自己責任」だけでは説明できない社会的な不況や失業の悪循環が深刻化している。このため社会主義者側だけでなく資本家などの側からも、社会や経済の安定のため、新自由主義の見直し、社会保障、セーフティネットの強化などが主張されている。
[編集] 民主主義
社会民主主義は改良主義であり、議会制民主主義などによる平和的な社会改良や社会変革を主張している。
他方、マルクス主義は議会制民主主義をブルジョア民主主義として否定し、暴力革命とプロレタリア独裁を主張した。更にレーニン主義では、党は少数精鋭の前衛党とされ、党内の運営方針でも分派禁止の民主集中制が採用された。ロシア革命では白色テロと赤色テロが行われた。政権獲得後は、ソビエト連邦などは一党制、中華人民共和国などでは人民民主主義(ヘゲモニー政党制)が採用され、いずれも国家や社会全体を党が指導するという一党独裁体制が構築された。マルクス主義者のうち、ローザ・ルクセンブルクは革命後の民主的自由を主張し、カール・カウツキーは社会民主主義に合流し、レフ・トロツキーは後に複数政党制を主張した。ユーゴスラビアの自主管理社会主義では限定的な党内分派や複数政党が導入された。
スターリン批判によりスターリニズムでの大規模な人権侵害が長期に継続した事が暴露されると、各国の共産党や支持者を含め激しい議論となり、ユーロコミュニズムや日本共産党は議会制民主主義を重視する立場に転換した。この転換に反対する支持者は既成左翼に対して新左翼を形成した。
このため自由主義者は「社会主義は専制独裁的な反民主主義である」と批判するが、社会民主主義者や西欧や日本の共産党は「専制独裁的な反民主主義はソ連型社会主義であり、本来の社会主義の姿ではない」としている。また、ソ連型社会主義は革命直後の干渉戦争とその後の冷戦により、戦時共産主義体制が継続したものであり、ソ連が反民主主義的体制を継続した事にも一定の理由がある(ソ連と対立した資本主義国家側に責任がある)という擁護論もある。さらに、「社会主義国では大多数の国民は安定して暮らせている。政府批判は西側に扇動された者を含めたごく少数者である。」とする主張もある。これに対しては、言論が抑圧されていた状況では本当に政府批判者が少なかったのかどうかは検証できない、あるいは少数派の言論が抑圧されている事が問題なのだ、という反論がある。
また、資本主義の側でも、ファシズム、マッカーシズム、開発独裁、反共を名目とし民主主義を蹂躙した独裁国家・軍事政権が存在し、民主主義を抑圧しているのは、社会主義国家に限らないという反批判もある。ただしこれについては、ファシズムや開発独裁もまた、国家社会主義という社会主義体制であるという主張もある。また反共については、共産主義以外の社会主義の立場でもよく見られる傾向である。
[編集] 党派主義
社会主義や共産主義は多数の潮流がある。しかしマルクス主義は党派性を徹底し、職業革命家による共産党のみが前衛党であり、自派以外を「空想的社会主義」「修正主義」と批判した。またマルクス・レーニン主義の二段階革命論は、フランス革命やロシア革命などと同様に「広範な反政府勢力と連帯して政権転覆後、他派を弾圧して権力を独占する」とも警戒された。更にスターリン主義の社会ファシズム論では社会民主主義への攻撃を最優先したが、新左翼内部の内ゲバでも同じ論理が見られる。
このため「一般の労働者を党から排除している」、「独善と謀略で、非人間的である」、「内部抗争を優先して逆に権力者を利している」などと批判されている。
これらへの反論には「修正主義などは最後には権力に寝返るので、事前に潰す必要がある」、「権力と真に対決する党ほど、弾圧や分裂策動などの謀略を激しく受けるので、防衛するしかない」「人権などのブルジョワ民主主義より革命の実現が優先される(目的は手段を正当化する)」などがある。
[編集] 宗教
社会主義の潮流には、トマス・モアや解放の神学、仏教社会主義、イスラム教社会主義など、宗教を母体とした社会正義の追求も多い。しかしまた潮流の多くは近代主義でもあり、自由主義と同様に無神論(神を認める場合でも自助を説く)が多い。特にマルクスは唯物論を唱え、「宗教は(中略)阿片である」と主張し(反宗教主義)、実際に多くのソ連型社会主義諸国では宗教は抑圧された。ただし、ソ連ではスターリン・フルシチョフ政権以降は宗教弾圧も弱められ、ロシア正教なども許容された。
このため「信教の自由は人権である」、「人間は物質だけでは幸福になれない」、「マルクス主義も一宗教である」などの批判がある。
これへの反論には「宗教は人間を隷属させ、科学に反する」、「当時は教会が特権階級・反動勢力で社会主義を弾圧した」、「最低限の物質(生存)は、精神(宗教)の前提である」、「社会主義諸国でも信仰の自由は(表面的には)保障されている」などがある。
なおマルクス主義とキリスト教の歴史観は、終末論の面で類似性が指摘されている。「最初は原始共産社会だったが、私有財産の発生で階級闘争が生まれ、矛盾が限界に達すると革命が発生して、理想的な共産社会が到来する」と、旧約聖書でのアダムとイヴ、原罪の発生、失楽園などと、ヨハネの黙示録での善と悪の対立、最後の審判、千年王国などである。なおマルクスは福音書の積極的な解釈を認める青年ヘーゲル派の出身である。
ただしマルクスの時代では阿片は禁止されておらず、痛み止めの薬剤としてヨーロッパで使用されており、「宗教は阿片である」という発言は、阿片が禁止された時代の後世の人間から過剰に解釈されている面もある。
[編集] 軍備
マルクス主義は「共産主義社会では階級闘争が消滅するため、暴力装置である国家や戦争も消滅する」とした。しかしマルクス・レーニン主義を標榜したソ連型社会主義諸国は「現在は社会主義の段階であり、反動勢力から社会主義祖国を防衛するため」として党または国家の軍備を増強した。ソ連が核兵器を保有した時には「西側の核兵器は侵略用、東側の核兵器は平和な核兵器」とも主張され、日本での原水爆禁止運動の分裂にも影響を与えた。
これらは「二重基準、ご都合主義」、「どちらも軍国主義」、「核戦争や代理戦争で喜ぶのは死の商人、犠牲になる大多数は当事者以外」などと批判された。
これへの反論としては「ロシア革命後は、列強の干渉によるロシア内戦やシベリア出兵や冷戦が続き、軍事力を強化しなければ実際に侵略される恐れがあった」「アメリカ合衆国が最初に核兵器を所有したため対抗・防衛するために止むを得なかった」「結果的にせよ冷戦中は恐怖の均衡によって核戦争につながる大規模な戦争は未然に阻止できた」などがある。
他方、国家社会主義やビルマ式社会主義では軍備は他の政策よりも優先されていた。その理由としてマルクス・レーニン主義の浸透の阻止を名目として掲げる事が多い。
なお日本では、日本社会党は非武装中立論であったが、自社さ連立政権時に容認に転じ、現在の社会民主党では「非武装の日本を目指す」に戻った。日本共産党は、従来は「中立自衛」、現在は日米安保条約は廃棄してアメリカと対等平等の友好条約を結び、自衛隊は国民の合意を得て段階的に解消するとしている。民社党は日米安保と自衛隊に積極的に賛成であった。
[編集] 近代化
一部のアナキズムは権力の集中に反対して地域の自治などを主張するが、多くの社会主義潮流は進歩主義であり近代化を推進する。特に計画経済による工業化、政教分離、義務教育、女性の社会進出などである。しかし現在では、近代主義の負の側面である人間中心主義(生態系や環境問題の軽視)、効率主義(中央集権、画一化)なども批判されている。
現在では社会主義・資本主義を問わず、環境問題、反グローバリズム、スローライフなども再評価されている。
[編集] 批評・批判
詳細は「反共主義」、「:en:Criticisms of Marxism」、「反レーニン主義」、および「反スターリン主義」を参照
社会主義に対しては、多くの立場から多くの批評や批判がされてきている。ただしその内容の多くは、社会主義全般に対する批判よりも、特にマルクス主義(レーニン主義、スターリニズム、各国共産党など)に対する批判である場合がある。以下では主な政治思想の立場からの代表的な批評・批判を記載する。
アナキズムは権力が全廃された緩やかに連帯された社会を目指す立場から、特にマルクス主義やレーニン主義などのプロレタリア独裁や前衛党、あるいは既存の社会主義国の国家主義や中央集権的な官僚制などを権威主義であると批判している。ただし社会的無政府主義は社会主義との共通点が多く、逆に個人主義的無政府主義はリバタリアニズムとの共通点が多い。
自由主義は、基本的には自由市場を基本とした自由主義経済である資本主義を支持する。しかし社会的公正を重視するリベラルとも呼ばれる社会自由主義は、特に民主社会主義との共通点が多い。逆にレッセフェールや個人主義を重視するリバタリアニズムや新自由主義は、あらゆる社会主義を私的所有権を侵害する集産主義であるとして反対している。
多くの保守主義者は、伝統的な社会階層や文化の継続性を重視する立場から、啓蒙主義的な近代化や平等主義を進める社会主義への反発が存在している。多くのナショナリストやファシストは、国家や民族の独自性と団結を重視する立場から、特にマルクス主義の階級闘争や国際主義などへの反発が存在している。多くの宗教の立場からは、多くの社会主義が持つ啓蒙主義的な近代化への嫌悪や、特にマルクス主義の唯物論や唯物史観への反発が存在する。
そのほか、多くの民主主義や人権、平和、環境などの立場から、特にマルクス主義やボリシェヴィキズムのプロレタリア独裁や一党独裁、あるいは既存の社会主義国に見られた大量虐殺、粛清、秘密警察、検閲、強制収容所などを含む、全体主義とも呼ばれる大規模な基本的人権の侵害や軍国主義、更にはノーメンクラトゥーラなどの特権階級による官僚主義や汚職、産業優先による環境への軽視などへ反発が存在する。
[編集] 脚注
- ^ a b c The Oxford English Dictionary (1970年) C - 701p
- ^ 生産手段の共有化は社会主義に見られる大きな特徴であり、必須の条件のように語られることも多いが、後出のアンリ・ド・サン=シモンのようにそれを掲げていない思想家の例もある。エミール・デュルケームは「社会主義とは結局のところ経済生活をばそれを規制する中心的機関に結びつけることに帰着するのではないか」と述べている(『社会主義およびサン‐シモン』邦訳:森博 恒星社厚生閣 ISBN 4-769-90190-9)。この言葉に従うならば、社会を組織化することにより人々を支える制度は、例えば富の再分配だけであっても、社会主義の範疇に含めることができる。
- ^ 1872年の時点で、マルクスは次のように演説している。「新しい労働の組織」をうちたてるためには、労働者はやがては政治権力をにぎらなければならないが、「われわれは、この目標に到達するための手段はどこでも同一だと主張したことはない。」「われわれは、それぞれの国の制度や風習や伝統を考慮しなければならないことを知っており、アメリカやイギリスのように、そしてもしわれわれがあなたがたの国の制度をもっとよく知っていたならば、おそらくオランダをもそれにつけくわえるであろうが、労働者が平和的な手段によってその目標に到達できる国々があることを、われわれは否定しない。だが、これが正しいとしても、この大陸の大多数の国々では、強力がわれわれの革命のてことならざるをえないことをも、認めなければならない。労働の支配をうちたてるためには、一時的に強力にうったえるほかはないのである。」 『ハーグ大会についての演説』、マルクス・エンゲルス全集(18) 158ページ、または不破哲三『科学的社会主義における民主主義の探求』40ページ。
- ^ 1895年にエンゲルスは次のように書き、暴力革命が時代おくれとなったと述べている。「普通選挙権がこのように有効に利用されるとともに、プロレタリアートのまったく新しい一闘争方法がもちいられはじめ、その方法は急速に発達をした。(中略)ブルジョアジーと政府は、労働者党の非合法活動よりも合法活動をはるかにおそれ、反乱の結果よりも選挙の結果をはるかに多くおそれる、というようになった。そのわけは、この点でも、闘争の条件が、根本的にかわってしまっていたからである。あの旧式な反乱、つまり1848年までどこでも最後の勝敗をきめたバリケードによる市街戦は、はなはだしく時代おくれとなっていた。」 「フランスにおける階級闘争 序文」、大月書店 国民文庫『フランスにおける階級闘争』18ページ
- ^ エンゲルスは、サン-シモン、フーリエ、オーウェンを「三人の偉大な空想的社会主義者」と評価している(エンゲルス『空想から科学へ』、大月書店 国民文庫、59ページ)
- ^ 『哲学の貧困』
- ^ 外務省ホームページ(ミャンマー連邦の基礎データ)の「政治体制・内政」の「5.内政」の(1)
- ^ cnet Japan ゲイツが我が家にやって来る(後編)
- ^ 日本共産党綱領
- ^ エンゲルス 『空想から科学へ』 寺沢恒信訳、大月書店〈国民文庫〉、1953年、85頁。
- ^ ただし相互の反作用にも言及している。エンゲルスは、「政治的、法律的、哲学的、宗教的、文学的、芸術的などの発展は、経済的発展に立脚しています。しかしそれらの発展はまたすべて、相互に反作用し合いますし、経済的土台に反作用します。」と述べている(『ボルギウスへの手紙』1894年、マルクス=エンゲルス全集(39)185ページ)
- ^ マルクス、エンゲルス 『ドイツ・イデオロギー』 真下信一訳、大月書店〈国民文庫〉、1965年、54-55頁。
- ^ 経済学論集(東京帝国大学、1982年)第48巻、119p
- ^ 経済セミナー(日本評論社、1988年)93p
[編集] 参考文献
- マックス・ウェーバー(浜島朗 訳)『社会主義』(講談社学術文庫)
- フリードヒリ・A・ハイエク(一谷藤一郎/一谷映理子 訳)『隷従への道』(東京創元社)
- フランシス・フクヤマ(渡部昇一 訳)『歴史の終わり』上下(三笠書房)
- ジョルジュ・ブールジャン、ピエール・ランベール(船越章・富永利彦 訳)『社会主義』(『文庫クセジュ』)、白水社、1953年10月(Georges Bourgin, Pierre Rimbert, Le Socialisme, "Que Sais-Je? 387", Presse Universitaires de France, 1949.)
- カール・マルクス(社会科学研究所 監修/資本論翻訳委員会 訳)『[新書版] 資本論』(新日本出版社 1989)
- G・リヒトハイム(庄司興吉訳)『社会主義小史』、みすず書房、1979年6月(George Lichtheim, A Short History of Socialism, Praeger, 1970.)
- シャルル・フーリエ(巖谷國士 訳)『四運動の理論』(現代思潮新社)
- 柄谷行人『世界共和国へ』(岩波新書)
- エセキエル・アダモフスキ(伊香祝子 訳)『まんが 反資本主義入門』(明石書店)」
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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