アフガニスタン
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アフガニスタン・イスラム共和国(アフガニスタン・イスラムきょうわこく)、通称アフガニスタンは、西アジアの内陸に位置する多民族国家。首都はカブール。
パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人、トルクメン人などの数多くの民族が住む多民族国家である。
西にイラン南および東にパキスタン、北にタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンで、国の東端(ワハーン回廊)は中華人民共和国に接する。
- アフガニスタン・イスラム共和国
- جمهوری اسلامی افغانستان
Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Afghānestān -


(国旗) (国章) - 国の標語 : なし
- 国歌 : ソルーデ・メッリー

-
公用語 パシュトー語、ダリー語 首都 カブール 最大の都市 カブール 建国
独立
- 宣言1747年
イギリスの保護国より
1919年8月19日通貨 アフガニ(AFA) 時間帯 UTC +4:30(DST: なし) ccTLD AF 国際電話番号 93
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[編集] 国名
自称国名はافغانستان (Afghānistān ; アフガーニスターン)。ペルシア語・ダリー語で「アフガーン人の国(土地)」を意味する。 正式名称は1973年の王制打倒以来政体が変化するごとに新政権によって改められてきたが、ターリバーン政権崩壊後のロヤ・ジルガ(国民大会議)で定められた2004年憲法による正式名称はダリー語で、جمهوری اسلامی افغانستان (ラテン文字転写 : Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Afghānestān , 読み : ジョムフーリーイェ・エスラーミーイェ・アフガーネスターン)という。
公式の英語表記は、Islamic Republic of Afghanistan。通称Afghanistan。日本語の表記は、アフガニスタン・イスラム共和国。通称アフガニスタン。漢字表記は亜富汗斯坦。
[編集] 国名の遍歴
- 1834年 - 1926年 アフガニスタン首長国
- 1926年 - 1973年 アフガニスタン王国
- 1973年 - 1978年 アフガニスタン共和国
- 1978年 - 1987年 アフガニスタン民主共和国
- 1987年 - 1992年 アフガニスタン共和国
- 1992年 - 1996年 アフガニスタン・イスラム国
- 1996年 - 2001年 アフガニスタン・イスラム首長国
- 2001年 - 2002年 アフガニスタン (公式国名無し)
- 2002年 - 2004年 アフガニスタン・イスラム移行国
- 2004年 - アフガニスタン・イスラム共和国
[編集] 歴史
詳細はアフガニスタンの歴史を参照
- 紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャ帝国に編入され、ゾロアスター教も伝えられた。
- 紀元前4世紀、アレクサンドロス大王の征服は、この地にヘレニズム文化をもたらし、アーリヤ、アラコシア、バクトリアなどに呼ぶ都市を築いたが、それらは現在もへラート、カンダハール、パルフとして残っている。
- 紀元前3世紀中頃、ギリシャ人が建てたバクトリア王国に支配され、次いでクシャーナ朝がこの地に栄えた。
- 1747年、パシュトゥーン人によるドゥッラーニー朝が成立。
- 1826年、ドゥッラーニー系部族の間で王家が交代し、バーラクザイ朝が成立。
- 1838年、第一次アフガン戦争(~1842年)
- 1880年、第二次アフガン戦争(~1880年)に敗れ、イギリスの保護国となる。
- 1919年、アマーヌッラー・ハーン国王が対英戦争(第三次アフガン戦争)に勝利し、独立を達成。
- 1973年、ムハンマド・ダーウードが無血クーデターを起こして国王を追放。共和制を宣言して大統領に就任。
- 1978年、軍事クーデターが発生(四月革命)。大統領一族が処刑される。人民民主党政権成立。革命評議会発足。
- 1979年、ソ連軍によるアフガン侵攻開始。親ソ連派のクーデターによってアミン革命評議会議長を殺害し、バーブラーク・カールマル(元)副議長が実権を握る。社会主義政権樹立。
- 1987年、ムハンマド・ナジーブッラーが大統領に就任。
- 1989年、ソ連軍撤退完了(10万人)。国土は荒廃し、食糧事情は悪化の一途。反ソ連ゲリラ(ムジャーヒディーン)と政府軍の間で内戦が勃発。
- 1992年、ムジャーヒディーンが攻勢、ナジーブッラー政権崩壊(その後ほぼ無政府状態)。
- 1993年、ラバニ指導評議会議長が大統領に就任。
- 1994年、内戦が全土に広がる。この年ターリバーンが急成長。
- 1996年、ターリバーンが全土をほぼ掌握し実効支配。旧ムジャーヒディーン勢力が反ターリバーンで一致し、北部同盟となる。
- 1998年、ターリバーンがアフガン全土をほぼ掌握。
- 2001年、9月、北部同盟のマスード司令官暗殺。9月11日、アルカーイダがアメリカ同時多発テロを起こす。10月、アメリカはその報復としてアフガンに侵攻する。11月、カブール陥落。年末にターリバーン政権崩壊。12月、アフガニスタン主要4勢力、暫定政権発足とその後の和平プロセスで合意。国際連合安全保障理事会決議のもとづき国際治安支援部隊(ISAF)創設、カブールの治安維持にあたる。カルザイ暫定政権発足。
- 2002年2月14日、アブドゥール・ラフマン航空観光大臣がカブール空港で暴徒に撲殺される(参照:アフガン航空相撲)。
- 2002年、ハーミド・カルザイを暫定大統領に選出。6月、移行政権発足。
- 2004年1月、新憲法制定。
- 2004年10月9日、初の大統領選挙。カルザイが当選、正式政権発足。選挙を前にターリバーンが再結成し、南部で武装蜂起。
- 2005年、総選挙・州議会選挙実施。
- 2006年、駐留軍の指揮権が北大西洋条約機構(NATO)に移譲される。5月、タリバンの攻勢強まる。7月、ISAF南部展開。10月、ISAF東部展開、計13000人がアフガニスタンに駐留。
[編集] 政治
アフガニスタンは共和制・大統領制を採用する立憲国家である。現行憲法は2004年1月16日に公布されたもの。国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は5年。3選禁止。大統領は強力な指導権を憲法により保障されている。副大統領職あり。イスラーム教徒以外大統領にはなれない。そのほかにもクルアーンやシャリーアを法の源泉とする規定があり、アフガニスタンはイスラーム国家の色彩が強い。
行政府たる内閣は大統領が任命するが、議会の承認が必要。首相職は設置されていない。立法府は二院制の国民議会で、憲法により、国家の最高立法機関と規定されている。国民議会は下院に相当する人民議会(ウォレシ・ジルガ)と、上院に相当する長老議会(メシュラノ・ジルガ)で構成される。人民議会は249議席以下と規定され、議員は国民の直接選挙で選出される。任期は5年。長老議会は定数102議席で、5年任期議員(大統領の任命)、4年任期議員(各州議会の選出)、3年任期議員(各郡議会の選出)が3分の1ずつを占める。
国民議会とは別に、国家主権、安全保障、憲法改正、反乱の鎮圧、甚大な自然災害への対処など、国家の最重要事項に関しては、伝統的な国家意思決定機関である国民大会議(ロヤ・ジルガ)が最高機関として機能する。非常設であり、国民議会議員、州議会議長、郡議会議長で構成。閣僚と最高裁判所長官及び最高裁判所裁判官は、ロヤ・ジルガに参加できるが、投票権はない。
司法府の最高機関は最高裁判所で、その下に高等裁判所などが存在。三審制。
憲法により複数政党制が認められているが、政党政治が根付いていないアフガニスタンでは、政党の活動は低調である。それでも比較的有力なものとして、かつてアフマド・シャー・マスードの率いたイスラム協会(タジク人中心)、アブドゥラシード・ドスタム率いるウズベク人勢力のイスラム民族運動、ハザラ人主体のイスラム統一党がある。また、パシュトゥーン人による旧政権勢力タリバンの反政府活動も存在。
- アフガニスタン人民民主党 - 社会主義政権時代の執権党
- 北部同盟 - 反タリバーン同盟
[編集] 地域区分
- 詳細はアフガニスタンの州を参照
アフガニスタンは34の州(velāyat)で構成されている。
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[編集] 人権問題
純然たるイスラーム国家であったタリバーン政権が崩壊した後、カルザイ政権下でアフガニスタンにおける民主主義の構築は一定程度進んだとされる。しかし現在でもアフガニスタンはイスラーム法およびその強い影響下にある世俗法に基づく統治が行われ、非ムスリムへの差別規定があるなどイスラーム国家としての色彩が強い。
そのため言論の自由、思想・信条の自由などがしばしば、支配者や聖職者の定義するところの「イスラーム」的な価値観に反するものとされ、シャリーアに基づく背教罪や冒涜罪によって死刑判決が出たこともある。
欧州での生活中にキリスト教に改宗した男性が、これを理由に死刑を宣告された。これに対しては国際社会からの批判が巻き起こり、最終的に死刑判決は撤回されたが、男性は亡命を余儀なくされた。[1]また、女性の権利について、「クルアーンを根拠に女性差別を擁護する人々は預言者ムハンマドの見解を歪曲している」という趣旨の文書を読み、問題提起をしようとした学生に対し、宗教法廷により「冒涜」として死刑が宣告された。[2] これに対しても国際社会は抗議しているが、カルザイ政権も今回は保守派ムスリムの圧力を受け態度を硬化させており、上院では死刑判決を支持する決議が採択された。
[編集] 地理
山の多い地勢であるが、北部や南西部には平野がある。最も標高の高い地点は、海抜7,485m のノシャック山である。国土の大半は乾燥しており、真水の入手できる場所は限られている。気候は大陸性で、夏は暑く、冬は寒い。また地震が頻繁に発生している。主要都市は、首都カーブルのほか、西部のヘラート、東部のジャラーラーバード、北部のマザーリシャリーフ、クンドゥズ、南部のカンダハールなどである。
[編集] 経済
きわめて貧しい国の一つで、農業と牧畜への依存度が高い。経済は近年の内戦による灌漑施設の破壊や、ソ連軍の侵攻やタリバンとアメリカ軍を中心とした多国籍軍との戦闘などの社会的な混乱、干ばつにより大打撃を受けている。また同じ理由から国民の多くに食料、衣料、住居、医療施設が不足している。
現在は歳入の大半を国際援助に依存しており、国民の3分の2は、1日2ドル以下で生活している。旱魃地域ではアヘンの原料となるケシの栽培が盛んであり、政府が対策に当たっているが功を奏していない[3]。幼児の死亡率は1000人中257人と高い。2004年10月のユニセフの報告によると、幼児死亡原因の多くは非衛生的な水の飲料使用による慢性的な下痢である。
2002年1月に東京で開催された「復興支援国会議」で支援計画が提出され、世界銀行の監督下に45億ドルの資金が集められた。復興の主要対象は、教育、医療、下水施設、行政機関、農業、道路、エネルギー、通信と多岐に渡っている。
[編集] 鉱業
アフガニスタンの鉱物資源のうち、もっとも歴史のあるのが紀元前から採掘が続いた青色の宝石ラピスラズリである。首都カブールの東南東190km、ヒンドゥークシュ山脈山中のサーレサン鉱山 (Sare Sang) 北緯33度55分39秒東経67度13分34秒が主力。産出量は数トン程度。
有機鉱物資源では北部の天然ガス(4300兆ジュール、2003年)が主力、石炭(3万5000トン)も採掘されている。金属鉱物資源ではクロム(6364トン)がある。このほか岩塩(1万3000トン)も採取されている。アイナック銅鉱山(Aynak Copper)は70年代初めに発見され、1978年に旧ソ連が中央鉱区と西部鉱区の地質探査を終えている。総資源量は鉱石量7億500万トン、平均銅品位1・56%、銅含有金属量1100万トンの超大型の銅鉱床である。
[編集] 交通
交通インフラストラクチャーも度重なる戦乱により破壊され、またはメインテナンスが行なわれていなかった為に現在も復興が行なわれている。なお、多くの先進諸国でみられる様な高速道路網はないものの、主要都市間は舗装された幹線道路によって結ばれており、長距離バスによる移動が行なわれている。
なお、諸外国との交通は上記の長距離バスによって行なわれている他、カブール国際空港をハブとした国営航空会社のアリアナ・アフガン航空や、その他の乗り入れる外国航空会社の定期便で結ばれている。
[編集] 国民
主要民族 (2003年推計)
[編集] 言語
大体のアフガニスタン人は皆ダリー語(ペルシア語)がわかる。
- テュルク諸語 11%
- など
[編集] 宗教
イスラム教から他宗教への改宗には死刑が適用されたが、2006年、ドイツでキリスト教に改宗した人の死刑判決に対し国際的非難を浴び、この法律は撤廃され、現在は布教活動も許されるようになった。2006年8月、タリバーンは韓国人のキリスト教宣教師を拉致監禁し、キリスト教の宣教活動をやめるよう要求した事件があった。
[編集] 文化
アフガニスタンには多くの貴重な遺跡が残っており、アメリカのアフガニスタン侵攻によって内戦が終結した後に以下のふたつが世界文化遺産に登録された。
- ジャームのミナレットと考古遺跡群(2002年)
- バーミヤーン渓谷の文化的景観と古代遺跡群(2003年)
バーミヤーン渓谷には大仏と多くの壁画が残されていたが、2001年にターリバーンによって破壊された。
- 王家の再興を願う声が少なからず存在する。
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
[編集] アフガニスタンに関する作品
[編集] 映画
- モフセン・マフマルバフ 『サイクリスト』『カンダハール』『アフガン・アルファベット』
- サミラ・マフマルバフ 『午後の五時』
- ハナ・マフマルバフ 『ハナのアフガンノート』
- セディク・バルマク 『アフガン零年』
- マーク・フォースター 『君のためなら千回でも』
- ティモー・ベクマムベトフ 『エスケープ・フロム・アフガン』
[編集] 小説
- 『きみのためなら千回でも』 カーレド・ホッセイニ
- 『フルメタル・パニック!』 賀東招二
[編集] 脚注
- ^ “Afghan on trial for Christianity”, BBC, 2006-03-20. 2007-12-08閲覧.
- ^ Sentenced to death: Afghan who dared to read about women's rights
- ^ 世界最悪のアヘン生産国となっており、世界の87%を同国で生産している。
[編集] 関連項目
- アフガニスタン関係記事の一覧
- アフガニスタン戦争
- ザヒル・シャー元国王
- アフガン航空相撲
- アフガニスタン復興支援国際会議(02年に東京で開催)
- アフガニスタンに関する国際会議(04年3月31日にベルリンで開催)
[編集] 参考文献
- 渡辺光一『アフガニスタン/戦乱の現代史』岩波書店(新書・新赤版828)2003年(ISBN 4-00-430828-3)
- 前田耕作・山根聡『アフガニスタン史』河出書房新社、2002年。(ISBN 4-309-22392-3)
- マーティン・ユアンズ『アフガニスタンの歴史』(柳沢圭子ほか訳)明石書店、2002年。(ISBN 4-750-31610-5)
- モフセン・マフマルバーフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(武井みゆき・渡部良子訳)、現代企画室、2001年。(ISBN 4-7738-9112-3)
[編集] 外部リンク
- 政府
- アフガニスタン大統領府 (英語)
- 在日アフガニスタン大使館 (日本語)
- 日系機関
- 旅行
- その他
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|---|---|
| 東アジア | 大韓民国 | 朝鮮民主主義人民共和国 | 中華人民共和国 | 日本 | モンゴル |
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| 「その他」は国家の承認を得る国が少ない、または無い国、あるいは独立主張をしている国。国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。 | |
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