オマーン
- オマーン国
- سلطنة عمان
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(国旗) 国章 - 国の標語: なし
- 国歌: Ya Rabbana Ehfid Lana Jalalat Al Sultan

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公用語 アラビア語 首都 マスカット 最大の都市 マスカット 独立
- 日付1741年 通貨 オマーン・リヤル (YTL)(OMR) 時間帯 UTC +4(DST: なし) ISO 3166-1 OM / OMN ccTLD .om 国際電話番号 968
オマーン国(オマーンこく)、通称オマーンは、中東および西アジアの絶対君主制国家。首都はマスカット。アラビア半島の東南端に位置し、アラビア海(インド洋)に面する。北西にアラブ首長国連邦、西にサウジアラビア、南西にイエメンと隣接する。なお、石油ルートとして著名なホルムズ海峡の航路もオマーン領海内にある。
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[編集] 国名
正式名称は、سلطنة عمان (Sultanat ʿUmān スルタナトゥ・ウマーン)。通称、عمان (ʿUmān ウマーン)。旧称はマスカット・オマーン土侯国。
公式の英語表記は、Sultanate of Oman、通称、Oman。日本語の表記はオマーン国。通称オマーン。漢字による表記は阿曼。一部ではオマーン・スルタン国やオーマンという表記も見受けられるが、一般的ではない。
アラビア語の発音では2番目の母音「マ」は長母音であるため、「オマーン」というカタカナ表記が正しい。「オマン」と発音を縮める表記は他の外国語でもありえなくはないが、「オーマン」のようにアラビア文字の綴りやアラビア語の音韻を逸脱した表記は明らかな間違いである。正則アラビア語に従った仮名表記では「ウマーン」になる。
[編集] 歴史
- 紀元前2世紀頃、アラブ人の移動・定住した。
- 7世紀 イスラームに改宗し、当時影響力を及ぼしていたペルシア人勢力を追放。
- 1509年 ポルトガル人が渡来。16世紀初頭にポルトガルの支配下に入る。
- 1650年 ヤアーリバ朝がポルトガルからマスカットを奪回しオマーン全土を回復。この後19世紀末まで、オマーンの商船はインド洋全域を商圏とし、東アフリカ海岸部を勢力下に置いた(オマーン海洋帝国)。
- その後、ヨーロッパ列強が東洋進出への拠点として利用した。イギリスとフランスの争奪戦が起こり、18世紀の末、イギリスがオマーンと同盟条約を結んだ。
- 1741年 現王家(ブーサイード朝)による支配が始まる。
- 1804年 サイイド・サイード(サイード大王)第5代スルタンに即位。
- 1832年 東アフリカ沿岸の奴隷・象牙・香辛料貿易の拠点でもあったザンジバルに遷都。オマーン、全盛期を迎える。
- 1856年 サイード大王、死去。国土はオマーンとザンジバルに分割される。帆船から蒸気船の時代となり、オマーンは急速に衰退する。
- 1891年 イギリスの保護国となる。
- 1965年 南部のドファール地方で反乱が起こり、ドファール内戦(~1975年)が始まる。
- 1967年 石油輸出を開始。
- 1970年 皇太子カーブース・ビン=サイードがクーデターを起こし、父王サイード・ビン=タイムールを追放、自身は国王に即位。また、国名をマスカット・オマーンから現国名「オマーン」に改める。
- 1971年 イギリス保護領より独立し、国際連合に加盟。
- 1991年 立法権のない諮問議会の設置。
- 1997年 立法権のない国家評議会の設置。
- 2000年 世界貿易機関に加盟。
[編集] 政治
詳細は「オマーンの政治」を参照
カブース現国王(スルターン)は絶対君主制を維持しつつも、諮問議会(政治的実権を持たない)設置や毎年の地方巡幸を通じて民心の掌握に努め、その政権の基盤は安定している。産油による、高い国内総生産も政治の安定に寄与している。
[編集] 軍事
陸海空三軍からなる。歴史的にペルシア人に幾度も支配された経緯からイランが仮想敵国ともなっており、海軍はホルムズ海峡に主力を置いている。植民地であった関係からイギリス軍と関係が深い。イラク戦争やアメリカのアフガニスタン侵攻ではアメリカ軍に協力している。
[編集] 地方行政区分
詳細は「オマーンの行政区画」を参照
[編集] 地理
詳細は「オマーンの地理」を参照
北西部にはハジャル山地、南部にはカラー山地が連なる。南部にワジ多数。また、飛地としてムサンダム半島とマダを領有する。 北部はオマーン湾に、アラビア海(インド洋)に面する。南西海岸沖の40kmにはクリアムリア諸島がある。 全土が砂漠気候に属し、河川が全く存在しない。
[編集] 経済
詳細は「オマーンの経済」を参照
IMFの統計によると、2010年のオマーンのGDPは537億ドルであり[2]、日本の青森県とほぼ同じ経済規模である[3]。
オマーンの鉱業の中心は原油生産(4469万トン、2003年時点)で、輸出額の76.7%を占めており、天然ガスも産出する。金属資源としては、クロム鉱石、銀、金を採掘するものの、量が少なく重要ではない。
河川もないにも関わらず、オアシスを中心に国土の0.3%が農地となっている。悪条件にもかかわらず、人口の9%が農業に従事している。主な農産物は、ナツメヤシ(25万トン、世界シェア8位、2002年時点)。穀物と根菜では、ジャガイモ(13キロトン)の生産が最も多い。その他、冬場の日本での生鮮サヤインゲンの流通を補うため、日本向けサヤインゲンの大規模生産も行われている。
東アフリカ・中東・ペルシア湾岸・インドを結ぶ航路を扼する、戦略的に重要な位置にある。特に南部のサラーラには経済特区や大きなコンテナ港が設置されている。
[編集] 国民
住民は半数以上がアラブ人である。その他にバローチ人、イラン人、インド人(印僑)などがいる。
言語は公用語がアラビア語である。英語も多用される。その他バローチ語、ウルドゥー語なども使われている。
宗教はおよそ3/4がイスラム教のイバード派、1/4がスンナ派に属している。ヒンドゥー教やキリスト教を信仰しているものもいるが少数である。
[編集] 文化
詳細は「オマーンの文化」を参照
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1月1日 | 元日 | ||
| 11月18日 | ナショナルデー | ||
| 11月19日 | 国王誕生日 | ||
| 1月 | イスラム暦新年 | イスラム暦による移動祝日 | |
| 3月 | モハメッド生誕祭 | イスラム暦による移動祝日 | |
| 8月 | 預言者昇天祭 | イスラム暦による移動祝日 | |
| 10月 | ラマダン明け祭 | イスラム暦による移動祝日 | |
| 12月 | 犠牲祭 | イスラム暦による移動祝日 |
[編集] 日本との関係
現国王スルタンカブースの祖父に当たるスルタン・タイムールは日本人と結婚しており、現在のブサイナ王妃の母親は日本人である。
現在、オマーン・日本友好協会 (Oman Japan Friendship Association)がマスカットで日本語教育などの活動を続けている。
2011年の東日本大震災の際にはオマーンの王族系の企業から迅速な支援のために南相馬市の落合工機に26億円の発注があり、話題を呼んだ。
2011年9月には女性書道家の矢部澄翔が現地を訪問し、18の学校や機関で書道の指導やパフォーマンスを行った。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 日本外務省 - オマーン (日本語)
- 在オマーン日本国大使館 (日本語)
- 観光
- オマーン - ウィキトラベル
- オマーン観光省 (英語)
- OMAN navi !! オマーンへの誘い (日本語)
- その他
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