ベナン

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ベナン共和国
République du Bénin
ベナンの国旗 File:Coats of arms of None.svg
国旗 (国章)
国の標語 : Fraternité, Justice, Travail
(フランス語: 仲間、正義、労働)
国歌 : 新しい日の始まり
ベナンの位置
公用語 フランス語
首都 ポルトノボコトヌー¹
最大の都市 コトヌー
政府
大統領 ヤイ・ボニ
首相 なし
面積
総計 112,620km²99位
水面積率 1.8%
人口
総計(2008年 8,935,000人(94位
人口密度 64人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 2兆9,914億[1]CFAフラン
GDPMER
合計(2008年 69億[1]ドル(128位
GDPPPP
合計(2008年 130億[1]ドル(138位
1人当り 1,605[1]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1960年8月1日
通貨 CFAフランXOF
時間帯 UTC (+1)(DST: なし)
ccTLD BJ
国際電話番号 229
註1 : 憲法上の首都はポルトノボだが、政府所在地はコトヌー。

ベナン共和国(ベナンきょうわこく)、通称ベナンは、西アフリカに位置する共和制国家。南北に長く、西にトーゴ、北西にブルキナファソ、北東にニジェール、東にナイジェリアと接し、南は大西洋ギニア湾に面する。憲法上の首都はポルトノボ、事実上の首都はコトヌー

目次

[編集] 国名

正式名称はフランス語で、République du Bénin(レピュブリク・デュ・ベナン)。通称、Bénin

公式の英語表記は、Republic of Benin(リパブリク・オヴ・ベニーン)。通称、Beninベニーン)。

日本語の表記は、ベナン共和国。通称、ベナン。かつては英語発音またはローマ字読みから、ベニンとも表記された。しかし、現在では現地の発音により近いベナンという表記が普及し、それを受けて例えば日本新聞協会がカナ表記のガイドラインを「ベニン」から「ベナン」に変更するといった動きがあり、このためこの傾向はさらに促進されている。ただし、これは、ナイジェリアベニン王国(Benin)やベニン市と区別するという意識もあると思われる。

1960年フランスからの独立当初はダホメー共和国。ダホメーは国土南部の限られた地域を指す名称であり、北西部のアタコラ県や、北東部のボルグを示すのには不十分だったので、ダホメーが面していたベニン湾から国名を採用し、1975年ベナン人民共和国が成立した。その後、1990年社会主義政策の放棄と共に現在の国名となる。ちなみにベナンの公用語であるフランス語ではhは発音されないため、ダホメー(Dahomey)はダオメーとなる。

[編集] 歴史

詳細は「ベナンの歴史」を参照

ダホメ王国の国旗(1889年)

フォン人の居住地区であった現在のベナンに相当する地域に、17世紀ダホメ王国が成立した。ダホメ王国はヨーロッパ人の商人との奴隷貿易を主な収入源にして銃火器を輸入し、1730年に現ナイジェリアのオヨ王国によって服属させられたものの、その後も18世紀を通して周辺の国を軍事的に攻撃して繁栄した。ダホメ出身のフォン人の奴隷は、アメリカ大陸フランスサン=ドマング黒人奴隷共同体の中で文化的なヘゲモニーを握り、フォン系のトゥーサン・ルーヴェルチュールハイチ革命を担うなどの出来事があった。19世紀に入ってヨーロッパ諸国によるアフリカの本格的な植民地化が進むと奴隷貿易が徐々に廃止され始めたため、ダホメの財政基盤に影響が及び、最終的にはアフリカ分割の中でダホメに目を付けたフランスによって1894年に征服され、この一帯はフランスの植民地となった。

1960年に自治共和国からダホメー共和国として独立した。しかし、バリバ人ヨルバ人、フォン人などによる民族抗争が続いて政情は動揺し、クーデターも頻発した。1972年の建国後5度目の政変でマチュー・ケレク政権が成立。国名をベナン人民共和国として社会主義路線を標榜し中華人民共和国に近づいた。しかし、ケレク政権は経済運営に失敗し、1990年代の社会主義陣営の崩壊を受け1990年にベナン共和国に改称し、複数政党制三権分立大統領制を骨子とする新憲法が国民投票で制定された。翌年の大統領選挙ではケレク政権は敗北退陣、変わって前首相のソグロが大統領に選ばれた、議会もソグロ派が多数を占めた。1996年の大統領選挙ではケレクが大統領に復帰。2006年3月の選挙でヤイ・ボニが当選し、大統領となった。

[編集] 政治

詳細は「ベナンの政治」を参照

大統領元首とする共和制国家国家体制としており、大統領は行政権を担い、民主的な選挙によって選出される。ベナンは複数政党制が認められており、立法権はベナン政府とベナン議会が担い、司法権は行政と立法から独立してる。現行憲法は1990年憲法である。

1990年社会主義体制から市場経済体制に移行した後、現在も安定した情勢が取れている。現在の大統領は、ヤイ・ボニである。

[編集] 地方行政区分

詳細は「ベナンの地方行政区分」を参照

ベナンの県

ベナンは12の県に分けられている。

  1. アリボリ県
  2. アタコラ県
  3. アトランティック県
  4. ボルグー県
  5. コリネス県
  6. ドンガ県
  7. クッフォ県
  8. リトラル県
  9. モノ県
  10. ウェメ県
  11. プラトー県
  12. ズー県

[編集] 地理

詳細は「ベナンの地理」を参照

北西部のアタコラ県の風景

北はニジェール川、南はベニン湾に挟まれており、南から北へに進むに連れて徐々に標高が高くなる。ほとんどの人口は南の海岸平野地帯に集中しており、特にポルトノボコトヌーがベナン最大の都市である。北部はほとんどがサバンナと半乾燥の高地である。

ベナンの気候は高温多湿であり比較的雨量は少ないが、一年に二度雨期があり、4月から7月にかけてと9月から11月にかけては雨量が増加する。

[編集] 経済

詳細は「ベナンの経済」を参照

国民の大半が農業に従事。綿花パームオイルなどの輸出用農業生産のほか、自給用のトウモロコシなどが栽培されている。世界屈指の原油埋蔵量を誇るギニア湾に面しているが、油層に恵まれないためか1980年代に小規模な海底油田が開発されて以降、開発は停滞している。石油製品の国内消費量の大部分は、隣国のナイジェリアに頼っている。

[編集] 軍事

詳細は「ベナン軍」を参照

[編集] 国民

詳細は「ベナンの国民」を参照

FAOによる1961年から2003年までのベナンの人口増加グラフ
ベナンのヴォドゥンの教会
ベナンの小学校

ベナンにはおよそ42の民族が居住し、特にフォン人アジャ人ヨルバ人などが大多数を占める。

[編集] 言語

言語は、フランス語公用語であり、その他にフォン語ヨルバ語などそれぞれの民族の言葉が話されている。

[編集] 宗教

2002年のセンサスによれば、ベナンの人口の42.8%がキリスト教徒(27.1%はカトリック、5%はen:Celestial Church of Christ、3.2%はメソジスト、7.5%はその他のキリスト教)、24.4%はムスリム、17.3%は現地固有の宗教ヴォドゥンヴードゥー教)、6%は地域に伝わる伝統的な信仰、1.9%はその他の宗教、そして6.5%が特定の信仰に加盟していないことを主張している[2]

土着信仰にはアタコラ県アニミズム信仰の他、ヨルバ人のオリシャ信仰、そしてフォン人のヴォドゥン(en:West African Vodun)が存在し、ベニン湾に面するウイダの街はベナンのヴォドゥン信仰の中心となっている。アメリカ大陸で信仰されている黒人宗教として知られているヴードゥー教はダホメー王国のフォン人の信仰が発祥であるとされ[3] 、それが奴隷貿易の広がりやハイチ革命後のハイチ人の移動とともに西インド諸島ハイチキューバブラジル北アメリカへと広がったと言われている。1992年よりヴォドゥンはベナンの国教となり、毎年1月10日は国を挙げてのヴォドゥン休日となっている。

イスラーム教は主にソンガイ帝国ハウサ人の商人によって現在のベナンに相当する地域にもたらされた。現在ではアリボリ県、ボルグー県、ドンガ県などで、ヨルバ(彼等はまたキリスト教を信仰する)の中で同等に信仰されており、キリスト教はベナン中部から南部とアタコラ県のオタンマリ郡にかけて信仰されている。しかしながら、ヴォドゥンとオリシャは信仰され続け、ヴォドゥンとオリシャのパンテオンがキリスト教の中に組み込まれてさえもいる。

[編集] 教育

教育は主にフランス語で行われる。2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は34.7%(男性47.9%、女性23.3%)である[4]

主な高等教育機関としては、国立アボメ・カラビ大学国立パラク大学が挙げられる。

[編集] 文化

詳細は「ベナンの文化」を参照

[編集] 文学

アフリカ文学」も参照

ベナンの文学はフランス語が支配的な言語になる以前から強力な口承文学を持っていた[5]

1929年にフェリクス・クショーロはベナン初の小説『奴隷』(L'Esclave)を著した。

[編集] 音楽

ベナンはアフリカ音楽のシーンの中で重要な役割を果たしており、全大陸を通して最も大きなスターの一人であるアンジェリーク・キジョーを輩出している。独立後、国は力強く、革新的な音楽シーンの故郷であり、土着のフォーク音楽がガーナハイライフやフランスのキャバレアメリカ合衆国ロックンロールファンクソウル、そしてコンゴ民主共和国アフリカン・ルンバと結びついて育った。イグナシオ・ブラシオ・オショは恐らくペドロ・グノーナス・イ・スス・パンチョスレ・ヴォルカン・ド・ラ・キャピタルピコビー・バンド・ダボメイと並んでこの時期における最も影響力を持ったミュージシャンである。ペドロはフェソ・ジェヴの歌をプロデュースし[6]、曲はヒットし1973年のen:1973 All-Africa Gamesで多くのバンドによって演奏された。

[編集] 世界遺産

ベナン国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が1件存在する。詳細は、アボメイの王宮群を参照せよ。

[編集] 祝祭日

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元旦 Jour de l´an  
1月10日 ヴォードゥンの祭り Fête du Vodoun  
1月 タバスキ(犠牲祭) Tabaski 移動祝日
3月~4月 イースター Pâques 移動祝日
5月1日 メーデー Fête du travail  
5月5日 昇天祝祭 Ascension  
5月16日 聖霊降臨 Pentecôte  
不定期 モハメッド生誕祭 Maouloud  
8月1日 建国記念日 Fête nationale  
8月15日 聖母被昇天祭 Assomption  
11月1日 諸聖人の日 Toussaint  
9月 ラマダン Ramadan 移動祝日
12月25日 クリスマス Noël  

[編集] 著名な出身者

[編集] 政治家

[編集] 文化人

[編集] 脚注

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ International Religious Freedom Report 2007: Benin. United States Bureau of Democracy, Human Rights and Labor (September 14, 2007). This article incorporates text from this source, which is in the public domain.
  3. ^ ジョアン・マノエル・リマ・ミラ「ラテンアメリカにおけるアフリカ系文化」子安昭子/高木綾子(訳)『ラテンアメリカ人と社会』中川文雄/三田千代子 (編)新評論 1995/10
  4. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/bn.html 2009年5月31日閲覧
  5. ^ Benin(), http://aflit.arts.uwa.edu.au/CountryBeninEN.html 2007-09-30 閲覧。 
  6. ^ Accessible at Golden days highlife #13, 13 minutes into MP3, accessed 30 March 2008

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 参考文献

  • 中川文雄・三田千代子 (編)『ラテンアメリカ人と社会』新評論、1995年(ISBN 4-7948-0272-2

[編集] 外部リンク

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