河西郡
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河西郡(かさいぐん)は、北海道十勝総合振興局に所属する郡。
人口26,859人、面積983.37km²、人口密度27.3人/km²。(2011年12月31日、住民基本台帳人口)
以下の1町2村を含む。
[編集] 歴史
江戸時代の河西郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。今から二百年ほど前に十勝に侵入した北見アイヌ(一説によると日高アイヌ)と十勝アイヌの戦いがチョマトー(河西郡域、現帯広市)で行われたという伝説がある。江戸時代後期、河西郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年河西郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制に倣い河西郡が置かれる。北海道十勝国に属した。明治2年8月28日から同年10月まで鹿児島藩の、明治3年1月9日から廃藩置県のおこなわれた明治4年8月まで陸奥一橋従二位権大納言茂栄の所領となっていた。
- 1882年2月8日 - 廃使置県にともない札幌県の所管となる。
- 1906年4月1日 - 河東郡美蔓村・西士狩村が、芽室村・美生村・羽帯村と合併し、芽室村に編入。
- 1915年4月1日 - 上帯広村、幸震村、売買村が合併し、大正村が成立。
- 1917年 - 河西郡の人口:28,118名。河西郡のマラリア患者数:35名。
- 1920年9月 - 芽室村の町境変更により、一部を上川郡清水村に編入。
- 1926年4月 - 中川郡幕別村の一部が、大正村へ一部編入。
- 1933年4月1日 - 帯広町が市制施行し、帯広市となり郡より離脱。
- 1948年4月1日 - 中川郡幕別町の一部が、大正村と更別村へ編入。
- 1956年9月30日 - 御影村が、上川郡清水町に編入。
- 1957年4月1日 - 川西村と大正村が、帯広市に編入。
- 1958年4月1日 - 上川郡清水町の町境変更により、上芽室100戸653人が芽室町に分割される。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)
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