ギニアビサウ
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- ギニアビサウ共和国
- República da Guiné-Bissau
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(国旗) (国章) - 国の標語 : Unidade, Luta, Progresso
(ポルトガル語: 統一、闘争、進歩) - 国歌 : わが愛しき祖国

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公用語 ポルトガル語 首都 ビサウ 最大の都市 ビサウ 通貨 CFAフラン(XOF) 時間帯 UTC 0(DST: なし) ccTLD GW 国際電話番号 245
ギニアビサウ共和国、通称ギニアビサウは西アフリカに位置する共和制国家。北にセネガルと、南と南西にギニアと国境を接し、西は大西洋に面する。首都はビサウ。
15世紀半ばにポルトガル人が上陸。南北アメリカ大陸への奴隷貿易の中継地となり、1879年にポルトガル領ギニアが単独でポルトガルの植民地となった。1973年9月24日に独立宣言、1974年9月10日に承認。現在の公用語もポルトガル語である。アフリカ大陸では比較的面積の小さい国の一つである。
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[編集] 国名
正式名称はポルトガル語で República da Guiné-Bissau /rɨˈpublikɐ dɐ ɡiˈnɛ biˈsaw/。 通称 Guiné-Bissau。
公式の英語表記は Republic of Guinea-Bissau 。
日本語の表記は、ギニアビサウ共和国。通称ギニアビサウ。「ギニアビサオ」と表記されることもある。
[編集] 歴史
[編集] 先ポルトガル期
[編集] ポルトガル植民地時代
詳細は「ポルトガル領ギニア」を参照
- 1446年 ポルトガルがこの地域一帯の領有を宣言。
- 1630年 ポルトガルが総督府を設置。
- 1765年 ビサウに奴隷貿易の拠点が設置される。
- 1879年 カーボベルデ諸島植民地から分離して単独の植民地となる。民族主義的集団が形成され、武装蜂起が度々起こる。
- 1951年 ポルトガルの憲法改正により、植民地から海外州・県(海外の領地)となる。
- 1956年 アミルカル・カブラルが指導するクレオールのギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)による独立・民族解放運動が始まる。
- 1973年1月 アミルカル・カブラルがギニアの首都コナクリにて暗殺される。
- 1973年9月24日 領土の大部分を押さえたPAIGCは、東部の町マディナ・ド・ボエにおいてギニアビサウ独立共和国の独立を宣言する。初代大統領には暗殺されたアミルカルの弟のルイス・カブラルが就任。
- 1974年4月25日 ポルトガルでカーネーション革命が発生し、左派政権が誕生。以後、ポルトガル新政権とPAIGCとの間で独立交渉が開始される。
- 1974年9月10日 ポルトガル政府により正式に独立が承認される。
- PAIGCはカーボベルデとの統一を目指していたが、ギニアビサウ国内にてカーボベルデ系への反感が高まり、カーボベルデ系のルイス・カブラルが軍事クーデターにより失脚する形で統一が達成されることはなくなった。
[編集] 独立後
- 1980年 ジョアン・ヴィエイラによるクーデターが発生し、革命評議会が全権を掌握する。
- 1984年 革命評議会に代わり国家評議会が設置され、ヴィエイラが議長に就任する。
- 建国当初の親東側路線はヴィエイラ政権により親米路線に変更されたが、国内での治安は悪く、クーデター計画が頻発した。
- 1990年 ヴィエイラ、複数政党制民主主義への移行を表明。
- 1993年 クーデター未遂事件が発生。
- 1994年 建国後初の複数政党制選挙が行われ、ヴィエイラが大統領に当選する。
- 1998年 クーデターをきっかけに内戦が発生し、避難民30万人がビサウに流入する。
- 1999年 クーデターでヴィエイラ大統領が亡命する。
- 2000年 クンバ・ヤラが大統領に就任する。
- 2003年 ヴェリッシモ・コレイア・セアブラ将軍の無血クーデターでヤラ大統領が辞任・逮捕される。エンリケ・ホザが臨時大統領に就任。
- 2004年 セアブラ将軍が死亡。議会選挙によりPAIGCが勝利。カルロス・ゴメス・ジュニオル首相による連立政権樹立。
- 2005年 ヴィエイラが大統領に就任する。カルロス・ゴメス・ジュニオル首相が更迭され、アリスティデス・ゴメスが首相になる。
- 2008年 11月、議会選挙で多数派与党が勝利。その一週間後、軍の不満分子による大統領官邸襲撃事件が発生。反乱軍は撃退され、クーデターは未遂に終わる。このことがあり、大統領警護隊が組織される。
- 2009年 1月に、ナワイ参謀長が大統領警護隊の解散を命じた一方、ナワイ参謀長の暗殺未遂事件が起きる。3月1日に、首都ビサウにある軍司令部が爆撃を受け、大統領と対立していたナワイ参謀長が爆殺される(2人続けての参謀長暗殺)。翌3月2日、反乱軍兵士が大統領自宅を襲撃し、ヴィエイラ大統領を殺害する。政府軍は、国営ラジオで反乱軍が「孤立した勢力」であり、鎮圧寸前であると発表し、また、軍が憲法を守ることも保障した。ゴメス首相とルイス・サンカ国家安全保障顧問は、大統領が死亡したことを確認したが、詳細は発表しなかった。首都には軍部隊が配置され、民間ラジオ局を閉鎖した。現在までビサウに、大きな混乱は無いが、一方、BBCによると軍本部の建物が爆発で一部破壊されたと報じた。大統領代行には議会のライムンド・ペレイラ議長が就任。
[編集] 政治
ギニアビサウは共和制をとる立憲国家である。現行憲法は1984年5月16日制定され、その後数回の改正を経たもの。
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。再選制限は無い。行政府の長たる首相は、大統領が国家人民会議の多数派の指導者より任命する。
議会は一院制の国家人民会議。定数100議席。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は4年。
主要政党にはかつて一党支配を敷いたギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)のほか、社会革新党(PRS)、統一社会民主党(PUSD)がある。
[編集] 地方行政区分
詳細は「ギニアビサウの行政区画」を参照
ギニアビサウの地方行政区分は8州 (regiõe) と1自治区 (sector autónomo) からなる。
- オイオ州 (Oio)
- カチェウ州 (Cacheu)
- ガブ州 (Gabú)
- トンバリ州 (Tombali)
- キナラ州 (Quinara)
- バファタ州 (Bafatá)
- ビオンボ州 (Biombo)
- ボラマ州 (Bolama)
- ビサウ自治区 (Sector autónomo de Bissau)
[編集] 地理
熱帯にある小国であり、いくつかの河川が流れる大陸部と島嶼部(ビジャゴ諸島)からなる。高い山は無く、国内の最高所の標高は310mである。内陸部はサバンナであり、沿岸部は沼沢地のところが多い。雨季とサハラ砂漠からのハルマッタンによる暑く乾燥した乾季がある。
[編集] 経済
詳細は「ギニアビサウの経済」を参照
工業、鉱業がほぼ存在せず、労働力の8割が従事する主要産業の農業も米などの自給農業が中心で、しかも国内需要すら満たせないほど生産性が低い。企業家層がおらず、識字率も低いため、経済発展の基礎的な条件が存在していない。産業と呼べるものがほとんど無いため、世界最貧国のひとつとなっている。カシューナッツや落花生が主な輸出品である。
近年、内戦により政府の管理が行き届かないこと、島の多い地形が密輸に有利なことから、南米からヨーロッパへの麻薬の中継地点となっているという指摘が多くなされている。
通貨は1997年以前はギニアビサウ・ペソが法定通貨であったが、1997年より西アフリカCFAフランが導入された。
[編集] 国民
詳細は「ギニアビサウの国民」を参照
住民は、バランテ人が多く、他にフラニ人、マンディンカ人などの民族が存在する。少数だが、主にカーボベルデから来たクレオールやヨーロッパ人(主にポルトガル人)などもいる。クレオールは政治などを支配していた事から現地住民(特にバランテ人)は長年不満を抱いており、1980年のクーデターに結びついた。
公用語はポルトガル語だが、ポルトガル語を話す人の割合はあまり高くなく、ポルトガル語をベースにしたギニアビサウ・クレオール語が共通語としての役割を果たしている。ほかにバラント語、フラ二語、マリンケ語などの現地語などがある。
宗教は、現地宗教が50%、イスラム教が45%、キリスト教が5%となっている。
[編集] 文化
詳細は「ギニアビサウの文化」を参照
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
[編集] 外部リンク
- 政府
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- ギニアビサウ共和国政府 (ポルトガル語)(英語)
- 日本政府
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- 日本外務省 - ギニアビサウ (日本語)
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