西サハラ
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- サハラ・アラブ民主共和国
- الجمهورية العربية الصحراوية الديمقراطية
Al-Jumhūrīyâ al-Arabīyâ as-Ṣaḥrāwīyâ ad-Dīmuqrātīyâ -


(国旗) (国章 (Coat) ) - 国の標語 : なし
- 国歌 : Yābaniy Es-Saharā

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公用語 アラビア語、スペイン語 首都 アイウン 最大の都市 アイウン 独立 スペインから
1976年2月27日(但し隣接するモロッコの妨害により正式な独立は困難)通貨 モロッコ・ディルハム(MAD) 時間帯 UTC ±0(DST: なし) ccTLD なし(.ehを予約) 国際電話番号 212(モロッコの国番号、これとは別に282を予約) - 注1 : モロッコが領有権を主張している。
西サハラ(にしサハラ、アラビア語: صحراء غربية、スペイン語: Sahara Occidental)は、アフリカ大陸北西部の大西洋岸にある地域で、北から時計回りにモロッコ、アルジェリア、モーリタニアに接している。旧スペイン領サハラ(もとのリオ・デ・オロ及びサギア・エル・ハムラ地区より成る)。面積26万6,000平方キロ、人口約27万人(2004年)。
帰属については議論があり、サハラ・アラブ民主共和国とモロッコ王国が領有を主張している。国際連合の「非自治地域リスト」に1960年代以来掲載されている。
ほとんどの地域をモロッコが実効支配(もしくは不法占拠)しているが、モロッコによる領有権の主張は大多数の国から認められていない。サハラ・アラブ民主共和国はアフリカ諸国と中南米諸国を中心に国家として承認されているが、欧米や日本などの先進諸国はモロッコとの関係上国家として承認しておらず、また国際連合にも加盟できていない。
世界でもっとも人口密度の低い地域のひとつである。
目次 |
[編集] 国名・地域名
スペイン領時代にはスペイン領サハラと呼称された。亡命政府の名称はサハラ・アラブ民主共和国(サハラ・アラブみんしゅきょうわこく)で、その略称 “SADR” は英語名“Sahrawi Arab Democratic Republic”の頭文字から採られたものである。
[編集] 歴史
詳細は「西サハラの歴史」、「en:History of Western Sahara」をそれぞれ参照
アフリカ分割においては、ギニア湾岸を除く西アフリカのほとんどの地域が東西5000km、南北4000kmにも及ぶ広大なフランスの植民地(フランス領西アフリカ)となった中で、西サハラとモロッコ最南部はフランス領に囲まれた島状の形でスペイン領として残った。
1886年にスペインの保護領となり、1912年にイフニとモロッコ南部保護領(タルファヤ地方)と合併してスペイン領西アフリカを形成したが、1958年モロッコ南部保護領(タルファヤ地方)、1969年イフニを、それぞれモロッコに返還する。1975年のマドリード協定によりスペインは領有権を放棄して撤退し、1976年にはモーリタニア とモロッコ が分割統治を開始する。その一方で、西サハラの独立を目指すサギアエルハムラ・リオデオロ解放戦線(POLISARIO、通称ポリサリオ戦線)はアルジェリア の支援を得て武力闘争を開始し、1976年にはアルジェリアの首都アルジェで亡命政権サハラ・アラブ民主共和国 (SADR) を樹立した。
ポリサリオ戦線はまずモーリタニアを集中的に攻撃し、同国の首都ヌアクショットまで攻撃するなど戦闘を有利に進めた。度重なる多額の戦費支出によってモーリタニアの国家財政は圧迫されていき、1977年のポリサリオ戦線の軍事的勝利は1978年にモーリタニアで無血クーデターが引き起こるまでに至った。1979年にモーリタニア政府はポリサリオ戦線と単独和平協定を締結し、西サハラ領有権を正式に放棄した。しかし同年、モーリタニアが放棄した領域をモロッコ軍がすぐさま不法占領したため、現在に至るまで独立をめぐる問題が続いている。1984年にはモーリタニアがサハラ・アラブ民主共和国を国家承認している。
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西サハラ問題に関する一連の記事 |
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| 歴史的背景 | |
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| 係争地域 | |
| 政治 | |
| 解放闘争 | |
| 国連の関与 | |
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1988年に国連事務総長の和平提案をポリサリオ戦線とモロッコの双方が合意した。提案内容は、独立かモロッコへの帰属を決める住民投票を実施するというものである。1991年に国際連合の仲介でポリサリオ戦線とモロッコは停戦し、国連提案にあった住民投票を実施することになり、国連平和維持活動 (PKO) として国連西サハラ住民投票監視団 (MINURSO) が創設された。しかし、この地域は遊牧民が多く有権者の認定が困難を極めるためという理由で、投票は現在に至るまで無期延期となっている。また、モロッコ国王モハメド6世の相次ぐ西サハラ訪問、モロッコによるインフラ整備などにより、モロッコは西サハラ実効支配を既成事実化し、サハラ・アラブ民主共和国の独立を妨害し続けている。
現在は、モーリタニア国境を中心に地雷がモロッコ軍によって埋設されている。モロッコは主にモーリタニア国境に沿って「砂の壁」と呼ばれる防壁を築き、ポリサリオ戦線を排除している。砂の壁はモロッコ国内からつながっている。
サハラ・アラブ民主共和国は1982年2月22日にアフリカ統一機構(OAU)(2002年からはアフリカ連合(AU))に加盟しており、アフリカ・中南米・南アジア諸国を中心に約80か国から国家承認を得ている。モロッコがアフリカ大陸の国家の中で唯一AUに加盟していないのは、サハラ・アラブ民主共和国のOAU加盟に反発して1984年に脱退したためである。なお、AUの現在の加盟国総数は53であり、アフリカの国連加盟国数53か国と同じ数であるが、サハラ・アラブ民主共和国はAUのみの加盟、モロッコは国連のみの加盟となっている。
[編集] 地方行政区分
[編集] 地理
詳細は「西サハラの地理」、「en:Geography of Western Sahara」をそれぞれ参照
南方のモーリタニアと並び、大西洋に至るまでサハラ砂漠が広がっているため、わずかなオアシスと一部の沿岸部を除き、全土が砂漠である。東部は山岳地帯であり、大西洋に向かって標高が下がっていく。
北部はアトラス山脈の山麓にあたり、岩石砂漠が広がる。山麓沿いにアルジェリアからモーリタニア、西サハラを横切り大西洋につながるJatワジがある。秋季には水をたたえるため、農業に適する。これ以外の地域、特に内陸部はワジはないものの、降水が地下水となってオアシスを形成している。
ケッペンの気候区分によると全土が砂漠気候 (BW) である。気温は高いが、沿岸部は寒流であるカナリア海流の影響によって温度が和らげられる。国内に年間降水量が100mmを越える都市は存在せず、秋季に数10mm程度のわずかな降雨がある。旱魃やバッタの被害を受けやすい。
[編集] 主要都市
詳細は「en:List of cities in Western Sahara」を参照
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ダフラに建つ家と、その上空を飛ぶ軍用ヘリコプター。 |
アイウンにある検問所。 |
- アイウン (El Aaiún) (العيون) - ラーユーン、ラユーン、エル・アイユーンとも呼ばれる。人口183,691人(2004年時点)また、アイウンにはハッサン空港がある。
- ダフラ (Ad-Dakhla) (الداخلة) - ダクラとも呼ばれる。良好な港を持つ臨海都市。
- ブーカラー (Bou Craa) - 1963年豊富なリン鉱床が発見される。現在も採掘中。ブクラとも。
- スマラ (Smara) (السمارة) - 内陸部に広がる都市。セマラとも言う。
- ブジュドゥール (Cape Bojador) (بو جدور) - 海岸沿いの都市。
- ラゴウイラ (Lagouira) - ブランコ岬の村。
- Guelta Zemmur (Guelta Zemmur) (گَلتَة زَمُّور) - モロッコ軍のポリサリオ戦線監視のための駐屯地。一般人は侵入禁止。
- Zoug(sug) - 南部国境線近くの集落。
- Hawza (Hawza)
- Al Mahbass (Al Mahbass) (المرسى)
- Bir Anzarane
- Tichla
- Auserd(Awserd) (Auserd)
- El Aargub
- Lemseid (Lemseid)
- Aargub
[編集] 経済
詳細は「西サハラの経済」、「en:Economy of Western Sahara」をそれぞれ参照
国土の大部分がサハラ砂漠で、オアシスでの農業やベルベル人 による遊牧が行われる。1963年豊富なリン鉱床が内陸部のブーカラーで発見され、その採掘が主産業。リン鉱石の他にも地下資源として石油、天然ガス、鉄鉱石が存在するとみられている。最大都市アイウン(ラユーン)のほか、良港を持つ港湾都市ダフラ を抱える。
[編集] 国民
アラブ人とベルベル人が大多数を占めているが、ハラティンと呼ばれる少数の黒人も住んでいる。住民の多くは先住のベルベル人が8世紀以降に侵入したアラブ人や、南部の黒人との混血したものであり、北部のテクナ、東部のルギバト、南部のモールの三グループに大きく分けられる。
主に西サハラで話されている言語は、モーリタニアと同じくハッサニアと呼ばれるアラビア語の方言である。旧スペイン植民地だったため、一部でスペイン語も話されている。
宗教は大多数がイスラム教である。
[編集] 文化
詳細は「西サハラの文化」、「en:Culture of Western Sahara」をそれぞれ参照
[編集] 脚註
[編集] 参考文献
- 宮治一雄『世界現代史17 アフリカ現代史V』山川出版社 2000(ISBN 4-634-42170-4)
- 福井英一郎(編)『世界地理9 アフリカI』朝倉書店 2002 (ISBN 4-254-16539-0 C3325)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 観光
- その他
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