マリ共和国

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マリ共和国
République du Mali
マリの国旗
国旗 (国章)
国の標語 : Un Peuple, Un But, Une Foi
(フランス語: 1つの国民、1つの目標、1つの信念)
国歌 : ル・マリ
マリの位置
公用語 フランス語
首都 バマコ
最大の都市 バマコ
政府
大統領 アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ
首相 モディボ・シディベ
面積
総計 1,240,000km²23位
水面積率 1.6%
人口
総計(2008年 13,010,000人(67位
人口密度 10人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 3兆9,144億[1]CFAフラン
GDPMER
合計(2008年 87億[1]ドル(121位
GDPPPP
合計(2008年 105億3,000万[1]ドル(150位
1人当り 1,126[1]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1960年9月22日
通貨 CFAフランXOF
時間帯 UTC (0)(DST: なし)
ccTLD ML
国際電話番号 223

マリ共和国(マリきょうわこく)、通称マリは、西アフリカに位置する共和制国家。西をモーリタニア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソコートジボワール、南西をギニア、西をセネガルに囲まれた内陸国である。首都バマコ

国土の北側3分の1はサハラ砂漠の一部であり、残りの中南部も、ちょうど中心を流れるニジェール川沿岸だけが農耕地となっている以外は、乾燥地帯である。

目次

[編集] 国名

正式名称は、République du Mali(レピュブリック・ドゥ・マリ)。通称、Mali。

公式の英語表記は、Republic of Mali(リパブリック・オブ・マリ)。通称、Mali

日本語の表記は、マリ共和国。通称、マリ。漢字で馬利と表記。

植民地時代はフランス領スーダンと呼ばれていたが、独立時に現在の国名となった。マリの名は、かつてこの地にあったマリ帝国の繁栄にあやかって名づけられた。マリとは、バンバラ語で「カバ」という意味で、首都バマコにはカバの像がある。

[編集] 歴史

詳細は「マリ共和国の歴史」を参照

古代におけるこの領域での歴史は、1076年まで栄えたガーナ王国8世紀以前の歴史は不明)が存在した。1240年から1473年北アフリカとのサハラ交易で栄えたマリ帝国が興隆したが、マリ帝国はガオに都を置いたソンガイ帝国1473年から1591年。ソンガイ王国とも)によって属国となり、ソンガイ帝国にはニジェール川上流域が豊富なの産地であったことからムスリム商人らが訪れ、サハラ交易が盛んに行われた。1591年にソンガイ帝国がモロッコサアド朝に滅ぼされると、大西洋での三角貿易奴隷貿易の影響で、内陸部のサハラ交易のルートが衰退したため、以後この地に大帝国は興隆しなかった。

19世紀半ばにはエルハジ・ウマールによってトゥクロール帝国が建国されたが、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割を抑えることは出来なかった。1904年フランスの植民地となり、フランス領スーダンと呼ばれた。1960年6月、隣国のセネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立。しかし、その年の8月にセネガルが連邦から離脱したため、翌9月にマリ共和国と国名を改めた。モーディッボ・ケイタ大統領のもとで社会主義政策が推進されたが徐々に行き詰まり、1968年にムーサ・トラオレのクーデタが発生し、長い軍事独裁体制の時期に入った。民主化運動が成功し、1991年に暫定政府が発足。翌1992年に憲法を制定し、大統領選挙が行われた。北部ではトゥアレグ族が過激な分離闘争を繰り返してきたが、1996年に武装解除が行われた後、内政は安定している。

[編集] 政治

詳細は「マリ共和国の政治」を参照

マリは共和制大統領制をとる立憲国家である。現行憲法1992年1月12日に制定されたもの。

国家元首である大統領(Président de la République du Mali)は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相は大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会(Conseil des Ministres)のメンバーは、首相が任命する。

議会は一院制で、正式名称は国民議会(Assemblée Nationale)。憲法によると、国家唯一の立法機関とされている。定数147議席。国民議会議員は、マリを構成する8州と1特別区の人口比に基づき、国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。

マリは実質的に複数政党制が機能する、アフリカでは数少ない国家である。宗教民族を基盤とした政党地域政党性別による差別を主張する政党は禁止。主要政党としては、ムーサ・トラオレ軍事独裁政権の打倒後に政権の座に就いたマリ民主同盟(ADEMA)が最大のものとして挙げられる。他の有力政党にはマリ連合があり、民主化主導全国会議(CNID)、愛国復興運動(MPR)という小政党と共に選挙同盟希望2002を形成している。国民議会内の勢力は以下の通り。

  • 希望2002 - 66議席
  • マリ民主同盟 - 51議席
  • その他の諸政党 - 30議席。

最高司法機関は最高裁判所(Cour suprême)である。

[編集] 地方行政区分

詳細は「マリ共和国の地方行政区画」を参照

マリ共和国の地方行政化区画

以下の8州とバマコ特別区に分かれている。

[編集] 地理

詳細は「マリ共和国の地理」を参照

マリ共和国の地図

ケッペンの気候区分によれば気候は北部が砂漠気候、南西部は亜熱帯気候である。北部は全域がサハラ砂漠となっており、人口は希薄。国土のほぼ中央部を流れるニジェール川流域に人口が集中している。

[編集] 経済

詳細は「マリ共和国の経済」を参照

ニジェール川流域の農業と金の輸出が中心。

リン鉱石、ウランなどの鉱物資源が豊富。中でも、ウランは日本が独占契約を結んでいる。

農業は、綿花ピーナツが主力だが、灌漑設備が弱く、また砂漠化の影響を受け、収量は天候に大きく左右される。

北部ではトゥアレグ人が遊牧を行っている。また、ニジェール川では河川漁業もさかん。

輸出入の経路は、独立以前はセネガルのダカール港からダカール・ニジェール鉄道経由が圧倒的だったが、マリ連邦崩壊時の政治的対立によりコートジボワールとの結びつきを強め、1997年には輸出入の70%がコートジボワールのアビジャン経由、30%がダカール経由となった。

国内産業では労働力が吸収しきれず、出稼ぎが盛んである。出稼ぎ先はコートジボワールやフランスが多い。コートジボワールでは地元民と移民してきたブルキナファソ人・マリ人との対立が激しく、コートジボワール内戦の一因ともなった。

[編集] 国民

詳細は「マリ共和国の国民」を参照

[編集] 民族

[編集] 言語

公用語フランス語であるが、国内の多数部族が使用している4つの言語を、国語と定め、教育その他の分野で使用している。

[編集] 宗教

イスラム教が90%、伝統的宗教が5%、キリスト教が5%である。

[編集] 教育

2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は46.4%(男性:53.5% 女性:39.6%)である[2]

[編集] 文化

詳細は「マリ共和国の文化」を参照

[編集] 音楽

詳細は「マリ共和国の音楽」を参照

[編集] 映画

映像作家として知られるスレイマン・シセは社会的メッセージ性の強い作品で、国内外から高い評価を受けている。

[編集] 世界遺産

マリ共和国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、複合遺産が1件ある。詳細は、マリ共和国の世界遺産を参照せよ。

[編集] 祝祭日

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Jour de l'an
1月20日 軍隊記念日 Fête de l'armée
3月26日 殉教者の日 Journée des Martyrs ムーサ・トラオレ政権崩壊の日
5月1日 メーデー Fête du Travail
5月25日 アフリカの日 Fête de l'Afrique アフリカ統一機構発足の日
9月22日 独立記念日 Jour de l'Indépendance
12月25日 クリスマス Noël イエズス・クリストゥス生誕の日

[編集] 著名な出身者

[編集] 脚註

  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ml.html 2009年4月2日閲覧

[編集] 参考文献

  • 砂野幸稔「アフリカ文化のダイナミズム」『ハンドブック現代アフリカ』岡倉登志:編 明石書店 2002/12

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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