マリ共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
マリ共和国
République du Mali
マリの国旗 Coat of arms of Mali.svg
国旗 (国章)
国の標語:Un Peuple, Un But, Une Foi
(フランス語: 1つの国民、1つの目標、1つの信念)
国歌ル・マリ
マリの位置
公用語 フランス語
首都 バマコ
最大の都市 バマコ
政府
大統領 イブラヒム・ケイタ
首相 ウマル・タタム・リー
面積
総計 1,240,000km223位
水面積率 1.6%
人口
総計(2012年 16,300,000人(???位
人口密度 10人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 3兆9,144億[1]CFAフラン
GDP(MER
合計(2008年 87億[1]ドル(121位
GDP(PPP
合計(2008年 105億3,000万[1]ドル(150位
1人あたり 1,126[1]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1960年9月22日
通貨 CFAフランXOF
時間帯 UTC (0)(DST:なし)
ISO 3166-1 ML / MLI
ccTLD .ml
国際電話番号 223

マリ共和国(マリきょうわこく)、通称マリは、西アフリカに位置する共和制国家。西をモーリタニア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソコートジボワール、南西をギニア、西をセネガルに囲まれた内陸国である。首都バマコ

国土の北側3分の1はサハラ砂漠の一部であり、残りの中南部も、ちょうど中心を流れるニジェール川沿岸だけが農耕地となっている以外は、乾燥地帯である。

国名[編集]

正式名称は、République du Mali(レピュブリック・ドゥ・マリ)。通称、Mali。

公式の英語表記は、Republic of Mali(リパブリック・オブ・マリ)。通称、Mali

日本語の表記は、マリ共和国。通称、マリ。漢字で馬利と表記。

植民地時代はフランス領スーダンと呼ばれていたが、独立時に現在の国名となった。マリの名は、かつてこの地にあったマリ帝国の繁栄にあやかって名づけられた。マリとは、バンバラ語で「カバ」という意味で、首都バマコにはカバの銅像がある。

歴史[編集]

古代[編集]

古代におけるこの領域での歴史は、4世紀にソニンケ族ガーナ王国が興った。8世紀にサハラとの交易(北方の塩と南方の金・象牙との交換)によって絶頂期を迎えた。北アフリカではアラブ人が広範な交易ネットワークを持ちアフリカに文化的影響を与えた。1076年まで栄えたガーナ王国8世紀以前の歴史は不明)はベルベル人ムラービト朝に攻撃され滅びた。

スースー族英語版は、反イスラムのスースー王国英語版を興して対抗した。

マリ帝国とソンガイ帝国[編集]

1235年キリーナの戦い英語版でスースー王国からマンディンカ族が独立し、マリ帝国を興す。1240年から1473年北アフリカとのサハラ交易で栄えたマリ帝国が興隆したが、マリ帝国はガオに都を置いたソンガイ族ソンガイ帝国1473年から1591年。ソンガイ王国とも)によって属国とされ、ニジェール川上流域が豊富なの産地であったことからソンガイ帝国にはムスリム商人らが訪れ、サハラ交易が盛んに行われた。

サアド朝モロッコ支配期[編集]

1591年にテガーザ英語版岩塩をめぐるサアド朝モロッコとのトンディビの戦い英語版に敗れ、1592年にソンガイ帝国が滅ぼされると、大西洋での三角貿易奴隷貿易の影響で、内陸部のサハラ交易のルートが衰退したため、以後この地に大帝国は興隆しなかった。

小国乱立期[編集]

17世紀にはフラニ族マシーナ王国英語版セグーバンバラ族によるバンバラ王国英語版1712年1861年)、en:Kaarta1753年-1854年)、en:Kénédougou Kingdom1650年-1898年)など、多くの小王国が乱立した。

19世紀半ばにはエルハジ・ウマール英語版トゥクロール帝国英語版1848年1890年)、及びサモリ・トゥーレワスルー英語版地方にサモリ帝国英語版1878年1898年)を建国したが、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割を抑えることは出来なかった(マンディンゴ戦争英語版)。

フランス植民地期[編集]

1892年フランスの植民地となり、フランス領スーダンと呼ばれた。 1916年トゥアレグ族の貴族Kaocen Ag Mohammedアガデスで蜂起したが(en:Kaocen Revolt)、フランス軍に鎮圧された。1958年、フランスの自治国スーダンとなった。

独立[編集]

1960年6月、隣国のセネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立。しかし、その年の8月にセネガルが連邦から離脱したため、翌9月にマリ共和国と国名を改めた。

独立によってトゥアレグ族居住地は、マリ・アルジェリアニジェールに分割されて抗議の声が高まり、さらに冷戦下で重要性の高まっていた域内アガデス州アーリットアクータ鉱山から産出するウランの軍事的重要性などの複合的な要因から、第1次トゥアレグ抵抗運動英語版 (1962年-1964年)が勃発した。産出するウランの一部は日本に出荷されている。この頃、アフリカ諸国連合に加盟。

モディボ・ケイタ大統領のもとで社会主義政策が推進されたが徐々に行き詰まり、1968年にムーサ・トラオレのクーデタが発生し、長い軍事独裁体制の時期に入った。 1974年en:Agacher Strip War(The First War、11月25日 - 12月中旬)。 1979年に民主化運動が成功し、単一政党マリ人民民主同盟が結成された。選挙によって大統領が選出されたが、クーデターが起こり、実権はクーデター派に移った。 1985年en:Agacher Strip War(Christmas War、12月14日 - 12月30日)。

1991年に暫定政府が発足。翌1992年に憲法を制定し、大統領選挙が行われた。1968年以来の軍事政権時代が終わった。

マリ北部とニジェールで、トゥアレグ族en:Popular Movement for the Liberation of Azawad(MPLA)とen:Hassaniya Arabicen:Arab Islamic Front of Azawad(FIAA)が過激な分離闘争(トゥアレグ抵抗運動 (1990年-1995年)英語版。)を繰り返してきたが、1996年に武装解除が行われた。

2004年en:2004 locust outbreak2006年イブラヒム・アグ・バハンガフランス語版が反政府武装組織「5月23日同盟英語版」(ADC)を結成し、マリ北部において再び武装闘争を展開(トゥアレグ抵抗運動 (2007年-2009年)英語版)。2011年リビア内戦に参加することによりさらに戦闘能力や武器を強化した。

マリ北部紛争[編集]

2012年1月、トゥアレグ族は新たに独立を求め、トゥアレグ抵抗運動 (2012年)英語版で蜂起し、マリの北部各州(アザワド)を制圧した。戦いの中で政府軍内部からは武器が足りないなどといった不満が噴出し、同年3月にマリ軍事クーデターを招く事態となった。さらに4月6日にはトゥアレグ族の反政府武装組織「アザワド解放民族運動英語版」(MNLA, タマシェク語: ⵜⴰⵏⴾⵔⴰ ⵏ ⵜⵓⵎⴰⵙⵜ ⴹ ⴰⵙⵍⴰⵍⵓ ⵏ ⴰⵣⴰⵓⴷ)とサラフィー・ジハード主義組織「アンサル・ディーン」が北部三州(アザワド)を制圧し、一方的にアザワド独立宣言を発表した[2]。5月にはアザワドを制圧中の国際テロ組織アルカーイダ系武装組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ」(AQIM)がトンブクトゥの聖墓を破壊したと発表した[3]。その後、アンサル・ディーンと対立したMNLAは攻撃を受け、アザワド内の拠点を全て失い、アザワドは事実上崩壊[4]。現在、マリ北部はアンサール・アッ=ディーンの支配下にある[5]。 2013年1月、フランスが軍事介入を開始(セルヴァル作戦)。政府軍とともにアンサル・ディーンやイスラム・マグレブ諸国のアルカイダなど、イスラム系反政府勢力に対して攻勢をかけた[6]

政治[編集]

以下では2012年軍事クーデターにより憲法が停止される以前の状況について記述する。

マリは共和制大統領制をとる立憲国家である。現行憲法1992年1月12日に制定されたもの。

元首[編集]

国家元首である大統領(Président de la République du Mali)は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている[7]

行政[編集]

首相は大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会(Conseil des Ministres)のメンバーは、首相が任命する。

立法[編集]

議会は一院制で、正式名称は国民議会(Assemblée Nationale)。憲法によると、国家唯一の立法機関とされている。定数147議席。国民議会議員は、マリを構成する8州と1特別区の人口比に基づき、国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。

マリは実質的に複数政党制が機能する、アフリカでは数少ない国家である。宗教民族を基盤とした政党地域政党性別による差別を主張する政党は禁止。主要政党としては、ムーサ・トラオレ軍事独裁政権の打倒後に政権の座に就いたマリ民主同盟(ADEMA)が最大のものとして挙げられる。他の有力政党にはマリ連合があり、民主化主導全国会議(CNID)、愛国復興運動(MPR)という小政党と共に選挙同盟希望2002を形成している。国民議会内の勢力は以下の通り。

  • 希望2002 - 66議席
  • マリ民主同盟 - 51議席
  • その他の諸政党 - 30議席。

司法[編集]

最高司法機関は最高裁判所(Cour suprême)である。

軍事[編集]

地方行政区分[編集]

マリの地方行政化区画

以下の8州とバマコ特別区に分かれている。

主要都市[編集]

主要な都市はバマコ(首都)、シカソセグーがある。

地理[編集]

マリの地図
オンボリ山

マリは内陸国で、地理的には3区分される。北部のサハラ帯、中部のサヘル帯、南部のスーダン帯である。国の65%が砂漠(サハラ砂漠)と半砂漠であり、南部の低地サバナから北東部丘陵で標高1000mに達する。最高地点は中部のブルキナファソ国境に近いオンボリ山(1153m)。 ケッペンの気候区分によれば気候は北部が砂漠気候、南西部は亜熱帯気候である。北部は全域がサハラ砂漠となっており、人口は希薄。国土のほぼ中央部を流れるニジェール川流域に人口が集中しており、食料・飲み水・農業・輸送など国民生活を支えている。

クリコロまでは、隣国セネガルからの鉄道、ダカール・ニジェール鉄道が敷設されている。

経済[編集]

ニジェール川流域の農業と金の輸出が中心。

リン鉱石、ウランなどの鉱物資源が豊富。中でも、ウランは日本が独占契約を結んでいる。

農業は、綿花ピーナツが主力だが、灌漑設備が弱く、また砂漠化の影響を受け、収量は天候に大きく左右される。主食の一つであるトウジンビエの栽培も盛ん。

北部ではトゥアレグ族遊牧を行っている。また、ニジェール川では河川漁業もさかん。

輸出入の経路は、独立以前はセネガルのダカール港からダカール・ニジェール鉄道経由が圧倒的だったが、マリ連邦崩壊時の政治的対立によりコートジボワールとの結びつきを強め、1997年には輸出入の70%がコートジボワールのアビジャン経由、30%がダカール経由となった。

国内産業では労働力が吸収しきれず、出稼ぎが盛んである。出稼ぎ先はコートジボワールやフランスが多い。コートジボワールでは地元民と移民してきたブルキナファソ人・マリ人との対立が激しく、アラサン・ワタラの出身地を一つの原因として第1次コートジボワール内戦英語版となった[要出典]

国民[編集]

マリの人口推移(1961年-2003年)

民族[編集]

言語[編集]

公用語フランス語であるが、国内の多数部族が使用している4つの言語を、国語と定め、教育その他の分野で使用している。

宗教[編集]

イスラム教が90%、伝統的宗教が5%、キリスト教が5%である。

教育[編集]

2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は46.4%(男性:53.5% 女性:39.6%)である[8]

文化[編集]

マリのミュージシャンアマドウ・エ・マリアム英語版

音楽[編集]

マリには古くから息衝くグリオーによる演奏があるが、1960年にマリは独立後、政府主導で芸術振興政策を促進、ポピュラー音楽が盛んになり始める。各地域が提供者となり、オルケストル・レジオナル・ド・モプティやオルケストル・レジオナル・ド・セグー、レイル・バンド等の国営楽団が出現した。レイル・バンド出身のサリフ・ケイタが1970年代にデビューし、1980年代より世界に躍り出て、メジャーデビューを果たす。ケイタの他にも西洋音楽に影響されたミュージシャンが多く育つ[9]

サリフを初めとしたマンデ・ポップが流行る中で、民主化を背景とした南西部のワスル音楽も広がりつつあった。非マンデ系民族の音楽も注目されるようになり、北東部出身のトゥアレグ人のグループ、ティナリウェンによる「砂漠のブルース」がポピュラー音楽として知られるようになる[9]

ソロ・ミュージシャンとしてはギタリストのアリ・ファルカ・トゥーレは国際的に人気がある[10]。彼はアメリカのライ・クーダーとの共作Talking Timbuktuで1995年グラミー賞ベスト・ワールド・ミュージック・アルバム賞を受賞したことがある。彼の息子、ヴィユーもギタリストとして活動している。

グリオー家系のミュージシャンも多くおり、中でもコラ奏者のシディキ・ジャバテは70代以上続くコラ奏者の家系に生まれ、「コラの王」と呼ばれたほどの名手であった。彼はマリが独立した後に国立楽団に加わっていた。彼と歌手のネネ・コイタとの間に生まれたトゥマニ(トゥマニ・ジャバテ)もコラ奏者として知られている。彼は元来は伴奏楽器であったコラを独奏楽器として発展させた。またトゥマニはアリー・ファルカ・トゥーレとも共演したこともあり、2人の共作In the Heart of the Moonで、2006年グラミー賞ベスト・トラディショナル・ワールド・ミュージック賞を、同じくジャバテとの共作Ali and Toumaniで2011年グラミー賞ベスト・トラディショナル・ワールド・ミュージック賞を受賞した[11]。また、トゥマニの甥にあたるママドゥもコラ奏者として活動している。

映画[編集]

映像作家として知られるスレイマン・シセは社会的メッセージ性の強い作品で、国内外から高い評価を受けている。

世界遺産[編集]

マリ国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、複合遺産が1件ある。詳細は、マリ共和国の世界遺産を参照。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Jour de l'an
1月20日 軍隊記念日 Fête de l'armée
3月26日 殉教者の日 Journée des Martyrs ムーサ・トラオレ政権崩壊の日
5月1日 メーデー Fête du Travail
5月25日 アフリカの日 Fête de l'Afrique アフリカ統一機構発足の日
9月22日 独立記念日 Jour de l'Indépendance
12月25日 クリスマス Noël イエズス・クリストゥス生誕の日

著名な出身者[編集]

参考文献[編集]

脚註[編集]

  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ “マリ北部で反政府武装勢力が独立宣言、仏国防相は「承認せず」”. ロイター. (2012年4月6日). http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE83504V20120406 2012年4月8日閲覧。 
  3. ^ アルカイダ系が聖墓破壊=世界遺産のトンブクトゥ-マリ-時事ドットコム2012年5月6日
  4. ^ “Al Qaeda-linked Islamists drive Mali's Tuaregs from last stronghold”. France 24. (2012年7月12日). http://www.france24.com/en/20120712-al-qaeda-linked-islamists-drive-malis-tuaregs-last-stronghold-ansogo-timbuktu-mnla-ansar-dine-mujao 2012年10月7日閲覧。 
  5. ^ Tiemoko Diallo; Adama Diarra (2012年6月28日). “Islamists declare full control of Mali's north”. ロイター (ロイター). http://www.reuters.com/article/2012/06/28/us-mali-crisis-idUSBRE85R15720120628 2012年10月13日閲覧。 
  6. ^ “西アフリカ・マリの戦闘で市民10人が死亡”. AFPBB News (フランス通信社). (2011年1月13日). http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=1614105 2013年1月14日閲覧。 
  7. ^ Constitution of the Republic of Mali リッチモンド大学 2009年11月1日閲覧(英語)。
  8. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ml.html 2009年4月2日閲覧
  9. ^ a b ポップ・アフリカ700 アフリカン・ミュージック・ディスク・ガイド 萩原和也著
  10. ^ African star Ali Farka Toure dies, BBC News d.d. March 7, 2006. Retrieved online from BBC Online d.d. September 22, 2009.
  11. ^ アリ・ファルカ・トゥーレ&トゥマニ・ジャバテのアルバムAli and Toumaniの日本版ライナーより

関連項目[編集]

外部リンク[編集]