ウズベキスタン

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ウズベキスタン共和国
O'zbekiston Respublikasi
ウズベキスタンの国旗 ウズベキスタンの国章
国旗 (国章)
国の標語:なし
国歌ウズベキスタン共和国国歌
ウズベキスタンの位置
公用語 ウズベク語
首都 タシュケント
最大の都市 タシュケント
政府
大統領 イスラム・カリモフ
首相 シャヴカト・ミルズィヤエフ
面積
総計 447,400km255位
水面積率 4.9%
人口
総計(2008年 27,488,000人(41位
人口密度 59人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 36兆8,394億[1]スム
GDP(MER
合計(2008年 279億[1]ドル(98位
GDP(PPP
合計(2008年 715億[1]ドル(72位
1人あたり 2,629[1]ドル
独立
 - 日付
ソビエト連邦より
1991年9月1日
通貨 スムUZS
時間帯 UTC (+5)(DST:なし)
ISO 3166-1 UZ / UZB
ccTLD .uz
国際電話番号 998

ウズベキスタン共和国(ウズベキスタンきょうわこく)、通称ウズベキスタンは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦共和国。首都はタシュケント(タシケント)。

北にカザフスタン、南にトルクメニスタンアフガニスタン、東でタジキスタンキルギスと接する。国土の西部はカラカルパクスタン共和国として自治を行っており、東部のフェルガナ盆地はタジキスタン、キルギスと国境が入り組んでいる。

国境を最低2回超えないと海に達することができない、いわゆる「二重内陸国」の1つである。

目次

国名 [編集]

正式名称はウズベク語で、O'zbekiston Respublikasi(オズベキスターン・レスプブリカスィ)。通称は、O'zbekiston

公式の英語表記は、Republic of Uzbekistan。通称、Uzbekistan

日本語の表記は、ウズベキスタン共和国。通称、ウズベキスタン。漢字による当て字は月即別[2]

国名は、ウズベク人の自称民族名 O'zbek(オズベク)と、ペルシア語で「~の国」を意味する -istan (ウズベク語では -iston)の合成語である。オズベクは、テュルク語で「自身が主君」を意味し、一説にはジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)のウズベク・ハン(オズベク・ハン)の名に由来するといわれる。

歴史 [編集]

古代-10世紀 [編集]

ウズベキスタンの国土の中央部は、古代よりオアシス都市が栄え、東西交易路シルクロードの中継地ともなってきたトランスオクシアナ地域の大部分を占める。この地域は古代にイラン系のソグド人が活躍したが、8世紀アラブ人によって征服され、宗教的にはイスラム化した。10世紀にはテュルク民族が進出し、言語的にテュルク語化が進む。

ティムール朝 [編集]

13世紀にはモンゴル帝国に征服され、このとき多くの都市が甚大な被害を受けるがすぐに復興を果たし、14世紀にはこの地から興ったティムール朝が中央アジアから西アジアに至る広大な地域を征服して大国家に発展した。

ソビエト連邦 [編集]

ティムール朝の衰亡後、北からウズベク人が侵入し、ウズベク3ハン国と呼ばれるブハラ・ハン国ヒヴァ・ハン国コーカンド・ハン国を立てる。これらは19世紀に北からのロシア帝国に征服され、ロシア革命後はソビエト連邦下の共和国となり、その後ソビエト共産党政府の統治下に入り、ウズベク・ソビエト社会主義共和国となった。1966年4月、タシュケントを震源として市内では震度八をも記録する大地震が起こり、市内の建物のおよそ2/3が倒壊するという惨事となった。

独立 [編集]

その後1991年ソ連崩壊によってウズベク・ソビエト社会主義共和国はウズベキスタン共和国として独立し、同時に独立国家共同体(CIS)に加盟した。独立後は、現在に至るまでイスラム・カリモフ大統領が権力を集約し、ほぼ独裁政権となって統治している。

2005年5月13日に東部アンディジャンで発生した反政府暴動鎮圧事件で市民に多数の死者が出たとの情報があり、ヨーロッパ諸国・国際連合などから「人権侵害」との非難が挙がっている。また、これまで反テロの同盟国として協力関係にあったアメリカも態度を変化させ民主化要求を行い始めている。

一方、カリモフ大統領はイスラム過激派による武力蜂起だとして欧米側による報道を批判し、国際調査団を受け入れる考えのないことを表明している。また、2001年アフガン侵攻以来、アメリカ軍の駐留を受け入れてきたが、2005年にこれを解消し、アメリカ軍は撤収することとなった。なお現在も、「反テロ作戦の一環」としてドイツ軍がテルメズ飛行場に駐留を続けている。現在は上海協力機構の関係を深めている。

地理 [編集]

ウズベキスタンの地図

ウズベキスタンはユーラシア大陸の中央に位置しており、面積は44万7千平方kmである。国土の80パーセントはキジルクム砂漠で覆われており、あとは非常に乾いた荒れ地が多く、まともに耕作できる地域は僅か10%ほどしかない。アラル海に接しているが、旧ソ連時代に行われた国土の風土に合わない無茶な綿花栽培のため、アラル海の面積は急激に縮小している。

地方行政区分 [編集]

12の州 (viloyat , ヴィラヤト)、1つの自治共和国 (respublika , レスプブリカ)、1つの市(shahar, シャハル)に分かれる。

主要都市 [編集]

政治 [編集]

国家元首である大統領は、ウズベク・ソビエト社会主義共和国大統領であったイスラム・カリモフが独立以来その職にある。2002年1月に行われた国民投票の結果、大統領の任期は5年から7年に延ばされた。首相と副首相は、大統領が任命する。

議会は、アリー・マジュリス(Oliy Majlis)と呼ばれ、一院制で任期5年、250議席。2002年の国民投票の結果、次期選挙から二院制に移行することとなった。 現在、旧ウズベキスタン共産党から改組されたウズベキスタン人民民主党を中心とする諸政党がイスラム・カリモフ大統領の支持勢力として議会を支配している。カリモフ大統領はウズベキスタンの独立後、自己献身・国民民主党に所属していたが、2007年にウズベキスタン自由民主党に党籍を移した。いずれの政党も、カリモフ政権の支持政党である。

外交 [編集]

全方位的外交を展開し、ロシアと同盟関係条約を締結する一方で、CIS諸国を含むアジア諸国やヨーロッパ諸国、アメリカなどとも友好関係を持っている。

日本との間も官民両面で友好関係を保っており、両国に大使館を持っている。第二次大戦後シベリア抑留を受けた日本人捕虜は首都タシュケントにも回され、中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場たるナヴォイ劇場の工事などに従事した。1966年のタシュケント地震にも全くの無傷という、過酷な強制労働にも関わらず見事な仕事を為し、それが現在ウズベキスタンで親日感情が高いことに繋がっている。

経済 [編集]

ウズベキスタンのGDP成長率(1992-2008年)

IMFの統計によると、2011年GDPは453億ドルであり[3]日本香川県とほぼ同じ経済規模である[4]。一人当たりのGDPは1,572ドルであり、世界平均の20%に満たない水準である。2011年アジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は1248万人と推定されており、国民の40%以上を占めている[5]。近年は豊富な天然ガス関連の投資を多く受け入れており、比較的好調な経済成長を遂げている。通貨はスム

農業 [編集]

ウズベキスタンは、ソ連時代の計画経済によって綿花栽培の役割を割り当てられた過去があり、そのため近年になって鉱産資源の開発が進むまでは綿花のモノカルチャー経済に近い状態だった。その生産量は最高500万トンに達し、2004年度においても353万トンを誇る。しかしウズベキスタンは元来降水量が少なく綿花の栽培には向いていない土地であったため、近年においては灌漑元であるアラル海の縮小や塩害などに悩まされている。

また、綿花栽培に農地の大半を割いているため、各種穀物果実野菜類を産する土地を有しながら、その食料自給率は半分以下である。

鉱業 [編集]

ウズベキスタンはエネルギー資源として有用な鉱物に恵まれている。有機鉱物資源では世界生産量の2.2%に達する天然ガス(2175千兆ジュール、2001年)が有望。271万トンの亜炭、379万トンの原油も採掘されている。金属鉱物資源では世界シェア4.9%のウラン(1770トン、世界第7位)が際立つ。鉱業セクターは輸出にも貢献しており、特産物の絹織物につぎ、エネルギー輸出が全輸出額の10.3%を占める。その他の金属鉱物資源では、世界第9位の(90トン)、のほか、小規模な銅採掘が続いている。リン鉱石も産出する。

観光都市 [編集]

シルクロードの中心地や、ユネスコ世界遺産の宝庫として、青の街サマルカンドや茶色の町ブハラヒヴァシャフリサブス仏教文化のテルメズなどが世界的に有名。ソ連からの独立後には歴史的遺構への訪問を目的とする各国からの観光客が急増し、それに伴い観光が外貨獲得源の1つとなった。これを受けて政府による観光客誘致が盛んに行われていることから、タシケントは海外のホテルチェーンの大規模ホテルが多く運営されている。

交通 [編集]

ウズベキスタン航空 [編集]

ウズベキスタン航空タシュケント国際空港アジアヨーロッパの主要都市間を結んでおり、日本にも成田国際空港に週2便定期便を運航している。しかし、運休も多く、スケジュール通りに動くか当日にならないと判明しない事もあり、また、マイレージも独自のフライトのみでしか加算できないため、マニアックな人好みの航空会社となっている。 タシケント国際空港にはアジアやヨーロッパから各国の航空会社が乗り入れており、ソ連時代より中央アジアにおけるハブ空港的な存在となっている。 ウズベキスタン航空は、日本からウズベキスタンへの旅客輸送ではなく、イスタンブルテルアビブなど、タシュケント以遠の都市への旅客輸送が、殆どである為、国会でも問題視されたが、法律で禁止されている事ではない。

国内 [編集]

国内の移動にはウズベキスタン航空の国内線の他、バス鉄道も国土の広い範囲をカバーしている。なお鉄道はその多くが旧ソ連時代に建設されたものであり、老朽化が進んだ他、各地方を結ぶ基幹路線のいくつかは近隣国を経由しており、これを解消するために日本政府が円借款を行い、鉄道旅客輸送力の増強および近代化事業を進めている。

国民 [編集]

民族構成
ウズベク人
  
80%
ロシア人
  
6%
タジク人
  
5%
カザフ人
  
3%
その他
  
6%

2001年に2515万人。ウズベク人が80%を占め、5.5%のロシア人のほか、タジク人(5%)、カザフ人(3%)、カラカルパク人(2.5%)などの多くの少数民族が住む。その他、ソ連時代に沿海州から強制移住させられた朝鮮民族が約20万人ほど在住しており、「高麗人」と自称している他、ドイツ人アルメニア人などもいる。ソ連時代に、ウズベク語を話すことのできるタジク人はウズベク人と分類されたため、タジク人は実際には相当数いるものとされる。実際には、人口の20~30%を占めているという調査もある。ソ連時代にはロシア人の割合は12.5%(1970年)を占め、タシュケントの人口の半数近くがロシア人・ウクライナ人であったが、現在はウズベク民族主義や経済的な理由により急減している。

著名人 [編集]

宗教 [編集]

ウズベク人を初め多くの民族がイスラム教を信仰する。衣食に関する戒律は緩やかである。基本的に女性は頭髪や足首を隠さない。

しかし、ブハラなどイスラム色の強い都市では女性がパンツ(ズボン)を履くことに対して良く思わない傾向があり、多くの女性はスカートを履いている。

言語 [編集]

言語話者(ウズベキスタン)
ウズベク語
  
74.3%
ロシア語
  
14.2%
タジク語
  
4.4%
その他
  
7.1%

言語は公用語のウズベク語が74.3%となっているが、国民の14.2%の母語はロシア語であり、第二言語として約半数(2003年)の国民がロシア語を話している。しかし、独立以降、ウズベク語使用を推奨してきたため、公用語から外れたロシア語の重要度は低下した。特に、地方農村部ではロシア語はあまり使用されず、若年層ではロシア語が話せない人も多くなっている。しかしながら、都市部では主にビジネス面・学術面ではウズベク語よりもロシア語が使われており、ほとんどの大学教育においてはロシア語が教授言語となっている。また、初等教育から教授言語はウズベク語とロシア語に分かれており、大学進学やビジネス面において有利になるためウズベク人であっても教授言語にロシア語を選択する者も多い。

サマルカンドブハラフェルガナ州の一部などではタジク語が広範囲にわたって話されているが、学校教育でのタジク語教育は禁止されており、家庭内や地域内コミュニティーで話される言語に過ぎない。そのため、タジク語話者はほとんどがウズベク語話者でもあるために統計上ではタジク語の割合は4.4%と低くなっている。しかし、全人口の20%~30%前後がタジク人とされるために、タジク語話者も同程度いるものと推測される[6]

その他、ブハラ語カラカルパク語カザフ語キルギス語クリミア・タタール語コリョマルなども話されている多言語国家である。

1992年、ウズベク語は1940年以前に使われていたラテン文字表記に戻されたが、今でもキリル文字も盛んに使われている。

文化 [編集]

ウズベキスタンの女性

祝祭日 [編集]

振り替え休日は採用されていない。

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
3月8日 国際婦人デー
3月20日または21日 春分の日 ナブルーズ
5月9日 戦勝記念日
9月1日 独立記念日
10月1日 教師の日
12月8日 憲法記念日

上記の他、イスラム教に基く祝祭日。ヒジュラ暦に従って制定されるため、グレゴリオ暦では移動祝日となる。

  • ラマダーンの終了日
  • 犠牲祭 Курбан-Хаит クルバン・ハイート
    暦の関係上、2006年のように年に2回制定されることがある。2006年は1月10日と12月31日。

脚注 [編集]

  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 地名・国名・人名の漢字表記
  3. ^ IMF
  4. ^ 内閣府による県民経済計算
  5. ^ アジア開発銀行 Poverty in Asia and the Pacific: An Update
  6. ^ Richard Foltz, "The Tajiks of Uzbekistan", Central Asian Survey, 213-216 (1996).

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]

政府
日本政府
観光
その他

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