イスラエル
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- イスラエル国
- دولة اسرائيل(アラビア語)
מדינת ישראל(ヘブライ語) -


(国旗) (国章) - 国の標語 : なし
- 国歌 : ハティクヴァ(希望)

-
公用語 ヘブライ語、アラビア語 首都 エルサレム 1 最大の都市 エルサレム 独立
- 宣言イギリスより
1948年5月15日通貨 新シェケル (₪)(ILS) 時間帯 UTC +2(DST: +3) ccTLD IL 国際電話番号 972 - 註1: 国連では認められておらず、テルアビブを首都とみなしている
イスラエル、正式名称イスラエル国(メディナット・イスラエル)は、中東・西アジアの国。現代イスラエル国はヨーロッパにおけるシオニズム運動の結果、主としてユダヤ人によって、紀元前のイスラエル王国にちなんだ「シオンの地」(パレスチナ)に建設された国家(以下、イスラエルと記述)。 首都は西エルサレム(1950年にイスラエルが東西を総称して宣言したものの、国連では認められなかった。各国の公館はテルアビブに集中する)。北はレバノン、東はシリアやヨルダン、南はエジプト、西は地中海に接する。また、パレスチナ自治区とは交錯している。
「イスラエル」の語源は、旧約聖書創世記32章24節~28節で、天使と格闘したヤコブが神に与えられた名前に由来する。
目次 |
歴史
古代
- 紀元前11世紀頃 - パレスチナの地に古代イスラエル王国が誕生。
- 紀元前922年 - 内乱のため南北に分裂。
- 紀元前721年 - 北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされる。
- 紀元前612年 - 南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされる。
- 紀元前538年 - ペルシア王国が新バビロニアを滅ぼし、バビロニアの虜囚イスラエル人は解放される。
- 紀元前334年~紀元前332年 - マケドニア王国のアレクサンドロス3世による東方征服でパレスチナの地が征服される。その後、マケドニアは分裂し、プトレマイオス朝、そしてセレウコス朝(シリア王国)の支配下に入る。
- 紀元前143年 - セレウコス朝の影響を脱しユダヤ人がパレスチナの地の支配を確立する(マカバイ戦争)。その後、ローマ帝国の属州となる。
- 66年 - ローマ帝国の属州であったユダヤの地でユダヤ戦争(第1次ユダヤ戦争)が勃発。独立を目指すが、70年にローマ帝国により鎮圧され、民族の多くは各地に分散する。
- 132年 - ユダヤ人バル・コクバに率いられたバル・コクバの乱(第2次ユダヤ戦争)が起き、一時イスラエルは政権を奪還したが、135年に再びローマ帝国に鎮圧される。その後、さらに多くの住民が各地に離散し、現代イスラエル国が誕生するまで長い離散生活が始る(ディアスポラ)。
- 313年 - 東ローマ帝国の支配下に入る。
詳細は古代イスラエルを参照。
中世
- 614年 - ペルシアの侵攻。
- 636年 - イスラム帝国軍、エルサレムを占領。
- 639年 - シリア地方のヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗し、イスラエル地方がイスラム帝国軍に占領される。
- 1099年~ 十字軍がイスラエル地方を支配。
- 11世紀 - ガザのユダヤ人社会が繁栄。
- 1291年~ マムルーク朝がイスラエル地方を支配。
- 1591年~ オスマン帝国がイスラエル地方を支配。
詳細はイスラエルの歴史を参照。
近代から現代
- 1798年-1878年 - セルビアに住むセファルディム系の宗教的指導者ラビ・イェフダー・アルカライが聖地での贖罪を前提とした帰還を唱える。
- 1856年 - 医者であり作家でもあるルートヴィヒ・フォン・フランクルが聖地巡礼。エルサレム・ユダヤ人学校(Lämel Schule)を設立。
- 1881年 - 古代ヘブライ語を復活させたエリエゼル・ベン・イェフダーがイスラエルの地に帰還、ヘブライ語の復興・普及運動を開始。この頃、パレスチナに47万人のアラブ人がいた。
- 1882年 - 第一次アリヤー(ヘブライ語で「上がる」こと、シオン(エルサレム)への帰還の意) - 東ヨーロッパからの大規模な帰還
- 1897年 - 第1回シオニスト会議:後にイスラエル国歌となるハティクヴァがシオニズム讃歌となる。
- 1901年 - 第5回シオニスト会議:シオニズムとは国家か、文化か、宗教復興か、何を優先するか鋭い対立の後、ヘブライ大学の創設を可決。
- 1902年 - ヘブライ語を話す家庭はわずかに10人。
- 1904年 - 第二次アリヤー:ベン・イェフダーへの賛同者が増え、ヘブライ語で授業を行う学校が増えていく。
- 1909年 - ルーマニアからの移民がテル・アビーブ建設。
- 1917年
- 1920年2月8日 - 英国軍需相ウィンストン・チャーチル、「Illustrated Sunday Herald」紙でユダヤ人国家支持を表明。
- 1923年 - イギリス、ゴラン高原をフランス委任統治領(シリアの一部)として割譲。
- 1925年
- ユダヤ・アラブ・ワーキンググループ「平和の契約 brīth šālôm」設立(ゲルショム・ショーレム、ユダ・マグネス、フーゴ・ベルクマン、エルンスト・ジーモン、ダヴィド・ベングリオンら参与)。
- 4月1日 - ヘブライ大学開校式。
- 1929年
- 1931年 - 第17回シオニスト会議:ダヴィド・ベングリオン、二つ以上の民族が、どちらが支配権を得るのでもない二民族共存国家構想を支持。
- 1937年
- 英国政府、ユダヤ人地区とアラブ人地区の分割を提案するが、アラブ側は拒否。
- ユダヤ教宗教哲学者マルティン・ブーバーが「アラブ・ユダヤ和解協力連盟」設立(後に「イフード」が分立)。
- 1946年
- パレスチナにはパレスチナ人が130万人、ユダヤ人が70万人居住。
- ユダヤ人物理学者アルベルト・アインシュタイン、国連によるパレスチナの統治を提唱。
- 「アラブ・ユダヤ民族国家」建国を提唱していたパレスチナ人のシオニズム支持団体「新しいパレスチナ」代表、ファウズィー・ダルウィーシュ・フサイニーが暗殺される。この団体はイフードに共鳴し、「ユダヤ人とアラブ人が、ともに植民地主義と闘う」ことを表明していた。
- 1946年7月7日 - エルサレムで、キング・デイヴィド・ホテル爆破事件(ユダヤ勢力による英国へのテロ)発生。
- 1948年
- 2月23日 - エルサレムで、アラブ人テロリストの爆弾テロにより、55名のユダヤ人が殺害される。
- 3月4日 - アタロトで、アラブ人が16人のユダヤ人を待ち伏せ攻撃し、虐殺。
- 4月8日 - デイル・ヤシーン事件:シオニスト武装集団によりアラブ人の村民250人以上が虐殺される。
- 4月13日 - シェイフヤラ・ハダサー医療従事者虐殺事件(en):アラブ人テロリストによる護送車襲撃事件。エルサレム郊外にあるユダヤ系のハダサー病院へ向かう医師・看護婦・ヘブライ大学教授・職員70人以上が殺害される。
- 5月12日 - クファール・エツィオンで、アラブ側により100人のユダヤ人が殺害される。
- 5月14日 - イスラエル国として独立宣言。ベングリオンが初代首相となる。
- 第一次中東戦争。国連決議より広範囲の土地をイスラエルが占領。
- 9月 - ユダヤ人過激派により国連調停官ベルナドッテ伯暗殺。
- 1949年5月11日 - 国際連合に加盟。
- 1956年 - 第二次中東戦争。エジプトのナセル大統領のスエズ運河国有化宣言に対応して、英・仏・イスラエル連合軍がスエズ運河に侵攻。米・ソの仲介により三国は撤退。
- 1967年 - 第三次中東戦争(六日間戦争)。エジプトのナセル大統領による紅海のティラン海峡封鎖が引き金となり、イスラエルが「先制攻撃」を実施。エジプトからシナイ半島とガザ地区を、同戦争に参戦したシリアからゴラン高原を、ヨルダンから東エルサレムとヨルダン川西岸全域を奪取。六日間でイスラエルの圧倒的勝利に終わる。
- 1972年 - ミュンヘンオリンピック事件。旧西ドイツでミュンヘンオリンピック開催中に、パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手村を襲撃、選手・コーチを人質に収監パレスチナ人の解放を要求。最終的に選手・コーチ11人が死亡した。報復としてイスラエルはパレスチナゲリラの基地を空爆、さらに黒い九月メンバーの暗殺作戦(神の怒り作戦)を実行したと言われている。
- 1973年 - 第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)。エジプトのサダト大統領がシナイ半島奪還を目的としてユダヤ教の祝日「大贖罪の日(ヨム・キプール)」にイスラエル軍に攻撃を開始。イスラエル軍の不敗神話が崩壊する。その後、アリエル・シャロン将軍が復帰、スエズ渡河作戦を実行。形勢は逆転し、17日で停戦に至る。
- 1976年 - エンテベ人質救出作戦。一部のパレスチナ過激派がエールフランス機をハイジャック、ユダヤ人またはイスラエル人以外を解放し、ウガンダのエンテベ空港に着陸。同国のアミン大統領の庇護のもと膠着状態が続くが、イスラエルのラビン首相は特殊部隊を派遣し、人質奪回とハイジャッカーの全員射殺に成功。その際にイスラエルの実行部隊で唯一戦死したヨナタン・ネタニヤフ中佐の名前をとり、この作戦は「オペレーション・ヨナタン」と名づけられた。なお、ヨナタンはベンヤミン(ビビ)・ネタニヤフ元首相の実兄であり、同氏の対パレスチナ強硬姿勢の原点になったといわれている。
- 1977年 - サダト大統領のエルサレム訪問。これまで仇敵であったエジプトのサダト大統領がエルサレム訪問を宣言し、クネセット(イスラエル国会議事堂)で演説を行う。二年後の平和条約締結の第一歩となる。
- 1979年 - イスラエル・エジプト平和条約締結。イスラエルが占領していたシナイ半島の返還に合意し、米国のカーター大統領の仲介のもと、キャンプ・デーヴィッドにてエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が調印。イスラエルにとって初のアラブの隣国との平和条約となる。
- 1981年 - イラク原子炉爆撃事件。かねてからフランスからの技術協力を得て原爆の開発を進めていたイラクのフセイン大統領(当時)の野望を阻止するため、イスラエル空軍はバグダッド郊外のオシラクで建設中だった原子炉を爆撃。
- 1982年 - レバノン侵攻(ガリラヤ平和作戦)。レバノン南部からのパレスチナ人によるイスラエル北部へのテロ攻撃を鎮圧し、レバノン国内の少数派キリスト教徒保護と親イスラエル政権の樹立、平和条約締結を目指すという目的で、レバノン侵攻を開始。アリエル・シャロン国防相に率いられたイスラエル軍は首都 ベイルートに入城。PLOのアラファト議長の追放に成功する。しかし、イスラエルの同盟軍であるマロン派キリスト教徒が、シリアによるリーダーのバシル・ジュマイル大統領暗殺に憤激し、パレスチナ人難民の居住区であったサブラ・シャティーラ・キャンプに侵入し、虐殺事件を引き起こす。アリエル・シャロン国防相は「虐殺を傍観した不作為の罪」を問われ、国防相を辞任。また、「キリスト教徒による親イスラエル政権の樹立、平和条約の締結」もならず、イスラエルにとっては後味の悪い結果に終わる。
- 1991年 - 湾岸戦争が発生し、テル・アヴィヴを標的としたイラクによるスカッドミサイルの攻撃を受ける。
- 1992年 - 米国の主導により、マドリッド会議開催。PLOとの顔合わせの機会となる。
- 1993年 - オスロ協定成立。PLOによるヨルダン川西岸及びガザ地区の自治が始まる。
- 1995年 - ユダヤ人過激派によりラビン首相が射殺される。
- 2006年 - イスラム武装組織ヒズボラ鎮圧を目的にレバノンに再侵攻(レバノン侵攻)。
詳細はイスラエルの歴史を参照。
パレスチナ問題
国連によるパレスチナ分割決議
第一次世界大戦でユダヤ軍・アラブ軍は共にイギリス軍の一員としてオスマン帝国と対決し、現在のヨルダンを含む「パレスチナ」はイギリスの委任統治領となった。
現在のパレスチナの地へのユダヤ人帰還運動は長い歴史を持っており、ユダヤ人と共に平和な世俗国家を築こうとするアラブ人も多かった。ユダヤ人はヘブライ語を口語として復活させ、 アラブ人とともに衝突がありながらも、安定した社会を築き上げていた。
しかし、1947年の段階で、ユダヤ人入植者の増大とそれに反発するアラブ民族主義者によるユダヤ人移住・建国反対の運動の結果として、ヨルダンのフセイン国王らの推進していたイフード運動(民族性・宗教性を表に出さない、平和統合国家案)は非現実的な様相を呈し、イギリスは遂に 国際連合にこの問題の仲介を委ねた。
ここで注意しなければならないのが、アラブ人過激派やその指導者の(あるいは双方の)過剰反応、アラブ民族主義・汎アラブ主義との衝突、列強の政策とのリンキング(啓典の民、イェフーディーなど参照)、という側面である。
イスラエルはこの国連決議181(通称パレスチナ分割決議、1947年11月29日採択)に基づき、1948年5月14日に独立宣言し、誕生した「ユダヤ人」主導国家である。この決議は人口の三分の一に満たないユダヤ人に、国土の三分の二以上を与える内容であった。さらに、その領域は第一次中東戦争の結果、国連決議よりも大幅に広いものとなっている。
土地の所有権
| パレスチナ問題 |
| アラビア語:قضية فلسطينية |
| ヘブライ語:פלשתינאי הסכסוך הישראלי |
| 戦争 |
|---|
| 中東戦争 |
| 第一次 第二次 第三次 第四次 |
| 「国家」 |
| イスラエル パレスチナ自治区 |
| 国際連合 アメリカ |
| 地域・都市 |
| パレスチナ エルサレム テルアビブ |
| 宗教 |
| イスラム教 サマリア人 キリスト教 ユダヤ教 |
| 主義 |
| シオニズム イスラム原理主義 |
| 文書 |
| バルフォア宣言 フサイン=マクマホン協定 |
| サイクス・ピコ協定 パレスチナ分割決議 |
| 団体 |
| ハマス リクード |
| 人物 |
| パレスチナ人の一覧 イスラエル人の一覧 |
| ナセル ラビン ヤセル・アラファト |
ユダヤ人国家を建国したものの「そこはシオニストの宣伝していたような無人の土地ではなかった」、という主張をする者もいる。アラブ人(パレスチナ人と同一とみなされることが多い)が住み、アラブ・イスラムを主体とした国家を作ろうとする者もいた、とする者もいる。そもそも、パレスチナ人やアラブ人というのは宗教上の区別に過ぎず、土着のユダヤ人とは人種的に同一といわれている。しかし、ユダヤ人とは事実上ユダヤ教徒を指すために事態がややこしくなった。
ただ、これらの点について、「ユダヤ人とアラブ人は長期間にわたって血で血を洗う抗争を繰り広げてきた、従って、譲歩はありえない」というような現在まかり通っている見解は、宗教や歴史・政治に無関心な者による大きな誤りの一つである。歴史的に見ても、イスラエルの地に住まうイスラム教徒・キリスト教徒とユダヤ人は共栄・共存を願ってきた。一言で単純に語ることができないほど長く複雑なバックボーンを持つことは明白である。
アラブ人を主体とする周辺国家は、ユダヤ人を「アラブの土地」を奪うものと位置づけ、イスラエル独立宣言の当日からイスラエルに対し宣戦布告し、パレスチナのユダヤ人居住地域に攻め込むなどして、「土地の領有を巡る」第一次中東戦争が勃発した(この時点では、国連の分割決議による「イスラエル領」の決議はあったものの、その全域を実効支配していたわけではなかった)。人口の一割を失う激戦でイスラエルは戦争に勝利し、分割決議より多くの領土を獲得した。アラブ諸国は「国連分割案を上回る地域にまで侵攻し停戦後も占領し続けた」と主張した。イスラエル側は第一次中東戦争を独立戦争と呼び、戦争の目的を「アラブ人の過激派の攻撃を防ぎ、ユダヤ人と多民族が安心して暮らせる、ユダヤ人主導の国家を樹立すること」としていたとされる。
イスラエルは、一部のアラブ系住民に土地に残るよう勧めたとされ、これが現在の100万人以上のアラブ系イスラエル国民の祖先となっている。しかし、ダビッド・ベングリオンをはじめイスラエル首脳陣側に、アラブ人人口が少なくなったほうがユダヤ国家の建国に有利という考えがあったことは確かである。
戦闘やテロ・扇動の結果、1948年の時点でパレスチナの地に住んでいたアラブ人が大量に周辺地域に移住し、「難民」と化した(パレスチナ難民)とされる。「パレスチナ「難民」」の多くは避難先のアラブ社会には吸収されず、アラブ過激派の扇動や活動(「抵抗運動」)などの結果、アラブ過激派(抵抗組織)の意図した反イスラエルの象徴とする作戦に包含されていたと考える場合もある。
また、逆に、イスラム世界に住んでいた多くのユダヤ系住民(セファルディム、ミズラヒム)が土地を追われて難民化し、イスラエルに逃げ込んだ。このとき、イスラエルは世界各地のディアスポラ住民を極力救おうとした(イスラエルの作戦一覧参照)と主張する。それによるとアラブ人とユダヤ教徒の「住民交換」が起きたとする見方をとる。
停戦後、パレスチナには民族主義的ゲリラ(「抵抗組織」)が活動し、パレスチナ「解放」や「難民」の「帰還権」を訴えた。戦後50年以上経過しながら各地のアラブ社会に吸収されないパレスチナ難民は、初期の60万から80万人という人数から現在の総数に膨れ上がっている。そのため、パレスチナへの帰還はイスラエル政府からは非現実的と考えられている。
第三次中東戦争以降
エジプトによるチラン海峡封鎖宣言に端を発する第三次中東戦争によって、ヨルダン・エジプトによって占領されていたヨルダン川西岸地区・ガザ地区と、シリアの砲台があったゴラン高原はイスラエルの管理下に入り、ユダヤ教の宗教者はそれまで立ち入ることのできなかったエルサレム旧市街と嘆きの壁・ヘブロン市、ゴラン高原などに押しかけ、アラブ人居住区にあったシナゴーグも再建した。イスラエルのサマリア人はナブルスでの過ぎ越しの祭りを執り行うことができるようになった。スコープス山にあったヘブライ大学の建物も使えるようになった。
イスラエルの主張では、国連決議181を拒否した時点でパレスチナ全土にユダヤ人国家による施政権が認められており、また、占領は平和条約締結まで戦勝国に認められている合法的行為であるとしている。前者の立場に立つ場合、占領には当たらない[1]。
イスラエル政府により電気・水道などのインフラの整備が進み、経済が発展し、急患はイスラエルで高度な治療を受けられるようになった。テロに関与せずに安全と判断されたパレスチナ人(主として、若者ではない人々)はイスラエルで働くことができるようになった。ただし、占領統治行為に伴う、イスラエル治安維持部隊による発砲で犠牲になったパレスチナ人も少なくない。また、一部のパレスチナ住民は産業が形成されず、慢性的失業・貧困状態が続いており、また統治者のイスラエルに対する反発が大きいため、これもテロリズム(「抵抗運動」)の温床・要因の一つになっているといわれる。
パレスチナ問題とは、イスラエルの西岸・ガザなどにおける地位、あるいはイスラエルに敵対する一部アラブ諸国が、その手段としてパレスチナ人を利用している代理戦争だともいわれる。
パレスチナ問題には、書き切れない程の長く複雑な歴史・過程がある。アラブ諸国から見れば、2000年前に住んでいたという理由で勝手に押しかけてきたという主張がなされることもある。一方、ユダヤ人側からはこのような主張は共存への道をも否定しようとするものであるとの主張がなされる。
米国の政権は、政治的立場の維持に対して国内ユダヤ人の貢献が大きいため、イスラエル寄りの政策を続けている。例えば、国際連合安全保障理事会でイスラエルを非難する、あるいは何らかの制約を求める提案が出されると、非常に高い確率で米国が拒否権を発動する。イスラエルは米国の拒否権により国連などの国際的非難から守られていると言える。他方では、中東各国政府が、パレスチナにおける紛争などを利用し、若者を始めとした様々な「不満・怒り」を一点に振り向け、過激派の矛先が自分たちに向かわないようにしてきたためでもある。すなわち、イスラエル批判のストーリーを、政治的問題の駆け引きに、また、経済的問題への不満をかわすことに使っていると言える。中東の若者には貧富の格差による「不公平感」があると言われる。また、経済は好調であっても、人口急増によって雇用が十分でない、などの問題があるとも言われる。
今日に至るまで、パレスチナ問題は解決の目途が立っていない。
ヨルダン川西岸地区・ガザ地区は、現在もイスラエルの占領下にある。なお、2005年にはガザ地区からイスラエル人および治安部隊は撤退したが、イスラエル占領軍はガザに対して攻撃を続けており、ガザ住民に対する攻撃は終わっていない。
1993年以降、パレスチナには自治政府が設置され、自治領域は壁の建設によって徐々に縮小されている。将来の国家像については、いまだイスラエルとの連合国家案、連邦案などもある。
詳細はパレスチナ問題を参照。
地理
地理上の特徴
北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南西にエジプトと接する。西側は地中海である。ヨルダンとの国境付近に、世界的にも高濃度の塩湖である死海がある。
国境及び休戦ライン内にあるイスラエルの地域は、パレスチナ人自治機関の管理地域を含め、27,800km²である。国土は狭く、南北に細長い。南北には470kmあるが、東西は一番離れた地点間でも135kmである。車での走行時間は、北のメトゥーラから最南端の町エイラットまでは約9時間かかるが、西の地中海から東の死海までならば90分ほどしかかからない。ジュディアの丘陵にあるエルサレムから海岸沿いのテルアビブまで、また、標高835mにあるエルサレムから海抜下398mの死海までならば、1時間とかからない。
地形
イスラエルは地理学的には4つの地帯に分けられる。その3つは同じように北から南に長く伸びる地帯で、残る1つは国の南半分にあたる広大な乾燥した地帯である。
都市、山名、水名など
- ハ=ツァフォン地域 hatzTzafon (北部地域:いわゆるガリラヤ地方、イズレエルの谷など)
- メトゥラ Metullah
- キリヤット・シュモナ Qiriyat Shemona
- フラ湖、フラ峡谷、(メロムの水) Hulah Valley
- スーシータ(ヒッポス) Hippos, Susita'(ガリラヤ湖の東)
- エン・ゲブ En Gev(ガリラヤ湖の東)
- メィロン (イスラエル) Meron :シモン・バル=ヨハイ、ヒレル、シャンマイらの墓。
- メィロン山 Har Meron
- ツファット(サフェド):ユダヤ教の聖地の一つ。
- クファル・ナフム(カペルナウム、カペナウム) Capernaum
- ナハリヤ
- クファル・カナ
- ツィッポリ(セフォリス)
- ベィト・シェアリーム Beyth Shə‘arim :2世紀以降はユダ・ハ=ナシの住むサンヘドリンの町、3世紀以降はイスラエルの地とディアスポラからの帰還者のユダヤ人の共同のカタコンブとなる。
- ナツェレット(ナザレ)
- ウーシャ Usha :2世紀後半以降のサンヘドリンのあった町。
- ティベリア:ユダヤ教の聖地の一つ。
- アフラ(オフェル)
- ベト・シェアン(スキトポリス)
- メギド(ハルマゲドン)
- ウーシャ
- ベート・シェアリーム
- ヘイファ地域(ハイファ地域)
- キリヤット・モツキン
- キリヤット・ヤム
- キリヤット・ビアリック
- キリヤット・アタ
- ドル
- カルメル山
- イスフィヤー Isfiya'
- アトリット Atlit
- パルデス・ハナ Pardes Channah
- ハデラ Hadera
- ハイファ Chephah
- ジスル・エッ・ザルカー Jisr ez Zarqa
- カルクール Kalkur
- カイサリア Qesariyyah
- オール・アキバ Or Aqibhah
- セドット・ヤム Sedot Yam
- ウンム・エル=ファヘム Umm el Fahm
- バーカ・エル=ガルビーヤ Baqa el Gharbiyah
- ハ=メルカズ地域 hamMerkaz (中部地域)
- テルアビブ地域
- エルサレム地域
- ハ=ダロム地域 hadDarom (南部地域)
- ヨルダン川西岸地区(ユダヤ・サマリア地区)(パレスチナ自治政府が統治)
- ガザ地区(パレスチナ自治政府が統治)
- ガザ; アザ
- ゴラン高原(旧クネィティラ県;イスラエルの法律が適用)
詳細はイスラエルの地理、en:Geography of Israelをそれぞれ参照。
政治
詳細はイスラエルの政治を参照。
イスラエルは議会制民主主義を採用している。行政府(政府)は、立法府(クネセト)の信任を受け、司法府(裁判所)は法により完全なる独立を保証されている。
立法
イスラエルの国会は一院制、議員総数120名でクネセトと称される。その名称と議員数は紀元前5世紀にエズラとネヘミヤによってエルサレムに招集されたユダヤの代表機関、クネセット・ハグドラ(大議会)に由来する。比例代表制。
行政
国の最高行政機関である政府は、国家の安全保障を含む内外の諸問題を担当し、クネセトに対して責任を有し、その信任を受けねばならない。政府の政策決定権には極めて幅がある。法により他の機関に委任されていない問題について、行動をとる権利を認められている。
- 官公庁
- 内閣
- 外務省
- 国防省
- 大蔵省
- 産業貿易省
- 法務省
- 教育省
- 国内治安省
- 通信省
- 内務省
- 運輸省
- 農林水産省
- 科学・文化・スポーツ省
- 国家基盤省
- 観光省
- 建設・住宅省
- 環境省
- 労働・社会省
- 宗教省(間も無く廃止の予定)
- エルサレム問題担当省
- 保健省
司法
司法の独立は法により完全に保証されている。最高裁判事3名、弁護士協会メンバー、政官界者(閣僚、国会議員など)で構成される指名委員会があり、判事はこの委員会の推薦により大統領が任命する。判事の任期は無期(70歳定年)。
また、国家安全に対するスパイ行為を除き、死刑を廃止している。しかし、パレスチナ人に対する超法規的な暗殺は日常的に行われている。テロリストといえども法によって死刑にされることはないが、裁判に掛けることなく殺しているのが実態である。予防拘禁など、治安立法も数多く制定されている。
大統領
大統領の仕事は儀式的性格が強いが、法によって規定されている。新国会の開会式の開会宣言、外国大使の信任状受理、クネセットの採択ないしは批准した法、条約の署名、当該機関の推薦するイスラエルの大使、裁判官、イスラエル銀行総裁の任命、法務大臣の勧告にもとづく受刑者の特赦、減刑が、仕事に含まれている。さまざまな公式任務のほか、市民の諸願の聴取といった非公式な仕事もある。大統領としての威信をコミュニティ組織に及ぼし、社会全体の生活の質を高めるキャンペーンに力をかす。
政党
イスラエルの政府は伝統的に複数の政党による連立政権により運営されてきた。これは絶対多数の形成が生じ