サマリア人

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ゲリジム山のサマリア人たち。2006年、撮影

サマリア人(さまりあびと)とは、イスラエル人と、アッシリアからサマリアに来た移民との間に生まれた人々とその子孫のことをいう。

概要[編集]

サマリアは北の王国、イスラエルの首都であったが、アッシリア王サルゴン2世の攻撃により紀元前721年に陥落。住民は捕囚の民となり指導的地位にあった高位者は強制移民により他の土地に移され[1] 、サマリアにはアッシリアからの移民が移り住んだ。このときイスラエル王国の故地に残ったイスラエル人と、移民との間に生まれた人々がサマリア人と呼ばれた。

彼等はユダヤ人にイスラエル人の血を穢した者といわれ迫害を受けていた。また、捕囚から後、アッシリアの宗教とユダヤ教が混同したものを信じ、ユダヤ教に対抗して特別な教派を形成していたため、ユダヤ人はサマリア人を正統信仰から外れた者達とみなし、交わりを嫌っていた。実際、サマリア人はヘレニズム時代、ナーブルスのサマリア神殿にギリシアの神の像を持ち込んだこともあった。また、ユダヤ人によって聖地エルサレムから閉め出されていたため、ゲリジム山に神殿を建てていた。

新約聖書にもしばしば登場し、イエスの福音を受け入れたものも多かった。また、イエスも彼等を迫害の対象とはせず、「隣人」として受け入れていた。ただ、サマリア人がイエス一行に宿を貸さなかった時には、弟子たちは町を焼き払おうと進言し、イエスに止められている。しかし、皮肉にもイエスの教えを奉じたキリスト教徒によって迫害され、東ローマ帝国キリスト教の教会を建てるためにゲリジム山を占領し、サマリア人を虐殺したという[要出典]

現在、和睦が成立し、ユダヤ教徒の一派として認められている。

ところでサマリア人の人口は、長年の迫害や同族内での結婚が続いた結果、20世紀初頭には150名程度の集団になってしまった。その後ユダヤ人女性との通婚などで、2007年には700名余りに回復したものの、依然厳しい状況は続いている。特に男性の結婚難が深刻で、近年ではロシアや東欧に新婦となる女性を求める動きが見られるが、伝統的なサマリアの習俗への服従等が足かせとなって、思うようにはいっていないようである。

さらに、ヨルダン川西岸地区の帰趨によっては、サマリア人は聖地を捨ててユダヤ人に同化するか、それともゲリジム山に逼塞して平和を待つかという、厳しい選択を迫られることになる。

「善きサマリア人」

善きサマリア人[編集]

逸話の内容[編集]

有名なイエスの説法に、「善きサマリア人」の逸話がある。

ある律法の専門家が立ち上がり、彼を試そうとして言った、「先生、わたしは何をすれば永遠の命を受け継げるのでしょうか」。
イエスは彼に言った、「律法には何と書かれているか。あなたはそれをどう読んでいるのか」。
彼は答えた、「あなたは、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神なる主を愛さなければならない[2]。そして、隣人を自分自身のように愛さなければならない[3]。」
イエスは彼に言った、「あなたは正しく答えた。それを行ないなさい。そうすれば生きるだろう」。
しかし彼は、自分を正当化したいと思って、イエスに答えた、「わたしの隣人とはだれですか」。
イエスは答えた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗たちの手中に落ちた。彼らは彼の衣をはぎ、殴りつけ、半殺しにして去って行った。たまたまある祭司がその道を下って来た。彼を見ると、反対側を通って行ってしまった。同じように一人のレビ人も、その場所に来て、彼を見ると、反対側を通って行ってしまった。ところが、旅行していたあるサマリア人が、彼のところにやって来た。彼を見ると、哀れみ[4]に動かされ、彼に近づき、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をしてやった。彼を自分の家畜に乗せて、宿屋に連れて行き、世話をした。次の日、出発するとき、2デナリオンを取り出してそこの主人に渡して、言った、『この人の世話をして欲しい。何でもこれ以外の出費があれば、わたしが戻って来たときに返金するから』。さて、あなたは、この三人のうちのだれが、強盗たちの手中に落ちた人の隣人になったと思うか」。
彼は言った、「その人にあわれみを示した者です」。
するとイエスは彼に言った、「行って、同じようにしなさい」。

ルカによる福音書』第10章第26~37節

祭司やレビ人が見て見ぬふりをしたのは、両者は祭礼に拘わる人物であり、人命救助より祭礼を優先したとする説。また、同じく祭礼に拘わる人物には「死体に触れてはならない」禁忌があり、被害者がもし死んでいたならば、禁忌に反することになることを恐れたためという説がある。

このことから、「善きサマリア人」とは、「そのことによって、自分が不利益を被るリスクを顧みず人助けをする行為」を指すようになった。

年表[編集]

有名なサマリア人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 当時捕囚は被征服民族を支配する上で一般的な方法だった。
  2. ^ 『申命記』第6章4節から5節「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」
  3. ^ 『レビ記』第19章18節「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」
  4. ^ 佐藤研「キリスト教はどこまで寛容か(その1)」『福音と世界』2007年8月号、新教出版社、p.41 には「腸(はらわた)のちぎれる想い」とある

関連項目[編集]