エルサレム
| エルサレム
יְרוּשָׁלַיִם
أورشليم القدس
|
|
|---|---|
|
名称の由来: "平和の町・聖なる家"
|
|
|
位置
|
|
|
エルサレムの位置
|
|
|
エルサレムの位置(イスラエル中部)
|
|
|
歴史
|
|
| 起源 | 紀元前30世紀 |
|
行政
|
|
| 国 | |
| 地区 | エルサレム地区 |
| 市長 | ニール・バルカット (エルサレムの成功) |
|
地理
|
|
| 面積 | |
| 総面積 | 125.16 km2 |
|
人口動態 (2007年現在)
|
|
| 人口 | 732,100 人 (全国第1位) |
| 人口密度 | 5,852 人/km2 |
|
その他
|
|
| 等時帯 | 世界標準時 (UTC+2) |
| 夏時間 | 夏時間 (UTC+3) |
|
公式サイト: The Jerusalem Website
|
|
エルサレムまたはイェルサレムは、イスラエル東部にある都市。イスラエルは同国の首都と主張しているものの、国際連合を初めとして多くの国家は認めていない。
目次 |
[編集] 名称
ヘブライ語名の יְרוּשָׁלַיִם (
Yerushaláyim, イェルシャラユィム) は、「イール・シャローム(平和の町)」を意味するという説が以前から主流であるが、「ウル・サレム(サレムの礎)」の意味であると主張する学者もおり、確かな由来は判明していない。
アラビア語名の القُدس (
al-Quds, アル=クドゥス) は、「神聖、崇拝」を意味するものの、「聖なる家」を意味するبيت المقدس (Bayt al-Maqdis、バイトゥル=マクディス) と呼ぶ場合もある。イスラエル国内でのアラビア語の正式名はأورشليم القدس (Ūrshalīm al-Quds、ウールシャリーム=ルクドゥス) である。ただし、「ウールシャリーム=ルクドゥス(أورشليم القدس)」という呼称は、イスラエル政府による呼称に過ぎず、アラブ・パレスチナ側からみれば、エルサレムは通常アル=クドゥス(القدس)と称する。イスラエルにおいてエルサレムを「ウールシャリーム=ルクドゥス(أورشليم القدس)」と称している背景として、エルサレムはヘブライ語ではイェルシャラユィム(יְרוּשָׁלַיִם)と称しているため、アラビア語でもヘブライ語のイェルシャラユィム(יְרוּשָׁלַיִם)と同様に「ウールシャリーム(أورشليم)」としたいのではないかと思われる。
英語名は Jerusalem (英語発音: /ʤəˈruːsələm/ ジャルーサラム) 。
[編集] 概要
地中海から内陸部に入った標高800メートルの小高い丘の上に位置する。ユダヤ人が住む西エルサレムとアラブ人居住区である東エルサレムから成り立つ。
西部についてはエルサレム地区に位置する一方で、東部についてはパレスチナ自治政府も領有を主張し、エルサレム県に含まれるとともにパレスチナ独立後の首都と規定している。
古代イスラエル・ユダ王国の首都で、エルサレム神殿がかつて存在した。また、イエス・キリストが処刑された地でもあり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の聖地となっている。
[編集] 東エルサレム
詳細は「東エルサレム」を参照
ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地。旧市街と呼ばれ、嘆きの壁や聖墳墓教会、岩のドームといった各宗教縁の施設を訪れる人々が絶えない。嘆きの壁の上は神殿の丘と呼ばれる、かつてのエルサレム神殿の跡で、ここにはイスラム教の聖地アル=アクサー・モスクやイスラーム建築の傑作とされる岩のドームが建っている。岩のドームにはムハンマドが旅立ったという伝説があり、地下には最後の審判の日にすべての魂がここに集結してくるとされる「魂の井戸」がある(イスラム教がユダヤ教徒の伝統に従い、ユダヤ教最高の神殿跡をイスラム教寺院に改造できる根拠は、ムハンマドおよびイエス・キリストはユダヤ教徒にも信頼されうる預言者であって、イスラムがユダヤ教の伝統と矛盾せずにかつユダヤ教を凌駕しているとの主張を示している[要出典]。ここにパレスチナ問題における宗教的側面での問題がある)。旧市街は「エルサレムの旧市街とその城壁群」の名で1981年に世界文化遺産に登録された(ヨルダンによる申請)。
[編集] 西エルサレム
西側は新市街と呼ばれる近代的な都市で、ヘブライ大学、イスラエル博物館、ハイテク工業団地や国会、各省庁などが立地する、イスラエルの政治・文化の中心である。ただし、国防省に関しては、軍事的な観点で、エルサレムではなくテルアビブに立地している。
[編集] 歴史
詳細は「エルサレムの歴史」を参照
紀元前30世紀頃、クナーアン(カナーン)と呼ばれていた土地において古代セム系民族がオフェルの丘に集落を築いたのが起源とされている。紀元前1000年頃にヘブライ王国が成立すると、2代目のダビデ王によって都と定められた。その後、3代目のソロモン王の死後に王国は南北に分裂、エルサレムはユダ王国の都となった。
その後、新バビロニア王国やアケメネス朝ペルシア、アレクサンドロス帝国、セレウコス朝シリアなどの支配を受け、一時はユダヤ人がハスモン朝を建てて自立したものの、まもなくローマ帝国の支配下におかれた。
638年、アラブ軍による征服でエルサレムはイスラーム勢力の統治下におかれ、7世紀末に岩のドームが建設された。970年より、シーア派を掲げるファーティマ朝の支配下に入った。しかし、11世紀後半に大飢饉などによりファーティマ朝が弱体化すると、この地をスンナ派のセルジューク朝が占領した。この征服を率いた軍人アトスズは、占領時に略奪や異教徒を含む住民の虐殺などを禁止しており、エルサレムの平安は維持されていた。1098年にファーティマ朝が再びエルサレムを奪回するが、まもなく十字軍の軍勢がエルサレムになだれ込み、多くのムスリムやユダヤ教徒の住民を虐殺した(エルサレム攻囲戦)。そして、1099年にエルサレム王国を成立させた。しかし、12世紀後半にアイユーブ朝のスルタンサラーフッディーンがエルサレムを奪回し、再びイスラーム勢力の支配下に入った。1229年、当時のイスラーム側における内部対立にも助けられ、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、アイユーブ朝のスルタンアル・カーミルとの交渉によってエルサレムの譲渡を認めさせた。しかし、1239年にはアッバース朝の第34代カリフナースィルによってエルサレムが奪回されたため、その統治は短期的なものに終わった。
第二次世界大戦後の1947年にパレスチナ分割決議において、パレスチナを国際管理とする案を決議した際に、この決議を元にイスラエルが独立宣言をするが、直後に第一次中東戦争が勃発。1949年の休戦協定により西エルサレムはイスラエルが、旧市街を含め東エルサレムをヨルダンが統治することになり、エルサレムは東西に分断された。1967年6月の第三次中東戦争(六日間戦争)を経て、ヨルダンが統治していた東エルサレムは現在イスラエルの実効支配にある。イスラエルは東エルサレムの統合を主張しており、また、第三次中東戦争による「再統合」を祝う「エルサレムの日」を設けている(ユダヤ暦からの換算になるため、グレゴリオ暦では毎年変動がある。2010年は5月12日が「エルサレムの日」であった)。
イスラエルは東エルサレムの実効支配を既成事実化するため、ユダヤ人入植[1]を精力的に進めており、2010年現在で入植者は20万人を超える。さらに、アメリカ合衆国・バイデン副大統領がパレスチナ・イスラエル問題でイスラエルを訪問中の2010年3月9日、新たに1600戸の入植を発表。顔を潰された形の米国は反発し、クリントン米国務長官は「(米国にとって)侮辱的だ」と異例の厳しい表現で批判した[2]。イスラエルは今後の数年間で、先の1600戸を合わせ5万戸の入植を計画している[3]。一方、エルサレム市当局は、パレスチナ人の住居が無許可であるとの理由で、しばしばその住居を破壊している[4]。
[編集] 宗教とエルサレム
エルサレムは単に地理的に要所であるのではなく、アブラハムの宗教全ての聖地であることが最大の問題である。このことがエルサレムの帰属をめぐる紛争の火種となっており、パレスチナ問題の解決を一層困難にしている。
- ユダヤ教にとっては、エルサレムはその信仰を集めていたエルサレム神殿が置かれていた聖地であり、ユダ王国の首都であった場所でもある。現在でも幾つかの神聖とされる場所が残っている。中でも嘆きの壁は有名で、これは70年にローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したときに外壁の一部が残されたものである。
- キリスト教にとっては、エルサレムはイエス・キリストが教えを述べ、そして処刑され、埋葬され、復活したとされる場所である。それらの場所には、現在はそれぞれ教会が建っている。
- イスラム教にとっては、エルサレムはムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされる。コーランは、メディナに居住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちメッカのカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っている(17章1節)。伝承によると、このときムハンマドはエルサレムの神殿上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。この伝承は、ムハンマドの死後から早い時期にはすでにイスラム教徒の間では事実とみなされており、神殿の丘におけるムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。また、丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念するアル=アクサー・モスクが建設され、聖なる場所と見なされている。
[編集] 首都問題
エルサレムは、古くより三つの宗教の聖地として栄え、エルサレムを領土に収めた代々の国家はエルサレムを首都としてきた。現在においても、エルサレムは、議会や首相府、中央省庁などがある政治と文化の中心であり、イスラエル最大の都市である。
しかし大戦後、イスラエル建国・第一次中東戦争などによってパレスチナ問題が起こると、歴史的経緯により国家の正統性にも関わるエルサレムの領有問題もにわかに浮上する。第一次中東戦争の休戦協定により、エルサレムが東西を分断された後、西エルサレムを占領したイスラエルは1950年に議会でエルサレムを首都と宣言して、テルアビブの首都機能を西エルサレムに移転。その後、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが東西ともに占領し、1980年には、改めてイスラエル議会により、統一エルサレムはイスラエルの永遠の首都であるとした。
1980年に国連総会は東エルサレムの占領を非難し、その決定の無効を143対1(反対はイスラエルのみ、棄権は米国など4)で決議した。
今に至るまで、エルサレムはイスラエルが首都と宣言していながら、現在も多くの国は認めていない。
多くの外国の大使館、領事館はイスラエル建国初期に首都機能があったテルアビブに集中している。
2009年、EU議長国のスウェーデンは、エルサレムをイスラエル、パレスチナ自治政府、両方の首都とするよう求める発議を行った。イスラエルはこれに反発し、EU加盟各国に抗議を行った。
[編集] 地理
[編集] 気候
エルサレムは地中海性気候に区分されており、冬に一定の降水があるが夏は日ざしが強く乾燥する。冬には一、二度の軽い降雪があるが、平均すると三、四年ごとにまとまった雪が降る。1月が一年で最も寒い月で、最も暑いのは7月と8月である。昼夜の寒暖差が大きいため、大抵は夏でさえ晩には涼しくなる。年平均降水量は590mm程度で、そのほとんどは10月から5月の間に降る。
| エルサレムの気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 平均最高気温 ℃ (°F) | 12 (53) |
13 (56) |
16 (61) |
21 (70) |
25 (77) |
28 (82) |
29 (84) |
29 (84) |
28 (82) |
25 (77) |
19 (66) |
14 (57) |
21.6 (70.8) |
| 平均最低気温 ℃ (°F) | 4 (39) |
4 (40) |
6 (43) |
9 (49) |
12 (54) |
15 (59) |
17 (63) |
17 (63) |
16 (61) |
14 (57) |
9 (49) |
6 (42) |
10.8 (51.6) |
| 降水量 mm (inches) | 142.2 (5.6) |
114.3 (4.5) |
99.1 (3.9) |
30.5 (1.2) |
2.5 (0.1) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0.0 (0.0) |
22.9 (0.9) |
68.8 (2.7) |
109.2 (4.3) |
589.5 (23.2) |
| 出典: The Weather Channel {{{accessdate1}}} | |||||||||||||
[編集] 産業
[編集] 交通
テルアビブ・エルサレム間は高速道路で1時間、エゲッドバスが急行で1時間3本程度テルアビブの中央バスセンターから出ている。 エルサレム市内はエゲッドバスが網羅している。エゲッドバスはエルサレム中央バスセンターに発着し、そこからヨルダン川西岸を抜け、死海沿岸を通りゴラン高原方面へ北上するものや、同じく死海沿岸のリゾート地を通ってネゲブ方面へ南下するものもある。鉄道は、エルサレム・マルハ駅とロード、テルアビブを1時間強で結ぶ路線(テルアビブ=エルサレム線)がある。2008年には市内を循環する新交通システムが開通する予定。
[編集] 観光
- シロアムの池(キリストが奇跡を起こした池)
- ギホンの泉
- ヒゼキヤの水道
- リベルテンの会堂(リベルテンのシナゴーグ)
- ヒッポドローム(ヒッポドロームのオベリスク)
- フルダ門
[編集] 教育
[編集] スポーツ
- ベイタル・エルサレムFC - エルサレムを本拠地とするサッカークラブチーム。
[編集] 友好都市
[編集] 関連項目
- エルサレム総主教庁(正教会)
- エルサレム王国
- エルサレム神殿
- マンデルバウム門
- 嘆きの壁
- 神殿の丘
- モリヤ (聖書)
- ゲーヒンノーム (ヒンノムの谷、ゲヘナ) GeyHinnom
- ガト=シェマーニーム gath-shmanim, Gethsemane (オリーブの酒舟、ゲッセマネ、ゲッセマネの園) (新約)
- ガト(gath)とは葡萄を足踏みで搾るために、岩に掘られた窪みのこと
- シロアムの坑 (ニクバト=ハッ=シーローアハ, niqbath-hašŠīlôach)
- エルサレム・シンドローム Jerusalem syndrome
- イェルーザレム (ドイツ語読み。またドイツ語圏にみられる姓)
- 世界バラ会議
- エルサレム聖書
- ユーロビジョン・ソング・コンテスト1979
- ユーロビジョン・ソング・コンテスト1999
- 十字軍
- ティトゥス
[編集] 脚注
- ^ イスラエルのネタニヤフ首相は「エルサレムは入植地ではない。我々の首都だ」との見解を示しており、入植地であること自体を認めていない。フランス通信社2010年3月23日 「エルサレムは入植地ではなく首都」、イスラエル首相が言明 * 2010年03月23日 13:56 発信地:ワシントンD.C./米国
- ^ CNN 2010年3月13日 イスラエルの新入植地建設計画、米国務長官が「侮辱的」と非難
- ^ 『世界日報』2010年3月12日 森田陽子バイデン米副大統領、中東和平交渉の進展を促す
- ^ イスラエル側は、パレスチナ人住居建設は当局の許可が必要と主張している。しかし実際に許可が下りることは少なく、「不法」を理由にパレスチナ人住居を破壊している。『しんぶん赤旗』 2010年7月15日号 東エルサレムのパレスチナ人住居 イスラエルが破壊 和平交渉 再開の動き覆す 国際社会が非難など
[編集] 外部リンク
- The Jerusalem Websaite(公式サイト)(アラビア語)
座標: 北緯31度47分 東経35度13分 / 北緯31.783度 東経35.217度
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
|
|||||
|
|||||
|
|||||