ヨルダン川西岸地区

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ヨルダン川西岸地区の地図
ヨルダン川西岸地区の地図

ヨルダン川西岸地区(ヘブライ語: יהודה ושומרון)は、1948年第一次中東戦争後半ヨルダンによって占領され、1950年には東エルサレムを含む地域を含んでヨルダンからは併合という形にされた、ヨルダン川の西部地域。 同地区は1967年までヨルダンの一部を構成していたが(国際的には認められていなかった)、1967年第三次中東戦争イスラエル軍によって占領される。 現在同地区はイスラエル軍とパレスチナ自治政府によって統治され、ガザ地区と共にパレスチナ自治区を形成する。

東エルサレムの現状は論争の的となっている。東エルサレムはヨルダン川西岸地区を形成する一部として考えられていたが、東エルサレムが併合された現在イスラエルはヨルダン川西岸地区の一部としては考えていない。しかしながら併合は現在国際的に認められていない。日本の地図ではイスラエルとヨルダン間の領土抗争地・未確定領域と扱われることが多い(ただし、1994年に結ばれたイスラエルとヨルダンの平和条約では、ヨルダンは同地を放棄している為、正確には誤りである。恐らくイスラエルと川西岸の間のみに未確定国境を引くと、西岸地区をイスラエル領と誤解を与える可能性があるので、わざとヨルダンとの抗争地域扱いにしていると思われる)

いずれの場合も、その重要性からヨルダン川西岸地区とはしばしば別個に取り扱われる。一例として、オスロ和平合意は他のパレスチナ領域と別個の問題として東エルサレムを取り扱う。

幾人かの人々、とくにイスラエル人の入植と東エルサレムの併合を支持する人々は、「ユダヤ・サマリア」の語を好んで使用する(ヨルダンは1994年領有権を放棄した)。また、「シスヨルダン」の名称も幾つかの言語で使用される(例:フランス語)。

ヨルダン川西岸地区は国際連合からイスラエル占領地として考えられるが、幾人かのイスラエル人と様々なグループは「占領された」よりも「議論される」地域という用語を好んで使用する。ヨルダン川西岸地区にはアラブ人ユダヤ人および他の少数民族グループが居住している。 同地区に暮らす大多数のアラブ人は、第一次中東戦争でイスラエルから避難した「難民」あるいはその直接の子孫である(パレスチナ「難民」)。

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