ガザ地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ガザ地区
قطاع غزة
רצועת עזה
CIAワールドファクトブックより
公用語 アラビア語
面積 360 km2
人口

 - 全人口
 - 人口密度

-

1,376,289(2005年7月、推定)
3,823/km2(2005年7月、推定)

通貨 新シェケル事実上
タイムゾーン UTC +2/+3

ガザ地区アラビア語قطاع غزةラテン転写:Qita' Ghazzah, ヘブライ語רצועת עזהラテン転写:Retzuat 'Azza)は、中東シナイ半島の北東部、東地中海に面して存在する帯状の地域で、パレスチナの一角に位置する。その名称は中心都市であるガザに由来している。約360 km2ほどの地域に150万人の人々が存在している。

目次

[編集] 歴史

第一次世界大戦終結以降、イギリスによる委任統治下にあったこの地は、1948年第一次中東戦争によってエジプトにより占領された。1967年第三次中東戦争が勃発するとイスラエルにより占領され、イスラエル人の入植が進んだ。

1993年の中東和平「オスロ合意」によって、ヨルダン川西岸地区の一部と共にパレスチナ自治政府の統治下に置かれた。治安はパレスチナ政府の治安部隊および市民警察軍によって維持されているが、現在も航空管制権と沿岸航行権はイスラエルが保持している。1998年、ガザ国際空港が開港したが、2001年にイスラエルにより破壊された。

また、自治政府発足後も、入植者保護の為にイスラエル軍が駐留し、しばしば空襲空爆)を行っていた。2004年には、シャロン首相のアドバイザー、アルノン・サフェルは「一発のミサイルには十発のミサイルをもって応じる。女性や子どもも死ぬだろう。女性たちが夫にもうカッサム(ロケット弾)を使わないように懇願するだろう。ガザに閉じこめられた"2.5 million people"(250万人、原文ママ)は、イスラム原理主義者に影響され、恐ろしい戦争になる。もし我々が生き残りたいならば、彼らを一日中、毎日、殺し、殺し、殺し続けなければならない[1]」と発言している。2005年8月までにイスラエルは全てのユダヤ人入植地を撤去、9月には全陸軍部隊をガザ地区から撤退させた(婚約解消計画)。しかし、直後に過激派ハマースが選挙で勝利してパレスチナ自治政府の与党の座に就くと、イスラエルは態度を硬化した。2006年6月末にはハマース系武装勢力に拉致されたイスラエル兵士1名を救出するため、戦車隊を含む陸軍が侵攻した。その後もイスラエルによる攻撃は断続的に続いている。また、検問所はイスラエルの管理下にあり、ガザ地区は事実上イスラエルに封鎖されている。イスラエル軍による空襲は、その後も続いている。

2007年6月11日、ハマースがガザ地区を武力で占拠し、パレスチナ解放機構主流派のファタハは「クーデター」と批判した。イスラエルは経済制裁を強化し、再び大規模な侵攻を計画しているといわれている。ファタハ支持者を中心に、ガザ地区から脱出しようとする動きも見られる。ただし、日本では「ガザ脱出へパレスチナ人殺到」(『毎日新聞』6月20日)と報じられたが、実数では数百人程度で、ガザ地区の人口比としてはそれほどでもないという指摘もある。

2008年1月9日米国ブッシュ大統領のイスラエル・パレスチナ歴訪を機に、ハマースはイスラエルへのロケット弾攻撃を行った。イスラエルは報復にガザ地区を完全封鎖し、国連の援助車両さえ閉め出された。1月15日には、イスラエル軍がガザ市街地に侵攻。連日空襲を行っている。1月20日には封鎖により燃料が底を突き、ガザ地区唯一の発電所が操業を停止した。この結果、パレスチナの電力の1/3(イスラエル側の主張によれば、1/4)が供給されなくなった[2][3]

2008年1月23日、エジプトとの国境の町ラファハで検問所近くの壁が爆破され、ガザ住民がエジプト側に流入した[4]。その後も流入は続いており、不足している食糧や燃料を買い求めてガザへ戻る人々が列をなした。エジプト側は、当初は住民への同情もあり、非武装である限り容認した。1月25日に規制を始め、ハマースの同意を得た上で、2月3日に再封鎖された[5]。これは、買い出しの時間的猶予を与えたための措置である。

イスラエルは2月27日より、ハマース側のロケット弾により犠牲者が出たことへの報復として(ただし、ロケット弾攻撃自体は、イスラエルの空襲で、ハマース側に5人の犠牲者が出たことによる)、空襲を激化させ、さらに3月1日には地上部隊を侵攻させた。2月27日より、地上部隊を引き揚げた3月3日までの6日間だけで、パレスチナ側は110人以上、イスラエル側は3人の犠牲者が出ている。イスラエルのバラク国防相は3月2日、「ハマースは対価を払うことになる」と述べ、攻撃を続ける意向を示した。報道[6]によれば、空襲ではサッカーをしていた10~15歳の少年4人など、未成年者の犠牲者が相次いでおり、イスラエルの無差別攻撃も指摘されている。また、エジプトは負傷者の手当のため、一時的に検問所を開いて往来を認める措置を取った。

3月6日アムネスティ・インターナショナル英国支部など、英国8団体(『産經新聞』(共同通信社記事)「ガザの状況は40年で最悪 支援団体が報告書 2008.3.6 22:50」)によれば、人口150万のうち80%が食料援助に依存。2006年の63%より悪化し、失業率は40%に達するなど、人道状況が1967年の占領開始後で最悪になったとする報告書を発表した。

[編集] 統計

エレツ検問所ガザ地区北端、イスラエルとの境界に位置する
エレツ検問所
ガザ地区北端、イスラエルとの境界に位置する

現在ガザ地区に住む人々の3分の2は1948年の第一次中東戦争によって発生したパレスチナ難民およびその子孫である。この難民問題の解決策は現在も決定していない。

  • 乳児死亡率:1000人の子供の誕生に対して21.3人の死亡 [2]
  • 出生率:女性一人当たり4.7人 [3]
  • 人口増加率:2.8% [4]:

[編集] 交通と通信

イスラエル軍の攻撃によって破壊されたヤセル・アラファト国際空港の建物
イスラエル軍の攻撃によって破壊されたヤセル・アラファト国際空港の建物
この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

[編集] 脚注

  1. ^エルサレム・ポスト[1]、英語
  2. ^ 共同通信社ガザで大規模停電 イスラエルが燃料供給停止
  3. ^ CNNガザ停電、イスラエルからの燃料供給停止で
  4. ^ BBC NEWS - Gazans flood through Egypt border
  5. ^ APF通信 エジプト軍とハマス、ガザの境界壁を閉鎖
  6. ^ サッカーの少年らガザで20人死亡 イスラエル軍空爆 2008年02月29日09時12分 『朝日新聞』

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク