ファタハ
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ファタハ فتح |
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|---|---|
| 執行委員会議長 | マフムード・アッバース |
| 成立年月日 | 1957年1月1日 |
| 立法評議会 | 45 / 132 |
| 機関紙 | Al-Krama Newspaper |
| 公式サイト | Fateh فتح Fatah P.L.O حركة فتح |
| シンボル | [1] |
| 国際組織 | 社会主義インターナショナル |
ファタハ(فتح、Fatah)は、パレスチナの政党。パレスチナ解放機構(PLO)所属。
- 1957年 - パレスチナ独立を目指し、ヤーセル・アラファートにより設立。
「ファタハ」は、アラビア語の「パレスチナ民族解放運動」(Harakat al-Tahrir al-Watani al-Filastini)の頭文字を逆に綴った言葉。
目次 |
[編集] 概要
1957年1月1日に設立。初代議長はヤーセル・アラファートで、1967年にパレスチナ解放機構(PLO)に加入した。
当初はイスラエルへのテロ攻撃を繰り返しており、その後1970年に傘下のパレスチナ解放人民戦線が起こしたPFLP旅客機同時ハイジャック事件がきっかけとなり、これに怒ったフセイン1世国王が引き起こしたヨルダン内戦の末に、PLOは本拠地を置いていたヨルダンから追放されてしまう。
そのためミュンヘンオリンピック事件で知られる秘密テロ組織黒い九月を結成した。しかし1980年代には穏健路線へ転換した。自治政府成立後は長らく与党の地位にあったが、2006年1月のパレスチナ評議会選挙ではハマースに敗れ、評議会の過半数を奪われた。しかしファタハのマフムード・アッバースは引き続き自治政府大統領の地位にあり、コアビタシオンの状態となった。また、イスラエル・アメリカ合衆国はハマースを相手にせず、引き続き穏健派のファタハを交渉相手にすると宣言。軍事面を含む援助を行った。
2007年3月17日、ハマースとの挙国一致内閣が成立したが、両者の抗争は断続的に続いた。6月11日、ハマースがガザ地区の占拠に及んだことで、アッバースは一方的に内閣の解散を宣言。ハマースを排除した新内閣を組織したが、ハマース側は認めず、完全な内戦状態に陥った。
ファタハ創設メンバーの一人で、アッバース大統領の上級顧問でもあるハニ・アルハッサンは「アルジャジーラ」の取材に対し、米国とイスラエルがハマースを潰す計画に追従していると内部批判した。アッバースはアルハッサンを解任し、またアルハッサンがハマースのクーデターに協力したと批判する幹部もあった。
なお武闘派のイメージが強いにもかかわらず欧州型中道左派・社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルに加盟している(同インターにはイスラエル労働党も加盟している)。
[編集] 執行委員会議長一覧
| 代 | 画像 | 議長 | アラビア語 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ヤーセル・アラファート | ياسر عرفات | 1957年1月1日 | 2004年11月11日 | ||
| 2 | マフムード・アッバース | محمود عباس | 2004年11月11日 |

