社会民主主義
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| 社会民主主義 |
| 先駆け |
| 啓蒙時代 |
| 空想的社会主義 |
| 労働組合 |
| 1848年革命 |
| 発展 |
| 修正主義 · 社会改良主義 |
| 第三の道 |
| 民主社会主義 |
| 政策 |
| 間接民主制 |
| 労働基本権 · 自由権 |
| 福祉国家論 · 混合経済 |
| 公正取引 |
| 組織 |
| 社会主義インターナショナル |
| 欧州社会党 |
| 国際労働組合総連合 |
社会民主主義(しゃかいみんしゅしゅぎ 英:social democracy)は、社会主義思想、民主主義思想の一つ。現代では、共産主義(特にソ連型社会主義)と戦い、市場経済を認め、議会政治を通した変革を目指し、自由や人権の遵守、友愛、連帯、政治・経済・社会的公正や平等をともに希求する思想とされ、自由・民主主義社会における中道左派思想の一つとされる。経済政策では、市場経済と政府の介入による経済政策(混合経済)を重視する点に特徴がある。1990年代以降、市場原理をより重視する「第三の道」の台頭によって、社会民主主義は多様化してきている。
目次 |
[編集] 欧州の社民主義の歴史
社会民主主義という単語は、この語の生まれた19世紀においては「マルクス主義」や「共産主義」と同意語であった。但し、当時の「社会民主主義」や「共産主義」は、現代的な意味での社会民主主義あるいは共産主義とは大きく異なる。
現代的な意味での社会民主主義の源流としては、政治思想の分野ではドイツ社会民主党と第二インターナショナルの指導者にして「マルクス主義の法王」と呼ばれたカウツキーが、経済思想の分野ではマルクス経済学者であるヒルファーディング蔵相らが社会民主主義を本格的に体系化した。
後になって同党右派エドゥアルト・ベルンシュタインが『社会主義の諸前提と社会民主主義の諸課題』(1899年)で資本主義の崩壊と革命というマルクス主義における革命主義的な側面が不要になったと主張して修正主義を唱えたが、これはカウツキーらの立場と激しく対立し、1903年のドレスデン大会では当時党内の過半数を占めた革命主義的マルクス主義者に敗北して日の目を見ることはなかった。
この他、マルクスの流れとは別にフェビアン協会など社会改良主義の流れを汲む英国社会主義の流れもあった。
1914年の第一次世界大戦勃発による第二インターナショナルの崩壊後、各国の社会民主党から左派が分離し、あらたに共産党を名乗る一方、右派は引き続き社会民主党を名乗った。ここにおいて修正主義、民主社会主義、社会改良主義の流れを汲むものが「社会民主主義」と呼ばれるようになり、革命主義的マルクス主義としての「共産主義」と対比されるようになった。
第一次世界大戦から第二次世界大戦に至るまでの間、社会民主主義者と共産主義者は険悪な関係にあることが多かったが、最終的に、第二次大戦後の社会主義インターナショナルによる1951年のフランクフルト宣言[1]では、『民主的社会主義の目的と任務』が採択され、議会制民主主義に立脚した修正主義的、非ソ連型の民主的社会主義の路線を採ることを明確にした。(民主的な社会主義、民主社会主義も参照)
戦後は、東西ドイツに分割された状況下で、ドイツ社会民主党は激しい党内論争の結果右派が勝利し、1959年にバート・ゴーデスベルク綱領[2]を採択し、階級政党から国民政党に脱皮、社会民主主義が同党の公的方針となった。また、フランス社会党も1971年のエピネ宣言の採択などで、同じく社会民主主義政党に脱皮を遂げた。
1989年、ドイツ社民党は、緑の党の進出などエコロジー意識の高まりなどに強く影響されたベルリン綱領を採択。20世紀初頭のフォルマル思想や社会地域中心主義などにも目が向けられるようになった。
[編集] 社会民主主義の特徴
社会民主主義は、複数政党制、議会制民主主義を前提として、社会的公正を目指し、資本主義経済を漸進的に改良することを目的とする。それに対して「共産主義諸国」で実施されたソ連型社会主義(マルクス・レーニン主義=共産主義)は、一党独裁と、レーニンらの主唱した暴力革命を目指すもので、社会民主主義とは明確に区別される。
政治の場における政策の実現は、広範な市民運動とともに、普通選挙とそれに基づく議会での多数派の獲得を通して行われるのが、社会民主主義の運動に広範にみられる特徴である。
西欧では、社会民主主義政党が保守主義政党と並ぶ二大勢力として政権交代を繰り返し、北欧では、社会民主主義政党が長期に渡り政権を担当することが多く、市場社会主義・議会制民主主義の中で福祉・環境・医療などを重視した政策を実施している。その最も顕著な例がスウェーデンの社会民主労働党政権である。
欧州の社会民主主義政党の多くは、安全保障の面で、軍隊の保有や集団安全保障への参加などを容認しており、長期にわたって非武装中立を主張した日本社会党は独特といえる。日本社会党(及びその流れを汲む社会民主党)は、1994年に自衛隊・日米安保条約を認める政策転換をしているが、2006年になって社会民主党は、再び自衛隊違憲、日米安保解消、非武装化、の主張に「先祖返り」した。また、欧州の社会民主主義政党は、1962年のオスロ宣言[3]で共産主義と完全に決別した[1]が、日本社会党は左派の反対で採択に参加せず、1966年に綱領的文書「日本における社会主義への道」)でプロレタリア独裁を肯定するなど共産主義政党と類似した主張を行い続けた。1986年に至って新宣言の採択で革命路線を放棄した。
尚、冷戦時代に西欧の社会民主主義政党が政権を担当した場合、西ドイツのヴィリー・ブラント首相の東方外交のように東側との関係改善を進めたが、NATOや欧州共同体への加盟は継続していた。北欧諸国の内スウェーデン、フィンランドはNATOには加盟しておらず(ノルウェー、デンマーク、アイスランドは加盟)、非同盟主義・中立に近い立場を貫いたが、いわゆるノルディックバランスを構築し、東西両陣営の狭間で巧妙な外交・防衛政策を展開した。
また、イギリスやスウェーデンなどのように、立憲君主制の政体もそのまま残されている。こうした社会民主主義の考え方は、西欧ではドイツ社会民主党の「バート・ゴーデスベルク綱領」及び、フランス社会党の「エピネ宣言」以降定着したといえる。
[編集] 社会民主主義の変化・多様化
1980年代以降の新自由主義の台頭を受け、20世紀末の西欧では、「新しい社会民主主義」と呼ばれる、市場の役割をより重視した中道左派政党による政権や、保守・中道政党との連立政権が誕生した。イギリス労働党のトニー・ブレアが唱えた「第三の道」路線は、リベラル左派勢力が主張する社会自由主義的な思潮とも符合し、他の西欧社会民主主義政党にも少なからぬ影響を与えた。また、ドイツ社会民主党でも、ゲアハルト・シュレーダーが「新中道」路線を推し進めたが、これに反対する最左派の党員が離党し新党(左翼党)を結成した。
東欧革命に前後して、イタリア共産党が衣替えして左翼民主党(左翼民主主義者に改称、現在は民主党)に改められた。他にも、ハンガリー社会党などのように冷戦時代の東欧諸国の共産党が社会民主主義政党へと転換した例がある。
日本では、社会党が1990年代初盤以降に選挙で壊滅的な打撃を受けて以来、社会民主主義は低調である。ただし民主党には党全体としてではないが、社会党出身者や民社党出身者など社会民主主義および民主社会主義の流れをくむ者が多く参加している。 各国の社会民主主義政党の多くは社会主義インターナショナルという国際組織に加盟している。
[編集] 各国の社会民主主義政党
「社会主義インターナショナル」も参照
[編集] 欧州社会党参加政党
「欧州社会党」を参照
[編集] 欧州社会党参加政党以外
[編集] ヨーロッパ
ボスニア・ヘルツェゴビナ - 独立社会民主同盟
イギリス - スコットランド国民党、プライド・カムリ
ラトビア - 社会民主連合
マケドニア - 新社会民主党
ロシア - 社会民主同盟
スロベニア - 社会民主主義者
[編集] アジア
アフガニスタン - アフガン・メラット
香港 - 社会民主連線
インドネシア - 闘争民主党
インド - インド国民会議、ドラーヴィダ進歩党、サマジワディ党
カザフスタン - 全国社会民主党
韓国 - 民主労働党、進歩新党
レバノン - 民主左翼運動、進歩社会主義党
モンゴル - モンゴル人民革命党
マレーシア - 民主行動党
パキスタン - パキスタン人民党、アワミ民族党、統一民族運動
トルコ - 民主左派党
[編集] アメリカ州
アルゼンチン - 社会党
ブラジル - 労働党、ブラジル社会民主党、民主労働党
カナダ - 新民主党
チリ - チリ社会党
コロンビア - コロンビア自由党
コスタリカ - 民族解放党
メキシコ - 民主革命党
パナマ - 民主革命党
ペルー - アメリカ革命人民同盟
プエルトリコ - プエルトリコ独立党
[編集] オセアニア
[編集] アフリカ
[編集] 日本の主な社会民主主義政党
1901年(明治34)5月に幸徳秋水らによって日本初の無産政党である社会民主党が結党されたが、2日後に禁止処分を受けた。その後、西園寺公望内閣の成立によって弾圧がややゆるやかとなり、1906年1月に日本平民党と日本社会党があいついで結成され、この2つの党が同年2月に合同大会を開いて正式に日本社会党となった。これ以降、日本の社会民主主義政党は離合集散を繰り返すこととなる。戦後に結党された社会民主主義政党には以下のものがある。
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- 英語名では"The Social Democratic Party of Japan"であり、社会主義インターナショナル加盟政党だった。しかし社会主義協会などのマルクス・レーニン主義を掲げ社会民主主義に否定的な最左派の勢力が存在し、修正マルクス・レーニン主義的な左派社会民主主義を掲げる左派、民主社会主義的な右派社会民主主義を掲げる中間派、右派と激しい路線対立が続いた。1966年から1986年までは綱領的文書「日本における社会主義への道」(通称「道」)にてプロレタリア独裁を肯定して、共産主義政党と類似した綱領を持ち、事実上、社会民主主義を放棄していた。ただし、この時期の社会党を日本型社会民主主義と呼び、広い意味では社会民主主義に属するとする見解もある。
この傾向に反発した右派や構造改革派の一部が離党し、下記の民社党・社会民主連合の2政党が結成された。
- 英語名では"The Social Democratic Party of Japan"であり、社会主義インターナショナル加盟政党だった。しかし社会主義協会などのマルクス・レーニン主義を掲げ社会民主主義に否定的な最左派の勢力が存在し、修正マルクス・レーニン主義的な左派社会民主主義を掲げる左派、民主社会主義的な右派社会民主主義を掲げる中間派、右派と激しい路線対立が続いた。1966年から1986年までは綱領的文書「日本における社会主義への道」(通称「道」)にてプロレタリア独裁を肯定して、共産主義政党と類似した綱領を持ち、事実上、社会民主主義を放棄していた。ただし、この時期の社会党を日本型社会民主主義と呼び、広い意味では社会民主主義に属するとする見解もある。
- 社会民主連合(社民連1977-1994、旧議員は現在主として民主党に所属しているほか、一部は下記の社会民主党に所属)
- 社会民主党(社民党1996-)
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- 日本社会党の後継政党で、現在、日本の政党としては唯一の社会主義インターナショナル加盟政党。多数の議員が民主党に移籍したため、国会では小勢力として推移している。
民主党の中にも旧社会党議員、旧民社党議員を中心に社会主義インターへの加盟を目指す動きがあるものの、多数派には至っていない。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 民主社会主義
- バーナード・ショウ
- フェビアン協会
- 日本社会党
- 社会民主党
- 日本型社会民主主義
- 社会主義
- 修正主義
- 中道左派
- リベラリズム
- 混合経済
- 福祉国家
- 第三の道
- 社会民主党
- 社会党
- 社会主義インターナショナル
- 北欧の政治
- 社会改良主義
- 社会自由主義
[編集] 外部リンク
- 社会民主党(日本) (SDP)
- 社会民主主義の広場
- 社会主義青年フォーラム

