社会主義国

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歴史上のある時点で、自国をなんらかの定義で「社会主義国」と宣言した全ての国。色はその地域が社会主義を宣言した期間である。
  60年間以上
  50~60年間
  40~50年間
  30~40年間
  20~30年間
  10~20年間
  10年間未満
現在マルクス・レーニン主義を宣言している国
歴史上のある時点で、憲法にマルクス・レーニン主義以外の何らかの社会主義への言及を含めた国

社会主義国(しゃかいしゅぎこく)とは、社会主義を標榜する国家を指す。通常は憲法などで社会主義を国家理念・国家政策として掲げる共和国であり、単に共産党政権を担っているだけでは社会主義国とは呼ばれない(モルドバキプロスサンマリノなど)。狭義にはソ連型社会主義の国家、広義には社会主義的諸政策を推進している国家である。最初の社会主義国家はソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)で、ソ連崩壊後の現在では中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ベトナムラオスキューバである。

歴史[編集]

誕生[編集]

19世紀資本主義社会は過酷な労働環境をもたらすなど多くの矛盾・問題点を孕んでいた。その問題点は多くの社会主義学者によって分析され理想の社会が論じられてきたが、特にカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスらは、資本主義が成熟した後に社会主義(共産主義)が実現しうるとした。

世界初の労働者による革命政権は1871年パリ・コミューンであり、世界で最初の社会主義国家は、ロシア革命十月革命を経てボリシェヴィキが主導権を握ったことで1917年に成立したロシア・ソビエト連邦社会主義共和国である。ボリシェヴィキの政権はロシア内戦を経て1922年に成立したソビエト連邦(ソ連)の前身となった。この他にもロシア内戦の時期には旧ロシア帝国領内に複数の社会主義政権が生まれている。1919年にはハンガリー評議会共和国が成立したが、まもなく消滅した。1924年には中華民国から独立する形で、アジア最初の社会主義国としてモンゴル人民共和国が誕生した。

拡大と冷戦[編集]

第二次世界大戦後、多くの社会主義国が誕生した。

東欧では、多くの国々がソ連により「解放」された結果として社会主義国(衛星国)となり、ソ連を盟主とする軍事同盟のワルシャワ条約機構に加盟した(東ドイツポーランドチェコスロバキアブルガリアルーマニアハンガリーアルバニア)。ただしアルバニアは中ソ対立の際に親中路線をとり脱退した。ユーゴスラビアは当初の親ソ路線から独自の社会主義路線に転じ、非同盟中立政策や、一定の自由市場経済を認める市場社会主義を採用した。

東アジアでは、日本の敗戦により、1948年大韓民国樹立に対抗する形で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立した。中国では汪兆銘政権が崩壊した後に国共内戦が再開され、蒋介石率いる中国国民党が敗れ台湾に逃走した結果、1949年中国共産党率いる中華人民共和国が成立した。ソ連、中国の間では同盟が結ばれた。

東南アジアでは、終戦の混乱に乗じて1945年旧仏領インドシナ地域が独立を宣言し、ベトナム民主共和国(北ベトナム)が成立した。しかし1946年にはフランスが東南アジアの利権を守るべく傀儡政権コーチシナ共和国を成立させたことで、南北分断国家となり、南北対立と断続的な戦争が行われた。北ベトナムはソ連や中国の(中ソ対立ではソ連側に付いた)、南ベトナムは当初はフランスの、後にはアメリカ合衆国の支援を受けた。しかし1975年、北ベトナム軍は南ベトナムの首都サイゴンを陥落させ、社会主義国としての統一を実現した。周辺国のカンボジアラオスも社会主義国となった。
これに対し、ミャンマー(ビルマ)では、1962年ネ・ウィンがそれまでの国内の混乱を背景にクーデターを決行。「社会主義へのビルマの道」と呼ばれる独特の民族主義国家主義・社会主義体制を確立。アメリカ・ソ連との関係を最低限の範囲にまで縮小させて、国際的には孤立化の道を歩む事となった。

南アジアにおいては、インドはソ連の支援を受け社会主義的政策を取った。

中東アフリカでは、1976年にはアンゴラ、1977年にはセーシェル1978年にはエチオピアモザンビーク南イエメンアフガニスタンで社会主義政権、もしくは親ソ政権が誕生した。

中南米では、アメリカの半植民地状態であったキューバで、1959年カストロ率いる革命政権が発足した。また1970年チリの自由選挙においてサルバドール・アジェンデ大統領に選出される。しかしこのアジェンデ政権は、1973年にはCIAの後援を受けたピノチェト将軍らによるチリ軍事クーデターにより崩壊した。

以上のように西側諸国は「ソ連が国内には恐怖政治、国外には革命の輸出を行っている」として軍事的圧力や経済封鎖、反革命勢力への武器提供や資金援助を行った。東側諸国はこれに対抗して国内統制を強化しコミンフォルムを通じて西側の社会主義政党にも介入したため、冷戦や、朝鮮戦争ベトナム戦争などの代理戦争が繰り広げられた。

なお東南アジア、アフリカ、南米などの社会主義国は、資本主義が進化して社会主義へ進んだというより、旧宗主国である西側諸国と対決して植民地や半植民地状態から独立し、ソ連などの援助を得て国家指導の近代化建設を推進する面が強く、陣営は異なるものの反共主義を掲げて西側の援助を得た開発途上国開発独裁とも共通する。

ソ連崩壊[編集]

1950年代以降は社会主義諸国の間でもさまざまな紛争が起こり「共産主義は一枚岩」(社会主義国は将来的には共産主義を実現すると標榜していた)という理念は短期間で崩壊した。1956年スターリン批判ハンガリー動乱、米ソの平和共存路線に反対する形での中ソ対立や、1968年ソ連のチェコスロバキアへの軍事介入1978年からのソ連のアフガニスタン侵攻1979年中越戦争などである。

いくつかの社会主義国では教育・福祉制度の充実がはかられ一定の生産性の向上がみられたものの、軍事負担や西側の経済封鎖の影響もあり、生活水準の向上では資本主義国に取り残された。共産党一党独裁中央集権的な官僚主義の弊害により、民主主義は制限され、労働組合傀儡御用組合となり、党幹部は共産貴族とも呼ばれた。

他方、資本主義諸国では、アメリカ合衆国のニューディール政策やイギリスの福祉国家、更には北欧諸国の社会民主主義政策など、教育水準の向上が社会流動性をもたらし、社会保障等の福祉制度の充実と生産力の向上が、貧困の克服と一定の社会の成熟と安定をもたらした。この背景には、国際的にも国内的にも社会保障面で社会主義勢力に対抗する必要があったこと、各国の社会民主主義勢力の役割などが挙げられる。

1980年代後半にはソ連共産党による体制が消耗を見せ、ベルリンの壁崩壊などの東欧諸国の民主化ペレストロイカを経て、1991年にはソ連が崩壊した。重しの外れたヨーロッパの社会主義国は次々に社会体制を改め、現在ヨーロッパにはソ連型社会主義国は残っていない。

現在[編集]

2011年現在では、アジア中華人民共和国ベトナムラオス北朝鮮)と中米キューバ)では一党独裁制の社会主義国が残っているが、それらの国々でも北朝鮮を除けば、ある程度開発独裁的な体制である社会主義市場経済を採用している。

アジアでは、中華人民共和国改革開放ベトナムドイモイ政策を採用し、政治的には社会主義(共産党一党独裁)を堅持しながらも、経済的には資本主義化(国有企業の株式会社化、外資誘致など)を導入して効率化と発展を追求する、一種の混合経済を進めている。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は独自の主体思想を掲げる軍事独裁専制国家で、経済的・政治的な体制はソ連型社会主義とも異なるが、2002年7月の経済改革では農産物など部分的な自由市場が認められ、2009年の憲法では、「社会主義」を標榜してはいるが、「共産主義」の語は削除され、独自の「先軍思想」が明記された。

一方、中南米ではキューバの社会主義政権が崩壊せず続いている事に加え、1990年代末より市場開放による国内産業の壊滅や貧富の差の拡大もあり、左派勢力が力を増し、ベネズエラチャベス政権を筆頭に、エクアドルニカラグアボリビアなど社会主義を志向する国が続いており、2009年にもエルサルバドルでは、かつては共産ゲリラであったファラブンド・マルティ民族解放戦線が選挙で政権を奪取した。米州自由貿易地域に対抗した米州ボリバル同盟が結成されている。

なおロシアベラルーシなどの旧社会主義圏では、エリツィン時代の急速な市場経済導入による混乱と国家弱体化の反動で、超大国時代の社会主義ソ連を懐古する層もあり、大統領への権限集中を後押しする一因となっている。

西側諸国の現在[編集]

西側諸国の社会主義者や社会主義政党では、かねてよりイギリス労働党などの社会民主主義と、プロレタリア独裁を掲げソ連型社会主義を目指したマルクス・レーニン主義が対立していたが、マルクス・レーニン主義勢力は次第に縮小した。

日本共産党は1950年代から「自主独立路線」を掲げ、ソ連共産党や中国共産党から次第に自律的な路線を模索しはじめる。1963年には部分的核実験禁止条約をきっかけにソ連共産党と対立し、関係を断絶。1966年には中国との対立も表面化し翌年には関係断絶に至る。このような流れの中で日本共産党は1966年の党綱領に自主独立路線を明記。1974年には党綱領からプロレタリア独裁の規定を削除し、1976年には「自由と民主主義の宣言」を出して議会制民主主義の擁護を明確にした。

西側最大の共産党であったイタリア共産党は、1970年代にはマルクス・レーニン主義を放棄しユーロコミュニズムの路線を確立、1980年代には社会民主主義政党へ路線転換した。西側では長らくソ連共産党への支持を続けたフランス共産党は、退潮傾向にあり1990年代より多様な路線を模索している。

対立する一方の超大国が消滅したため、世界唯一の超大国となったアメリカ合衆国の軍事力の突出に懸念する声もある。冷戦下では共通の敵を持ち歩調を合わせてきた西側諸国の中でも、アメリカ合衆国の軍事行動に同調しないケースが増えつつある。また冷戦終了後もアメリカ合衆国の二重基準が続いている(民主主義と市場経済を唱えながら、サウジアラビアエジプトなどの独裁政権は支持し、仮にも選挙で選ばれたイランベネズエラなどの政権には敵対する)ことを批判する声もある。

2007年世界金融危機が発生したが、その背景として「社会主義に勝利した」とする新自由主義によって推進された、自由主義経済の行き過ぎ(市場原理主義)と、政府や社会による市場の監視・管理機能の低下が、資本主義諸国の指導者からも含め、広く指摘されている。

評価[編集]

ソ連及びソ連の影響下で成立した多くの社会主義国家では、基本的な教育・賃金・住宅・医療などが保障され、身分・民族・男女などによる差別は公式には否定され、国家による産業(特にインフラ)の整備が行われて近代化が促進された。一方、基本的には共産党一党独裁であり、言論の自由、宗教の自由などはしばしば制限され、また官僚制による腐敗や非効率も深刻化した。特にスターリン時代には大規模な人権侵害が長期間行われた事がスターリン批判で暴露されたが、共産党独裁自体は継続された。またソ連の影響下の国々は衛星国とも呼ばれ制限主権論も唱えられた。

ソ連の影響下ではなく独力で社会主義政権を建設した国では、ユーゴスラビアやキューバのようにソ連に比べ政権党の統制が比較的緩やかな場合もあるが、それでも西側諸国に比べると言論の自由は制限されていた。とりわけ、中国・カンボジア・北朝鮮[1]は、ソ連以上に厳しい抑圧体制を敷いた。カンボジアのポル・ポト政権は、中国の文化大革命に触発されて極端な農業集団化を推し進め、人口700万の同国で150万から300万の国民(国外亡命者を含む)を処刑した。1989年6月には中国で天安門事件が発生し、民主化を求める学生デモを武力鎮圧した。また、2005年反日暴動に前後して、インターネットにおける中国政府の検閲や同国の検定教科書が話題になった。

主な社会主義国[編集]

現存する社会主義国[編集]

消滅した社会主義国[編集]

その他[編集]

選挙を通じて現在、社会主義をめざす政党が政権を担っている国には以下がある(憲法などに社会主義を明記しているわけではない)。

脚注[編集]

  1. ^ 但し、当初はソ連の影響下で成立した。
  2. ^ 中華人民共和国憲法を読む(2004年、抜粋)
  3. ^ 中華人民共和国憲法(1999年修正)
  4. ^ ベトナム社会主義共和国憲法(1992年)
  5. ^ 改正ラオス人民民主共和国憲法(仮訳) (PDF)
  6. ^ 朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法
  7. ^ キューバ共和国憲法 解説と全訳 (PDF)

関連項目[編集]