民主党 (イタリア)
| 民主党 Partito Democratico(PD) |
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|---|---|
党のロゴ
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| 書記長 | ピエル・ルイジ・ベルサーニ |
| 下院議員団長 | ダリオ・フランチェスキーニ |
| 上院議員団長 | アンナ・フィノッキアーロ |
| 成立年月日 | 2007年10月27日 |
| 代議院議席数 |
297 / 630
(47%)
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| 元老院議席数 |
109 / 315
(35%)
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| 政治的思想・立場 | 民主党(PD)連合 社会民主主義 キリスト教左派 社会自由主義 環境運動 革新主義 |
| 公式サイト | PARTITO DEMOCRATICO |
| 社会民主主義 |
|---|
| 政治ポータル |
民主党(みんしゅとう、イタリア語: Partito Democratico,"PD")は、イタリアの政党。書記長はピエル・ルイジ・ベルサーニ(第3代)。
目次 |
歴史 [編集]
中道左翼連合「オリーブの木」を率いたロマーノ・プローディは、1996年の総選挙で勝利して政権交替を実現したものの、与党連合の内紛からわずか2年で退陣した。その後欧州委員会委員長に就任し、約5年間にわたって欧州議会の中道左派勢力を率いた。
2004年の欧州議会選挙では「オリーブの木」最大勢力である左翼民主主義者(DS)と第2勢力マルゲリータ(DL)による統一名簿を実現させ、翌年には「オリーブの木」を発展した中道左派連合「ルニオーネ」を結成、再び首相候補に選出された。
西欧最大の共産党であったイタリア共産党(PCI)の後継政党であるDSは、書記長のピエロ・ファッシノが左翼イメージを脱却し二大政党制へ移行すべくプローディ構想を積極的に進め、同じく二大政党制を志向するDL党首のフランチェスコ・ルテッリも構想を支持し、総選挙後の新党結成に向けて動き出した。
2006年の総選挙で「ルニオーネ」は勝利しプローディは再び首相に就任したが、与党内の政策合意は以前と変わらず困難が多く、DSとDLによる新党結成への動きが加速、2007年4月に正式合意し、10月末に新党・民主党を結成した。 しかし、左翼政党とキリスト教民主主義政党の合流に反発も強く、DSのファビオ・ムッシらは民主的左翼を、元首相のランベルト・ディーニは自由民主主義者(DL)を結成し、PDへの参加を見送った。
16歳以上の一般市民が参加する公開選挙制度を採用した書記長選挙でDS出身のローマ市長であるワルテル・ヴェルトローニが75%の得票率を獲得して当選、プローディは名誉職的な議長に就任し世代交代を印象付けた。
2008年1月、欧州民主連合・人民(UDEDR)が政権離脱し上院で内閣信任案が否決される事態となった。大統領のジョルジョ・ナポリターノは両院を解散し4月に総選挙を実施することを決定、プローディはイタリア政界の引退を表明し書記長のヴェルトローニは「ルニオーネ」を解消、左翼勢力と決別しPD単独で総選挙に臨むことを表明した。[1]
総選挙の結果PD単独では議席が増加したものの、第一党の座をPdLに明け渡し下野した。ヴェルトローニは引き続き書記長に留任したものの、翌2009年の地方選挙で敗北した責任を取って書記長辞任を表明し、後継書記長にDL出身のダリオ・フランチェスキーニが選出された。しかし任期がヴェルトローニの残任期間であったため10月に改めて書記長選挙を実施し、DS出身のピエル・ルイジ・ベルサーニがフランテェスキーニを抑えて当選した。
2011年11月12日、ベルルスコーニ首相が、脱税と売春婦等のスキャンダルで辞任。新政権の首相にはモンティ元欧州委員が就任し、イタリアが直面する財政危機問題に取り組むことになった。ナポリターノ大統領は、13日から政治指導者らとの協議を開始し、マリオ・モンティに組閣を要請した。民主党は、2013年の任期満了までモンティ首相を支える方針を明らかにした。その一方で、党内からは、「2013年の予算法を前倒しし、秋に選挙を実施する可能性を検討すべきだ」という意見も出された。( ファッシナ議員)
モンティ首相の労働改革法案等の緊縮財政法案に対して、左派系労働組合や民主党からも、批判の声が根強く上がっている。
2012年7月、2013年に予定されている総選挙を前に左翼・エコロジー・自由やイタリア社会党など中道左派諸政党による政党連合「イタリア良きコムーネ」(Italia. Bene Comune)を提唱、10月に正式合意した[2]。11月25日と12月5日に行われた首相候補予備選挙の結果、ルイジ・ベルサーニPD書記長を首相候補に選出した。
2013年2月、任期を前倒しする形で行われた総選挙の結果、下院では297議席(在外選挙区5議席含む)を獲得、最多得票を得た政党連合に過半数議席を付与する制度によって連合を組んだ諸政党と併せて過半数を制した[3]。一方、上院では109議席(在外選挙区4議席)で第一党となったものの、過半数を確保するには至らなかった[4]。
略史 [編集]
- 2006年
- 4月2日 - ピエロ・ファッシノとフランチェスコ・ルテッリが総選挙後の新党結成で合意。
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2月17日 - 地方選挙敗北に伴いヴェルトローニが書記長辞任、DL出身のダリオ・フランチェスキーニが就任。
- 6月6日~7日 - 欧州議会議員選挙。21議席(得票率26.13%)で、PdLに次ぐ第2党に留まる。
- 10月25日 - 書記長選挙を実施し、DS出身のピエル・ルイジ・ベルサーニが当選。
- 2012年
- 12月2日:書記長選挙決選投票で、ベルサーニ書記長がマテオ・レンツィ(フィレンツェ市長)を破って再選。
- 2013年
党勢推移 [編集]
- 下院選挙
- 2008年:12,095,306票(33,18%)211議席
- 2013年:8,644,523票(25.42%)297議席
- 上院選挙
- 2008年:11,042,452票(33.69%)116議席
- 2013年:8,400,161票(27.43%)109議席
- 欧州議会議員選挙
- 2009年:7,999,476票(26,12%)21議席
出典:イタリア内務省「Archivio Storico Delle Elezion」(選挙アーカイブ) 。2013年上下両院選挙は「ELEZIONI 2013 politiche e regionali del 24 e 25 febbraio」。得票はイタリア本土の結果のみを掲載した。
民主党執行部一覧表 [編集]
| 書記長 | ピエル・ルイジ・ベルサーニ | 副書記長 | エンリコ・レッタ | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 議長 | ロージー・ビンディ | 副議長 | マリナ・セレーニ | ||
| イヴァン・スカルファロット | |||||
| 上院議員団長 | アンナ・フィノッキアーロ | ||||
| 下院議員団長 | ダリオ・フランチェスキーニ |
影の内閣 [編集]
歴代の民主党執行部・役員一覧表 [編集]
| 書記長 | 副書記長 | 上院議員団長 | 下院議員団長 | 議長 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ワルテル・ヴェルトローニ | ダリオ・フランチェスキーニ | アンナ・フィノッキアーロ | アントネッロ・ソーロ | ロマーノ・プローディ |
| 2 | ダリオ・フランチェスキーニ | エンリコ・レッタ | アンナ・フィノッキアーロ | ||
| 3 | ピエル・ルイジ・ベルサーニ | ダリオ・フランチェスキーニ | ロージー・ビンディ | ||
民主党合流政党 [編集]
- 左翼民主主義者(DS)
- マルゲリータ(ML)
- 南部民主党(PDS)
- サルディーニ計画(PS)
- 欧州共和運動(MRE)
- 民主共和主義者(RD)
- イタリア中心の道(MRI)
- 民主連盟(AD)
脚注 [編集]
- ^ ヴェルトローニの表明を受け、イタリア急進主義者(RI)と価値あるイタリア(IdV)がPD連合への参加を決定。保守政党のフォルツァ・イタリア(FI)も中道右派連合「自由の家」を解消し、国民同盟と総選挙後に新党・自由の人民(PdL)を結成することで合意するなどイタリア政界の再編が開始した。
- ^ “Firmata la carta d'intenti di Pd, Sel e Psi Renzi critico, scontenti i montiani”. La Repubblica. (2013年10月13日) 2013年3月3日閲覧。
- ^ Elezioni Politiche 2013 - Camera Liste e risultati per circoscrizione
- ^ Elezioni Politiche 2013 - Senato Liste e risultati per regione
- ^ “イタリア最大勢力リーダーが辞意 大統領選の混乱など受け”. MSN産経ニュース. (2013年4月20日) 2013年4月27日閲覧。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- PARTITO DEMOCRATICO(公式サイト)
- イタリアの左翼
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