シルヴィオ・ベルルスコーニ
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Silvio Berlusconi
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シルヴィオ・ベルルスコーニ(2005年)
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| 生年月日 | 1936年9月29日(72歳) |
| 出生地 | ロンバルディア州ミラノ県、 ミラノ |
| 出身校 | ミラノ大学法学部 |
| 所属政党 | 自由の人民 |
| 配偶者 | ミリアム・ラッファエッラ・バルトリーニ |
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| 内閣 | 第3次ベルルスコーニ内閣 |
| 任期 | 2008年 - 現職 |
| 大統領 | ジョルジョ・ナポリターノ |
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| 内閣 | 第2次ベルルスコーニ内閣 |
| 任期 | 2001年 - 2006年 |
| 大統領 | カルロ・アツェリオ・チャンピ |
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| 内閣 | 第1次ベルルスコーニ内閣 |
| 任期 | 1994年 - 1995年 |
| 大統領 | オスカル・ルイージ・スカルファロ |
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| 選挙区 | ロンバルディア州選挙区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 任期 | 1994年 - 現職 |
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| 任期 | 2007年 - 現職 |
シルヴィオ・ベルルスコーニ(イタリア語:
Silvio Berlusconi、1936年9月29日 - )は、イタリアの政治家、実業家。首相(第74・79・81代)。下院議員(4期)。自由の人民党首(初代)。現在のイタリア首相である。
フォルツァ・イタリア党首(初代)、ACミラン前会長を歴任した。
目次 |
[編集] プロフィール
[編集] 実業家
イタリア北部のロンバルディア州ミラノ生まれ。ミラノ大学法学部を卒業した後は歌手や掃除機販売業として活動し、建設業で成功する。
[編集] 「メディア王」
1978年に地方民放TV局「テレミラノ」を開局 、1988年には百貨店「スタンダ」会長に就任し、一代で建設・流通・メディアにわたる企業グループ、「フィニンベスト」を築き上げた。
特にメディア部門を統括するメディアセットは、全国的な地上波放送を行う民間放送4局のうち、「Italia 1」、 「Rete 4」、「Canale 5」の3つを所有する。「イタリアのメディアの70パーセントをコントロールする」といわれる。
[編集] 「P2」メンバー
1980年には、極右政党でネオ・ファシスト党として知られるMSIの党員で、極右テロやロベルト・カルヴィ暗殺事件に関与していたことで知られ、後にボローニャ駅爆破事件やロベルト・カルヴィ暗殺事件の主犯格として逮捕されたリーチオ・ジェッリ代表が率いるフリーメイソンの「ロッジP2」のメンバーとなった。
なおジェッリの逮捕後の1981年に、ロッジP2はフリーメイソンのロッジとしての認証が取り消され、その構成員で他のロッジのメンバーとなっていた者は「メイソンリーとしてふさわしくない活動をした」として破門された。
[編集] 政治家へ
政治家への進出は1990年代に入ってから。1993年頃から追及が始まった汚職疑惑で、キリスト教民主主義を始めとした政権与党が崩壊寸前に陥る間隙をぬって、1994年1月フォルツァ・イタリアを結成。豊富な資金力と支配下のメディアの積極的な活用で下院議員に当選し、国民同盟・北部同盟と連立政権を画策した。自身は同4月、戦後第53代イタリア首相に就任。
しかし翌年には政治家になる前の贈賄の疑いで起訴[1]され、更に連立与党間の対立が引き金となって政権は崩壊。一度は下野したものの、2001年総選挙で再び勝利し、再度首相となった。
再び政権について以降は、メディアセットの競合となる国営放送「RAI」に対しても影響力を行使しようと画策。2002年にはメディアセット社が、民放1局を衛星放送に切り替えるように憲法裁判所から判決を下されたものの、翌2003年12月にいわゆるガスパリ法案が議会で可決。メディア寡占規制が緩和されると同時に、国営放送RAIは分割民営化されることになると見られていた。しかし、イタリア内外で非難を浴びたため、カルロ・アツェリオ・チャンピ大統領は署名を拒否し、法案を下院に差し戻した(参照:イタリア共和国憲法)。
2003年7月2日、2003年下半期の欧州連合理事会議長国の政府首脳として欧州議会で演説し、彼を批判したドイツのマルティン・シュルツ議員に対し、「シュルツさん、私はナチス時代のドイツの強制収容所に関する映画の製作者を知っています。あなたを看守役に提案しましょう。あなたならピッタリだ!」と発言し、問題となった。2004年の夏季休暇中に、密かにプチ整形と植毛を行ったことで世界中の話題となった。
また日本にとってイタリアは、主要国首脳会議参加国の中では政治的経済的関係が薄い国の1つであり、内閣総理大臣のイタリア公式訪問は2000年の森喜朗を最後に行われていない。なお、2001年に小泉純一郎が、2008年に福田康夫がイタリアを訪問したが、小泉は主要国首脳会議の参加のための、福田は国際連合食糧農業機関(FAO)本部で開催の食糧サミットの参加のための非公式訪問である。
2006年4月9日、10日に行われた総選挙では、ロマーノ・プローディ元首相・前欧州委員会委員長率いる中道左派連合との一騎打ちとなり、最後まで大接戦を繰り広げたが、僅差で野党が勝利。票の再集計など混乱が続いたが最終的に敗北宣言した。事前に苦戦が伝えられた中で善戦したことで、中道右派連合において一定の求心力を維持し、引続き野党指導者として新政権と対決していくことを表明した。
2008年1月末の議会不信任によるプローディ政権の崩壊に伴い、選挙制度改革を目的とした暫定政権の樹立が模索された折には、強く反発して上下院の解散に追い込んだ。4月の総選挙においては右派勢力を糾合し、上下院で圧勝、2年ぶりの政権奪回を果たした。政権発足後の閣議をナポリで行い、ゴミ問題や不法移民対策の強化を打ち出すなどして変革を訴えた。
ベルルスコーニは2005年10月19日に来日する予定であったが、2006年4月9日、10日投票のイタリア総選挙の準備のため、来日をキャンセルした。しかし、2008年5月にイタリア首相に復帰したことにより、7月の主要国首脳会議(洞爺湖サミット)に出席するために初来日した。
3度目の政権においては公約に掲げたアリタリア航空の再建や世界同時不況への対応に苦慮しつつも、2008年9月には発足以来最高の60%の支持率を叩き出した。発足後1年を前にした2月にも6割前後の支持率を維持するなど、旧西側先進国のリーダーの多くが低支持率に悩む中にあって安定した人気を保っている。街角での警備体制や不法移民対策の強化など治安対策への支持や左派の退潮、奔放な発言も含めた人物への好感度の高さが背景にあるという[2][3]
[編集] ACミラン会長
ベルルスコーニは政治家としてだけでなく、サッカークラブのACミラン会長・オーナーとしての側面も持っている。会長として就任した当時のミランはすこぶる低迷していたが、元々このクラブのファンであった彼の会長就任後、イタリア国内リーグの3連覇や、UEFAチャンピオンズリーグでの5回の優勝など、20年以上にわたってイタリアはもとより、欧州トップクラスの強豪として君臨する強力なクラブを作り上げた。2008年5月9日、首相就任に伴い、会長職を退任した。
[編集] 政治姿勢とその評価
2度目の政権においては失業率の改善など経済の漸進的な回復を背景に、ベッティーノ・クラクシ政権を超える戦後最長の任期を誇り、2008年には再度政権返り咲きを果たした。政党が乱立し政権基盤が不安定で短命に終わりがちなイタリア内閣史においては例外的な強いリーダーを体現しているが、自身の政権基盤も北部同盟との微妙なバランスの上に立っており、2008年の同党の躍進によって、移民排斥など強硬な主張に配慮せざるを得ない状況が続いている。他方で圧倒的なメディア支配力と資金力を背景にした強圧的な政治姿勢には独裁的であるとの批判が内外から寄せられている。他にも、政界入りする以前より、度々マフィアとの親密な関係が報じられている。
英国の元首相マーガレット・サッチャーを尊敬すると語る通り、自身も新自由主義の政治家に分類され、国民の多くが反対する中でもイラク戦争を支持して派兵するなど、EU内でも際立った親米姿勢を示した。同時代の政治家ではフランス大統領のニコラ・サルコジと親しく、サルコジがベルルスコーニを「手本である」と称賛する一方、ベルルスコーニはそれぞれの政権獲得で互いに真っ先に電話連絡する仲であると認めており、移民問題や財政においてEUの基本政策に懐疑的であるなど政策的にも共通点が多いため、EUでは両者の結び付きによる発言力の高まりに懸念を示す声もある[4]。ワンマン政治家という特徴が一致するロシアのウラジーミル・プーチン首相とも親しい間柄であり、欧州各国が懸念を示すロシアのチェチェン政策にも比較的寛容だった他、2008年夏の南オセチア紛争においても、対露批判を微妙に抑えた言動を見せるなど、独自の外交路線を示している[5]。
[編集] 放言・失言
奔放な人柄でカリスマ性を持つが、ヨーロッパ文明以外の世界に対する差別主義とも取られるような放言・失言が物議を醸すことも少なくない。
- アメリカ同時多発テロ事件の直後には「残念ながらムスリムは1400年前の価値観に留まっており、西洋世界はムスリムや共産主義者にはない、自由を愛する原則と価値観を護らねばならない」と発言して物議を醸した。
- "con la sinistra al potere, miseria terrore e morte"(左翼が権力を握ると悲惨、恐怖、死が来る)と主張し、一方でイラクのサッダーム・フセイン大統領と比較して「ムッソリーニは政敵を殺したり引退させたりしなかった。離島に追放しただけ」と発言した。
- 2003年7月、EU議長国の演説で、彼を批判したドイツのマルティン・シュルツ議員に対し、「私はナチス時代のドイツの強制収容所に関する映画の製作者を知っています。あなたを看守役に提案しましょう。あなたならピッタリだ!」と発言した。
- 2005年、フィンランドのスモークトナカイについて「パルマ産のハムのほうが比べ物にならないほど美味い」と発言し、フィンランド人を怒らせた。なお2008年フィンランドのピザがアメリカで行われた料理の国際コンペティションでイタリアをおさえ優勝したが、このピザレストラン・コティピザでは、トナカイを使ったピザに「ベルルスコーニ」と名づけている。
- 2006年、「毛沢東時代、中国人は赤ん坊を茹でて、肥料にしていた」と発言。その後この発言は撤回しないと明言し、「歴史的事実であるし、中華人民共和国は何百万単位の国民を虐殺している」とさらに付け加えた。
- 2006年4月、「選挙期間中はセックスを断ちます」と公に宣言した。
- 2006年4月、チャットガールに自分と政敵のプローディ氏についてどう思うか尋ね、党員に「9人のチャットガールのうち7人の若い女の子が私のほうが好きだと言ってくれたんだよ。これはすごいニュースだろう。」と報告していた。その日の新聞各紙の見出しは経済危機に関する問題(税金、あるいは公共支出)によって占められると思われていたが、ベルルスコーニ首相の赤裸々な告白が各紙の見出しを占領してしまった。一方、プローディ陣営のあるメンバーは、「首相をおだてたチャットガールたちは、エロチャットに電話をかけてきた必死な男を担ぎ上げただけでしょう」と話した。
- 2006年4月、総選挙を前に「わたしは我慢強い犠牲者。この身を投げだし、すべての人々のために犠牲になる、自分はまるでイタリア政界のイエス・キリストのようだ」と述べた。先日、自身をフランス皇帝ナポレオンと比較し、話題になった矢先のことだった。
- 2008年4月15日の記者会見で、スペインの閣僚の過半数が女性になったことに対して「ピンク過ぎる。イタリアではありえない。イタリアは優秀な男性にあふれているし、閣僚にふさわしい有能な女性を見つけるのは容易ではない」と。
- 2008年11月6日、ロシア訪問中の記者会見でバラク・オバマがアメリカ大統領選に勝利した話題に触れ「オバマは若く、ハンサムで、そして日焼けしている」と述べ、野党議員たちから「良くても配慮に欠ける発言、悪ければ人種差別だ」と批判された[6]。
- 2009年1月には、イタリアで多発するレイプ事件に関して、対策を議会から求められたとき『イタリアには可愛らしい女の子がたくさんいるから、レイプをなくすことは無理だ』と発言した。また批判に関しては、『イタリア人女性を褒めただけ』と述べた[7]。
- フランスのニコラ・サルコジ大統領夫人のカーラ・ブルーニがイタリア系である事を挙げ、サルコジに対し「あなたの妻は私があげた」と発言した。ベルルスコーニと極めて親しい関係にあるサルコジも、さすがに不愉快そうな表情になったと言う。
[編集] 家族
前妻カルラ・デッローリオとの間に長女マリア・エルヴィラ(通称マリーナ)と長男ピエルシルヴィオ、現在の妻ヴェロニカ・ラリオ(本名:ミリアム・ラッファエッラ・バルトリーニ。元女優で「ベロニカ・ラリオ」と映画界では表記されていた。)との間に次女バルバラ、三女エレオノーラ、次男ルイージがいる。
[編集] 関連項目
- ACミラン
- ルパート・マードック
- ジョン・エルカーン
- マフィア
- ロベルト・カルヴィ
- フリーメイソン
- マリアーノ・アピチェッラ - 2008年発売のCDアルバム共作者。CDアルバムにはベルルスコーニ自身の作詞楽曲も収録[8]
[編集] 脚注
- ^ この事件については2004年12月、時効を理由として無罪判決が下ったが、分離裁判においてベルルスコーニの元側近が贈賄罪で1審有罪判決を受けている。
- ^ 「[1] 時事通信社、2008年9月20日。
- ^ 「[2]東京新聞社 2009年2月25日。
- ^ 「イタリア:仏との親密関係に独警戒」 毎日新聞、2008年4月17日。
- ^ "Italy upsets US over Georgia", The Financial Times, September 9, 2008.
- ^ "Berlusconi says Obama is 'tanned'", BBC, November 8, 2008.
- ^ 「伊ベルルスコーニ首相がまた暴言」 サンケイスポーツ、2009年1月29日付。
- ^ 「ベルルスコーニ首相がCD発売へ」 時事通信社、2008年8月26日。
[編集] 外部リンク
- イタリア首相府 (イタリア語)
- Progetto Politica: le 10 domande di Repubblica a Berlusconi (イタリア語)
- Progetto Politica: le 10 NUOVE domande di Repubblica a Berlusconi (イタリア語)
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