主要国首脳会議

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主要8ヶ国と欧州連合
主要8ヶ国と欧州連合
2008年の北海道洞爺湖サミット。 左からイタリア首相、ロシア大統領、ドイツ首相、イギリス首相、日本内閣総理大臣、アメリカ合衆国大統領、カナダ首相、フランス大統領、欧州委員会委員長。

フランスの旗 フランス
フランソワ・オランド 大統領
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
バラク・オバマ 大統領
イギリスの旗 イギリス
デーヴィッド・キャメロン 首相
2013年議長国
ドイツの旗 ドイツ
アンゲラ・メルケル 首相
日本の旗 日本
安倍晋三 首相
イタリアの旗 イタリア
エンリコ・レッタ 首相
カナダの旗 カナダ
スティーヴン・ハーパー 首相
ロシアの旗 ロシア
ウラジーミル・プーチン 大統領

欧州連合の旗 欧州連合
ヘルマン・ファン・ロンパイ 欧州理事会議長
ジョゼ・マヌエル・バローゾ 欧州委員会委員長

主要国首脳会議(しゅようこくしゅのうかいぎ)は、国際的な首脳会議のひとつ。G8(ジーエイト、"Group of Eight"の略)、主要8か国首脳会議サミット(首脳の地位を山頂に擬えたもの)ともいう。ロシア参加前は先進国首脳会議G7(ジーセブン)、先進7か国首脳会議などと呼ばれていた。

概要[編集]

主要国首脳会議で中心となるのは、以下に示す8つの主要国である。

上記の8か国の政府の長および欧州連合欧州理事会議長欧州委員会委員長が年1回集まり、国際的な経済、政治的課題について討議する会議である(その他の国の首脳や国際機関の代表も例外的に出席)。合わせて、数多くの下部会議や政策検討も行われる。 しかし、現在ロシアは参加停止中(後述)。

経緯[編集]

主要国首脳会議は冷戦下の1973年オイルショックと、それに続く世界不況に起源を持つ。これらのトラブルによってアメリカでライブラリーグループが生まれた。これは当時の「西側諸国」に属する民主主義国であるヨーロッパ、アメリカ、日本の財務を預かる政府高官が集まり、経済的課題を討議する会議である。

1975年に、フランス大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタンは工業化された4つの主要民主主義国(米・英・西独・日)の首脳をフランス・ランブイエに招待し、フランスを含めて5カ国ではじめての首脳会議を開催し、定期的に首脳会議を持つことを提案した。このときの出席者は、主催国を交代しつつ年1回会議を持つことに合意した。こうしてフランス、アメリカ、イギリス、西ドイツ、日本で構成されるいわゆる「G5」が生まれた。しかし、これを不服としたイタリアの首相が第1回会議に乗り込んで来た為、イタリアを加えG6となる。しかし、これでは欧州に偏る為、翌年のプエルトリコの首都サンフアンでのサミットでアメリカのジェラルド・フォード大統領の要請によりカナダが参加したことにより、「G7」となる。

冷戦の終結に続く1991年のG7サミット終了後、旧東側諸国の盟主で、かつてはG7諸国と対立していたソ連(現・ロシア)とサミットの枠外で会合を行うようになった。ロシアは1994年のナポリ会合以降は首脳会議のうち政治討議に参加するようになり、1997年のデンバー会議以降は「世界経済」「金融」等の一部セッションを除き基本的に全ての日程に参加することになった。1998年のバーミンガム会議以降は従来の「G7サミット」に代わり「G8サミット」という呼称が用いられるようになった。さらに2003年エビアン・サミット以降、ロシアは「世界経済」に関するセッションを含め完全に全ての日程に参加するようになった。一方ロシアは経済力が大きくないなどの理由により、7か国財務大臣・中央銀行総裁会議には完全参加していない(このため、現在ではG7と言えばこの大臣級会議のことを指す)。

ロシアの参加には米大統領ビル・クリントンの示唆などもあった。これは当時のロシア大統領ボリス・エリツィンに経済改革を進めさせ、またNATOの東への拡大に関して中立を保つようにさせるためのクリントン大統領のジェスチャーだった。他方2005年2月18日、米上院議員ジョー・リーバーマンジョン・マケインがロシア大統領ウラジーミル・プーチンによって民主的、政治的自由が確保されるまではG8への参加を見合わせるようにロシアに呼びかけるなどの動きもあった。ロシアは加入当初は経済破綻で貧困状態であったために先進国とは言い難く、一人当たり名目GDPも1999年には1334ドルに過ぎない発展途上国状態であったために、名称を「先進国会議」から「主要国会議」に変更した。

当初においては様々な国際的な課題への強い影響力を有していたが、近年では新興諸国の経済的、政治的影響力の上昇に伴う相対的な影響力の低下とともに、形骸化や単なるセレモニー化が指摘されている。その一方で国連総会などの外交官レベルの会議に比べ、主要各国の首脳会議であるサミットは決断力・実行力に格段の優位性があるほか拒否権など制度的問題点がなく、国連を補完する意味でも一定の役割を果たしているという指摘もある。

2014年3月25日オランダハーグで開かれた核セキュリティーサミットとあわせ、臨時のG7サミットが開かれた。その議場において、ロシアのウクライナに対する軍事介入やクリミア半島掌握などを非難したG7の首脳陣は、2014年6月にロシア・ソチで行われる予定だったG8サミットを中止し、会場をベルギーブリュッセルに変更する決定をした。また同会議において、「ロシアが態度を改め、G8において意味ある議論を行う環境に戻るまで、G8への参加を停止する」という内容のハーグ宣言を発表した。これにより事実上G8が停止され、ロシア参加以前のG7へと戻ったことになる[1]

グループの編成と活動[編集]

G8は国連世界銀行のような機関とは異なり、国際横断的な管理部門を持たない。またメンバー国の間で毎年順番にグループの議長国が回り、新しい議長国は1月1日から担当が始まると考えられている。議長国は一連の大臣級会議を主催し、続いて年の中頃に3日間の首脳によるサミットを行う。また、出席者の安全を確保するのも議長国の役割である。

大臣級会議は健康、法務、労働を担当する大臣が集まり、相互のまたは全地球的な問題について議論する。これらのうち最もよく知られたものはG8外務大臣会合、G8財務大臣会合などがある。1994年にはG7の後援の下で、情報社会の実現に関する特別プログラムが設立された。

2005年6月には、G8は幼児性愛者に関する国際的データベースを立ち上げることに同意され設置された。また、G8以外の国もこのデータベースに参加することができる。またG8は、各国のプライバシーと保安にかかる法律の範囲内でテロリズムに関するデータを集積することにも同意した。同時にG8構成国、およびブラジル、中国、インド(発展途上国で最大の地球温暖化ガスの排出国)の国際科学アカデミーが気候変動に関する共同声明に署名した。この声明は気候変動についての科学的理解はいまや各国が即座に対策を執るには十分に明らかになっており、IPCCの統一見解を明示的に支持するということを強調している。

G8への反発[編集]

G8への非難[編集]

G8で扱われる課題は議論のある国際的問題であるためG8は非公式な「世界政府」であり、何の関係もない第三世界にまで決定事項が強制されているという非難がアルテルモンディアリストによりしばしばなされる。ちなみにG8の「決議」「決定」「宣言」その他諸々は、国際法上の根拠を何ら持たない“仲間内での取り決め”である。

年1回のサミットは、しばしば反グローバリゼーション活動の反対活動の的になる。特に2001年ジェノバで開かれた第27回サミットでは大規模なデモが行われるなど顕著だった。

G8参加国は現在、地球規模で深刻な問題となっている地球温暖化や発展途上国での貧困の原因となっていると非難があり、また主要国として問題解決に向けて対処すべきという非難もある。このようにG8諸国が作り出していると非難されている問題について責任を取って闘うよう、G8指導者へさまざまな団体から圧力がかかっている。例えば、ボブ・ゲルドフは2005年7月2日7日にグローバル・アウェアネス・コンサートであるLive 8を組織しG8指導者に「Make Poverty History(貧困を過去のものに)」を奨励した。また組織関係者は、G8メンバー国に1992年リオデジャネイロ地球サミットの「アジェンダ21」で概説されたとおり国家予算の0.7%を海外援助に回すよう提案した。このコンサートは第31回G8サミットと同時になるように計画された。

G8とテロリズム[編集]

2005年7月7日、スコットランドでのサミットの初日に50人以上が命を落とし数百人が負傷したと言われるロンドン地下鉄およびロンドン2階建てバス同時多発爆破事件が起こった。この攻撃は、直ちに「ヨーロッパ在住のアルカーイダ秘密グループによるジハード」によるものとされた。この攻撃は西側国家に対し、アフガニスタンおよびイラクでの軍事活動をした場合攻撃を行うとイスラム原理主義者によって犯行の予告が先立ってされていた中で英国が軍事行動に参加したことと関係があるものとされた。G8サミットへ集まった国際的な注目は、おそらく最大限の象徴的な効果のためにテロリストによって増幅された。この打撃は、IOCロンドン2012年オリンピック大会の開催地に決定した告知をした直後でもあった。

先進国・主要国首脳会議の一覧[編集]

以前は、サミット参加7か国の間でフランス、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ(統一前は西ドイツ)、日本、イタリア、カナダの順で毎年持ち回り開催されてきた。ロシアが参加するようになってからはイギリスの次にロシアが入り、8か国持ち回りになった。ロシアを含め、前半4か国が国際連合安全保障理事会常任理事国であり後半4か国はそうではない。

1990年代までは開催国の首都などの大都市での開催が多かったが、1990年代末になると反グローバリズムアルテルモンディアリスム団体の抵抗運動によるデモが頻発。特に2001年のジェノヴァでは大規模なデモに見舞われたことから、以降警備のしやすい地方都市、保養地での開催が多くなっている。

年月日 開催地 備考
1 1975年11月15日 - 11月17日 フランスの旗 ランブイエ カナダ・ロシアを除く6か国で開催。
2 1976年6月27日 - 6月28日 アメリカ合衆国の旗 サンフアン カナダが参加し、7か国となる。
3 1977年5月7日 - 5月8日 イギリスの旗 ロンドン
4 1978年7月16日 - 7月17日 西ドイツの旗 西独 ボン
5 1979年6月28日 - 6月29日 日本の旗 東京 いわゆる「東京サミット」。
6 1980年6月22日 - 6月23日 イタリアの旗 ヴェネツィア 日本は首相が急死したため、外相が代理出席。
7 1981年7月20日 - 7月21日 カナダの旗 オタワ
8 1982年6月4日 - 6月6日 フランスの旗 ヴェルサイユ
9 1983年5月28日 - 5月30日 アメリカ合衆国の旗 ウィリアムズバーグ
10 1984年6月7日 - 6月9日 イギリスの旗 ロンドン
11 1985年5月2日 - 5月4日 西ドイツの旗 西独 ボン
12 1986年5月4日 - 5月6日 日本の旗 東京
13 1987年6月8日 - 6月10日 イタリアの旗 ヴェネツィア
14 1988年6月19日 - 6月21日 カナダの旗 トロント
15 1989年7月14日 - 7月16日 フランスの旗 ラ・デファンスパリ アルシュ・サミット」と呼ばれる。フランス革命200年祭(パリ祭)に合わせて開催。
16 1990年7月9日 - 7月11日 アメリカ合衆国の旗 ヒューストン
17 1991年7月15日 - 7月17日 イギリスの旗 ロンドン
18 1992年7月6日 - 7月8日 ドイツの旗 ミュンヘン
19 1993年7月7日 - 7月9日 日本の旗 東京
20 1994年7月8日 - 7月10日 イタリアの旗 ナポリ
21 1995年6月15日 - 6月17日 カナダの旗 ハリファックス
- 1996年4月19日 - 4月20日 ロシアの旗 モスクワ 核の安全のための特別サミット。正式のものではない。
22 1996年6月27日 - 6月29日 フランスの旗 リヨン
23 1997年6月20日 - 6月22日 アメリカ合衆国の旗 デンバー
24 1998年5月15日 - 5月17日 イギリスの旗 バーミンガム 初めてのG8公式サミット。先進国とは言い難い状態だったロシアが加わったため、「先進国首脳会議」から「主要国首脳会議」に改称。
25 1999年6月18日 - 6月20日 ドイツの旗 ケルン
26 2000年7月21日 - 7月23日 日本の旗 沖縄県福岡県宮崎県 「九州・沖縄サミット」と呼ばれる。
27 2001年7月20日 - 7月22日 イタリアの旗 ジェノヴァ
28 2002年6月26日 - 6月27日 カナダの旗 カナナスキス
29 2003年6月2日 - 6月3日 フランスの旗 エビアン
30 2004年6月8日 - 6月10日 アメリカ合衆国の旗 シーアイランド
31 2005年7月6日 - 7月8日 イギリスの旗 グレンイーグルズ ロンドン同時爆破事件が起こり予定が大幅変更となった。
32 2006年7月15日 - 7月17日 ロシアの旗 サンクトペテルブルク ロシアで初開催。
33 2007年6月6日 - 6月8日 ドイツの旗 ハイリゲンダム
34 2008年7月7日 - 7月9日 日本の旗 北海道 「北海道・洞爺湖サミット」と呼ばれる。
35 2009年7月8日 - 7月10日 イタリアの旗 ラクイラ 2009年4月6日ラクイラ地震で被災したため、国際的な被災地支援を狙い、開催地を地中海の保養地ラ・マッダレーナから急遽ラクイラに変更。
36 2010年6月25日 - 6月27日 カナダの旗 ハンツビル G8に続きG20(20か国・地域首脳会議)も同地で開催される。「ムスコカサミット」とも呼ばれる。
37 2011年5月26日 - 5月27日 フランスの旗 ドーヴィル
38 2012年5月18日 - 5月19日 アメリカ合衆国の旗 キャンプデービッド
39 2013年6月17日 - 6月18日 イギリスの旗 ロック・アーン
臨時 2014年3月24日 オランダの旗 デン・ハーグ 核セキュリティ・サミット開催と同時にクリミアのロシア編入に関しての緊急開催
40
(予定)
2014年 ベルギーの旗 ベルギー ブリュッセル
41
(予定)
2015年 ドイツの旗 シュロス・エルマウ
42
(予定)
2016年 日本の旗 未定

出席者[編集]

G8リーダー[編集]

2005年のグレンイーグルズサミット。ロンドン同時爆破事件に対する声明を読み上げるイギリスのトニー・ブレア首相を囲む首脳ら。左からブラジル大統領カナダ首相ドイツ首相欧州委員会委員長中国国家主席国連事務総長アメリカ合衆国大統領イギリス首相フランス大統領イタリア首相インド首相南アフリカ大統領ロシア連邦大統領日本内閣総理大臣メキシコ大統領イギリス外相。このメンバーでの会合がサミットにおける経済分野以外での最大の拡大会合となる。イギリスは欧州連合理事会議長国の任期とバッティングしていたため、外相のジャック・ストローが欧州理事会代表として出席していた。

第1回はフランス、アメリカ、イギリス、西ドイツ、日本、イタリアの6か国首脳によるG6、第2回から第23回までは6か国にカナダを加えたG7、第24回からは7か国にロシアを加えたG8。西ドイツは1990年にドイツ再統一が起こったため、第17回からは統一ドイツとして出席している。

現在、G8は以下の8名で構成される。

第6回はサミット直前に日本国内閣総理大臣大平正芳が急死。大平の後継総理は第36回衆議院議員総選挙第12回参議院議員通常選挙衆参同日選挙が終了するまで決定されなかったため総理ポストに空白ができた。サミットには代わって外務大臣の大来佐武郎が出席した。

歴代出席者の一覧[編集]

太字は議長。

開催年 フランスの旗 仏大統領 アメリカ合衆国の旗 米大統領 イギリスの旗 英首相 ドイツの旗 独首相 日本の旗 日首相 イタリアの旗 伊首相 カナダの旗 加首相 ロシアの旗 露大統領
1 1975年 ジスカールデスタン フォード ウィルソン シュミット 三木武夫 モロ - -
2 1976年 ジスカールデスタン フォード キャラハン シュミット 三木武夫 モロ トルドー -
3 1977年 ジスカールデスタン カーター キャラハン シュミット 福田赳夫 アンドレオッティ トルドー -
4 1978年 ジスカールデスタン カーター キャラハン シュミット 福田赳夫 アンドレオッティ トルドー -
5 1979年 ジスカールデスタン カーター サッチャー シュミット 大平正芳 アンドレオッティ クラーク -
6 1980年 ジスカールデスタン カーター サッチャー シュミット 大来佐武郎(外相) コシガ トルドー -
7 1981年 ミッテラン レーガン サッチャー シュミット 鈴木善幸 スパドリーニ トルドー -
8 1982年 ミッテラン レーガン サッチャー シュミット 鈴木善幸 スパドリーニ トルドー -
9 1983年 ミッテラン レーガン サッチャー コール 中曽根康弘 ファンファーニ トルドー -
10 1984年 ミッテラン レーガン サッチャー コール 中曽根康弘 クラクシ トルドー -
11 1985年 ミッテラン レーガン サッチャー コール 中曽根康弘 クラクシ マルルーニー -
12 1986年 ミッテラン レーガン サッチャー コール 中曽根康弘 クラクシ マルルーニー -
13 1987年 ミッテラン レーガン サッチャー コール 中曽根康弘 ファンファーニ マルルーニー -
14 1988年 ミッテラン レーガン サッチャー コール 竹下登 デミータ マルルーニー -
15 1989年 ミッテラン ブッシュ(41代) サッチャー コール 宇野宗佑 デミータ マルルーニー -
16 1990年 ミッテラン ブッシュ(41代) サッチャー コール 海部俊樹 アンドレオッティ マルルーニー -
17 1991年 ミッテラン ブッシュ(41代) メージャー コール 海部俊樹 アンドレオッティ マルルーニー -
18 1992年 ミッテラン ブッシュ(41代) メージャー コール 宮澤喜一 アマート マルルーニー -
19 1993年 ミッテラン クリントン メージャー コール 宮澤喜一 チャンピ キャンベル -
20 1994年 ミッテラン クリントン メージャー コール 村山富市 ベルルスコーニ クレティエン -
21 1995年 シラク クリントン メージャー コール 村山富市 ディーニ クレティエン -
22 1996年 シラク クリントン メージャー コール 橋本龍太郎 プローディ クレティエン -
23 1997年 シラク クリントン ブレア コール 橋本龍太郎 プローディ クレティエン -
24 1998年 シラク クリントン ブレア コール 橋本龍太郎 プローディ クレティエン エリツィン
25 1999年 シラク クリントン ブレア シュレーダー 小渕恵三 ダレマ クレティエン エリツィン
26 2000年 シラク クリントン ブレア シュレーダー 森喜朗 アマート クレティエン プーチン
27 2001年 シラク ブッシュ(43代) ブレア シュレーダー 小泉純一郎 ベルルスコーニ クレティエン プーチン
28 2002年 シラク ブッシュ(43代) ブレア シュレーダー 小泉純一郎 ベルルスコーニ クレティエン プーチン
29 2003年 シラク ブッシュ(43代) ブレア シュレーダー 小泉純一郎 ベルルスコーニ クレティエン プーチン
30 2004年 シラク ブッシュ(43代) ブレア シュレーダー 小泉純一郎 ベルルスコーニ マーティン プーチン
31 2005年 シラク ブッシュ(43代) ブレア シュレーダー 小泉純一郎 ベルルスコーニ マーティン プーチン
32 2006年 シラク ブッシュ(43代) ブレア メルケル 小泉純一郎 プローディ ハーパー プーチン
33 2007年 サルコジ ブッシュ(43代) ブレア メルケル 安倍晋三 プローディ ハーパー プーチン
34 2008年 サルコジ ブッシュ(43代) ブラウン メルケル 福田康夫 ベルルスコーニ ハーパー メドヴェージェフ
35 2009年 サルコジ オバマ ブラウン メルケル 麻生太郎 ベルルスコーニ ハーパー メドヴェージェフ
36 2010年 サルコジ オバマ キャメロン メルケル 菅直人 ベルルスコーニ ハーパー メドヴェージェフ
37 2011年 サルコジ オバマ キャメロン メルケル 菅直人 ベルルスコーニ ハーパー メドヴェージェフ
38 2012年 オランド オバマ キャメロン メルケル 野田佳彦 モンティ ハーパー メドヴェージェフ(首相)
39 2013年 オランド オバマ キャメロン メルケル 安倍晋三 レッタ ハーパー プーチン

その他[編集]

近年では、G8メンバー以外にも様々な政治のリーダーが会合に参加している。どの国を招待するかについては、基本的にはそのときの議長国の判断による。

まず国家首脳として、

の5名である。2005年から3年連続で参加したが、その後は参加していない。これら5カ国はO5(Outreach 5)と呼ばれることもある(特に、メキシコと南アフリカ以外の3か国はBRICs諸国である。ロシアはG8に参加)。

次に国際機関の長として、

このうち欧州理事会議長と欧州委員会委員長はEUを代表してG8の本会合にも参加する。これ以外に経済分野では国際通貨基金専務理事が参加する。

拡大会合参加国[編集]

2010年6月25日の拡大会合が行われた。その参加国は次の通りである。

  • アフリカ - アルジェリア・エチオピア・マラウイ・ナイジェリア・セネガル・南アフリカ共和国
  • 中南米 - コロンビア・ハイチ・ジャマイカ

シェルパ[編集]

側近達が集まって予備会合を持つことがあるが、こちらは「シェルパ会議」の別名で呼ばれる。サミットが首脳の地位を山頂にたとえることが発端となったことになぞらえ、同行者の意味で随員はシェルパと呼ばれる。シェルパは3名で構成されることが決まっており、日本においては首席シェルパは経済担当外務審議官、次席2名のうち1人は必ず財務官が務める。

主要国首脳会議にまつわる事柄[編集]

日本で開催される年のジンクス[編集]

日本開催年のほとんどで衆議院において解散総選挙がおこなわれ、ジンクスになっている(1979年東京の大平正芳・1986年東京の中曽根康弘・1993年東京の宮沢喜一・2000年沖縄の森喜朗)。

総選挙がおこなわれる理由として「国際的に注目を浴び、イメージが上昇したところで与党は選挙をやりたいと考えるから」というものがあげられる。なかには2000年のサミットのように衆議院議員の任期満了がその年の9月までだったため、2000年になったときから解散の時期に関係なくその年の衆院選が確実視されていたケースもある。

ただし、2008年北海道の福田康夫の年には解散総選挙はおこなわれなかった。

首脳の写真撮影の立ち位置[編集]

サミットにおいて恒例となった写真撮影では首脳の立ち位置は毎回変化しているが、実はこの立ち位置にはきちんとルールがある。中央に開催国(議長国)の首脳を配し、国家元首(大統領)か否(首相)かと在任期間の長い順に議長に近い順に左右に並ぶ(日本は首相の交代が多いため端に位置することが多いが比較的在任期間の長かった中曽根康弘、小泉純一郎は中央付近に並ぶこともあった)。また、アメリカで開催される場合はこのルールは軽視され、議長であるアメリカ大統領との個人的な関係で立ち位置が決まることもあった。

サミット花道論[編集]

日本の総理大臣はサミットに出席するとステータスがあがるといわれている。このため、総理大臣はサミットに出席することにこだわり、内閣を総辞職したり衆議院を解散したりするまえにサミットだけは出席させようという意向がはたらきやすい。一般的にサミット花道論といわれ、内閣総辞職や衆議院解散の時期を予測する有力な材料となっている。

転語[編集]

主要国首脳会議がサミットと呼ばれていることから、トップ同士の集まりのことを「サミット」と形容することがある(例:市町村サミット)。

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ロイター 2014年3月25日配信版 - [1]

関連書籍[編集]

関連項目[編集]