フランソワ・オランド
|
François Hollande
|
|
|---|---|
| 生年月日 | 1954年8月12日(58歳) |
| 出生地 | セーヌ=マリティーム県ルーアン |
| 出身校 | 国立行政学院 パリ政治学院 パリ経営大学院 |
| 前職 | 会計検査院検査官 弁護士 |
| 所属政党 | 社会党 |
| 配偶者 | ヴァレリー・トリエルヴェレール(パートナー) セゴレーヌ・ロワイヤル(元パートナー) |
| サイン | |
|
|
|
| 任期 | 2012年5月15日 - |
|
|
|
| 任期 | 2012年5月15日 - |
|
コレーズ県議会議長
|
|
| 任期 | 2008年3月20日 - 2012年5月11日 |
|
|
|
| 選挙区 | コレーズ県第1選挙区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 任期 | 1997年6月12日 - 2012年5月14日 |
| 任期 | 1988年6月23日 - 1993年4月1日 |
|
その他の職歴
|
|
| チュール市長 (2001年3月19日 - 2008年3月17日) |
|
| 社会党第一書記 (1997年11月27日 - 2008年11月26日) |
|
フランソワ・ジェラール・ジョルジュ・ニコラ・オランド(フランス語: François Gérard Georges Nicolas Hollande、1954年8月12日 - ) は、フランスの政治家。フランス共和国第五共和政第7代大統領及びアンドラ公国の共同大公である。
目次 |
略歴 [編集]
セーヌ=マリティーム県ルーアン出身。耳鼻咽喉科の医者ジョルジュ・オランドを父に、ソーシャルワーカーのニコール・トリベールを母に生まれる。
パリ政治学院(通称:シアンス・ポ)で法学士の学位を取得、同校でフランス全学連の委員長を務める。1974年、パリのHEC経営大学院(HEC)に入学、フランソワ・ミッテラン支援委員会の委員長を務める。1979年にオランドは社会党に入党している。1980年、フランス国立行政学院(ENA)を7番目の成績で卒業、フランス会計監査院の検査官となる。ジャック・アタリ、ジャック・ドロールの後押しにより、フランソワ・ミッテランの参事官となる。
政界入り [編集]
1981年、ジャック・シラクの対立候補として国民議会選挙に立候補するが、第1回選挙で敗退する。シラクが50%以上の得票率であったのに対し、オランドの得票率は26%でしかなかった。しかし、ミッテランの大統領選勝利によって、側近であるオランドは大統領官邸での任務(経済問題)を担当することになる。1983年、ピエール・モロワ内閣で次々に現れた2人のスポークスマン、マックス・ガロとロラン・デュマの官房長となる。同年、市町村議会選挙に立候補するが敗れ、ジャック・シラクの選挙区である(コレーズ県)ユセルの市町村参事会員となる。
1984年、派閥争いに嫌気がさし、数人の友人、特にジャン・イヴ=ル・ドリアン、ジャン・ピエール=ミニャール、ジャン・ミシェル=ガイヤールなどと共に社会党の超派閥集団を結成した。
1988年、ミッテランの大統領再選の後、コレーズ県第1選挙区で53%の得票数を得て国民議会議員に当選。同年から1991年まで政治学院で第3学年の学生に経済学を教える。1990年、レンヌの党大会でモロワ=メルマッズ=ジョスパンの動議を支持。
1993年、国民議会議員の任期を終了すると、1997年までジャック・ドロールの政治集団「クラブ・テモワン」を主宰する。現在、彼は名誉会長を務める。会計監査院行政官としてのオランドは、弁護士職と同等の資格を持っており、暫くの間、友人のジャン・ピエール=ミニャールの事務所で働く。
社会党第一書記へ [編集]
1994年、彼は社会党全国書記、経済問題担当となる。ジャック・ドロールが大統領選への立候補を断念した後、リオネル・ジョスパンに接近する。ジョスパンは自らの大統領選キャンペーンの、また1995年10月には社会党のスポークスマンにオランドを起用した。多元的左翼勝利の後、1997年、フランソワ・オランドは再び代議士(得票率54%以上をもって)となり、ジョスパンも首相に指名された。ジョスパンは自らの後継者として社会党第一書記(党首)の地位をオランドに託した。
オランドは10年間にわたって社会党第一書記を務めた。調整型といわれる半面、リーダーとしての決断力に欠けるとの声もある。
1999年、オランドは欧州議会議員に選出され、社会主義インターナショナルの副議長に選出されている。2001年からはチュール市長も務めた。
2007年には同年の大統領選にも出馬したセゴレーヌ・ロワイヤルとの事実婚関係を解消した。その後、ジャーナリストのヴァレリー・トリエルヴェレールと事実婚関係となった。
大統領就任 [編集]
2012年に行われる大統領選挙への出馬を目指し、社会党の予備選に立候補を表明した。2010年10月に行われた予備選の決選投票で、現第一書記であるマルティーヌ・オブリーを破り、大統領選の公認候補に選出された。
2012年4月22日に施行された2012年フランス大統領選挙第1回投票で得票率28%を獲得し、現職のニコラ・サルコジを抑えて第1位となったが[1]、過半数を獲得できなかったため、規定により5月6日の決選投票に持ち込まれた。5月6日の決選投票で過半数を獲得し、サルコジを下して初当選を果たした[2]。
2012年5月15日、エリゼ宮で就任式が執り行われ、正式に第五共和政第7代大統領に就任した[3]。新内閣の首相にはジャン=マルク・エロー社会党議員団長を指名した。また、大統領選挙での公約通り、女性閣僚を34名のうち半数の17名に増やし、大統領と閣僚の給与を30%削減した。
公職歴 [編集]
国民議会webページ[4]による。
国政 [編集]
地方 [編集]
- 1983年3月17日 - 1989年3月12日 : ユセル市会議員
- 1989年3月17日 - 1995年6月18日 : チュール市副市長
- 1992年3月23日 - 1992年3月30日 : リムーザン地域圏議会議員
- 1995年6月25日 - 2001年3月18日 : チュール市会議員
- 1998年3月16日 - 2001年4月2日 : リムーザン地域圏議会議員
- 2001年3月19日 - 2008年3月9日 : チュール市長
- 2008年3月20日 - 2011年3月27日 : コレーズ県会議長
欧州議会 [編集]
家族 [編集]
パートナーであった政治家セゴレーヌ・ロワイヤルとの間に4人の子供がいるが、事実婚関係を解消した後、ジャーナリストのヴァレリー・トリエルヴェレールと民事連帯契約となった。
暴露本「運命の女」 [編集]
2007年、事実上の妻であるセゴレーヌ・ロワイヤルが大統領選に敗北してまもなくフランス高級紙「ル・モンド」の記者2人による著作「運命の女」が出版された。これは、それまでオシドリ夫婦と見られたオランドとロワイヤルが10年以上前から「仮面夫婦」の状態であることを暴露したものである。同書の中には1995年にロワイヤルが大統領選出馬を考えていたが、オランドが反対したことや、オランドの浮気などの様々な面で対立や軋轢が両者の間にあったことを、綿密な調査のもと書いている。オランドとロワイヤルはこの本の内容を否定したが、フランス国内では15万部が売れるベストセラーになった。
なお、2007年6月に両者は別居、関係を解消している。
脚注 [編集]
- ^ オランド氏28%、サルコジ氏を1ポイント上回る 仏大統領選 CNN Japan 2012年4月23日閲覧
- ^ 仏大統領に社会党のオランド氏 サルコジ氏敗れ政権交代 東京新聞 2012年5月7日閲覧
- ^ オランド仏大統領が就任 独首相と初会談へ 迫られる「協調」姿勢 産経新聞 2012年5月15日閲覧
- ^ “M. François Hollande”. フランス国民議会. 2012年2月4日閲覧。
外部リンク [編集]
- 大統領府公式サイトの伝記
- Le site officiel du parti socialiste 社会党公式サイト (フランス語)
- François Hollande 自身のブログ (フランス語)
| 党職 | ||
|---|---|---|
| 先代: リオネル・ジョスパン |
社会党第一書記 1997年 - 2008年 |
次代: マルティーヌ・オブリー |
| 先代: セゴレーヌ・ロワイヤル |
社会党の大統領候補者 2012年 |
現職 |
| 官職 | ||
| 先代: レモン=マックス・オベール |
チュール市長 2001年 - 2008年 |
次代: ベルナール・コンブ |
| 先代: ジャン=ピエール・デュポン |
コレーズ県議会議長 2008年 - 2012年 |
次代: ジェラール・ボネ |
| 先代: ニコラ・サルコジ |
第24代:2012年 - |
現職 |
| 爵位 | ||
| 先代: ニコラ・サルコジ |
ジュアン・エンリク・ビベス・イ・シシリアと共同 2012年 - |
在位 |
|
||||||||||||||||
|
||||||||||
|
|||||