ドイツ再統一
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ドイツ再統一(独:Deutsche Wiedervereinigung)とは、1990年10月3日、ドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland、日本語での当時の通称「西ドイツ」)にドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik、日本語での通称「東ドイツ」)が加入した現象を指す。
日本ではドイツ統一と略される事が多いが、ドイツで単に「ドイツ統一」と言えば、プロイセン王国主導によるドイツ帝国の成立(1871年)を指す。但し、この用語には不正確で多くの問題があるため、敢えて使用しない人も多い。
再統一の過程についてはベルリンの壁崩壊の項目を参照のこと。
[編集] 「ドイツ(再)統一」という表現の問題点
西ドイツは長らく憲法(Verfassung)を持たず、基本法(Grundgesetz)のみを持っていた。その理由は、「やがて東ドイツを含めて統一する暁に初めて憲法を持つことにする」との意志を持っていたからで、このことは基本法146条に明記されていた。しかし実際に東ドイツが1989年自壊現象を起こしてしまうと(→ベルリンの壁の崩壊、東欧革命)、西ドイツはこの基本法上の規定を無視して、基本法第23条による「併合」手続きによって東ドイツを西ドイツに組み込む形で国家統一を成し遂げたのである。そのため、厳密に言うと、ドイツは「再統一」したのではなく、西ドイツが東ドイツを自国に「編入」した、あるいはドイツ民主共和国地域のドイツ各州がドイツ連邦共和国に「加入」したとしか言えない。
[編集] 再統一後の問題点
ドイツは長期に渡って分断されていたため、旧西ドイツと旧東ドイツでは大きな経済格差がある。その比率は専門家によると3:1であったと言われる。その影響は現在に至るまで続き、経済不況に見舞われる傾向にある。旧西ドイツでは経済混乱に足元をすくわれ、統一の際1:1での通貨両替をしてしまったため、5000億マルク(当時の日本円にして約3兆5000億円)が吹き飛び、赤字転落してしまった。また、旧東ドイツでは市場経済に適応できなかった旧国営企業が相次いで倒産し、失業者が増加している。そのあおりで極右政党が移民排斥を掲げると競合してしまう国民の共感を得る傾向があり、東西ドイツ時代には封じられていたネオナチ思想も格差の残る旧東ドイツを中心に息を吹きかえしているといわれる。再統一後も旧東ドイツへの援助コスト増大などによって、旧西ドイツの経済はかなり圧迫されたが、2006年以降は景気回復の兆しが見えている。

