ドイツ再統一
ドイツ再統一(ドイツさいとういつ、ドイツ語: Deutsche Wiedervereinigung、一般的には「転換点」を意味する「die Wende」とも言う)は、1990年10月3日に、ドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland、通称「西ドイツ」)にドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik、通称「東ドイツ」)が編入された出来事である。東西ドイツ統一ともいわれる。
目次 |
[編集] 名称
日本では単に「ドイツ統一」と略される事が多いが、ドイツで単に「ドイツ統一」と言えば、プロイセン王国が主導したドイツ帝国の成立(1871年1月18日)を指す。
[編集] 壁崩壊から再統一までの経過
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ドイツ ポータル |
- 3月18日 - 東ドイツにて自由選挙が実施され、ドイツ統一を主張する保守連合「ドイツ連合」が勝利する。
- 5月5日 - 東西ドイツと米英仏ソの6ヶ国外相会議が開催される。
- 5月18日 - 西ドイツと通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約を調印する。
- 7月1日 - 通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約が発効し、東ドイツに西ドイツの通貨・ドイツマルクが導入される。
- 7月17日 - 6ヶ国外相会議で、統一ドイツの北大西洋条約機構への加入を確認する。
- 7月23日 - 東ドイツの県が廃止され州が復活される。
- 8月23日 - 人民議会で東ドイツ5州の西ドイツ加盟が決議される。
- 8月31日 - ドイツ統一条約が調印される。
- 9月12日 - ドイツに関する最終規定条約が調印される。
- 10月3日 - 西ドイツ基本法23条に基づき、東ドイツの州が西ドイツに加入する。
[編集] 「ドイツ(再)統一」という表現の法的な問題点
西ドイツは長らく憲法(Verfassung)を持たず、基本法(Grundgesetz)のみを持っていた。その理由は、「やがて東ドイツを含めて統一する暁に初めて憲法を持つことにする」との意志を持っていたからで、このことは基本法146条に明記されていた。
しかし、実際に東ドイツが1989年のベルリンの壁崩壊で自壊現象を起こしてしまうと(→東欧革命)、西ドイツはこの基本法上の規定を無視して、基本法第23条による「併合」手続きによって東ドイツを西ドイツに組み込む形で国家統一を成し遂げた。そのため法的には厳密に言うと、ドイツは「再統一」したのではなく、西ドイツが東ドイツを自国に「編入」した、あるいは「再統一」直前の1990年7月に復活した州制度によって作られた東ドイツ地域の各州がドイツ連邦共和国に「加入」したとしか言えない。
[編集] 再統一後の問題点
ドイツは40年に亘って分断され、旧東西両国が資本主義と社会主義という違った経済体制を敷いていたため、旧西ドイツと旧東ドイツでは大きな経済格差がある。旧東ドイツは東側の社会主義国の中では一番経済が発展していた「社会主義国の優等生」であったが、それでも世界屈指の経済大国である旧西ドイツとの差は大きく、その比率は専門家によると3:1だったと言われる。その影響は現在に至るまで続き、再統一後のドイツはアメリカ一極体制の席巻も重なって深刻な不況に襲われている。
コール首相は、整理解雇請負会社「ドイツ信託公社」に依頼し、旧東ドイツ国営企業の民営化や大規模な整理解雇を行った。
旧西ドイツでは経済混乱に足をすくわれ、統一の際に1:1での通貨交換をしてしまったため、5000億マルク(当時の日本円にして約3兆5000億円)が吹き飛び、赤字転落してしまった。また、旧東ドイツでは、民営化された国営企業の相次ぐ倒産により失業者数が増加している。 そのあおりで極右政党が移民排斥を主張すると、失業者と競合する国民の共感を得る傾向にあり、東西ドイツ時代には封じられていたネオナチ思想も、格差の残る旧東ドイツを中心に息を吹きかえしている。再統一後も旧東ドイツへの援助コスト増大などによって、旧西ドイツの経済は圧迫を強いられた。2006年ごろには景気回復の兆しを見せたが、世界金融危機 (2007年-)により、再び不況の中にある(欧州全体が世界金融危機の影響を受けており、ドイツだけが特別ではない)。2010年に欧州連合が経済危機に陥ったギリシャへの金融支援を検討した際、最も強く反対したのは20年近くの不景気にあえぎ続けていたドイツであった。
[編集] 関連項目
- 再統一後のドイツの歴史(独語版)
- 独立国家共同体
- 平成(冷戦後の日本)
- アメリカ合衆国の歴史 (1991-現在)
- 総統民選期の中華民国(冷戦後の台湾)
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