ボン

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ボン
Bonn

ボン市役所
位置
の位置図
座標 : 50°43′48″N, 07°06′00″E
歴史
軍駐屯地 紀元前1世紀
行政
ノルトライン=ヴェストファーレン州
 地域連合 ラインラント地域連合
 行政管区 ケルン行政管区
  郡独立市
ボン
上級市長 ベーベル・ディークマン
ドイツ社会民主党
地理
面積  
  域 141.22km2(54.5mi2
標高 海抜 45.6 – 194.8m(約197ft
人口
人口 (2007年6月30日現在)
  市域 314,926人人
    人口密度   2,230人人/km2(5,776人人/mi2
その他
等時帯 中央欧州時間UTC+1
夏時間 中央欧州夏時間UTC+2
公式ウェブサイト : Stadt Bonn

ボンBonn)はジーベンゲビルゲ山脈の北部にあるライン川沿いのケルンの南約20 km に位置する、ノルトライン=ヴェストファーレン州に属するドイツ連邦共和国の(19番目に大きい)都市である。統一以前の1949年から1990年まで西ドイツ首都であった。人口310,930人(2002年)。

かつてこの都市には1288年から1803年までケルン大司教が暮らしていた。作曲家ベートーヴェンの生誕地・シューマンの終焉の地としても知られている。

2006年開催のFIFAワールドカップでは日本代表の合宿地となった。

目次

[編集] 地勢

ライン川沿いに位置する。50キロほど南東にコブレンツ、25キロほど北西にケルン、35キロほど北にレバークーゼンが位置している。

[編集] 歴史

ケルト人の集落があったが、前1世紀になるとローマ帝国の駐屯地となった。13世紀よりケルン大司教の居住地となった。18世紀末、ナポレオンによって占領されたが、19世紀初頭のウィーン体制の発足とともにプロイセンの支配下におかれた。典型的な文教都市であったが、第二次世界大戦中は1944年2月~1945年2月までの間に72回も空襲を受け、伝統あるボン大学も全焼するなど被害を受けた。大戦後は西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の暫定首都であった(憲法上はベルリン)。統一後、移行措置を経て首都はベルリンに移動している。ただし、一部行政機関の移転作業は完了していない。

[編集] 音楽

ベートーヴェンの生家である「ベートーヴェン・ハウス」(Beethoven-Haus)があり、パブロ・カザルスは生前、「この家はドイツでの治外法権である」と述べている(カザルスはフランコ政権を支持する国への歴訪を生涯拒んだ。ドイツも本来は例外ではなかった)。また、中心地から少し離れたエンデニッヒにはシューマンが最期を迎えた療養所を改装したシューマン記念館があり、シューマン夫妻の墓は市街に有るアルター墓地に埋葬されている(ベートーヴェンの母や、シラーも同じ墓地に埋葬されている)。

[編集] 交通

ボンは3つのアウトバーン並びに高速鉄道Inter City Expressを含む2つの鉄道路線によって結ばれている。この都市はケルンジークブルク(ICE駅が所在する)及び、バート・ホンネフ(Bad Honnef)への路線としてボンLRT輸送システムが運行されている。また、バスも運行されている。

ボンの国際空港は多くのヨーロッパの都市と低価格で結ばれていて、アメリカ合衆国ニュージャージー州にあるニューアーク・リバティー国際空港ニューヨーク市)への直行便(コンチネンタル航空)が運航されているケルン-ボン空港である。

[編集] スポーツ




郵便番号: 53111–53229 (旧: 5300)
市外局番: 0228
ナンバープレート: BN
自治体コード: 05 3 14 000
UN/LOコード: DE BON
市の構成: 4 市区、51 街区
市庁舎の住所: Berliner Platz 2
53103 Bonn
負債: 914,850,000 € (2006年1月19日現在)
失業率: 8.8 %
(2006年7月)
外国人: 13.65 %
(2005年12月31日現在)
大聖堂

[編集] 姉妹都市

Bad Godesberg地区

Beuel 地区

Hardtberg 地区

[編集] 出身の有名人

[編集] 関連項目

ボン大学

[編集] 外部リンク


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