アーヘン

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アーヘン
Aachen

紋章
アーヘンの位置(ドイツ内)
アーヘン
アーヘン
座標: 北緯50度46分0秒 東経6度6分0秒 / 北緯50.76667度 東経6.10000度 / 50.76667; 6.10000
ドイツの旗 ドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区 ケルン行政管区
郡独立市
行政区域 7 Stadtbezirke
行政
 - 市長 ユルゲン・リンデン (SPD)
面積
 - 計 160.83km2 (62.1mi2)
標高 173m (568ft)
人口 (2013年12月31日)[1]
 - 計 241,683人
 - 人口密度 1,503人/km² (3,892.8人/mi²)
郵便番号 52062 – 52080(旧: 5100)
市外局番 0241、02403、02405、02407、02408
ナンバープレート AC
自治体コード 05 3 34 002
ウェブサイト www.aachen.de
アーヘン大聖堂
アーヘン大聖堂の内部
市庁舎

アーヘン(標準ドイツ語: Aachen ドイツ語発音: [ˈʔaːxən] ( 聞く)[2])は、ドイツ連邦共和国の都市。ノルトライン=ヴェストファーレン州に属する。フランス語名はエクス・ラ・シャペル (Aix-la-Chapelle)。ラテン語名はアクアエ・グラニ (Aquae-Grani, Aquisgranum)。

地勢[編集]

ベルギーオランダ国境に近接している。近隣の都市としては、東の方角にケルン、西の方角にマーストリヒトオランダ)が挙げられる。温泉地としても知られ、町の名称はいずれもを意味する語に由来する。

名称[編集]

「アーヘン」の名称は古高ドイツ語 aha鉱泉)に由来し、ラテン語アクア(水)に対応する。町のラテン語名は「アクアエ・グラニ」であり、アクアは水、グラニとは鉱泉を意味した。フランス語名「エクス・ラ・シャペル」のエクスはアクアから来ている。シャペルとは礼拝堂(チャペル)の意味であり、後述のアーヘン大聖堂にちなんだものである。従って、フランス語名の意味は、「礼拝堂の泉」である。

歴史[編集]

この地は古代ローマ帝国の時代から知られており、ローマ人たちは、この地を温泉保養地として発展させて来た(アクアエ・グラニ)。

中世に入ると、8世紀末にフランク王国カール大帝が王宮をおき事実上の首都となり、大帝がこの地にイングランドの学僧アルクィンを招いたため、カロリング朝ルネサンスの舞台ともなった。9世紀後半にノルマン人の襲撃を受けて荒廃するが再建し、歴代のドイツ王、神聖ローマ皇帝がアーヘン大聖堂戴冠式を行った。皇帝フリードリヒ1世に都市特権を認められた。

14世紀半ば、都市内で手工業者が市政参加を求めてツンフト闘争を展開し、15世紀半ばに市政参加を果たした。16世紀前半、皇帝カール5世の戴冠式が行われ、アーヘンで戴冠された最後の皇帝となった(ただし、その後1531年にドイツ王としてフェルディナント1世が戴冠式を行っている。これが最後の戴冠式となる)。

17世紀の三十年戦争で深刻な打撃を受け荒廃したため、街の再建には長い期間を要した。1668年にはこの地でフランドル戦争(南ネーデルラント継承戦争)の講和条約アーヘンの和約 (1668年)が結ばれ、1748年にはオーストリア継承戦争の講和条約アーヘンの和約 (1748年)が結ばれた。1815年のウィーン議定書によってプロイセン領となった。

文化[編集]

宮殿の礼拝堂として建てられたアーヘン大聖堂ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている。聖堂の隣の宝物館にはカール大帝の金の胸像などがある。

観光[編集]

スポーツ[編集]

サッカーのアレマニア・アーヘンの本拠地である。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ノルトライン=ヴェストファーレン州情報技術省 — 公式人口統計
  2. ^ まれに"Aachen"は「アーヒェン」と表記されることもあるが、これは発音規則の誤解であり、正しくは[ˈʔaːçən]ではなく、[ˈʔaːxən]である。したがって「アーへン」のほうが現地音に近い表記であるといえる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]