ビーレフェルト
| ビーレフェルト Bielefeld |
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| 座標: 北緯52度1分0秒 東経8度31分0秒 / 北緯52.01667度 東経8.51667度 | |||
| 国 | |||
| 州 | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | ||
| 行政管区 | デトモルト行政管区 | ||
| 地域連合 | ヴェストファーレン=リッペ地域連合 | ||
| 郡 | 郡独立市 | ||
| 行政区域 | 10 Stadtbezirke | ||
| 行政 | |||
| - 市長 | エーベルトハルト・ダーフィト (CDU) | ||
| 面積 | |||
| - 計 | 257.91km2 (99.6mi2) | ||
| 標高 | 118m (387ft) | ||
| 人口 (2011年12月31日)[1] | |||
| - 計 | 323,395人 | ||
| - 人口密度 | 1,254人/km² (3,247.8人/mi²) | ||
| 郵便番号 | 33501 - 33739(旧: 4800) | ||
| 市外局番 | 0521、05202、05203、05205、05206、05208、05209 | ||
| ナンバープレート | BI | ||
| 自治体コード | 05 7 11 000 | ||
| ウェブサイト | www.bielefeld.de | ||
ビーレフェルト(Bielefeld)はドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州に属する独立市で、人口は約32万3千人(2009年)。ドイツの典型的な工業都市であり、オストヴェストファーレン=リッペ (de:Ostwestfalen-Lippe) 地方最大の都市である。
目次 |
地勢 [編集]
ビーレフェルト市域には、古代ローマ帝国とゲルマン人が戦ったこと(トイトブルク森の戦い)で知られるトイトブルク森 (Teutoburger Wald) が、西北から東南方向に走っている。ビーレフェルトの中心市街は、トイトブルク森を北部と南部とに分ける大きな峠の東側に位置しているが、近代に入って丘陵上や峠の西側の地域も市域に編入された。
近隣の都市としては、南西のドルトムント、北西のオスナブリュックなどが挙げられる。
歴史 [編集]
ビーレフェルトは、1214年にラーヴェンスベルク伯国 (de:Grafschaft Ravensberg) のヘルマン2世 (de:Hermann II. (Ravensberg)) によって、トイトブルク森を越える峠を防衛するために建設された。13世紀に都市特権を得て、15世紀末にハンザ同盟都市の一員になった。1520年、旧市街と新市街が統合された。16世紀末に始まったリネン(亜麻布)産業は、町の主産業となった。
1849年にケルン・ミンデン間の鉄道路線が開通する。1851年には Bozi兄弟によって最初の機械紡績工場が建設され、1854年から1857年にかけてラーヴェンスベルク紡績工場が建設されるなど、19世紀後半には繊維産業の中心都市となった。また、1860年代には金属工業も展開するようになった。1898年から1928年にかけて、この町に本社を置くデュルコップ社 (de:Dürkopp) は、自動車を生産している。
第一次世界大戦終結直後のワイマール共和国では猛烈なインフレが進行し、いくつかの都市では緊急通貨(ノートゲルト)が発行された。ビーレフェルトはそうした都市の一つであり、繊維産業を活かしてリネン・絹・ベルベットを用いた緊急通貨が発行された。1920年代前半に使用されたこれらの緊急通貨は「布の通貨」(stoffgeld)として知られている。
1904年から1930年にかけてビーレフェルトには鉄道駅、市立劇場、コンサートホール「ルドルフ・エトカー・ホール」 (de:Rudolf-Oetker-Halle) などが開設された。
ナチス政権下の1938年、この町のシナゴーグは襲撃・放火された(水晶の夜)。第二次世界大戦末期、ビーレフェルトは数次にわたって激しい爆撃を受けた。1944年9月20日・10月7日にはアメリカ陸軍航空隊のB-17によって、12月4日から5日にかけてイギリス空軍(RAF)による爆撃を受け、市街地は破壊された。1945年3月14日には、ビーレフェルトの鉄道橋に対して、グランドスラム爆弾がはじめて実戦使用された。ビーレフェルトは、1945年4月にアメリカ軍によって占領された。
第二次世界大戦後、ビーレフェルトはめざましい復興を遂げた。
産業 [編集]
伝統的な繊維産業だけでなく、自動車産業など食品工業なども発展している。
スポーツ [編集]
ビーレフェルトを本拠地とするサッカークラブとして、アルミニア・ビーレフェルト(Arminia Bielefeld)がある。アルミニア・ビーレフェルトは1905年創立の歴史のあるクラブで、1980年代には日本人FWの尾崎加寿夫が在籍していた事でも知られる。スタジアム名はシューコ・アレナ(Schüco Arena)。
文化 [編集]
1969年にビーレフェルト大学が設立された。日本の大学との交換留学を通じた交流も行われている。こうして、経済面だけでなく文化面でも注目される都市へと成長している。
20世紀前半、無声映画の時代に活躍した映画監督、F・W・ムルナウの出身地でもある。
姉妹都市 [編集]
コンカルノー(フランス・ブルターニュ地域圏)
リヨン(フランス・ローヌ=アルプ地域圏)
エニスキレン(イギリス・北アイルランド)
ロッチデール(イギリス・グレーター・マンチェスター)
ジェシュフ(ポーランド)
ノヴゴロド(ロシア・ノヴゴロド州)
ナハリヤ(イスラエル)
ゴーシェン (インディアナ州)(アメリカ合衆国・インディアナ州)
エステリ(ニカラグア)
出身者 [編集]
関連項目 [編集]
引用 [編集]
外部リンク [編集]